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2008年7月

2008.07.31

“Be original!”

日暮里には生地屋さんがたくさんある。白いレースのカーテン生地を買おうと、久々に日暮里に降り立った。

前は、にっぽりぽりぽりという雰囲気だったのに、駅前には高層ビルが立ち、Nippori Stationという感じにチョピット変化していたから驚いた。

なかなか気に入ったデザインのカーテンが見つからず、前にオーダーし、目が飛び出るほどのお値段になったことがある。

出来上がったその高価なカーテンを見つめ、「キミは、なぜにそんなにお高いなのぉ?」とぶつぶつと言いながら、カーテン殿を暫く見つめていた。その時私は気づいてしまったのである。どう難しく考えても、簡単そうじゃない・・・。

それがきっかけで、数年前からカーテンを作るようになったのである。生地を選び、裁断し、ミシンでツーーッと真っ直ぐに縫えばカーテンはでき上がる。ミシンが無ければ手縫でもいいと思う。

作業は単純で難しくないのだが、想像以上に根気が必要となる。

途中でめげそうになったら、このカーテンができれば、陽射しの入り方が変わり、空気までもが昨日までより新鮮に感じる・・・。そう思って止めた手を動かし、ツーーッと縫い続けるのである。

カーテンの作り方を記しておこう。

①今使用しているカーテンの大きさの寸法を測り、必要な生地の大きさをメモして生地を買いに行く。

②今使用しているカーテンをカーテンレールから外し、どのように縫われているかをよーく見る。

③外したカーテンを型紙代わりにして生地を裁断する。

④後はミシンで同じように縫う。

 ※この時、実際に裁断した生地を窓に宛がい、長さが揃っているかをしっかりと確かめる。

⑤カーテンレールに取り付ける。

⑥世界にたったひとつのカーテンの完成 

是非お試しを。

 

 

明日には、目下、試行錯誤して作っている新型ファン、“センちわ”ができると思うので紹介したいと思う。

 

 

「ボンちゃん。Be original!」

 

 

 

 

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2008.07.30

見事な薄情ぶり。

シックで上品で高貴な雰囲気に、どこかヨーロピアンを感じるその猫を、私はミケーネと呼んでいる。

たまに降りる駅の近く、ある家の一階の出窓に、招き猫のように小さな座布団の上にミケーネはいる。一見、ぬいぐるみに見える。それほど動かないのだ。

何年か前のこと。外からミケーネを眺めていたら、白髪で品のいいおばあさんが出てきた。昔、相当な美人だったのではないか・・・、と思わせる点で、ミケーネとそのおばあさんはよく似ていると思った。

そこでミケーネの驚くべき話を聞いたのである。

ミケーネは80歳で家出して、ついには1人暮らしのおばあさんの家に住み替えを果たした猫さまだった。

前の飼い主の家は同じ通り沿い、80mほど先の並びにある。そのうちは戸建てからマンションに建て替え、一階に商店が入っている。マンション住まいに快適性を見出せなくなったと思われるミケーネは、ある日姿を消してしまったのである。

ミケーネはというと、近所のとある家の押入れに通っていた。何度追い払ってもやって来てしまうその猫に困ったおばあさんは、首輪に記されている番号に電話をしてみた。

「あの・・・、山田ですけど、あなたはどちらさん?」

「川合ですけど・・・、あの・・・。山田さんて、どちらの?」

「どちらって、三丁目の山田ですよ・・・」

「あらっ、やだ、もしかして、おみねさん?」

こうしてミケーネは戻されたのだが、ミケーネが何度も家出を繰り返すので、話し合いの末、ミケーネの望むようにしてあげようということになり、今ではおばあさんのうちの猫となって平和に暮らしているのである。

80歳にして家出を決行し、自分で心地よい場所を見つけ、最後には住み替えを果たしたミケーネになぜか惹かれる私なのだった。

Michene

  

 

 

 

そこではミケコと呼ばれている。

 

 

 

「ボンちゃん。猫は目指すものをあきらめないよね」

 

 

 

 

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2008.07.29

反対語

空は海の反対側にあるから…、答えは空かな?と思ったら「海」の反対語は「陸」だった。「楽観的」の反対語は、てっきり悲観的だと思っていたが「厭世的」だった。反対語辞書を見ていたのだが結構面白い。

ことわざもある。

「渡る世間に鬼は無し」の反対語は、「人を見たら泥棒と思え」だった。悲しいが、今の時代に合わせて言うなら「人を見たら鬼と思え」という感じだろうか。

「猫は三年の恩を三日で忘れる」この反対語は、「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」。

そういえば、このことわざを証明するような猫と数年前に知り合った。

Michene1

いにしえの 記憶を辿る 老女優

会う度にそんな印象を受けるのだが、なかなかビックリな猫さまなのだ。

今日は気圧のせいか頭痛が酷いから、この話は明日書こうと思う。

「ボンちゃん。自然環境がどんどん破壊され、地球の気圧がおかしくなってしまったら、人間はすぐに生きていかれなくなるだろうね。今日は一日頭が痛かったの」

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2008.07.28

愛のしぐさ

何気ないしぐさが印象に残ることがある。

それが爽やかさを感じるちょっとした愛のしぐさだったりすれば、周りで見ていても微笑ましいのだが・・・。

電車を待つ間、私はある眼差しが気になって仕方が無かった。

一見、仲がとても良さそうな、30歳前後と思われる夫婦が私のすぐ側にいた。

妻は美人で、透き通るように肌が白く、ブランド物の白いニットのワンピースがよく似合っていたこともあって目が惹かれたというのもあるが、本当の意味で気になったのは彼女の眼差しだった。

夫をずぅーと眺めっぱなしなのである。見つめていることが嬉しくてたまらないといった感じで、うっすらと笑みを浮かべている。うっとりと見惚れているその姿は、肌の白さも相まってちょっと猟奇的に見えた。

その眼差しを一手に受けている夫の方はというと、情熱的にフレンチキスでその眼差しに答えるのかと思いきや、甘い語らいをする意志はないことをさりげなく伝えているかのように、携帯をいじったり、見るとも無く周りのあちこちへと目を置いていた。

電車に乗ってからも、彼女は片時も彼から視線を外さなかった。

私はほとんど「家政婦は見た」の世界に陥っていたのだが・・・、彼女の目つきの異様さが気になってしまったのである。

彼女はまず彼の顔を誇らしげに見つめる。次にパーツパーツを見ていく。喉仏を見つめ、耳たぶ、耳全体、唇、鼻、瞼を・・・。そんな具合だった。

その眼差しが放つ猟奇性に、私の記憶にいた過去のTVドラマの冬彦さんとその母が彷彿として現れてきてしまった。

柔らかな視線という凶器の存在を目の当たりにした私は、愛のしぐさは爽やかなのがいいとつくづく思った次第である。

「お幸せに・・・」と心で呟き、ひとり電車を降りたのだった。  

 

「ボンちゃん。愛にすがる感じって、見ていて怖いものだね」

 

 

 

 

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2008.07.27

約束

今日は、“約束”についてあれこれ考えてみた。

世の多くの女性は、約束の守られ具合で信じるに足る男かどうかを判断するらしい。

乃南アサ『好きだけど嫌い』幻冬舎2000によると、女性は約束と秘密が好きで、好きな度合いに応じて、約束ね?信じていいのね?と、約束を取りつけたがるものなんだそうである。

約束してね?と私も言った事がある。

それは、仕事上のパートナーだったイタリア人と成田に向かうため、ただ単に待ち合わせ時刻を約束した時のことなのだが、時間にルーズな彼を定刻に来させるために、約束を迫ってのことだった。

彼は約束時間には数時間遅れるのが当たり前で、決め事を守らないことでも有名だった。国際線の飛行機に乗るのにも、まるで山手線感覚なのだ。時間に遅れても恐縮するふうでもなく、チェックインカウンターで乗せて欲しいと平気で頼むのだが、離陸ギリギリにチェックインしたとしても特に問題は無いはずだと内心は思っているのだった。

信号だって、目安に過ぎないと考えていて、車が来ていなければ赤でも当然のように渉った。

社会の規範とは、誰かが決めたものであり目安に過ぎず、正しいとは限らない、と主張する。 

約束してね?と私が言った翌日、案の定、彼は遅れて待ち合わせ場所にやって来た。成田のチェックインカウンターで散々頼み、何とか乗せてもらったのだが、「約束したよね?」と言う私に彼は言った。

「約束はしたけど、守るとは言っていない」、と。

彼曰く、約束することと、約束を守ることとは別なんだそうである。

異文化と言えども、どう考えても口賢さからくる屁理屈だと思うが、その主張の強さに押され、もしかして人生哲学でもあるのかだろうか?と思ってしまったりして、そんな自分の心の柔軟さが時として嫌だったりする時がある。

約束とは、大辞泉には次のように記されている。

①当事者の間で取り決めること。②ある社会や組織で、守るように定めたきまり。③実現が確実視されていること。④前から決まっている運命、宿命、因縁。

今思えば、確かに、

「君を幸せにする」

そう約束して結婚した大勢のカップルが離婚していく。

「幸せにしようと思ったんだけど、できなかった」ということなのだろうが、結果的には、文字通り「約束をするのと守るのとは違う」ということに当てはまってしまっている。

それでも、「約束することと、約束を守ることは別だ」と公言されるよりは、「約束し、守ろうと努力もしたけど、守れなかった」の方が誠意が感じられる気がして、なんとなく好ましい気がする。

それは私が日本人だからなのだろうか・・・。

スポーツの試合なんかでも、西洋人は過程より結果を重んじるらしいが、日本人は過程を重んじると聞いたことがある。

あな、難し。

 

 

「ボンちゃん。基本的に求めない心の姿勢が一番だよね」

 

 

 

 

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2008.07.26

湯河原アルバム

Yugawara0

 

  

湯河原の旅館の女将と大女将。

Mie0

  

 

生き招き猫ミーちゃん。

Mienooya

  

  

ミーちゃんの両親、招き猫。

夜、ミーちゃんは両親の隣で丸くなって眠っていた。

 

 

 

「ボンちゃん。ミーちゃんは、出迎えも見送りもしてくれたね」

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2008.07.25

首にストライプ模様が…。

旅館の生き招き猫のミイちゃんに見送られ、湯河原の旅館を後にした。

帰り道、湯河原の万葉公園でオカリナの練習をし、花火大会のある熱海に今ついた。

時刻は2時。太陽がギラギラし、吸う空気が無いと感じるほど空気が蒸されていて兎に角暑い。

そんな中、駅前では舞子さんやら芸者さんが色とりどりの振り袖を着て花火客を出迎えている。

頭にはカツラ。
顔と首は皮膚呼吸が困難な程におしろいが塗られ、真っ白。
帯によってウエストの所で空気の循環が止められているその姿は、見るからに暑い。

良く見れば…、首には汗の流れが生み出したストライプ模様が…。

涼しげに浴衣を着て、うちわでも配ってくれた方が嬉しい…、と思ったのは私だけだろうか…。

(o`∀´o)、アツイヨッ!

「ボンちゃん。夏本番だね」

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2008.07.24

べらぼうめい!

今日は土用の丑の日。だからというわけではないが、お墓参りに行って、今夜は湯河原に来ている。今日は行く先々で、汗だくになって鰻を焼いている姿をみた。
鰻と言えば、落語に「素人鰻」という噺がある。

ふたり連れの客が鰻屋にやって来て、後から店に入って来た連れが鰻屋の主人に言う。
「先に2階に上がったのはちょいとした鰻食いでね…」
うるさいことを言う奴だから、
「魚(うお)を見てぇ」と。

その時思い出した気がした。…そうか、鰻も魚だったなあ…、と。
はて、どんな魚(うお)が美味しい鰻なのか…、ちょっと考えてみることにした。

やはり、丸まると太っていて弾力性に富んだ、ムチムチッとしたのが良いだろう。頭なんかも良い方が美味しいかもしれない。IQだけでなく、EQも共に高くて、誰がどうやっても捕まえられない鰻。面構えはふてぶてしくて、黒光りしたカラダに、ピカッと眼光するどく「食えるものなら食ってみろっ!べらぼうめい!」かなんか言う…。
そういうの、美味しいだろうな…。

でも、もしそんな素敵な鰻ちゃんを見つけてしまったら、愛しくなって、沼に戻してあげるんだ。

これだけ鰻に思いを馳せたのに、旅館では鰻は出なかった。


「ボンちゃん。強く生きるって、誰しも大変なんだよね」

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2008.07.23

ユーモア道

「ハリー・ポッター」の第7巻、完結編となる『ハリー・ポッターと死の秘宝』がついに今日発売となった。

今までに刊行されているのは、1.賢者の石  2.秘密の部屋 3.アズカバンの囚人 4.炎のゴブレット 5.不死鳥の騎士団 6.謎のプリンス

『ハリー・ポッター』を知る人は多いが、1巻から6巻まで読んだという人にはまだ会ったことはないから、読破した私はポッタリアンなのだろう。 *ポッタリアン(Potterian)とは、『ハリー・ポッター』の愛好家を指す呼称。

 

以前に、ハリー・ポッターのどこが面白いのかと聞かれた事がある。

左斜め上の方を見上げながら、全巻を思い起こしてみた。

 

「サレー州リトル・ウインジング プリベット通り 4番地 階段下の物置内 ハリーポッター様」

 

これが、オモシロインダ!と、気づいた。

これは、第一巻『賢者の石』に出てくる手紙の宛名書きである。

簡単なあらすじは、両親の死後間もなくハリーは親戚の家に預けられる。そこでの生活は最悪で、こき使われ、部屋は階段の下の物置部屋だった。ハリーが虐げられた日々を送っていることを知る者もいないし、相談者もいなかった。ある日のこと、ハリーの11歳の誕生日に一通の手紙が届く・・・。

「階段下の物置内 ハリーポッター様」

この手紙の宛名書きに私の心は囚われ、ポッタリアンとなったのである。

ホグワーツ(魔法魔術学校)元校長のアルバス・ダンブルドアにも惹かれている。今世紀最も偉大な魔法使いと呼ばれていた人物だが、日本の教育界にもダンブルドアのように、ユーモア溢れる人格者がいてくれたら・・・、と心から思う今日この頃である。

 

 

 

「ボンちゃん。武士道の精神も素晴らしいけど、日本社会に今必要なのはユーモア道(どう)なんじゃないかな・・・」

 

 

 

 

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2008.07.22

偉人

6月末から家の近くで工事が始まった。

工事現場の前では、60歳は超えていると思われる警備のおじさんが、ニコニコして交通整理をしてくれている。

おじさんとはほぼ毎日会う。

 

朝会うと、

「おはようございます。暑いけど、我慢してね。いってらしゃーい」

と、ニコニコ。

夜会うと、

「おかえりなさーい。だいぶ涼しくなったね」

と、ニコニコ。 

 

そのおじさんの一日はというと、

日中34度にもなる暑さの中で、日陰のない所に一日中立ち、安全第一のヘルメットを一日中かぶって、交通整理と近隣住人への案内人を務めている。 

 

さぞ暑いだろうに・・・。

さぞ体がきつく、過酷だろうに・・・、と思う。 

 

いつ会っても、おじさんは自分を勘定に入れず、他人のことを癒しているように見える。

 

会う度に『雨ニモマケズ』が思い出される。

「雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい」

 

おじさんは「幸せとは何か」を教えてくれている気がする。

豊かな感性を育み、心が潤いに満ちていれば、

多くの人が気がつかずに、踏み潰していってしまうような小さな変化に気づくことができる。

時々に遭遇する小さなことに感動し楽めれば、毎日が生き生きとし、楽しく暮らせる。

それを幸福というんだよ、と。 

 

 

「ボンちゃん。すごい偉人に出会ったね」

 

 

 

 

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2008.07.21

頭隠して尻隠さずだよ。

それって頭隠して尻隠さずなんだよね。

心にもない、取ってつけたような言葉を投げかけられると、不愉快さを覚える。

心にもない言葉よりも、もしろ沈黙のほうがどれほど社交性を損なわないかもしれない。と言ったのはモンテーニュだった。

 

なぜ不愉快さを覚えるのか。

―軽蔑というものは、馬鹿丁ていねいなことばのうちに、いつも巧みに隠されている。(スタンダール『赤と黒』より)― 

ということを、肌で感じ取ってしまうからなのだろう。

 

我々は、言葉を受け取る際、口調、声のトーン、目つき、表情、姿も、その内に一緒に受け取っている。

 

この場合、

「頭隠して」

=馬鹿丁寧な言葉で本意を包み隠した気でいる。

「尻隠さず」

=声のトーン、目つき、表情、姿で、信のなさをさらけ出している。

「頭隠して尻隠さず」とは、悪事・欠点の一部を隠して全部を隠したつもりでいる愚かさをあざけえる言葉である(大辞泉より)

 

誰だって次のように面と向かって言われたら嬉しくないだろう。 

「あんたとは、信のある本当のつき合いをする気はないんだよ!」

しかし、実は言葉以外で雄弁してしまっているのである。

テキトウに言葉さえならべておけば、本意はバレナイと信じて疑わないからできる芸当なのだろうが、馬鹿ていねいな言葉を受けた側が不愉快さを覚えるということは、その芸当では本意はバレルということなのだ。

 

あな、悲し。

 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラとは信をもって交わるつき合いしか成立しないよね」

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2008.07.20

血液型の謎

人気シリーズの血液型の本『自分の説明書』というのが血液型別に出版されている。

血液型と性格の関係性は、医学的には証明されていないようだが、何かありそうな気はする。

まずはB型とAB型を読んでみた。

その家族が何型から成っているのかという家族構成の影響は大きく影響するだろうに・・・。とは思うものの、やはりあながち的外れではない気がする。

内容よりも興味深かったのは、その販売部数の数値に大きな偏りがあることである。

B型100万部突破、

A型50万部突破、

AB型15万部突破、

O型は発売予定なのだ。

記憶違いでなければ、日本人はAB型人口が最も少ない。次いでB型、O型、最も多いのがA型である。

何事も少数派は理解され難い傾向があると考えるならば、少数派のAB型の本の売り上げ部数が一番多くなるのが自然な流れではないかと思う。

が、違うのだ。

なぜB型が100万部突破なのだろう。

いったい、どの血液型の人がB型に興味を持ち、わざわざ説明書なる本を買っているのだろう。

血液型の説明より、それのがずっと知りたい。

まさか、B型の100万人が買ってるとか?

 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラの血液型はB型だけって、本当?」

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2008.07.19

水もしたたる風流人

昨日から入谷鬼子母神の朝顔市が始まった。

今年はG8サミットと重なったために日程を遅延させたのだという。

12万鉢が並び、5色の大輪、あんどん造りの鉢が人気なのか・・・。と、夜ニュースを見ていたら、雨ニモマケズ、蒸し暑さニモマケズ、丈夫な身体を持つ友人が、そのあんどん造りを持って来てくれた。

「土砂降りだったから、33番の店のじゃないんだよね。あの店、通りの奥だから行けなくてさ。入り口の2番の店で買ったけど、どうだろうね・・・」

さすが、風流人は凡人とは言う事が違う。

 

朝起きたら早速2つ咲いていた。 

Asagao  

 

 

 

朝顔と 雨宿りする 風流人

 

 

「ボンちゃん。風流な人って、いいよね」

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2008.07.18

モゾモゾの森

我が家には、モゾモゾの森がある。(モゾモゾとは青虫のこと)

青虫としてモゾモゾとしていたかと思うと、ある日突然に蝶となって大空を羽ばたく。いまだかつてモゾモゾ隊員が飛ぶ練習をしている姿を見たことはない。そんな奇跡的な離れ業をこなす生きものがこの世に存在していることに私は感動している。

それで、敬意を込めて森を築いているのである。

デコポン、みかん、はっさく、夏みかん、ぽんかん、グレープフルーツ、マンダリン、きよみ、それに文旦もあったかもしれない。

モゾモゾ隊員の好物は柑橘類の葉っぱなのだ。

かんきつ類を食べる度に種をせっせと土に埋めているのだ。どれが発芽したのかは分からないが、今では直径80cm、高さ50cmの丸刈り風の森となった。

ちっちゃなモゾモゾ隊員から見れば、ジャングルといったところだろうか。年々、新隊員が増えている様子から判断し、住むに値する森だとお認め頂けたようで嬉しい。

 

今朝、早起きなモゾモゾ隊員が、のぺっとした眼差しをカメラに向けてくれた。

Mozomozo1

 

 

 

 

さくじつと 同じ私と 思うなよ  

  ペンネーム モゾモゾ隊員2008-38号

 

 

「ボンちゃん。ゴリラも空を羽ばたくことに憧れるのかな?」

 

 

 

 

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2008.07.17

現代葬儀事情

お葬式無用の直葬や、海への散骨など、昔と比べてお葬式のあり方が変化してきているようである。

人生の終わりを、自らの価値観が反映されたものにするには、やはり現代葬儀事情の情報が必須といえる。

『それでもお葬式をするための100の知恵』朝日新聞出版2008を読むと、骨になるにも格差社会であることが分かる。

そんな現代葬儀事情にプラスして、在りし日の姿が蘇るエンバーミングという技術の紹介など、様々な知恵を伝授して頂ける一冊である。

あまり読みたくないけれど、読むとあり難い本だといえよう。

 

 

「ボンちゃん。ジャングルに棲むゴリラたちは、どんなお葬式をするんだろうね」

 

 

 

 

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2008.07.16

肝が冷える法律

霊柩車を見た時、親指を隠したことは誰しもにあることではないだろうか。

普段あまり考えたくないことだが、夏にちなんでちょっと怖い?霊柩車についての話をしてみたい。

霊柩車とは、言うまでもなくご遺体の搬送を行う自動車である。

そこまでは私も知っていたのだが、霊柩運送事業というのは、貨物自動車運送事業法に則って行われているライセンス事業であり、霊柩車とは、ご遺体という名の「物」を輸送する車なのだという。

驚くことに、民法上の規定では「人間」は死を境に「物」に変わると定義されているのだ。

誰が決めたのかは存じ上げぬが、随分と冷酷な肝が冷える定義だと思う。

何はともあれ、人として生きられる間に、どう生きたいのかを真剣に考えていたら、親指を隠している暇はないのだろう。

「ボンちゃん。それにしても、法律上、なんで人を敢えて貨物扱いにするんだと思う?まさかデカルトの影響?」

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2008.07.15

サボキーの黄色!

Saboki1

 

 

 

 

サボちゃんちの養子、サボキーが咲いた!

正真正銘の黄色。

混じりけのない黄色。

ひたむきな黄色。

絵の具では出せないような色だった。

野に咲く花のような、そそとした匂いがした。 

 

 

 

「ボンちゃん。サボキーの黄色いは、ゴッホにも出せないかもね」     

 

 

 

 

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2008.07.14

帰ってきたMarco

ブー-ーンと羽音を立てて飛んでいる生命体がいた。

蝉?蜂?速くてよく見えない。

まだ飛びなれていないのか、何度も建物に激突する。

 ―オオスカバシは、蝉や蜂に間違われる。という記述が思い出された―

あーーー、Marco!!と叫んだ瞬間、我が家に激突した。

「ダイジョウブゥ?」

と、言おうとした時には、何事もなかったかのように飛び立っていた。

そそっかしくて、あわてんぼうで、ちょっぴり方向音痴。けれど、やけにたくましい。

なんだかMarcoっぽい気がした。

少ししたら、またブーーーンが聞こえてきた。

窓から外を見ると、家のまわりをぶつかりながら何度も旋回している。

 

6月だった。

クチナシの花を、葉を、昼夜を問わず食べていたMarco。

あの眼差しの向こうには誰がいるのだろう。

私はいるのだろうか……。

と、Marcoを野原に帰す前夜に思ったのを覚えている。

 

一宿一飯の恩義を忘れないとは、

Marco、なかなか義理堅いぜ。

 

 

「ボンちゃん。クチナシもっと植えないと、Marcoの子孫が食糧難に見舞われるかな?」

 

 

 

 

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2008.07.13

悲しい、穴

誰かと話した後、やけに心が疲れたと感じることがある。

エネルギーが無駄に、必要以上に消費され、

心の活力の大半が奪われてしまい、どんよりとした疲労感が抜けず、心がしぼんでちぢんだようになって、いつまでもひきずる。

できることなら感じたくない、爽快とは対極にある感情に浸らされる。

なぜこんなに心が疲弊するのかとよくよく考えてみると、

何ごとにも敬意がないことに気づく。

 

イタリアの社会学者、フランチェスコ・アルベローニ著“L'ottimismo”の翻訳本である、訳、大久保昭男「他人をほめる人、けなす人」相思社1998、を読んでいたら合点がいった。

ニヒリストに関する記述である。

ニヒリストには敬意がまったく欠如している。

好調で、健全で、幸せで、優越するすべてのものに反対し、ひと言でもって、一撃でもって葬り去ってしまう。

サディスト的な発言で破壊する彼らは、特別な世界にだけ存在しているのではなく、いたるところに、親族、仲間、偽りの友人として、すぐ周辺に生息しているのだという。

大辞泉で調べてみた。

ニヒルとは、①虚無的。②冷たくてさめていて、暗い影のあるさま。

虚無的とは、世の中や人生などがむなしく思われるさま。

虚無とは、①何物もなく、空しいこと。②この世に存在するすべてのものに価値や意味を認めないこと。

 

身近な人がニヒリストだと気づいたら、

それまで共有した時間のすべてが色褪せたものに見えるだろう。

これから共に過ごすであろう時間さえも、

空しいものに違いないと思えてしまうだろう。

共有する時間に幸せを感じられるはずはない。

ニヒリストは話した人の心に穴を空けようとしているのだから。

それは破壊によって虚しくも心に空けられ、悲しい穴なのだ。

 

 

「ボンちゃん。心に穴が空いちゃうから、一時的に心がしぼんでちぢんじゃうんだね」

 

 

 

 

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2008.07.12

ああ、腐れ縁

心理を読み解く達人、デヴィッド・リーバーマンは、アメリカで注目されている心理学者である。

デヴィッド・リーバーマン、訳小田晋『自分の中にいる「困った人たち」』三笠書房2000は、全米でベストセラーになった本だが、読み返す度に、巧みな理論と、悩む心を解消するための実践論の明解さに感動する。

 

例えば、別れたいのに、なかなか別れられない腐れ縁。

 

そこにはある複雑な思いがある。

人は、自分に相応だと感じているものを手に入れたときは、居心地がいいが、自分にはもったいないほどのものが手に入ってしまうと、落ちつかず不安になる。 

腐れ縁を続けている人がひかれているのは、自分の望む相手ではなく、自分の特性を強化してくれると思える相手である。

“おつきあい”という関係に注ぎ込んだ時間と労力を考えると、別れる=間違いだったという事実を認めたくない。その根底にあるのは、これまでの投資分があきらめきれないという思いがある。

腐れ縁が続くと、相手に依存的になり次第に相手と自分のアイデンティティが混同されていく。

その結果、別れると考えただけで、自分の一部が失われるような思いにかられる。

従って、腐れ縁は続く。

別れない理由を正当化せざるを得なくなる。

別れない理由を探す。

自分にふさわしいからだ、と結論付ける。

これが腐れ縁連鎖の心理なのだという。 

 

別に腐れ縁が切れないこと自体は不幸なことだとは思わないが、実は目の前にいる恋人が、これまでの投資分があきらめられなくて“おつきあい”という関係性を維持しているのだと知ったとしたら、怒りが込み上げてきて、同時に空しくて、悲しみで深く心傷つくだろう。

愛とは無縁の、相手を軽んじた行為ともいえる。

腐れ縁の関係とは、

詰まるところ、砂上の楼閣なのだろう。

本当の意味で相手を思いやり、自分を見つめることができた時、砂上の楼閣を崩すことができるのかもしれない。

 

 

 

「ボンちゃん、腐れ縁が切れないゴリラっているの?」

 

 

 

 

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2008.07.11

可愛げ

可愛げとは天性のものらしい。

才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてをひっくるめたところで、ただ可愛げがあるという奴には叶わない。

谷沢永一『人間通』の言葉である。

 

人は他者の中に何を見た時、可愛げを感じるのだろうか。

 

斜に構えた態度で、

冷めた視線を他者に送り、

勝手気ままに、

あからさまに不満を表す、

そんなよじれた虚栄心が見えた時、

可愛くない輩だと思う気がする。

 

その正反対の要素と考えるならば、

 

素直で無邪気、

飾ったり気取ったりしないで、

ありのままで、

まっすぐで謙虚、

純真。

そんな天真爛漫さが見えた時、可愛げを感じる気がする。 

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんは可愛げ王子だね」

 

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2008.07.10

夏のはじまり

Hozuki1

 

 

 

 

ほおずき市には金魚屋さんに風鈴屋さんなど、

商い店が立ち並んでいた。

その帰りに寄ったうなぎ屋さんの端っこに、

ビックリしたような顔のブタがいた。

どうみても、熱くて口が閉められないという顔をしている。

Buta1

 

 

 

 

蚊取りブタ 殊死して守る うなぎ客

 

夏のはじまりだ。    

  

 

 

「ボンちゃん。蚊取りゴリラ、今度作ってもいい?」

 

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2008.07.09

優しさは想像力の賜物

「長短」という人の気質にまつわる落語がある。

幼なじみで、気が長い上方風の長さんと気が短い江戸っ子気性の半さんが登場人物。

ふたりはおじいさんになっても友達なのだが、気の長ーいノンビリマンの長さんの話に、半さんは今にも頭から煙があがりそうにセカセカプリプリしている様が実に面白い。

この気質だが、前川タカオ『サバイバル コミュニケーション術』すばる舎2008によれば、心は三層構造になっているという。

1層―気質・・・変えられない。

2層―価値観・・・変えられる。

3層―行動・態度・・・変えられる。

気質は変えられないものだと頭では分かっていても、あまりに気質が自分と異なると、誰もが戸惑うものである。

長さんと半さんは、なんだかんだ言ってもお互いに敬愛の念を抱いているからおじいさんになっても友達でいられるのだろう。

長さんと半さんのように鷺と烏であっても「個」や相手の立場を尊重することはできる。

鑑定をしていると、人間関係の悩みをよく聞く。

虚栄心に満ち傲慢で心の柔軟性が乏しい人から、まるで自分の気質の方は正しくて、君のは間違っていると言わんばかりに否定され、人格までもが否定された気分になるという。

気質に正しいも間違っているもないのだ。

周りに人がいなくて孤独を味わうより、周りに人が大勢いるのに孤独を味わう方がよっぽど辛い。

相手を尊重できない人というのは、結局のところ想像力が乏しいのだと思う。

想像力が乏しいと、自分の接し方や話し方が相手を深く傷つけてしまうことが想像できない事態に至ってしまうのだろう。

その被害を被り、ひとり傷ついてしまった人は、さぞ辛く、悲しいだろうと思う。

世の中は広いから色んなタイプの人間がいる。

傲慢な人間もいるけれど、そうじゃない人間だっている。

今いる場所にいないだけだと考え、涙を吹いて欲しい。

絶望しないで欲しい。

「長短」聞いて、笑おうね。 

 

 

 

「ボンちゃん。優しさは想像力の賜物だよね」

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2008.07.08

△が来た。

家のすぐ目のまで工事をしているせいか、ここのところノラクロが遊びに来ない。と思っていたら、陽が暮れた時刻、ちょうど家に着いた時に△がやってきていた。

△は去年の暮れあたりから我が家に遊びにくるようになった。

どんとしているノラクロと違って、目を三角にしてオドオドしている。

それで△と名づけた。

Sankaku1

 

 

  

 

ノラクロと△が友達同士なのかは知らないが、来るときはなぜか同じ位置に座る。

 

 

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんは隅の美学の持ち主だから隅っこが好きなんだよね」

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2008.07.07

本気で生きようぜぃ!

渡邉美樹『強く、生きる』サンマーク出版2008は、人生本気で生きろバイブルである。

辛酸を舐めつつ夢とともに成長してきているワタミ株式会社 代表取締役社長、渡邉さんが生んだ格言の宝庫と言っても過言ではない。

渡邉さんは言う。

理念や哲学を真剣に語る大人が足りないのは、大人に「本気」が足りないからだ。

教育の根源的な役割は、
子どもたちに「あるべき人間像」を提示することと、「おまえは何者だ」という問いを発することにある。
人としての根や幹をつくる大切さを伝えられる大人や機会が教育の現場に決定的に不足していることが、日本の教育の最大の欠陥だ。

“本気で生きる大切さ"を本気で考えられる、愛を感じる一冊。
是非ともご一読をお薦めしたい。

「ボンちゃん。些細なことにも本気で向かう心の姿勢が自分を裏切らない生き方なんだよね」

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2008.07.05

世界に1つの“うちわ”

東京は32℃!?気づくと暑いと言っている。

夜空に花火があがる日は近い。

花火大会に欠かせないグッズは、なんと言っても“うちわ”である。

地球温暖化対策にもグーなうちわ。

この夏の必須アイテムとして、オリジナルうちわはいかが?

  

誰でも簡単に作れる

世界に1つの“うちわ”の作り方

を書いておこう。(デジカメ写真を利用)

①家にある美意識が感じられない絵柄のうちわをゴシゴシと洗い、張り付いている紙をきれいに落としよく拭いて置く。

②うちわに張りたいデジカメで撮った写真をプリンターで印刷する(両面分)。

注、デジカメで印刷できる用紙サイズを確認し、うちわに合った大きさ、一般的なうちわの大きさだったらA4用紙が適当かと思われる。

③②をうちわの大きさと合うようにカッターを使って奇麗に切る(両面分)。

④③を①にのりで丁寧に貼る。

注1、コクヨのりPritt stickは水分が少ないので滲まずオススメ。

注2、しっかりとのり付けしないと、出来上がって扇いだ時にペコペコとへんてこりんな音がしてしまうので、うちわのシンだけではなく、紙にも丁寧にのりをつけて貼り合わせることが大切。

⑤よく乾かして、世界に1つの“うちわ”の完成。

 

 

Uchiwa

 

 

 

これが世界にたった1つのゴリラのうちわ。

ものづくりマンは今日もゆく。

 

 

「ボンちゃん。花火は音がお腹に響くから苦手かな?」

 

 

 

 

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2008.07.04

贅沢

ミシュランのレストランに連れて行って貰っても、相手が威張っていたり、会う度に自慢話だったりしたら全然楽しくないし、心は潤わない。

それだったら心置きなく話せる人とおにぎりを食べて過ごす方がずっと楽しいし、贅沢な時間だ、と私は思う。

 

彼女にふられた友人がこんなことを私に言ったことがある。 

「さんざん贅沢をさせていたのに。毎週末、色々なレストランに連れて行っていた。味を覚えれば上手い料理を作れるようになると思ってね。彼女はいつだって嬉しそうに見えた。それなのに、ある日突然別れを切り出してきたんだ。女は分からないよ」

私には、別れを決めた彼女の気持ちが分かる気がした。

女の子は、自分に何かしてくれたことを評価するのではなく、何かしてくれたことを恩に着せないことを評価するのだと思う。

 

「自分の人生に必要であって、自分の心を潤してくれるものが、自分にとって価値のあるものである。それを心の中で受け止めて幸せを感じたとき、心に余裕が生まれる。それこそが、贅沢の極みである」(山崎武也『贅沢のすすめ』より)

『贅沢のすすめ』贅沢とは何かを考え直すチャンスをくれる一冊である。是非ご一読をお薦めしたい。

  

 

「ボンちゃん。どういう時に贅沢だと感じる?」

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2008.07.03

あ~、を感じる秘訣

あ~、幸せだな~!

浜辺で寝そべっている時に人生で最高の幸せを体験をすることはないらしい。

『すべては「単純に!」でうまくいく』飛鳥新社2003を読んでいたら、幸せを味わう7つの秘訣が載っていたので参考までに記しておこう。

1、全力をあげて物事に打ち込む

2、今に集中する

3、ひとつのことに集中する

4、仕事を楽しむ

5、不満を持っている同僚との共同作業を避ける

6、自分で管理できる仕事を探す

7、余暇を楽しむ

これら7つの秘訣ごとに解説があるのだが、1、全力をあげて物事に打ち込むの解説が興味深い。

サラリーマンのメンタリティー(9時5時人間という意味)で仕事と私生活を区別することは、幸せにブレーキをかける。

幸せを感じるには没頭することが必要である。従って、仕事と私生活の間を自然に行き来できる人の方が、幸せを経験しやすいというのである。

確かに没頭してものづくりをしていると、ランナーズハイに近いものを感じる。あー、もうちょっとでできる!。あー、できたぁっ!と興奮する。勉強や習い事、仕事でも何かに情熱を傾けて取り組んでいると、充実感を得る。結果がでれば、あー!やり遂げた!という達成感を得て感動する。その時、人の評価や金銭的なことは二の次になっていることは確かである。

ひとつのことに集中し、仕上げては次に集中する。そんな流れを持った「今」を繰り返しながら生きることが、幸せを味わっている今の連続であり、幸せな人生ということなのだろう。

ふと、あの曲を思い出した。

歌詞の最後は、

♪忘れものは 僕の足跡 思い出に 悔いはない~♪

堺正章さんの歌う「忘れもの」を作詞した秋元康さんは、あ~、幸せだな~。これを瞬間瞬間に感じる人であることがこの歌詞から窺える。

なるほど、それがこの歌詞が心に響く理由なのだろう。 

 

 

「ボンちゃん。どんな時に、あー、を感じる?」

 

 

 

 

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2008.07.02

好きな声の質

ドラマ「無理な恋愛」を見ていた人は多いのではないだろうか。

人にとって大切なものとは何か、それを感じさせてくれるドラマだった。

主題歌、堺正章さんの歌う「忘れもの」は、忘れない一曲となるだろう。

曲調に堺さんのあの声がぴったり合っていて心地よい。

オカリナで吹くために、まずは耳コピーをと思い何度も聴いていたら気づいた。

低くざらっとした声の中に、隠し音のように高い音がサブリミナル効果で入り組んでいるような音。

そんな音の質感が私は好きなのか。思えば、我が愛しのClaudio Baglioniの声も、同じ質感だ。

 

 

 

 

「ボンちゃん。ボンちゃんの声もこういう声かもね…」

 

 

 

 

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2008.07.01

食通の虫?

誰が食べたのかは分からない。

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温暖化のせいだろう。夏に咲くはずのカンナがもう咲いている。

オレンジの花よりも気になったのは、その葉っぱだった。

葉の中央だけがポコポコと穴が空いている。

どの葉を見ても真ん中一列だけが食べられてある。

そのひとつひとつの穴が同じ大きさではないから更に興味がそそられる。1mmぐらいずつ次の穴が大きくなっているのだ。

食通の虫?芸術家の虫?

一体誰が食べているのだ?!

気になって、あちこちの角度から見たが姿はなかった。

 

 

 

 

「ボンちゃん。食べ物と遊びながら食べたりする?」

 

 

 

 

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