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2008年5月

2008.05.31

ヘッポコッリンだケロッ

2008年は国際カエル年なのだ ケロッ。

ちなみにカエルの日は6月6日だ ケロッ。

国際カエル年に、ヘッポコリン道を極めるケロロ軍曹さまのマスコットを作る私は多分、ヘッポコリンなんだ ケロッ。

作り出して直ぐに、チョモランマのごとくに高い手縫いの壁にぶつかった ケロッ。

指を、チク、チクッとやってしまうのだ。

Keroro1

 

一つめのケロロ軍曹さま。

どう見ても違うキャラクターに。

 

Keroro2

 

二つめのケロロ軍曹さま。 

更なる異色キャラクターに。

 

Keroro3

 

三つめのケロロ軍曹さま。

なんとか完成。

 

 

 

 

そこでケロロ通の御方にお目どおり頂いた。

 

「ん?」

 

「顔が……」

 

「タママ二等兵だね」

 

 

 

ケロッ。

 

 

 

ヘッポコッリンだケロッ!

 

 

 

「ボンちゃん。近い内にNewボンちゃんバッグ作るよ」

 

 

 

 

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2008.05.29

恋に落ちた?

Imori1

 

 

 

湿ったアスファルト道でイモリ殿が佇んでいた。

休憩中かな・・・、撮影したらお邪魔かな・・・、でもこのコなんで逃げないの・・・?

と思いながらも携帯をひゅっ~と降ろし、パチリ、パチリと写してしまった。

距離にして数十センチだというのに微動だにしない。

 

 

Keitai1_2

 

 

 

 

携帯電話には、このように我が愛しのボンちゃんがついているため、イモリ殿とボンちゃんは向き合う形となっていた。

目の前に突如として現れた猛々しいゴリラの出現である。

イモリ殿は戸惑ったのかもしれない。そのうえボンちゃんの容姿はというと超イケメンときているのだから無理もない。イモリ殿の心は奪われ、きっと恋に落ちてしまったのだろう。

 

 

私の他愛もない話に、潤いに満ちた心を持つ友人は言った。

 

そのイモリ、すでに息絶えてたんじゃない、と・・・。

 

 

 

7時間後、同じ道を通ってみるとイモリ殿の姿はなかった。

 

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんに見惚れてたのかもね・・・」

 

 

 

 

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2008.05.28

地上の星に捧ぐ地上の星

ついに「地上の星」の移調が完成した。

私はこの曲が吹きたくてオカリナを始めたのだ。

目の前には、自らエクセルで作った五線譜の上に、ふぞろいのオタマジャクシ達が並んでいる。生まれて初めて手書きした、その楽譜を見つめながらオカリナに息を吹き込んでみた。

 

なんと、音が合っている。

 

感動のあまり、部屋中を走り回ってしまった。

 

 

2ヶ月前までの私は、楽典知識を欠片も持っていなかった。

まずは楽譜を集めようと何と無しにピアノ用の楽譜を集めた。

えーと、これは「ファ」なのかな・・・、

と、五線譜上のオタマジャクシの位置を指で数えてはトボトボと音を出していた。

すると、楽譜上にオタマジャクシがいるのに、オカリナではその音が出せない大発見をしてしまった。

ハテナ・・・、と思って調べてみると「移調」という、オカリナの音域に合わせる楽譜作りが必要だと分かった。

乏しいヒヤリング力で得る音感を頼りに音探しをするのは膨大な時間がかる。そう思うと、やはり楽譜が欲しいと思った。

 

友人にオカリナを吹く者はいない。

誰に聞いても「移調」のやり方など知らないと一様に言う。

「地上の星」が入ったオカリナ用楽譜本は絶版。

 

この現実を前に、どうしてもこの曲が吹きたい私は「移調」と闘う決心をしたのだった。

 

 

独学とは忍耐力が養われる「まわりみち道」だとあらためて実感した次第である。

 

 

 

「ボンちゃん。地上の星は、ボンちゃんに捧ぐ曲なんだよ。ボンちゃんは地上の星だからさ」

 

 

 

 

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2008.05.26

ビシッと生きよう!

官能的悪い酔いを覚ましてもらおうと、海堂尊さんの『チーム・バチスタの栄光』に願いを託した私の決断はウルトラスーパー正しかった。

近年、小説を読み終えた後に、ここまで読後感が良かった作品はない。

現代医療が抱える問題を隠しテーマにしていながら、まるで『34丁目の奇跡』(サンタクロースの話)が伝えるようなあたたかさを心に残し、清々しく消えていくからすごいしカッコイイ。

 

海堂さんの情熱と優しさとユーモアと強さを感じたら、いっきにおかしな悪酔いなど吹き飛んでしまった。というか、目先の出来事にイチイチ悪酔いしている場合じゃないという気がしてきた。

 

現役の医師であり作家である、海堂尊さんという日本の星に感謝しつつ、あたたかい気持ちのまま今夜はそっと眠らせて頂こうと思う。

 

そして明日から、ビシッと生きよう。

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんは地上の星だね」

 

 

 

 

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2008.05.24

極上のめぐる季節

オカリナを始めて2ヶ月と少しの月日が経った。

その間に10冊のオカリナ用の楽譜の本を購入した。

年末頃までには、これらの曲の全てを吹けるようになっていたい。

 

 

久石譲さんの曲は心に響く曲ばかりだとつくづく思う。まさに日本の星だと感じる。

ミドミシミラソファソ♪という音並びは、どこか冒険心を掻き立てられる。

この魔女の宅急便の曲「めぐる季節」を吹くと、そっと背中を押してもらっている心強さを覚え、未来にワクワクして向かっていかれる力が宿るから不思議なのだ。

 

 

あのオカリナ・・・、あれで吹いたらきっと違った「めぐる季節」、極上のめぐる季節になるんだろうなあ。

FIORETTO(フィオレット)という名のオカリナを見つけてしまったのだ。

ナイトオカリナのFIORETTO(フィオレット)F-AC アルトC 31500円

FIORETTO(フィオレット)とはイタリア語で「精華。極上」という意味なのである。

名は体を表すというではないか。

 

フィオレットでめぐる季節、吹いてみたいなあ。

 

 

「ボンちゃん。今日気づいたんだけどね。雨の日と晴れの日では音色が違うんだよ」

 

 

 

 

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2008.05.23

それが愛?その3(完)

心優しいオロロさまへ

かような理由により、イララさまのイライラは、イララさまの心の諸事情により発生している。イララさまも苦しんでおられて、ご自身がご自身にイライラしているのだと考えてみてはいかがだろうか。

訳も分からずに当たられてイライラされれば誰もが不愉快になる。が、オロロさまが自分が取るに足りない人間だなどと考え出すのはおかしい流れなのである。

繰り返しになるが、取るに足りない人間などいなーい!のである。

従って、そんなことしたらイララさまが怒るのは当然でしょ!というようなご迷惑なことをしていない限り、イララさまのご機嫌を伺う必要も、気を遣う必要もないし、謝る必要もないわけで、ドーンとしていればいいのである。

 

 

と、ここまで書いてふと思った。

悲しい経験によって、感受性が研ぎ澄まされてしまった人が、その場の空気を凍らす人や、刺々しい言葉を投げかけてくるイララさまのような御人に寛大に接するというのは、誠に、実に、ものすごーく難しいことである。

その辛いお気持ちはお察しする。

ただ、愛は与える中にあると考えるならば、

イララさまも実は大変なのだ。苦しんでおられる。可哀想なのだ。と考えられなくもない。そんな境地に立てると、同時に崇高な精神力が養われ、愛は与える中に存在するという感覚が実感できるようになり、永遠に孤独と決別できるということなのだろう。

美談ぽくなってきたが、オーストラリアだったかな、ある心理学者の実験で、人間は自分がネガティブな気分の時に会った人への評価は、ネガティブな傾向になることが明らかになっている。

そうなると、心優しいオロロさまが、イララさまのご機嫌をなんとか麗しくしようと努力しても、八つ当たりされたあげく、ネガティブな評価を受けてしまうことになる。

ということで、不運にもイララさまに遭遇してしまったら、係わらずに離れるのがやはり良い。

 

 

イララさまをおひとりにして、離れましょう!

 

結論として、イライラしていいことなんてない、ということだろう。

悪くするとイララさまは見限られてしまうのだ。

大切な誰かを失ったイララさまは、イララララさまになってしまうやもしれぬ。

イララさまの運命はいかに・・・。

 

 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラ界にも、イララさま、オロロさまはいるの?」

 

 

 

 

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2008.05.22

官能的悪酔い

衝撃が大き過ぎた。

新堂冬樹『枕女優』河出書房新社を読んだ。

題からして容易に内容の想像はつくのだが、著者自らが芸能プロダクションの社長であるからして、どうしても架空話として読み流せなくなってしまう。

華華しい世界に憧れ、有名人になりたいという夢を叶えるために、枕女優という生きるすべを選択し、夢は叶うが、心に受けたその代償は大きいという話。

あまりに痛々しくて、読んでいて心がかきむしられ、辛かった。

 

 

  「二日酔いには、迎え酒がいい」

  と言った友人の言葉を思い出した。

 

 

夜の話『枕女優』の酔いを覚まそうと、続けて夜の話、まさに官能小説である石田衣良『夜の桃』新潮社を読んでみた。

 

 

  読み終え、別の友人の言葉を思い出した。

  「チャンポンすると、悪酔いするよ」

  

  

この2冊を続けて読むと、男の人の心の底に潜む願望、欲望、本音が随所に散りばんでいるように感じる。

 

 

 

あんまり本音は知りたくないというのが、女としての私の本音かな。

 

 

 

 

そうだ。海堂さんに、介抱してもらおう。

 

読みかけの小説、海堂尊『チーム・バチスタの栄光』宝島社文庫だったら、この悪酔いをきっと覚ましてくれるだろう。

 

 

 

「ボンちゃんは人酔いした時、どうしてるの?」

 

 

 

 

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2008.05.21

それが愛?その2-2

一方、オロロさまはというと、その攻撃された一撃が発端となり自分の心を虐める一途を辿り出してしまう。劣等感が堰を切って出てくる。自分を尊ぶ心が崩れ出し、震え出す。闇に放られたように、自分はとるに足りない人間なんじゃないか、と考え出す。

そんな時、絶妙なタイミングで、

「この世にとるに足りない人間なんていないよ。完璧な人間なんて存在しない。みんな人格が違うんだし、他者と異なって当たり前でしょ。誰にも他者を否定する権利なんて、ないんだよ。そのままでいいんだよ。そのままで既にすばらしい存在なんだよ」

と言って背中を撫で撫でしてくれたり、言葉にしないまでも黙ってギュッと抱きしめてくれるような、そんな誰かがピョンと現れてくれれば、地球の裏側にまで落ちた心もスゥッ~と引き上げられるのだろう。

だが、余程の徳積み活動でもしてきていなければ、そのような幸運には恵まれない。オロロさまはその時、誓うのである。これからは、どんなに疲れていても、お年寄りに席を譲ることにしよう・・・、次回訪れるであろう、あの一撃のために、徳を積んでおこう、と。

そういう御方、ドラマや映画の中なら、決まりごとのように現れるのにね。

 

誰もが自分を尊び、自分を肯定したい、他者に認められたいと思っているはずである。

心が傷ついた人だからこそ誰よりもその気持ちが理解できるはずなのに、「そんなんじゃ、ダメでしょ。君のために言っているんだよ」などとネチネチと人の人格を否定するような発言を繰り返す人が多い。悲しいかな、誰かに威張ってみたり、否定することで、もしかしたら無意識に自分自身を勇気付けているのかもしれない。

 

それだけみても、心の傷がいかに癒えにくいかがわかるように思う。 

 

傷つくのはもううんざり!という思いで心がイッパイな人は、自分の心が揺れないような、傷つく可能性が低い、優しさを与えてもらえる関係性を求める。

それでも不安は忍び寄るし、どこか切なく空しい。満たされない思いは募り刹那的な考え方になるのではないだろうか。

 

 

もし、そんな繰り返しだとしたら、愛は与える中、自分の中にあるものなのだろう。

自分が信じた誰かを肯定し続ける中に、「愛」があるから、自分以外の誰かが自分を肯定してくれて、絶対的な味方だと思えた時、人は愛を感じるのかもしれない。 

 

「愛」って、誰かを肯定し続ける思いやりの心、なのかな。

 

 

 

「ボンちゃん。そのままでいい。そのままがいい。って、教えてくれてありがとう」

 

 

 

 

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2008.05.20

それが愛?その2-1

たとえば、ちょっとしたことで、すぐにイライラする人がいる。このイララさま、自分が抱いた感情を、親しいと感じる人や誰よりも自分を理解してもらえそうな人にぶつける傾向が強い、ように見受けられる。

ぶつけられた人の感受性が鈍化していない場合、「ホヨヨ、何が起きてしまったのだぁい…?」と、まずは驚くだろう。人によっては、心穏やかではいられなくなり、オロオロし出してしまう。ここではオロロさまと呼ぼう。

 

なぜイララさまやオロロさまが出現するのだろう。

イララさまもオロロさまも、生きている過程で遭遇した先輩イララ様や先輩オロロ様に、誰かと比較されたり、当たられたり、否定されたり、ヘンテコリンに期待されたりして、納得がいかない思いを抱えつつも、神経をすり減らしながら気を使って、期待に少しでも沿う人間になろうと努力していたのではないだろうか。

その結果、純粋でまっすぐだった心が疲れ果て、深い傷ができてしまった。その後遺症となったのが、無意識に心に忍び寄る恐れの出現。

恐れが窮まった結果生じた、劣等感。その仕業なのかな。

人格に刷り込まれてしまっているような劣等感は、自分でも気がつかないまま、自らの心を時として虐待する。

自分を尊ぶ心を揺らがす劣等感や恐れ。

イララさまが他者に攻撃的になるのは、それと戦うすべなのか、逃避行為なのか区別はつかないが、いずれにしても感情の揺れを引き起こさないようにする防衛手段なのだろう。

或いは自分を理解してくれそうな人に出会った時に、一種の憂さを晴らす形で無意識に甘えるのかもしれない。

 

 

 

つづく

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんの心は、傷ついても、ゆがまないから凄いね」

 

 

 

 

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2008.05.18

それが愛?その1

時々、その空間に入りたくなる。

浅草の寄席に一歩足を踏み込むと、そこにはタイムスリップしたような、別の世界がある。

 

午後の部、4時間20分の間、

「明るくのんきに生きましょう。そこのあなた。あなたですよ~。あららら、ずいぶん力んでますよ~。明るくのんきに生きましょう」

こんなメッセージを含む緩んだ波長を受けていると、カチカチしてしまいがちな私の心もさすがにケラケラしてくる。

 

真の愛に満ちた眼差しは、マチガイナク心のカチカチを砕いてくれると思うけど、寄席もいいよ。

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんの眼差しは真っ直ぐだから、心の深部にまで届くんだね」

 

 

 

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2008.05.15

深く涙に沈んだ日

今日は、ものすごく悲しい気分になった。3月17日を最後に止まっていたブログを再開してしまったほどなのだから、私の心はよほどの衝撃を受けたのだと思う。

久々に青空が広がったというのに、空を見上げても、心の眼は下を向いていた。それが余計に寂しかった。

顔では笑みを絶やさなかったから、きっと誰も私が心傷つき、それが原因でおなかまで痛くなってきていることに気づかなかっただろう。

そんな思いを夜まで引きずっていたのだが、お風呂に入っている時にふと思った。ちなみに我が家のお風呂は北西に位置している。家相でいうと、北西に水場は適さず、一般的には書斎が適しているとされる。従って、書斎風呂なのだ。

書斎風呂で、やっと震えていた心に折り合いをつけることができた。

自分の言動により誰かが傷ついてしまうことより、人の言動によって自分が傷つく方が、ずっと悲しくなんかないじゃない。

そう思えてきたら、やっと平静さが取り戻せてきた。

 

「ボンちゃん。ボンちゃんは、私なんかより、ずっとずっと傷ついているんだろうね。ごめんね。なんにもしてあげられなくて……」

 

 

 

 

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