« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月

2008.02.29

時の運

時の運神さまは、神社の神さまと会合しているのだろうか……。

勝敗は時の運という言葉があるが、時の運には、時の運神さまがいて、正負の法則に則って配分しようとしているのかもしれない、そう思うのは私だけだろうか。

ジャンケンに勝ったり負けたりするのも時の運が働くのかどうかは知らないが、私は90%の確立でジャンケンに負ける。そんな私に負ける人がたまにいて驚くが、その人物に聞いてみると、やはりジャンケンは弱いと言っていた。

時の運に正負の法則が働いているならば、勝てない私たち、言い換えれば、時の運を使っていない私たちには時の運量が減っていないことになる。

時の運神さまと神社の神さまには会合か何かがあって、こんなやり取りが起きるのかもしれない。

時の運神さま「最近はどうじゃね?時の運の分配が不釣合いだと申して来た者はおるかね?」

神社の神さま「いやいやお久しぶりでございます。お顔を艶もよろしいようで、御元気そうで何よりでございます。そういえば先日、時の運に見放されているようだと言って、宝くじが当たるようにと願い出てきた者がおりました。貧乏神さまと連絡を取りましたところ確認が取れまして、確かに不均一さが生じているようでございます」

時の運神さま「時の運の配分には均一を心がけておるのじゃが、わし1人なもんでのう。どうしても行き届かないことが出る。可哀想なことをした、望みは宝くじ当選で良いのだな?」

神社の神さま「はい。そのように願い出ております」

時の運神さま「ん。その願い、叶え賜う」

 

時の神さまだって、日本中に数多くある神社の会合すべてに出られるわけではなのかもしれない。そう思ったのも、島崎晋『神社と神さまがよくわかる本』PHP2007を読んでいたら、宝くじがよく当たると言われている神社が載っていたからである。

 

「あのさー、うちの一族って、どう考えても時の運に見放されているでしょ!」と思う人々がいて、

「運加減の相殺を宝くじ当選で頼みたい」と願う場合があると思う。

ジャンケン負け人生を送る私には、「あのさー」と苦しい胸の内を明かす人々のお気持ちを少しはお察しできる。

そこで思いついた。

陰ながらではあるが、その人々の助けになることを祈りつつ、宝くじがよく当たると言われている神社情報を記しておこう。

 

 

皆中稲荷神社(かいちゅう)―東京都大久保 

宝当神社(ほうとう)―佐賀県唐津市

貧乏神神社―長野県飯田市

金持神社―鳥取県日野郡

山田天満宮、境内内、金神社(こがね)―愛知県名古屋市

小国両神社―熊本県阿蘇郡

冨来神社(とくみ)―大分県国東市

 

 

 

「ボンちゃん。時の運神さまって、いると思う?」 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.28

絵と詩とゴリラは語る

絵や詩は我々に次のように語りかけてきているらしい。

「つい先刻始まった文明生活に、前後を見失っている文明人たちよ。人類は森で生まれ、木と生き、木に生かされ、生理機能を形作ってきたのだぞ。それを思い出すのだ」と。

画家や詩人のように感受性に優れた人達が直観したことを表現し、文明人に忘れたものを思い出させてくれると、読売新聞2008/2/23の記事に記されてあった。

更に詩人の長田弘さんの言葉が載せられていた「書くことは創造でも表現でもなく、どれだけ思い出せるかということだ」

芸術作品の評価を理性によって行う者はいないだろうが、それらに惹かれるに至った判断の根拠は何かを考えると、大きく見れば、太古の時代の何かを目の当たりに見る思いをしているのかもしれないと思った。

 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラであるボンちゃんの存在感は、絵や詩と似ているね」

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.27

ギャップ理論

茂木健一郎『すべては脳からはじまる』中公新書を読んでいたら「ギャップ理論」という言葉が目に留まった。

 

「ギャップ理論」とは、作者と、その作品を通して想像される作者の人柄とが乖離しているという逆説的な理論である。

 

例にモーツァルトを挙げ、そういった人に天才的な創造者が多いとしている。本の中で興味深かった話は、叶わぬ恋心の詩でヒット曲が多いユーミンには、あまり失恋経験がないことや、ユーミンの「やさしさに包まれたなら」が、キャラメルのコマーシャルソング用に作られた詩で、あの詞は、口の中でキャラメルが溶けるイメージだということだった。

 

ギャップ理論の存在理由に関しては紙面は割いていなかったが、脳科学者が理論と呼ぶほどのものが、そこには存在するのかと思い驚いた。この現象は、前々から私の七不思議のひとつになっているのである。

 

私の中では、作者の潜在意識の表面化だと思っているのだが、まさか、ただのつむじまがりではあるまい……。 

 

 

「ボンちゃん。天才的な創造者が、究極のへそまがりってことは、ないよね?」

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.26

無常なのに、無情

迷宮入り事件の被害者の肉体が現存しない場合、その被害者は魂で真相を告げようと生きている。

自らで真実を明らかにしたくとも、捜査は事柄に直接関係していない捜査班のみに任されることになる。

被害者の魂は、現実的に事を進めることができず、思いが思うように伝わらず、いらだたしい、もどかしい状況に置かれているに違いない。

被害者の魂の告げる言葉を容易に聞き遂げることができれば、一刻も早く事件の真相を明らかにすることができるのだが、その思いをくむ力が肉体をもつ人間には欠如している。だから迷宮入りする事件が出てきてしまう。

魂の声が聞きづらいという短所、これを補う働きかけとなるのが、永遠不変のものはない「無常」世界に我々が生きているということではないだろうか。

無常な世界に生きているからこそ、解決できずにいた状態、この一定の事実状態が一定期間継続していたとしても、時代が変わるとともに、解決への糸口が現れてくる。この宿命を考えれば、ある程度の年月をかければ、迷宮入りしている事件も解ける可能性があることになる。

四柱推命の年運という観点から考えても、事件の被害者本人が持ち合わせている年運+捜査班組織(組織長の年運、捜査する者一人一人の年運)が絡み、事件の真相究明がはかられているのだから、証拠の少ない事件や、難解な事件ほど、その年運の積み重ねが必要だと言える。

時効とは、「法律で、一定の事実状態が一定期間継続した場合に、真実の権利関係に合致するかどうかを問わずに、その事実状態を尊重して権利の取得・喪失という法律効果を認める制度」と『大辞泉』小学館には記されてある。

真相を究明するという観点から見れば、一定の事実状態が一定期間継続した場合にその事実状態を尊重するという日本の時効制度の考え方は、無常観が乏しい判断の上に成り立った、無情にも突き放した制度であるように思えてならない。

「ボンちゃん。魂の声を聞く能力が乏しい人間と生きる宿命を背負ったゴリラは、想像を絶する過酷な運命だよね。無情だ。p>

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.25

いちかばちかと、祈り

アメリカでコールドケース扱いとなっていた“ロス疑惑事件”のニュースを見ていた時だった。乾坤一擲(けんこんいってき)という知らない四字熟語が耳に飛び込んできた。

乾は「天」、坤は「地」を意味していることは易経から分かるが、一擲(いってき)が分からず、意味が想像できなかった。

  

一擲(いってき):さいころを投げて勝負すること。乾坤一擲:のるかそるかの大勝負にでること。運命をかけるような大きなものごとをすること。いちかばちか。参考文献『四字熟語辞典』学研

 

 

四柱推命では、乾坤一擲に事を成すのに相応しい年運というのがある。換言すれば、いちかばちかの勝負に出るのに相応しい年である。

ロス疑惑事件の被害者の魂が、年月を経て、いちかばちかの勝負に出たように思えてならない。

真実が明らかになることを祈ることが、悔しい思いを抱えてこの世を去らざる終えなくなってしまった被害者の苦しい心の内を聞き、その無念さに一緒に涙を流すことに繋がるのかもしれない。

 

いちかばちかの勝負を支える祈りである。

 

真実が明らかになることを心から祈りたい。

 

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんは、運命を賭して、のるかそるかの勝負をしたことある?」

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.24

アシカのつぶやき

Ashika1

 

 

 

 

ボクは最近、自分の将来のことを真剣に考えている。

将来の夢についてだ。

毎日ここから人間を眺めているせいか、人間になるのも悪くはない気がしてきている。

ゴールデンウィークは、いちどきに大勢の人間が見られるとパパは言っていた。その時にしっかり人間観察をして、自分が本当に人間になりたいのかをもう一度よく考え、パパとママにはそれから話そうと思っている。

ちっちゃい人間が乗って、おっきな人間が後ろから押すと、地面の上のまるいのが突然グルグル回って動き出し、まるいグルグルが止まると、ちっちゃい人間も、おっきな人間も止まるアレ。

ボクはアレに乗ってみたいのだ。

アレに乗れる、人間一日体験ってないのかなあ……。

 

 

 

「ボンちゃん。幼い頃、人間はどんな生きものだと思った?」

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.23

その姿は、涙

我が愛しのイタリアンポップス界の巨匠、Claudio Baglioniもそうだが、作詞作曲し、ギターを弾きながら歌うという離れ業をこなす人達が、この世の中には存在する。

吉幾三さんもその1人だと気づいた。

昨日のお昼頃のことだった。ブラウン管の向こうに「雪国」を歌おうとしている吉幾三さんを見かけた。

「雪国」いい歌なんだよな、と思った私は手を止めて聴いた。「津軽平野」が歌い終わり、「さくら咲く頃」の途中から、私は歌を聴いているというよりも、魂で何かの思いを伝えてくるような吉幾三さんを、まばたきをするのも忘れて見つめていたように思う。

「さくら咲く頃」を歌い終えた吉幾三さんは、溢れる涙を白いハンカチで拭いた。お父様が他界された際、送った道にも同じように桜が咲いていたのだという。

潤んだ瞳をキラキラさせながら歌った「やがて世界が歌いだす」は、世界の子供たちが幸せでいられますように、と世界平和を願って作った歌だった。

演歌というか、応援歌なのだ。

一緒に歌いたくなる歌だった。

 

外界からの刺激や印象を感じ取る力が強くなければ、シンガーソングライターやフォークシンガーにはなれないだろう。感受性が強い人は、誰よりも涙を流すことが多いように思う。

 

心を打つ曲、その姿は、涙なのかもしれない。

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんの影に、涙が見える時があるの」

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.22

正のスパイラル

私は学習が好きなのか?趣味なのか?この疑問に対する答えがやっと見つかった。

「学ぶの好きだよね、学習が趣味って感じだね」とよく言われるが、好きとも趣味とも少し違うため、答えに毎回窮していた。

学びたいから学ぶ。というのとも少し違うのである。

「もっと大きな何かに自分が動かされている感じで、学ぶことを望む自分に心身が振り回されるから、結構キツイと感じて、また学ぶのか…、と思ったりもするの。でも望むのは自分で、そこで得られる達成感が喜びであることも知っているから、まあ、同意の上でやっているのだけど、好きかと言われると、ちょっと違って……」と、要領を得ない説明に「もういいよ」と言われるのがおちだろうから、「私、学ぶのが好きなのかな~?」と、逆に問いかけていた。

なぜ自分は学びに向かうのか?

学習(学び)と言っても、学ぶこと全般で、語学習得や教養、ものづくりなどに限らず、おばあちゃんやおじいちゃんが言う温もりのある深い言葉や金八先生の含蓄ある言葉から出来事の解釈の仕方を学んだり、釘の打ち方やノコギリのひき方、網戸や障子の張替えなど様々だが、新しい知識を得ると、昨日の自分より今日の自分が少しは魅力が増したように思える。

それは錯覚かもしれないが、無駄に生きていないという安心感に似たものを得る。知的探求の欲求が満たされるからなのか、へ~とワクワクする。

ナルシスト性が乏しい私にとって、学ぶことで得られる達成感が自分を信じる力を強固し、自信が揺らがないように、礎を築いてくれる。そんな活動だと解釈していた。

と、解釈したものの、よーし礎を強固にするために学ぶぞ!という意志を貫く活動とは全く違い、気づくと学んでいるといったものだった。

従って、理屈なしに好きな人のそばに行きたくなるような感情、それに似たもので学習したくなるのだろうか。それがやっぱり好きってことなのか? 

 

この繰り返しだった。

 

その答えとなるカギが、脳科学者、茂木健一郎『脳を活かす勉強法』PHP2008の中にあったのである。脳のしくみを理解することで、遂に私の中の点と点が線となったのだった。

学習 

=脳のシナプスが合う 

=それまでの自分とは違う自分になる

=達成感を得る

=脳が喜ぶ

 

長い間、探し続けていた「なるほどね」が次々と押し寄せてきて、感動した。本を抱きしめたから、お会いしたことは無い茂木先生にも、私の喜びのハグ伝わり、ふわりと温もりを感じたかもしれない……。ちなみに昨日の夜7時ごろである。

この正のスパイラルとも言える一連の連鎖が、どうやら私を学習することへと向かわせているらしい。

 

これからは簡単に答えることが出来る。

学ぶと脳が喜ぶ、って感覚なんだよね、と。

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんもそれまでの自分とは違う自分になりたいと思う?」

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.21

ロダンの「見つめる人」?

ロダンの彫刻「考える人」、あのポーズのあのお方がいったい何を考えているのか。

これについて、私は想像を以下のように膨らませていた。

‐‐‐ああ、人生とは決断の連続だ。それには考えなければならない。考えが深い人、考えが浅い人、個人差はあるが誰もが考える。人生とは考えることの連続なのだ。ロダンはそれを作品にしたのか。さすが、鋭い所をつくなあ‐‐‐

 

あのお方が何をしているかというと…。

ロダンは、ダンテの長編叙情詩『神曲』から、あの彫刻をイメージした。地獄の門から、地獄の火の海で苦しむ人々を見つめている姿としてあの作品を彫刻した。それは大作「地獄の門」の一部になるはずだった。参考文献『今さら他人には聞けない疑問650』光文社2002

 

人が感嘆する作品を世にうみだすことのできる作家は皆、人格者に違いないと思いがちなところが私にはある。

それにしても、ロダンのあの彫刻が、「見つめる人」と命名されなかったのは、なぜだろう。

 

 

「ボンちゃん。ある人物だけを見て、見つめているのか、考えているのか、区別がつく?」

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.20

愛と孤独

「男に心から愛された経験をもつ女は一生孤独に苦しむことはない」

と詩人リルケは言った。

 

「心から女を愛した経験を持った男の場合も、同じであるのかもしれない」

と川本三郎さんは言った。

 

「去った男の幸せを願える女の場合も、同じであるのかもしれない」

と私は言った。

 

 

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんは孤独?」

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.19

死生観

「充分に使った一日の後に快い眠りが訪れるのに似て、充分に使いきった人生の後には安らかな死が訪れる」

 

この一句は、塩野七生さんの『人びとのかたち』で紹介していたレオナルド・ダ・ビンチの遺した言葉である。

 

 

日本人は死生観を持っていないと言われがちだが、私はこう思う。

 

生病老死の宿命を避けることのできない我々にとって、 限られた生をいかに充実させるか =いかに生きるか  これを考えるしかない。

 

毎日を精一杯に生きることが、納得のいく生となるのではないだろうか。

 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは死について考えたりする?」

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.18

ハシビロコウの恋物語 

ハシビロコウの恋物語 

Hashibirokou2

 

登場動物:写真

ハシビロコウ ♂ (写真左手、庭にいる)

ハシビロコウ ♀ (写真右手、プレハブ内にいる)

注: 妖怪=プレハブのガラス扉

ハシビロコウ♀はガラスを妖怪だと思っている。

 

 

これが恋というものなのだろうか。

 

寝ても冷めても考えることは彼のことばかり……。

 

彼の黄色い瞳。私を見つめる深い眼差しを思い浮かべるだけで血が騒ぐ。

 

気づくと私は、緑もない殺風景な狭いハコの中を1周している。彼に思いを馳せながら歩く1周40歩。この40歩さえも楽しい。歩く間だけは、彼から目を離すことになるが、1周歩き終えた私は、再び彼に釘付けになる。そんな繰り返しを毎日している。

 

どこか物悲しい、けれど、ジリジリと活力が吹き出してくる。

 

こんな思いをしたのは初めてだ。

 

ああ、すぐにでも飛んで、彼のそばに行きたい。

 

そんな私をあざ笑うかのように、透明で薄っぺらい妖怪のようなものが立ちはだかり、私の行く手を阻んでいる。

 

「いいか覚えておけ。お前の居場所は、このハコの中だ。いくらお前が私を蹴ったとしても私はビクともしない。私の使命は、オマエをここから一歩も出さないように、山のように動かないことなのだ。小枝のような貧弱な足で蹴られても、私は痛くも痒くもない。無駄な抵抗というものだ。あの男のことは諦めるがいい」最近ではそんなことを言われている気がしてならない。

 

ああ、あの妖怪さえいなければ。そばに駆け寄って彼の口ばしをつつくことができるのに……。

そう思いながら、17歩目となる右足のステップを踏みかけたその時、ふと思った。

彼と同じ庭に毎日いた頃、私は彼の存在の大きさに気づけなかった。彼の優しさ、思いやり、決して押し付けない深い愛。彼がどれだけ私を大切に思ってくれているか…。私は気にも留めなかった。離れて初めて気づいたのだ。自分の彼への思いにも…。

もしや……、妖怪、そなたは愛のキューピットなのか?

 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラも初恋の思い出は、生涯覚えているもの?」

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.17

キラキラ星なゴリラ

ゴリラ = 大猩猩

中国では漢字でこう記されるという。白川静『字統』、『漢字源』学研2006を参考にすると

 

けものへん「犭」 + 星 = 猩 

 

星という漢字の成り立ちは

「日」=太陽

「生」=地面からはえでたばかりのみずみずしい芽の様

「日」+「生」=星

星=澄んで清らかに光るほし

「犭」=けもの偏(部首名)は「犬」を表す象形文字

牛、馬などの他象形文字から成る単体であらわす漢字を除く多くの動物に使われる漢字に「犭」が使われる。

 

 

 

ゴリラの澄んだ眼差しは、まさにキラキラ星に見える。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラの瞳に永遠の輝きを」

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.16

ボンちゃんって、誰?

よく聞かれる質問に答えたいと思う。

①ボンちゃんって、誰?

 ゴリラ。

 

②ボンちゃんは実在するの?

 心の中に実在する。

 

④じゃあ、Tamalogのボンちゃんは?

 私の心に棲む、想像上のゴリラである。

 

④ボンちゃんにまつわる記事は?

 フィクションである。

 

⑤ボンちゃんへの語りかけは?

 心に棲むボンちゃんへの語りかけである。

 

⑥モデルとなるゴリラはいるの?

 昔、いたが、もういない。 

 

⑦どこを探してもボンちゃんはいないってこと?

 見えるという意味では、いない。

 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラも、心に誰かを棲ましたりする?」

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.15

願望の実現

昔、私は自己啓発本を大量に読んだことがある。

成功するためのカギ…。などいったタイトルの本が、本屋さんにはごまんと出ている。

「ん?カギなんてあるのか?」と単純に思った私は次々と読んでみた。

それらを読み進める内に、一様に同じようなことを言っていることに気づいた。

 

 

①人は、自分が可能なことしか、望まない。

 =望むことは可能な範疇にあるということ。

 

②願望を現実化するには、その願いを「こうなったらいいなあー」ではなく、既にそれを手にしつつあると思うこと。

 

③「無理かな」などと、1%でも疑ってはならない

 ※望みを実現する方法、手段は後からついてくる。

 ※どうやって実現するかをゴチャゴチャと考える必要はない。

 

 

①②③を可能にすれば、願望は叶うという。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは自分の願望の実現を信じ続けられる?」

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.14

ゴリラの乳歯

『いま、動物園がおもしろい』著、西山登志雄、コスモの本、の中に、「ゴリラのコミュニケーション」というページがある。

昔、カバ園長が、あるゴリラを担当した際のことである。

カバ園長は、まずゴリラと友達になろうと思った。だが、ゴリラが自分の姿を見て「ウッ」と反応してくれるまでに6ヶ月かかり、更に気を許してくれるまでに、そのまた6ヶ月かかった。

ある日、カバ園長が、そのゴリラのところに行くと、おりからニューッとゴリラが手を出してきた。

園長が手を出すと、ポツンと、てのひらに何かを落としてきた。

それはなんと、乳歯。

前夜にグラグラしていた乳歯を自分で抜いたらしく、その乳歯を一晩中握り締めていて、園長が来るのを待っていたのだ。

西山登志雄は男泣きに泣いた。と、記されてあった。

オレを信用してくれたんだ。この信用に答えたいと思ったという。

 

 

それを読んだ私はというと……、

ゴリラとカバ園長と抱き合った感覚に陥り、感動の涙に頬を濡らしていた。 

いつだったか、ボンちゃんは私に聞いてきたことがある。

「これからも会いにくる、よね?」

その時、私は答えた。

「ずっと、ずっと、会いにくるから……、約束するから。信じていいよ」と。

 

一度だけだった。

あれ以来、聞いてこない。

 

この本の中で、カバ園長は、

動物とのコミュニケーション、精神活動を尊重することの重要性を説いている。カバ園長の思いを引き継ぐ人達が増えてくれることを、心から祈りたい。

 

「ボンちゃん。ゴリラは信じた者を疑ったりする?」

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.13

サイさんへのつぶやき

なぜ人はカバに惹かれるのか。

 

「サイのつぶやき」への返事となりそうなヒントを『いま、動物園がおもしろい』著、西山登志雄、コスモの本に見つけた。

故、西山登志雄さんは、カバ園長として知られた人物である。

ある時を境に、西山さんはカバ園長と名乗り出すのだが、以下の事が理由らしい。

・これからの時代は、園長にあだ名が付くようでないとダメだ。

・カバ、言い易いし字も間違えようが無い。

・一度聞いたら忘れない。

・子供たちにも好かれる。

・西山さんは95kgのデッブリとした体に、困っていた。

これらのことを総合的に考え、自らでカバ園長とネーミングし、キャラクター作りをしたという。

 

 

カバのイメージは、たっぷり、豊か、のっそり、怖くない、ユーモラス。そんな記述があった。

従って、親しみ易いから、人はカバに惹かれるようなのだ。

 

 

サイさん!

どうやらそんな理由だと思われるよ。

 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは、森の王様だよね」

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.12

予知夢占い世界シナリオ

親愛なるあなたへ

あなたは鐘楼の音で目覚める。

カーテンを開けると、アドリア海は深い霧に包まれている。

その日はカーニバルの日。

Venezia2

 

 

あなたはスリッパも履かぬまま、衣装部屋へと走る。

部屋の壁には所狭しと仮面が飾られてある。

「仮面、仮面……。今日はシンプルな衣装で……」

 

黒マントに白い仮面を選んだあなたは、急いで着替え、イソイソと街に出かけて行く。

友人との待ち合わせをしているCaffe Florian に行き、カプチーノとブリオッシュを注文し、友人を待つ。友人は5分程遅れて来る。

 

Venezia1

 

 

気温は零度。

Venezia3

 

 

 

これがその時のあなた。サンマルコ広場の近くの船着場に立ち、アドリア海からの風に、結局一日吹かれていた。

そこは怪しさと美しさが競い合うヴェネツィア。

あなたは2009年に2月4日の夜から、その街に居住することになる。

2008年2月12日 予言者より 

 

 

幸か不幸か、予知夢を見たと言って、わざわざ手紙を送ってくれる知人は今のところ私にはいないから、願望的予知夢をイタズラに書いてみた。

 

なぜそんなことを思いついたかというと、

ブラジルの予言者の本を読んだからなのである。

その予知が詳細だから驚いてしまうのだ。

 

このブラジル人は、予知夢を詳細に手紙にし、いつ巨大地震が起きるから対策を考えるように…。と、政府機関などに警告文を送っているという。

 

果たして、世の中のことには、すでに筋書きがあるのだろうか。

これこそ私が前々から気になっている、

世界シナリオである。

世界シナリオがあったらびっくりするが、無いとも断言できない気もする。

現に、私の行っている四柱推命は、統計学に基づいた学問だが、

充分、予言的な要素が含まれている。

なぜ、個人の生年月日から、その人物の性質などを告げ、

この年はこういう感情周期に支配される傾向がある、

とか、

あなたの人生の春夏秋冬のような季節はこうだとか。

この四柱推命学は、それぞれに別々の人生のレールのようなものがあることを示唆している。

易占いはというと、東洋哲学の真髄『易経』に基づき、日常生活に起きる問題や疑問に指針を与えてくれるものなのだが、我々の内なる声(潜在意識)を聞きとめた上で、未来に起きる出来事への警告や助言として、回答をくれる。

 

四柱推命も易も、未来を推察する要素が強い上、なぜか信憑性がある。

 

予言という言葉を辞書で調べてみた。

予言とは、「未来の物事を予測して言うこと」とある。

なるほど。未来の出来事を予知する四柱推命と易占いを活用して占う私は、一種の予言者に属することになるのかもしれない。かと言って、「ニッヒッヒ、私は予言者なのだ!」などと大騒ぎするヘンテコリンなエンターティメント性は、残念ながら私は持ち合わせていない。

冗談はさておき、話を世界シナリオに戻そう。

未来を見越したかのような四柱推命と易占い=予言とすると、

これに信憑性があるということは、大まかではあるがシナリオがあると言い換えられることになってしまう。

 

従って、世界シナリオがどこかに存在すると言われれば、あるかもしれないという気がしてくるのだ。

 

 

世界シナリオにおいても、それを知ることのできるすべや、能力を持ち合わせている者が存在すれば、そのシナリオが分かるのではないか、そう思えてくる。

インチキ予言者は困るが、

予知夢は、世界シナリオの断片を夢の中で見ているのかもしれない。

 

「アドリア海の霧か…あの予知夢手紙のロマンを私に」

と、七夕の短冊に記しておくレベルでいた方が、心が平安でいられるようにも思う。

予知夢なんて見えてしまったら、疲れるに違いない。 

 

「ボンちゃん。ゴリラに予言者っている?」

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

 

|

2008.02.11

サイのつぶやき

 

Sai1 隣にはカバが住んでいる。

 愛想の無さはボクと大差ない。

 

このカバ、

なぜか人間に人気がある。 

                     

  ひとしきり隣のカバを見つめた後、

  人間たちはボクの前にやってくる。

  

Sai3

  

 

 

 

  僅かな時間、歩を止める者(多数派)

  風景を見るかの如く通過して行く者。

  じっくりと見つめてくる者(少数派)

 

  ボクのカラダは、モデルなみ。

  ボクの方が、軽やかさ。

  なんと言っても、イケメンだ。

  おまけにボクは、猛々しい。

  ボクの顔には、角がある。

  カバよりずっと、恐竜っぽい。

  なのに……、

  多くの人間たちは、

  なぜあのカバに惹かれるのだろう……。

  人間とは、理解しがたい生きものだ。

 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは猛々しいね」

 

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

 

|

2008.02.10

カバな気分

 

Kaba1

  キミを思うと、

  ボクの心もカラダも、ふくらむ。

  

 

Kaba5

  

  好きだよ。 

  

  

 Kaba4

  アナタを思うと、

  ワタシの心もカラダも、

  ふくらむわ。

          

         好きよ。 

 

 

 

 

 

コビトカバ 

  

Kobitokaba1

  あれがカギなんだよなあ…。

 

Kobitokaba2

 

 この鍵が、カギなんだよ。

 

Kobitokaba3

 

 クゥー。開けられない。

 

 

Kobitokaba6  

 悲しいときには、一句よもう。

 カバ川柳。 

 

「あの鍵が 郷里へ帰る カギとなる」

    ペンネーム 鍵と戦うカバ

 

 

Kobitokaba4

 

  あの鍵が、カギなんだよな~。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは、カバの考えていること、わかる?」

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.09

動物の足形

下を向いて歩いていても、

おもしろいものにであうこともある。

 

アスファルトの路に描かれてあった、足形。

 

Ashigata6

 

  

ゴリラ

 

ヒト

 

 

Ashigata7_2

ライオン

 

キツネ

タテガミオオカミ

 

 

Ashigata5

 

ジャイアントパンダ

 

ツキノワグマ

 

 

Ashigata1_2

 

キリン

 

 

オカピ

 

 

Ashigata4

 

 

カンガルー

 

 

 

Ashigata2_4

 

クロサイ

 

カバ

 

 

Ashigata3_3

 

 

アジアゾウ

 

 

「ボンちゃん。ゴリラの足の形は、人間の手の形みたいだね」

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.08

負のスパイラル

ある文学賞受賞作品を読み終え、改めて思った。

小説には、R指定(映画鑑賞の可否を年齢区分している等級など)という制度は存在していないようだが、果たして必要ないのだろうか。

名の知られた賞の受賞作などは特に、

老若男女を問わず読まれる事が多いと思うが、

最近の受賞作を読んでいると、

暴力表現、性的な表現が過激なものが目立つ気がする。

果たして、幼い子を持つ親がこれを読ませたいだろうか。

そんなふうに老婆心ながらに思う。

 

私の心は、

幼い頃と、おばあちゃんになった頃へとタイムスリップした。

なんとも複雑な、困惑した気持ちにかられたのだった。

 

 

幼い頃へとタイムスリップした私の心は、

「そういう世界のことって、敢えて知りたくないのに。なんか心が穢れた気がする……」

 

おばあちゃんにタイムスリップした私の心は、

「日本人女性の美徳だった、恥じらいの心は皆無じゃな。感受性が強い子が心配じゃのう。多感な時期だからこそ読むことを薦めたい小説、控えたほうが望ましい小説があるというもんじゃろう。なんとかならないものかのう……。」

 

 

現在にいる私の心は

負のエネルギーを描くには、

作家自らがそれと向き合わなければならない。

それを思う時、その作家の精神力と文章力にまず感嘆する。

その一方で、読後感が気になる。

同じ文章を読んでも、その過激な描写を読み流せる人と、何日経ってもその文章が残した読後感に苛まれる人がいる。

後者に属する私は、強烈な描写が残した読後感の悪さが夢に影響し、それと数日間戦うことになる。

読んでしまったが最後、

読まなかったことに消去できない現実に、

うだうだと考えるしかないのだ。

 

血の通った人間を描くこと。

=主人公が負のエネルギーに翻弄されて生きる様を描くこと(過激な性、暴力描写を含む)

=受賞作。

 

=読後感の悪さ。

 

この負のスパイラルに巻き込まれる度に、

私の心はおろおろとするのだった。

 

「ボンちゃん。ゴリラも架空な話をしたりして、遊んだりするの?」

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.07

影を踏んだ画家

一匹のねずみを、こよなく愛す画家がいた。

青空を見上げてはねずみに語りかけ、雨空を見てはねずみに話しかけて暮らしていた。

そんな画家の絵は、きまってそのねずみの絵だった。

ある時、画家は無料サイトのブログに愛しのねずみのことを綴ってみようと思った。

一番気に入っている絵も掲載してみた。暖炉の部屋にある古びたソファーに腰掛けたネズミが、雪景色を見ているものである。

ついに記事が出来上がり、ネット上に画家が記したねずみの話が掲載された。

画家は目を細めて、掲載された自分の記事を読み返していた。画家の目が険しくなったのは、最後にあったスポンサー情報を見た時である。

 

顔が青ざめてきている。

 

そこには次のように記されてあった。 

Sponsored Link

ネズミとは永久にお別れ。ww.nezumi.bye.bye…

ねずみにはもう悩まない。ww.nezumi-iya.info…

ねずみ駆除は当社に。ww.nezumi-daikirai.com…

 

 

 

文字検索のみで行われる宣伝の影を踏んだ画家は、

 

呆然と立ちすくんでいた。

 

 

「ボンちゃん。影を踏んだことある?」

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.06

ひよどり川柳

毎年楽しみにしているサラリーマン川柳の季節がやってきた。

 

そこで、ひよどりの悲哀漂う、ひよどり川柳を一句考えてみた。

 

 

餌台に 食べては積もる カキ氷 

    ペンネーム   腹ペコひよどり

 

ボンちゃんに捧ぐ一句

「雪景色 足あと見つめ ゴリラを思ふ」

 

  

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.05

NDって何?

混雑した電車の中に、スタイリッシュな雰囲気の人とは対極的な位置に属する、ある男性がいた。

若い女性グループが、その人物を見てクスクスと笑っている。

 

「ND」

 

1人の女性がささやいた。すると、笑い声がいっそう大きくなった。

 

 

NDって、何?

暗号めいた言葉だということは分かるが、私にはその意味が分からなかった。

 

 

いわゆる今の若者用語に詳しい知人にさっそく聞いてみた。

ND = 人間として、どうよ。

という意味らしい。

 

その言葉を投げつけられた人が、その意味を知らなくて良かったと思った。知っていたら、笑い声が悲鳴に変わったかもしれない。

 

近いうちに、その種の略語辞典『KY式日本語』が発売されるという。遊び言葉的な暗号の意味が公表されるのだ。

ちなみに「KY」は、(空気読めない)に当たるという。

 

KYでいた方が、

今の世の中、

幸せでいられるのかもしれない。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラのキラキラした眼差しに包まれると、言葉なんて到底、太刀打ちできないって感じるよ」

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.02

占い師のつぶやき…。

占い師とひとことで言っても、餃子にも色々あるように、占い師にも色々いる。

ウラナイシ、うらないし、占い師、占師……。

とにかく、色々いすぎる。

いい占い師に出会えるかどうかは、その人の持つ、運の強さなのだろうか。

 

 

ふらりと、私の前にあなたが座った場合。

どんよりとした心を持つあなたが、私にぽつりぽつりと話し出した。

意外に知られていないことだが、鑑定依頼者がどんよりとしたものを抱えていると、こちらもその気を受け止める形になる。

私のこころも、どんよりとしてくる。悩みが深ければ深いほど。あなたのこころが複雑化していればしているほど、あなたのこころの様を私も抱える。

それが重いほど、最善策を導き出す集中力が邪魔される。それを断ち切って、あなたのいま置かれている立場を推察し、苦しみや哀しみ、願望を出来うる限り想像し、受け止め、客観視に努める。

次に、四柱推命、易に基づき、なぜあなたの心が、これほどまでに混沌としてしまったのか、その原因を伝える。

次に、四柱推命、易に基づいて考えられる最善策を伝える。

私はあなたの味方の立場となって、心が少しでも整理されるように努め、新たなる方向性を伝え、自らで決断できるように語りかける。

自分を信じさえすれば、

きっと、あなたはやっていける。

きっと、大丈夫。

さようなら。

 

 

与えるだけの癒しでは、

こころは絶対に、救えない。

 

 

自らの心が整理され、

納得した上で、

自分で決断できたとき、

人は苦しみから解放されるのだと私は思う。

 

世の中には、いろ~んな、占い師がいるから、

気をつけてね。

 

「ボンちゃん。ゴリラ界にも占い師っている?」

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

2008.02.01

アトピー克服物語(実話)

しもやけになって、右手の小指が真っ赤になってしまった。痒くてたまらない。手を掻いていたら思い出した。

この痒さなんて、あの痒さとは比べものにならない。

私はアトピー経験者なのである。8年前になるだろうか。泣いて暮らしていた頃の、あの悪夢が思い出された。

そうだ、こうして私がTamalogを書ける集中力を取り戻したのも、アトピーを克服できたからなのだ。

たった今、アトピーの痒さに苦しんでいる人がこの世の中に大勢いるのだ。

私の記した5634文字の手紙が、哀しみの涙を止める、小さなきっかけとなれば嬉しい。 

 

哀しみに満ちてしまったあなたへ

 

アトピー性皮膚炎は克服できると私は信じます。

 

振り返ってよくよく考えると、10年ほど前あたりから、お醤油が口についた後は、すぐにおしぼりで拭くようになりました。

 

ストッキングを履いているとき、ひざの裏が無性に痒くなるときもままありました。

 

なぜか、いつも鼻の下の皮が少し剥けていて、まるで日焼けした後に皮がむけてきたような状態になっており、手の甲、首のまわり、口のまわり、目のまわり、皮膚の柔らかいところが非常に敏感になっていました。

 

更なる痒さを引き起こさないように気をつけて過ごしているのが習慣となっていました。

 

その頃は、まだ、人にはアトピー性皮膚炎だとは分からないほどでしたが、その日々が続き、4年ほど前になるでしょうか、悪化し出したのは。24時間中、20時間は痒さとの戦い、そんな日々が始まりました。

 

痒さを緩和させるために、痒いところを爪で傷つけたり、針で刺したりはあたり前のようにしてしまっていました。通常では考えられないことでしょうが、一瞬でも痒さを忘れられるなら痛いほうが良いと、カッターで切り裂きたくなる衝動にかられるほどです。

 

これは、同じ経験者でしか分からない苦しみです。血液の中に大量の虫が這っているような、尋常ではない痒さとの過酷な戦いです。

夜中になると、体温が高くなるためか、寝る頃になると強い痒さが発作のように襲ってきました。お風呂に入っても、水、お湯がしみるのです。悲しくなって涙がでると、涙の流れ跡が痒いのです。

 

泣くことで少しは気が晴れるばかりか、更なる痒さを呼ぶのです。

 

その思いが涙を誘うので、もううんざりといった気持ちでした。肌に全くといっていいほど油分がなくなってきてしまうと、このようになってしまうのですね。溢れる涙が頬を伝わないように泣いていた日々を送っていました。

 

当然のことながら鏡をみるのもいやで部屋から鏡を排除しましたね。どんどん肌に張りがなくなっていく無残な顔をみるのがいやでしたから。

もちろん皮膚科には行っていましたが、当たり前のように、世間では良くないといわれているステロイドの塗り薬を処方され、通っていた皮膚科の先生にまだ痒いというと、じゃ少し強い薬を出しましょうと、その繰り返しです。幾つもの病院を渡り歩きましたが同じでした。

 

薬について調べてみましたが、処方されている塗り薬がかなり強いステロイドだということが分かってきて、果たしてこれを顔に塗っていいものなのかと思いながらも痒さが酷い時は、もうどうしょうもありません。止める方法はそれしか見つかりませんでしたから。

 

竹炭が良いと知れば、部屋中に炭を置き、お風呂にも入れました。竹炭は確かに効くようです。シソジュース、酢など、痒みを止める成分が含まれているものはありとあらゆるものを調べて摂取しましたが、結果は、多少は効いているような気もしましたが、劇的変化は見られず、気休めのようなもので、血中に大量の虫が這ってくるような思いには変化は見られなかったように思います。

インターネットでいろいろと調べ、アトピーには、温泉の成分が効くということを見つけ、温泉巡りのような日々を送りました。強酸性の草津の湯は殺菌作用が強いので、痒さを止めてくれることは確かでした。

 

1週間程、草津に滞在しましたが、その時は、空気もよく、毎日温泉に入ることができるので多少良くなったように思います。しかし、その環境にずっと住むのならばそれでも完治できるのかもしれませんが、私の場合そうはいかなかったので、東京に戻ってくると、少し良くなったと思われた症状がまた悪化の一途を辿るのでありました。私の調べたところ、アトピーの温泉治療の場合、まず殺菌力高い強酸性湯で治療し、今度は保湿効果の高い泉質のお湯で仕上げをすることが理想的な方法だということが分かってきました。

 

その後、関東近県に保湿効果の高い良質な泉質の温泉は無いかと探しているうちに、福島に良い泉質の温泉があるような記事を見つけました。

 

すぐに福島にいる知人に、アトピーに良い温泉はないですか?とメールを送りました。

 

その翌日、気晴らしも兼ねて、福島に発ち、いろいろな話をしているうちに、そういえばアトピーの名医といわれている先生が会津にいらっしゃるけれど、行ってみる?と聞かれ、早速連絡を取っていただき、その翌日に診察して頂くこととなりました。

診察室に入ると、先生は徐に腕まくりをし、右腕を見せて下さいました。「私もアトピーだよ!」と。50才半ばを過ぎていらっしゃる男性の肌とは思えないほど、まるで女性の肌のようにとてもキメの細かい綺麗な肌です。先生は、ある薬を飲み続けていたことが発端で、薬害によりアトピー発症となったとのことでした。その後、食事療法をし、今ではこのように綺麗な肌になったというお話をして下さいました。

先生の治療方法は、食事療法と、生活環境の改善というものです。フローリングにベッド1つ、一切の家具、本棚、ぬいぐるみなど部屋から出し、ハウスダスト、ダニなどとは極力接しない生活に改善し、異常に上がってしまったアレルギー値を下げるといった方法です。

 

日々の生活の中で、生活環境、ストレス、食生活などの変化により、特に元々アレルギー体質である人は、そういったことが引き金になり徐々にアレルギー値が上がっていき、今までは抑えられてきていたアレルギーが、ついには限界に達し、それがオーバーフローした時に、このように突然アトピーになったりすることがあるということでした。

 

体質にもよるので同じような環境で生活していても、同じように発症するとは限らないので個人差があるということです。次に私たちの体内を通過している科学物質の問題に言及されました。

 

昔と違い、空気は汚染され、水道水に含まれる塩素の量が増えていること。更に、食物の残留農薬、添加物、香料、着色料、保存料等など、1ヶ月間の間に何キロにもなる多量な科学物質が、知らず知らずに私たちの体の中を通っていること。自らの身体を自らの管理で気をつけて守らないと大変なことになるのです。と、優しく説明して下さいました。

 

なんだか妙に納得した気がします。食生活が変化し、非常に便利になっていることの反面、体への悪影響が潜んでいることまで真剣に考えたことがなかったので、目が覚めたような思いがしました。

食物の中には、アレルギーを引き起こし易いものが多くあり、私のようにアレルギー値が非常に上がってしまった人は、まずは血中のアレルギー値を下げることが第1で、それには、危うき食物(アレルギー値を上げ易い、引き起こし易い食物群)は全て断つ必要があるということなのです。

 

なぜならば、血中のアレルギー値をさげるには、アレルギーを引き起こす成分が入ってくると、アレルギー値は下がらない。このような理屈のようです。その為の食事制限なので、一生これらの食べ物が食べられなくなるというわけではないのです。

 

一時的にということですね。私の場合、血液検査では食物アレルギーは無いという結果がでているので、ナゼ、食事制限をしなければならないの?という反発心をすぐには断ち切れなかったのは事実ですね。

 

お医者様の中でもこの食事療法に対しては賛否両論のようです。

 

なんとか治してくださいと駆け込んできた患者さんに食事療法の説明をすると、100人中、99人はできないから、だんだん診察に来なくなってしまうと先生はおっしゃっていいました。

 

私はやってみました。

 

食事制限というのは、制限した分、他の食品で必要なエネルギーを補わなくてはいけないので、最初は専門家に必ず指導してもらう必要があると思います。

 

最初の内は、この痒さ地獄での戦いの上に、更に食べ物まで制限しなければならないというストレス、「なんにも食べられるものがないじゃない!」という錯覚からくる苛立ちから、本当にこれで治るの?とういう不信感、先生にあたってしまい、先生を困らせたりもしていました。

 

そんな私を今でもとても暖かく見守って下さっている先生に心より感謝しています。外食は一切禁止、ファーストフードはもってのほか、江戸時代の食事のようなものを摂るのです。

 

チョコレートが大好きでバッグにチョコレートが必ず入っていた私は、チョコレート断ちは本当に辛かったですね。

 

大概、朝食はガトーショコラと紅茶でしたから。洋菓子はもちろんのこと、鶏肉、牛肉、豚肉、卵、チーズなどを含む乳製品の一切を摂取しないようにする食生活をはじめなければいけないという現実に戸惑いました。たった一人では、何を食べたら良いのか、どうしていいのか分からなく、放心状態といった感じでした。

 

母の助け無しでは乗り越えられなかったと思います。

 

陰になり日向になり私を支えてくれた母には、一生をかけて恩返しをしたいと思います。

 

あの頃は、その支えに感謝する気持ちの反面に、こんなにも心配をかけている自分に情けなさを感じ、その思いで自分を責め、腹立たしさからくる苛立ちで悲しくなり、と、複雑な心境でした。でも、あの悪夢を乗り越えるには、痒いという言葉を聞いてくれ、人目が気にならない夜中に一緒に散歩をしてくれる友達や、一緒になって苦しんでくれる誰かの支えが必要です。

あれから5年、今では外食もできるようになり、多少の食事制限はしているものの、潤いのある肌、何よりも、集中力をとり戻すことができ、アトピーで苦しんだ経験があるいうことは全く分からない肌に戻りました。

 

大丈夫です。肌はきちんと回復しますよ!

 

確かにアトピーの経験は辛かったです。でも、そのお陰でいろいろなことを調べたことにより知らない世界を知ったことは大きかったです。

 

水道局に電話し、塩素成分について詳しく聞いたリ、水についてもいろいろと調べましたね。竹炭についても。バランスの取れた食生活の重要性、手作り、これが基本で、最も豊かな食生活なのであるということを学びました。

人それぞれ、顔が違うように体も違うので、誰もが同じように私がやったような方法でアトピーから克服できるとは単純には考え難いかもしれません。

 

ただ、私の苦しみの経験から多く学んだこと、多くの時間をかけて調べ、役に立った情報の1%でも、たった今、その苦しみを抱え、希望を失っている人に役に立つなら、その1%の希望をお伝えしたいと思いました。

 

 

あの悪夢を経験した人間だからこそ、その苦しみがわかります。

 

会津の先生に出会う前、半ノイローゼっぽくなって痒さと寝不足と戦っていた頃、アトピー体験のあるお医者様に診療してもらいと思ったことをよく覚えています。

 

なぜならば、私の場合ですが、いくつかのお医者様を渡り歩きましたが、どこに行っても、今の医療では治らないから一生うまく付き合っていくしかないのですよ。と言われ、ステロイドの塗り薬の段階を少しずつ上げていく治療方法でした。

 

あの地獄のような苦しみを持つ患者の気持ちを汲んでもらえる言葉は無く、機械的に薬を処方するという印象に、医の倫理とは何なのだろうと思いました。

 

福島でも藁をも掴む思いで診察室に入りましたが、先生を信用して食事療法をしてみようと思ったのも、先生がアトピー体験をされ克服されていたからかもしれません。やはり、信憑性がありますから。でも本当に心温かい優しい先生ですので、アトピー経験をされていなくても、すぐに信頼したとは思いますが。

電車の中でもアトピーで苦しんでいる人を見かけます。自分が同じような肌を見続けてきたから、敏感になっている人の肌はすぐ分かります。私の経験をお話することが、もしかしたら役立つかもしれないと思い、思わず声を掛けたい気持ちにかられます。

 

その時に、もし自分が街を歩いていて、見ず知らずの人に突然、「失礼ですが、アトピーのことでちょっとお話が……」なんて、声をかけられたらどうだろう、と考えると、もしかしたらいやだったかもしれないと思うのです。

 

声をかけたことで、余計に傷つける結果にも成りかねないですからね。

イタリアのことわざに、「探す人は見つける」というような言葉があります。

 

なかなか思うように行かなくても、探し続ければ、必ず道は開けると私は思います。

 

そして、人は、艱難辛苦の思いとの戦いなくしては、揺るぎのない底力は見につけ難いのかもしれません。

 

それを乗り越えたとき、いつか輝きだすと私は信じています。

「花の咲かない寒い日は下へ下へと根を這って春になるのを待つのです」

 

どなたかの詩の一節なのだと思いますが、母からこの言葉で慰められたことを覚えています。

 

冬の間にしっかり根を張っておかないと、春になって花が咲いた時に、その花を支えることができない。

 

春は風が強いですからね。どんな環境下であっても、腐らず、その時その時に精一杯できることをしよう、というような意味だと思います。

易経の根本理念、自然の摂理を借りれば、万物流転です。

 

春夏秋冬が狂いもなく巡るように、人の人生も同じです。

 

全てのことは必ず変化して行ってしまうのです。

 

ということは、辛い時期も、一生同じ状況であることは在り得ないのです。

その時々において、自分のできることを精一杯やっていると、自らを尊ぶ心が築かれます。

 

すると「自分って、けっこう健気に、いい生き方しているなあ…」と、だんだんと自分が愛しくなってくるはずです。

 

それは、心に揺るぎのない底力が築かれている証です。

努力した結果、直ぐに成果が確認できればもちろん嬉しいことですが、思う通りにあらわれてこなくても、試行錯誤しながも、前向きに生き続けていると、心にますます魅力が養われていきます。

それは、味わい深さ、 面白さ、うつわの大きさなどの他と異なる“あなたらしさ”という魅力です。

捨てる神あれば助ける神あり。

負けないで下さいね。

                占術家  宝 玉姫

 

「ボンちゃんも、負けないで、って言っています」

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »