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2008年8月

2008.08.31

「色」にも陰性から陽性があるということを知っているだろうか?

(陰性) 紫外線←紫 藍 紺 緑 黄 橙 赤 →赤外線 (陽性)

緑 黄 あたりが中庸色である。

たとえば冷え性の人は、セクシーだからと言って黒い下着を身につけてはいけない。もっと体を冷やすことになる。体を温める色は、赤なのだ。

サンタクロースも赤い服を着ている。昔はお腹を冷やさないようにと子供に赤い毛糸のパンツや赤い腹巻を着せたという。これは理に叶っていることになる。

生まれたての赤ちゃんの体が赤いのも、母親のお腹から出てきてすぐに触れる外気によって、いっきに体が冷えないように、赤いのではないかと私は考えている。

巣鴨に、赤い色の物を多く取り揃えていることで全国的にも有名な洋品店がある。ファッション性は別として、赤いものがイッパイあるのだよ。

「色」の心身への影響は意外に大きい。

鬱っぽい人や、塞ぎ込みがちな人は、陰性の色を好む傾向があり、黒っぽい色を身につけないと落ち着かないと言う人が多い。

しかし、本来は極力明るい色を身につけた方が、憂鬱さから脱出できるはずなのだ。

やる気が湧かない人は、物理的な方法でやる気を促すよう、赤を身につけて試してごらんよ。

「ボンちゃん。ゴリラは赤色が好きって聞くけど、体が黒っぽいから正反対の色を欲するのかな?」

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2008.08.30

鍋磨きは座禅に勝る?

ずっと昔、祖母が無水鍋を買ってくれた。

それは今でも重宝している。

昨夜、汗だくになって磨いたのだが、部分的にはピカとしたのだが、どう頑張ってもピカピカにすることはできなかった。

祖母は、遊びに来る度に、そのお鍋をピッカピカに磨いてくれていた。

その頃の私は、お鍋を磨くのがこれほど重労働で大変なことだとはまったく知らず、「へー、ピカピカだね」と言う程度で、面と向かって心から「ありがとう」と言ったこともなかったように思う。

祖母は、いつも黙って何かをそっとしてくれる人だった。

祖母が私の目の前からいなくなって、7年が経つ。

事あるごとに、祖母の優しさや生き様を思い出し、反省することが多い今日この頃である。

空に旅立った祖母に、私ができるおばあちゃん孝行とはなんだろう…。

またお鍋と対話してみようと思う。 

 

都会の喧騒を忘れることが目的ならば、豊かな緑ある、厳粛な雰囲気さが漂う場所を選び、その静寂さに包まれ、自分を見つめ、心を洗い清めようと座禅をくむのもいいだろうが、自分を見つめ、反省することは、遠くまで行かなくてもできるものだと改めて思った次第である。 

松下幸之助さんの素敵な言葉を紹介したい。

『学ぶ心』 

「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。

語らぬ石、流れる雲、つまりはこの広い宇宙、

この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、

どんなに古いことにでも、

宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。

そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。

これらすべてに学びたい」

 

「ボンちゃん。時が経つにつれ、前より、もっともっと、おばあちゃんの愛がいかに深いかが分かるの」

 

 

 

 

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2008.08.29

ああ、天冲殺

占いに興味は無いと言っている人でも、天冲殺(四柱推命では空亡)と言われる怖い時期があるということだけは知っている傾向がある。

天冲殺は怖いのだろうか?

確かに想定外だったような動きが生じる時期ではあるが、人それぞれで違いがあるのだ。

たとえば、他人の目が気になるあまり、誰からも批判されないように、他人の要求を鵜呑みにして形づくられた、他者用の自己イメージを持つ人がいる。

それが本物の自分とかけ離れている度合いが大きいと、その人の心に嵐が吹き荒れる時期となる可能性は高いだろうと思う。

資金繰りに既に困っている状態の経営者は、その時期、事業縮小を迫られる可能性は高くなるだろう。

このように人生の歩み方が大きく影響したりするから、その時期の乗り越え方や楽しみ方は個々に異なる。

従って、誰かの話を聞きかじり、誤まったイメージで妄想を膨らませ、自分にも全く同じ事が起きるのではないか…、と恐れることはない。

四柱推命では生年月日によって、個々に異なる運気があると告げるのだが、これを調べ上げ、四柱推命学という学問を生み出したのも、易学を生み出したのも、昔の中国人である。

誰もが知る孔子をはじめ、昔の中国人には道徳、思想を重んじる人格者が多い。時代の流れにより、中国人は別人に変わってしまったのだろうか…。昔だったら、オリンピックの開会式で、幼い女の子に口パクなんかは絶対させなかっただろうに・・・。

話が逸れたが、もし私が、この2つの学問に気づかずに生きてきていたら、これらを生かした占い師という職業を間違っても選びはしなかっただろう。

なぜならば「占い」には可笑しなイメージが浸透し過ぎている。実際、インチキ占い師も多数いるし、筋の通っていないヘナチョコリンな占い師もイッパイいる。

その可笑しなイメージの定着した職種に挑もうと思ったほどだから、四柱推命が燦たりなのか、私がある種ヘンテコリンなのか、その両方なのか・・・。

判断は難しいから、いっそのこと、ヘンテコリン音頭でも作って、踊ろうかのう。

 

 

「ボンちゃん。人は、先入観や思い込みに囚われやすいけど、ゴリラもそうなの?」

 

 

 

 

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2008.08.28

男の色気

「男はつらいよ」の曲がまだ頭から離れない。

昨日、映画館で買った本、『渥美清さん ありがとう』に、女優、桃井かおりさんの話が載っていた。

〈「寅さん」は渥美清さんと山田洋次監督の色気によって生み出されているのが現場にいるとよくわかる。一生に一度正しく浮気をするなら、お二人のうちのどちらかでしょうね〉

そう言われて見れば、寅さんという天才の色気に惹きつけられているのかもしれないと思った。

更に話は『幸福の黄色いハンカチ』にも及んでいて、武田鉄矢さんは特殊学校の先生のようで、高倉健さんは体育系、山田監督はこよなくヒューマンな倫理の先生のようだと結んでいた。

 

ヒューマンな倫理の先生のような監督との恋。

東京の下町っ子の典型を演じた天才俳優との恋。

果たして桃井さんは、どちらの恋を選ぶのだろうか…。

 

「ボンちゃん。女性は、男性が何かに没頭している姿に、ユーモアと色気を感じるのかもね」

 

 

 

 

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2008.08.27

寅次郎な一日

車寅次郎な一日を過ごそうと決めていた。

東京都葛飾区の柴又帝釈天は、映画「男はつらいよ」の舞台として知られた場所である。 

1969年の今日、映画「男はつらいよ」は初めて公開された。松竹はこの記念すべき日に、山田洋次監督、佐藤蛾次郎さん(帝釈天の寺男、源公)、光本幸子さん(第1作マドンナ)を帝釈天に迎え、野外上映会を企画していた。

それを知った私は、寅次郎な一日を過ごそうと決めたのだった。

昼間、東劇で「男をつらいよ 浪花の恋の寅次郎」(マドンナ‐松坂慶子)と「寅次郎あじさいの恋」(マドンナ‐いしだあゆみ)の2本の映画を観て、柴又に向かったのである。

柴又駅を降り、参道を歩いて直ぐ右手に寅さんの実家「とらや」のモデルとなった高木屋老舗がある。

店内を見ると、奇麗に櫛がとかれた白髪の男性が座っていた。

あれ?見覚えが…、と思った瞬間、山田洋次監督だと分かって、ビックリした。

ビックリが終わり、とことこと歩いて境内に入ると、縦4メートル、横10メートルの巨大スクリーンが設置されてあり、なんとそこには1000人がいたのだった。

やや映画疲れの色が隠せなくなっていた私は、ちょっと失礼して御堂の階段に腰かけた。松の合間から空を見上げると、鐘楼がそびえ立っている。鐘の音を聞いていたら、鐘をつく源ちゃんの姿が思い出されてきた。

セレモニーが始まり、ゲストの方々が渥美清さんとのエピソードを話し終え、映画が始まって間もなくしてその場を後にしたのだが、参道に出たら佐藤蛾次郎さんが居てまたもや、ビックリした。

 

偶然性Wビックリのお陰で、思い出深い寅次郎な一日となった。 

空から渥美清さんが、粋な演出を施しくれたのだろうか・・・。おほほ。

追伸、蛾次郎さんの髪型は、源ちゃんおなじみのモジャモジャは影を潜め、オールバッグとなっていた。

 

「ボンちゃん。きっと、空から大勢の人が映画を観ていたんだろうね」 

 

 

 

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2008.08.26

頭を鍛えたくば、歩け。

「頭を鍛えたくば、足を鍛えることじゃ」

これは、信長、秀吉、家康から深く信頼を受けていたという安土桃山時代の大医、曲直瀬道三の教えである。

健康法で知られる「青竹踏み」を広めたのもこの大医だというから、戦国の三大英傑はお城で青竹踏みをしていたにチガイナイ。

アリストテレスは弟子に散歩しながら哲学を講じ、ヘミングウェイは立って小説を書いたそうである。

頭ばかり使っていると、能率が落ちたり、頭の回転が鈍ってきたりする。それは足にうっ血が起きているからなのだという。

ぼやけてきた頭をスカッとさせるために、散歩したり足を動かしたり、足を鍛え、血の巡りをよくすることがいいのだとか。

 

読んで字の如く、満足したければ、足を満たせということだろう。

 

 

「ボンちゃん。お散歩お散歩!」

 

 

 

 

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2008.08.25

ネ。

「ねェ」「○○しテ」「ネ!お願い」「だメ~」「いいでしョ」

このテの言葉に、世の多くの男性は弱いというか、好きな傾向があるように思う。

それがナゼなのかという謎が解けた、かもしれない。

 

甘ったれの人の特徴を見てみよう。

最初に記したように「エ・テ・ネ・メ・ヨ」と、力まず穏やかで、なまぬるい表現をする。(ヨガの音声学より)

首と肩に力なく、骨盤が開いている。カラダの筋肉が緩んでいて、筋肉の弾力性が弱い。(ヨガの姿相学より)

呼吸は甘く暖かく、穏やかなリズムを繰り返している。(ヨガの呼吸学より)

OH!なるほどねー、と気づいたのは私だけだろうか。

甘ったれの人のカラダの特徴は、甘いムードを感じさせる雰囲気を醸しだしているばかりではなく、驚くことに、カラダが男性を受け入れやすい状態になっているのである。

それを世の男性陣が本能で感じ取っているからこそ、甘ったれの女の子を可愛がりたくなるのかもしれない。

その証拠に、キビキビした話し方をする女は可愛くないと言う男性が多い。キビキビした女性のカラダの特徴は、丹田に力が入っているから呼吸も力強く甘いムードを感じさせない。骨盤は強く閉まっているのである。

男性は、無意識にそれを感じ取るのだろうか…。自分に心も体も開く可能性が最も低い、緊張感を与える女性だと。

気になることと言えば…、

本当に甘えていれば、心身ともに男性を受け入れる準備が整っているということだが、甘えたふりをしている場合は、「エ・テ・ネ・メ・ヨ」表現をしていてもそうではないということ…。

 

その区別は…、ムツカシイネ。

 

男女問わず、甘ったれをなくす方法があったので記しておこう。 

 1、丹田(おへその下3cm)に力を入れる。

 2、「エィッ!!!」と大声で気合をかける。

こうすると甘ったれから脱出できるらしい。

 

「ボンちゃん。ゴリラも、甘ったれな女の子が好きな傾向があるの?」

 

 

 

 

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2008.08.24

RAS地蔵尊

何かに集中すると、周りの音が一切聞こえなくなるという経験は誰しもがあるだろう。

それまで聞こえていたはずの音が消えてしまう現象。まるで瞬時に別の世界に行ってしまったような感覚に陥る。

なぜそうなれるのか不思議だった。

それが、ある神経系の働きのおかげだということが分かった。

人の意識が信念にまで至ると、体内ではそれをなんとか実現しようとする力が働くのだという。

その偉大なる役割を担ってくれているのが、RAS(網様体賦活系)と呼ばれる神経系なのだそうだ。

RASの役割は、常にアンテナを張ること。意識(信念)にかなう情報を集めることなのだが、驚くことに必要の無い情報はシャットアウトしてしまうというから凄い。たとえば、騒々しい場所で読書していても、小説世界に旅立てるのはRASのお陰なのである。

恐らくそれが一点集中力をもたらしてくれているのだろう。

そんな至極優秀な神経系が我々には宿っている。それも無条件で、誰もが得ている。あり難い話ではないか。

 

感謝の意を込めて、RAS地蔵尊を作ろうよ。

 

「ボンちゃん。人間とゴリラが、一点集中力対戦したら、メダリストとなるのはゴリラかな?」

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2008.08.23

“気”

新聞の大きな「銅」という文字を見ていたら、銅という字は「金」と「同じ」と書くんだなあ…、と思った。

見事な気合勝ちを見せてくれた日本陸上距離陣、男子400mリレーの銅メダルは、まさに金と同じだろう。

試合前の大概のアスリートが口にする言葉に「調整をしっかりして調子をあげて…」というのがある。

「調整」とは、過不足などを正してつりあいのとれた状態にすること、と辞書にはある。

体調を万全にしてという意味なのだろう。と何気なく聞き流していた言葉だったが、今回のオリンピックを見ていて、はたと思った。

アスリート選手は体を鍛え、常に「気」を意識し、記録と闘っている。

「体」と「気」を、つりあいのとれた状態にすること。これが「調整」の意味することなのだろう。

本番のその瞬間に、「体」と「気」を最も合わせられた人が、金メダリストであるとも言い換えられるのかもしれない。

私がそれに気づいたのは、好きな女性はどういう人かと聞かれた際の、水泳の北島康介選手のユニークな返事がきっかけだった。

 

彼はちょっと考えてから答えた。

 

気が合えばいいです、と。

 

「ボンちゃん。北島選手の言葉。面白い言い方だと思ったけど、アスリートらしい、金メダリストらしい言葉なんだね」 

 

 

 

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2008.08.22

マンマがナンバー1

イタリア人男性でマンマは嫌いだ、という人物に未だかつて会ったことがないのだが、アル・パチーノも例外ではなった。

ENGLISH JOURNAL 9月号 に、ニューヨークのイタリア系移民の俳優、アル・パチーノのインタビュー記事が載っている。

彼の父は彼が6歳の時に家を出てしまった。その後、母と共に母方の祖父母の家に身を寄せ、とても貧しい生活を送ったという。彼の人生の転機となったのが映画『ゴッドファーザー』だった。

「自分はどこに向かうのだろう?」「ここで何をしているのだろう?」と、問いかけをして、答えを出さずにいるのが彼は好きだという。

「起きて欲しいと望むことは、無意識が解放されることだ」という名言もあった。

自分の人生に多大な影響を与えた、偉大なる人物はマンマだと言っていた。

 

インタビュー記事を読んでいたら、イタリアでのマンマミーア!な記憶を思い出した。

※マンマミーア(イタリア語)=なんてこと!みたいな意。びっくりした時に使われる感嘆表現。

ミラノでのこと。電車内で20歳代と思われる男性が携帯電話で長話をしていた。それはそれは楽しげな様子だったから、きっと恋人だろうと思っていたのだが、最後に「チャオ、マンマ」と言って電話を切ったのである。ある種のカルチャーショックを受けたのだが、そんな光景があちこちで見られた。

ナポリでのこと。50歳過ぎの男性と話す機会があったのだが、彼はマンマの写真を常に携帯していた。マンマは空にいると上を指指した。空を見上げた彼の目からは涙が溢れていた。私に写真を見せ、マンマにキスをし、「マンマがナンバー1」と言った。

「妻よりも、子供よりも、マンマがナンバー1?」と聞いた私に間を空けず答えてくれた。

 

「勿論、マンマがナンバー1」、と。

 

イタリア人であろうが日本人であろうが、人間であれば脳の作りは同じだというから興味深いものである。

そういえば、80歳代の中曽根元首相は、TVでマンマの話をした際に涙を流していた。

  

 

「ボンちゃん。アル・パチーノは哲学者の匂いがするね」

 

 

 

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2008.08.21

寅さんは不老不死

昼間ポニョに会い、夕方から寅さんに会ったから忙しかった。

『男はつらいよ』第一作が上映されたのは1969年。40周年を記念して、東劇(築地)でシリーズ全48作を特集上映している。(8月9日~9月5日)

私が見たのは、共にマドンナがリリーさんの11作『寅次郎忘れな草』と15作『寅次郎相合い傘』。公開当時にならって2本立てとなっているから寅さんファンにはたまらない。

見ていたら、小さい頃に映画館で観たものだと思い出されてきた。

あの頃と、笑うところも涙するところも変わっていなかった。

 

寅さんは、ずっと私の中で生きていた。

 

 

「ボンちゃん。不老不死な存在は、ある意味で存在するね」

 

 

 

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2008.08.20

可能と不可能

「僕のも含め、記録はいつか破られる。確かなのは、人が心を決めて夢を追ったら、不可能はない、ということだ」

これは、2008年北京オリンピックにおける水泳で、前人未到、8冠達成を果たしたマイケル・フェルプスの言葉である。

 

詩人として知られるゲーテも言っている。

「なにごとにつけても、希望するのは絶望するよりもよい。可能なものの限界をはかるのは誰にでもできないのだから」(『タッソー』より)と。

 

私たちは、確実なことなど何ひとつ無い世界に生きている。

そのことを考えても、自分が心で不可能だと決めたり判断したりしない限りは、可能になる可能性があるということになる。

希望を叶える条件を挙げるならば、過去を相手に生きるのではなく、現在と未来を相手に生きることだろう。

 

 

「ボンちゃん。絶望には無、希望には可能性があるということだね」

 

 

 

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2008.08.19

アンチエイジング~!

不老不死は見果てぬ夢のようだが、老けない人の好循環はあるらしい。

日米アンチエイジング医学に携る医学博士の本、佐藤富雄『人は“口ぐせ"から老化する』青春出版2008、には老化を遅らせる習慣が記されている。

「オレにはできないよ」とか、「そうは言っても…私には無理」とか、「もう若くないし…この歳じゃね~」とか。

何気なく使うネガティブな言葉が、老化を促す脳内ホルモンを分泌させ、自分を老けさせてしまうのだという。

口癖が変われば、意識が変わり、行動が変わって、カラダが若返る。更に言うならば、口癖が変われば、意識が変わり、行動が変わって、人生が変わる。

例えば「お金がない」と3回言ったら、3年はお金と縁遠くなる。と、恐ろしいことが書いてあった。
何事においても、マイナス思考をして良いことは一つもないということのようである。

人生は言葉に支配されている。

老けたくなければ、口癖をポジティブに変えよう。

いざ!アンチエイジングに向けて、まずはお気楽人間を演じることから始めてみようではないか。

 

さぁ~ご一緒に、ご唱和しましょう。

「明るくのんきに生きましょう」

 

 

アンチエイジング~~~! 

 

「ボンちゃん。ゴリラは歳を重ねても、白髪が出たり毛が薄くなったりシミが目立ったりしないから、いいね」

 

 

 

 

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2008.08.18

読書、目的それぞれ

「小説を読むとは、小説世界のなかで生きようとする行為である」
これは137回直木賞、八人の選考委員のひとり、宮城谷昌光氏の選評の中にあった言葉である。

私の母は活字を読むのが好きで、ジャンルを問わずに何でも読むといった感じである。小説のストーリーが途中から面白くないと思っても、必ず最後まで読むのである。

私はというと、この小説世界では、もう生きられない、生きたくないと思ったが最後、その本を読むのを止める。

私にとって読書は、得るものがあるか、ユニークさを感じられるかか、感動できるかといった、心に響くものがあるかどうかが重要になっている。母のように、活字が読みたいというのとは明らかに異なる。

 

母に聞いたことがある。
「視神経だって疲れるのに、どうして面白いと感じない小説を最後まで読むの?」と。

少し考えてから母は言った。
「この作家がこの話をどのようにまとめるか、それを知りたいからかな?」と。

小説の世界を俯瞰しつつ、作家の創造力をみるのが楽しいらしいのである。

ヾ(≧∇≦*)〃

まるで文学賞の選考委員のような母は、今日もどこかで活字を読んでいるに違いない…。

 

「ボンちゃん。読書の楽しみ方も、人それぞれだね」

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2008.08.17

“絶対”の在処

朝の涼しさに秋を感じた。
秋らしくもの思いにふけってみよう。

絶対にないものは、“絶対だということ”と、昔何かで読んだことがある。

なるほど、と関心したものだが、果たしてどうなのだろうか。

社会的な地位や名声があるといった次元では到底太刀打ちできない魅力が、動物、植物、自然にはある。

それらの存在は、世は万物流転であり無常であるという真実を教えてくれる、さらに、迷いや揺らぎを感じさせないその不動ともいえる存在感に、どこか絶対的な何かを感じる。

人間は、経験を積み重ね多くの知識から智恵を生み、意義在ることを成し、人を導いたり感動させるといった過程を経て、自分を信じる力も強くなる。
艱難辛苦を乗り越えた末に気高い魂が育まれる。
言い換えればヒトは人間化さることで人間になるのである。

ここが動物、植物、自然と大きく異なっている。

花は花でただ在る、ゴリラはゴリラでただ居る、そこにただ居るだけで、見事に、絶対にいい。

在るだけで、居るだけで気高い。

それだけで触れた人の心は浄化され、癒され、生きる活力が沸く。

 

なぜだろう…。

 

それは、それらの存在の中に、絶対的な何かを感じるからではないだろうか…。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラの眼差しの奥には、絶対があるでしょ?」

 

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2008.08.16

満月の交信

明日は満月である。

亡き祖母の誕生日が七夕だったことや、祖母の書の雅号が静月だったこともあり、私の中では月と祖母がロマンチックになんとなくどこかで繋がっている。

おちゃめで風流心のあった祖母が私は大好きだった。と、過去形で言うことがいまだに抵抗があるほど、私にとって祖母はかけがいの無い存在だった。

手先が器用で、料理、洋裁、和裁なども幅広くたしなんでいた祖母は、生前に口癖のように私に言っていたことがある。

「おばあちゃんの手は、置いていくからね」と。

当時は冗談交じりの会話として終わっていたのだが、祖母が亡くなってからというもの、それまでの私とは比にならないほど、私は手先が器用になったのである。

昔からもの作りは好きだったが、出来上がったもののレベルは明らかに違っていた。

祖母が手を置いていってくれてからというもの、納得のいくものを作り上げる職人魂をもつような、ものづくりマンと化したのである。

こんなことが本当にあるものだろうか・・・、と不思議なのだが、おそらく似たような経験をした人はいるだろうと思う。

世の中には不思議なことがある。

そう思うと、晴れた満月の日だけは祖母と交信できるかもしれない、と、夢もふくらむ。

昔から、信ずるものは救われるというし・・・。おほほ。

孫は、満月に向かって、おばあちゃんに交信を試み続けるのであった。

 

 

「ボンちゃん。満月に向かって、一緒に吠えてみない?」

 

 

 

 

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2008.08.15

特攻隊員の手紙

今朝、涙で新聞が読めなくなった。

今日は終戦記念日である。

特攻隊員(29歳)が、幼い子供たちに遺した、手紙の一部が読売新聞の編集手帳8/15に載っていたので紹介したいと思う。

「マサノリ キヨコ フタリヘ」

<……マサノリ キヨコ ノオウマニハナレマセン…>

<ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ…>

お父さんは神様になってお前たちを見守っているのだから、と。

語り継いでいかなければ。

 

「ボンちゃん。たくさんのゴリラが、アフリカで起きた戦争の犠牲になったのだよね」

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2008.08.14

目の気持ち

右目の方が、左目より頭が良さそうに見えるから好きだ、と知識のない人は罪人だと思っているような人に言われたことがある。

左目の方が、右目より優しそうだから好きだ、と俗に言われる“いい人”タイプに言われたことがある。

右脳は想像性や感受性を司り、左脳は論理性を司ることは既に知られていることだが、感情を読むには左顔を見たほうが間違いないと、庄司雅彦『反対尋問の手法に学ぶ 嘘を見破る質問力』日本実業出版2008、には記されていた。

なるほど、目は口ほどに物をいう。

目を片方ずつ見るという見方は、嘘を暴く職種や、司法関係者などには有効な使われ方なのかと気づいた。陪審員制が導入された際には役立ちそうではある。


が、片方の目をひいき目に見るというのは、そばにいる右目さんにしても左目さんにしても気持ちのいいものではない。

右目さんも左目さんも言っている。

「そういう見方しちゃ、メッ!」と。


「ボンちゃん。ゴリラも右目と左目の印象って違う?」

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2008.08.13

感動だ!(`□´)!

「感動することをやめた人は、生きていないのと同じことである」

これはアインシュタインの言葉である。

以前も茂木健一郎さんの本を読み、長年に渡っての謎が解かれ感動したことがある。今回も私の中の七不思議が解かれてしまった。

茂木健一郎『感動する脳』PHP研究所2008、を読むと納得の波が押し寄せてくる。脳を感動させたい人に、是非ともご一読をお薦めしたい。

 

腑に落ちる言葉ばかりだが、いくつか紹介しよう。

 

創造性は、基礎的な知識や体験、と、欲望と価値があってはじめて生まれてくる。

考える力とその向上は、欲望の高さの度合いに応じる。 

努力によって側頭葉にいっぱい情報を蓄積したのが秀才。天才とは、側頭葉に蓄積した情報を前頭葉で創造力に変換した者である。

秀才と天才の区別には、ついに私の脳が唸った。

 

茂木健一郎さんの本を、我が師としている今日この頃である。

 

 

「ボンちゃん。人づきあいは、釈迦の無記の精神に則り、気づかないふりをするのが良いって、茂木さん言ってたね」

 

 

 

 

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2008.08.12

肩こりとはお別れだぜ。

肩こりにはナンバ歩きがいいらしい。

パソコン、携帯電話などが普及して生活が便利になったはいいが、肩こり、首こりに悩まされている人は多いだろうと思う。

もしオリンピックに肩こり・首こり部門があれば、私は難なく予選を突破して日本代表に選ばれる自信はある。その後、調整に失敗しなければ金メダルだって夢じゃないと思う。

金メダルをとったあかつきには、HisamitsuやピップエレキバンからCM依頼が来るだろうか・・・。と、思いを馳せる今日この頃である。

従って、その辛さは良く知っている。

これまでも、肩こり解消に関する多くの本を読んだが、情報満載本を見つけたので是非ご紹介しよう。

『肩こり・首こりがみるみる消える100のコツ』主婦の友社編

健康を気遣っている人には、更にもう一冊をご紹介したい。

『体の毒を出し切る100のコツ』主婦の友社編

2冊とも非常に分かり易い内容で、100の方法が記されてあるため、色々試せるステキな本なのである。

是非これらの本の情報を活用し、肩こり・首こりから共に脱出しようではないか。

 

肩こり・首こり とはお別れだぜ。ベイビー。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラはやっぱり肩は凝らないの?」

 

 

 

 

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2008.08.11

「情」が「理」を救う7 (完)

水泳で金メダルをとった北島さんの生きる姿勢に負けないよう、この辺でピッと締めようと思う。

(「情」が「理」を救う その1)の記事を書いたのは3/18だった。その6につづく、と書いたまま止まっていたのである。

(注:この記事は400字詰め原稿用紙5枚分の長さである)

 

ピッ、と締めよう!

 

悲しいことに、日本には毎年三万人以上の自殺者がいる。

仕事に生きがいが感じられず、やる気が欠如し、生きている意義、価値が感じられず、無気力感に苛まれての自殺。これが上位にくる理由だという。(クリス岡崎『億万長者専門買い』中経出版2008より)

クリス岡崎氏は、やる気という感情に焦点を当て、これからの時代、パソコンが取って代われない能力を持つものが生き残れると述べ、「理」ばかりが評価されてきた時代が終わり「情」がしっかりと評価される時代がやってくるであろうと綴っている。

 

今の時代、多くの人が心の病を抱えていると言われている。

これは、時代が人間中心の考えとなって、「理」ばかりが重要視された社会となり、結局は人の心がついていけなくなり、人間の内面性の崩壊が始まり出したのだろうと思う。

 

梅原猛氏(哲学者)と藤原正彦氏(数学者)の対談記事を見つけたので紹介したい。(『中央公論』6月号より)

梅原氏は、人類が滅びる要素として、環境問題、核戦争、人間の内面性の崩壊、に危惧の念を抱いている。

人々は道徳心を失い、人間中心主義に傾き、科学技術を持った野獣と化してしまっている。

真の独創性を育むには、国語、道徳、教養を学ばせる事が何よりも重要である。道徳や情緒を育むには、素晴らしい文学を読み、感動の涙とともに胸にしまい込むことが必要である。

正しい道徳心を養えば、日本の国に対する誇り、日本人としての誇りが芽生え、自分の国を愛するようになる。

人間なんて自然の一部に過ぎない。そういう謙虚さを持ち合わせた、人間と自然が一体になった自然観があってはじめて環境問題は解決に向かう。

数学者に求められる資質として「数学で飛びぬけて重要なのは美的感受性であり、野に咲く一輪のスミレに感動する心なのだ」と言った藤原氏の言葉が強く印象に残った。

この対談からも「情」が「理」を救う構図が浮かびあがっていることが分かる。

 

そうは言っても「理」を重視した社会が直ぐに一変するはずもない。

それでは日常生活において強いられ、緊張しきった心をどうやって解き放ち、心に活力を湧かせることができるのだろうか?

次にそのことについて言及したい。

毎日、自分のリズムで生きられず、心は日々緊張を強いられている。その楽しくない時間の長さに、心はだんだんと磨り減っていく思いに苛まれる。

その時、心をただ休ませればいいのだろうか?

それは違う。

心とは、体と違ってただ休ませても活力は戻らない。

疲弊した心を元気にするには、笑ったり、感動したり、心に新風を吹かせるような、いい出会いなど、充実感を得ることが必要となる。自分の過ごしている今が、快適だと感じること、自分のリズムで生きることを心は求めているのである。

心が疲れた日ほど、そのまま心を放置せず、

「ウルウル・・・と感動し、カッカッカ・・・と笑って、吾の人生面白くなってきたぞ!」

を日常の生活に取り入れれば良いのである。

別の見方をすれば、これからの時代に求められる人、社会において活躍できる人は、

感動させられる人、

笑わせられる人、

心に薫風を吹き込むことができる人、だろうと思う。

視聴率重視と考えるTV番組の構成は、多くの人が求めているものを反映している。

バラエティ番組、お笑い番組などは「ただ笑いたい」という思いを叶える。

プロフェッショナルなどのドキュメンタリー番組、スポーツ番組などは、「感動したい」という思いを叶える。

深く考えさせられるような番組が少ないというのは、その需要が少ないということであり、それは多くの人の心が疲弊していて、深く考える余力が残されていない証なのだろうと思う。

これらのことから、「情」がガチガチな「理」社会を救いつつ、「理」の時代から「情」の時代へと徐々に移行していることを示唆しているのではないだろうか。

 

占い鑑定をしていると、自分を信じきれない不安感に押しつぶされそうになっている人、自分と他者との心の距離のはかり方に悩む人に多く出逢う。

「情」が「理」を救う、この記事を書こうと思ったのも、やる気という感情が沸き起こらなくなってしまった、彷徨う心に、再び活力を復活させるためにはどうしたらいいのか、私なりの考えを要点だけでもお伝えしようと思ったからである。

ここに記した情報が、やる気に繋がるきっかけや、やる気を失わない未然の策として役立つことを、心から願って止まない。

 

 

ピッ!

 

完  

 

「ボンちゃん。昨日の記事「秘めたる金言」の中で挙げた時代劇は、心を浄化してくれるよね」

 

 

 

 

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2008.08.10

秘めたる金言

見た瞬間、お気に入り文言入りが確定した。

大物級のそれは、朝乗った電車内に何気なく吊り下がっていた。映画『アイアンマン』の文言としてその姿を現したのである。

アイアンマンが指令する。

「装着せよ-強き自分」

遠山の金さんが言い放つ。

「おうおうおう黙って聞いてりゃ寝ぼけた事ぬかしやがって!」

パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ・・・。馬のひづめの音が響く。

ターーンターーン タタタタンタンタン
タタタターーンタッタターン
タッタッタータタン タータタ タータタ タタタター
暴れん坊将軍が波打ち際を走り抜ける。

「余の顔を見忘れたか!成敗!」

 

大岡越前守忠相の登場。

「これにて一件落着!」

 

遠山の金さん、再びの登場。

「達者で暮らすんだぜ」「お父っつぁんを大事にしなよ」

 

葵のご紋入りの笑いが響き渡る。
「カッカッカッカッカッカッカッカッカ…」

言うまでもないが水戸黄門である。

 

私の秘めたる金言メドレーも、時代と共に形を変えていくんだろうなあ・・・。

時に、心の中で厳かに愛用しているのであった。

 

 

「ボンちゃん。アイアンマン以外、時代劇だね」

 

 

 

 

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2008.08.09

チャン・イーモウを詠む!

北京オリンピックの開会式の演出は、張芸謀(チャン・イーモウ)だった。

昨夜の開会式は、赤いワンピースの9歳の可愛い女の子がテケテケと出てきて歌を歌い、中国の紹介が続き、女の子が天の道をのぼっていったショーという印象を受けたが、そのイメージと易経のある卦のイメージが重なった。

 

易経には64卦という卦があって、それぞれに様々な教えがあるのだが、その58番目に兌為沢(だいたく)という名の卦がある。

兌為沢(だいたく)は、小さな女の子が、極く柔和な心持ちで全ての人に接し、礼を守り、自分勝手なことをしないその様を、周囲の人も喜んでいるようなイメージ。和して悦ぶ。

和合一致、協力一致が平和をもたらし、天の道に合するといった卦である。

簡単に言うと、

自分の私を捨てようね。

柔軟かつ温厚な態度で人に接しようね。

そうすればみんな必ず悦ぶのだよ。

みんながそういう心持ちであれば、社会に平和が必ず来るのさ。

国と国も一緒なの。

自分の国の強さを誇ったり、他国を圧迫してたらダメなのだよ。

そういうことはいっさい慎んで、他の国の悦びは自分の国の悦びさ。他の国の幸福は自分の国の幸福さ。

そう思えるようになれば、天の働き同様に健全となるのだよ。

そうなった時、世界に平和はおとずれるであろう。

わっはっはは。さらばじゃぁー。ドロン。

そんな感じの教えである。

 

Oh! 開会式のイメージではないか?!

 

 

「ボンちゃん。赤いワンピースの女の子、可愛かったね」

 

 

 

 

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2008.08.08

あの地平線を探しに。

朝起きて、空があまりに青かったから、散歩に出た。

東京からでも、ちょっと足をのばせば、空と海と陸が見渡せる場所に行かれる。

Umi20088

 

 

 

電車から、海の向こうに地平線が見えた時、「君をのせて」(作詞 宮崎駿 作曲 久石譲)が思い出された。

あの地平線 かがやくのは どこかに君をかくしているから♪

これまで、オカリナでこの曲を吹く度に気になっていた。

「あの地平線 かがやくのは」って、なにが輝くのだろう?と。

やっと分かった。

時に、地平線は輝くんだ。

 

 

「ボンちゃん。心が人酔いしたら、輝く地平線を探しに出るといいね」

 

 

 

 

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2008.08.07

バカボンのパパ教

青空の梅干しにパパが祈る時♪ と、歌い始めて、あ、また歌ってると気づく。

なぜか、一年に一回ぐらい、『天才バカボン』の歌を口ずさむ。

アニメを見たのは遠い昔のことで、内容はほとんど覚えていないというのに、歌だけは覚えている。

なぜこの歌が突然口をつくのか、その理由がずっとわからなかった。

今日、はたと思った。

私は、バカボンのパパ教の信者なのかもしれない・・・、と。(注、念の為に言っておくが、私の知る限り、実際にはそういう宗教はない)

“これでいいのだ” これなのだろうと思う。

人は誰かを慰めたりする時、「気にしない方がいいよ」といって慰めたりする。

が、よくよく考えてみると、これは慰められている人の過去の行いを否定視した発言なのである。

それに比べ、『天才バカボン』の歌は、

これでいいのだ、これでいいのだ、とキッパリと肯定する。

何気ないような言葉だが、この違いは大きい。

自分が決断して行ったことなのだから、期待通りの結果が出ず、うまくいかなかったとしても、これでいいのだ。次回に改める点が見つかったならば改めればいいのだ。

そう考えられる人が理想だろうと思う。なぜならば過去の出来事をいくら後悔しても、過去は過去であり、やり直しは不可能なのだから。

従って、バカボンのパパは超ポジティブシンキングなお人であることが察しがつく。自己啓発本を発行したら、トップに躍り出ることはマチガイナイだろう。

宗教に歌はつきものだが、『天才バカボン』の歌は、

自分と人が違うのは人格が違うのだから当たり前のことなのだ。

自分のリズムを大切にするのだ。

自分が決断して行ったことなのだから、すべて自分の責任なのだ。

その結果を受け止めて、反省する点は反省し、次に改めればいいのだ。

そうやって前に進むのだ。

そうすればトンボとかえるも結婚できるのだ。

常に前向き思考が大切なのだ。

そう教えてくれているように思う。

私は歌と音楽を通して、バカボンのパパの教えを口ずさんでいたのだろう。

 

 

 

「ボンちゃん。実践的な深い教えを、ユーモアと笑いで包んでいる愛ある立派な教え、これはバカボンのパパ教だね」

 

 

 

 

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2008.08.06

ニャォー

猫好きは、相手を自分の思い通りにしようとは思わないらしい。

渋谷昌三『人を見抜く』経済界2008の猫愛好家の話が興味深い。

猫好きの好む人間関係は、猫と接する時と同様に、他人は他人、自分は自分と割り切って付き合うため、つかず離れずの、自由・束縛のない横社会の関係を保つのだという。

一方、犬好きはその反対で、密度の濃いべったり寄り添うのを好み、縦社会の関係を保つのだという。

猫に惹かれ、波長が合うような気がする私自身を考えてみた。

たしかに、招いても無いのに人の心の中に土足でドカドカと入ってこようとする人がとても苦手である。それがもし恋人だったら、価値観の違いに、別れを考え出すだろうと思う。

親しくなった人でも、相手のリズムに寄り添い合うように強要されると、なぜお互いのリズムを尊重しようとしないのだろう、と思って、窮屈に感じ、避難したくなる。

従って、遊んで欲しいと思っていない時に、執拗にちょっかいを出して自分の欲求を満たそうとする人間や、思いやりの押し売りをするような人間から、しなやかな身のこなしで車の下に避難する猫の気持ちが妙に分かる。

なるほど私は猫好きの好む人間関係、自由・束縛のない関係性を好んでいる。

 

それにしても、こういった緻密な心理分析を可能にする感性と頭脳を、渋谷昌三さんはどうやって磨いたのだろう。と、新刊を読む度に思うのであった。

 

 

「ボンちゃん。猫好きの人に、犬好きの価値観で接したら上手くいかないし、またその逆も言えるってことだね」

 

 

 

 

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2008.08.05

バレチャッタ・・・・。

ボンちゃんに異変が起きている。

しもやけになりながら、陶芸でゴリラの香炉を作ったのは去年の冬だった。

モデルは我が愛しのボンちゃんである。

ボンちゃんとは、プロフィール写真に掲載した絵のゴリラ、私の心に棲むゴリラのこと。

 

鼻の穴から煙がひょろよろと立ちのぼるのをイメージし、魂を込めて作った。一度素焼きし、本焼きの際には黒い釉薬で色付けしようと思っている。

が、

日々のことに気を取られていることを言い訳に、素焼さえもしないまま、7ケ月が過ぎている。

サイドボードの上に鎮座している、粘土が乾燥して石のようになったボンちゃんは、そこから私の日常の様子を見ている。

やっぱり、感じたのだろうか・・・。

いや、ゴリラは敏感な生きものであるからして、感じたに違いない。

このまま待っていても、釜で焼く気はない、と。

 

Bonchan1

 

 

 

 

カラダの色が徐々に黒くなりだしたボンちゃんなのだった。

 

 

 

 

 

「ボンちゃん。さすが、渋い色出すねー!」

 

 

 

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2008.08.04

拝啓、まっすぐ様

拝啓、まっすぐ様

28時間ほど前あたりから「まっすぐさと不条理」について、頭の片隅で考えていた。

先にお伝えしておこう。この内容は400字詰め原稿用紙にしたら5枚となる長い内容である。 

占いの鑑定をしていると、「自分のまっすぐさに疲れる」という悩みを抱えている人に会う事がある。

自分の“まっすぐさ”という気質が苦の根源だと客観視した上でのお悩みなので、悩みは深い。

 

素直でまっすぐな人間は、今の世の中生きづらい。

悲しいかな、まさにその通りだろうと思う。

悲惨な事件が起き、その後の供述などがニュースで伝えられる度に、このあたりのことが無関係ではないような気がしている。

そこで今回、私は深く考えてみることにした。 

 

人間社会では、大概の人はまっすぐな人間に、「まっすぐ過ぎるよ」と言うことが多い。

この「過ぎる」という言葉だが、過ぎたるは及ばざるが如し、という言葉があるように「過ぎる」がついた時に賞賛はないと考えるのが妥当である。

従って、「まっすぐ過ぎるよ」という言葉には「それ、なんとかした方がいいよ、真っ直ぐは美徳じゃないからね。融通性が無いという短所。そんなに青かったら社会じゃ通用しないよ」というメッセージが含まれていることになるだろう。

こんなことなら、まっすぐが普通で駆け引きなんかない動物がよかった・・・、タケノコに生まれてくればよかった・・・、などと思ったりしつつも、世知辛い人間界に人間として生まれたからには人間として生きなければと自分を律し、千回目に聞いた「まっすぐ過ぎるよ」と闘ったりしている。

まっすぐな人間にとっての大敵は、嘘つきと記憶違いなどは自分の辞書にはないと考える頑固者、且つハッタリや中傷だろう。

まっすぐな人間がそれらの大敵に会うと、納得のいかない思いに憤慨することになる。なんとかその感情を押さえ込もうと苦しみ憤り、結局は割に合わない不条理感を胸の内に収めざるを得ない。

これが人間界・・・、致し方ない・・・、これが人間界・・・、と念仏のごときに自分に言い聞かせるのだが、自分のまっすぐさにだんだん辟易としてくる。

 

素直でまっすぐな人間というのは、心の姿勢が極めて謙虚な傾向がある。素直な故に、自分の才能を心のどこかで疑っているふしがある。技芸が秀でるなり、社会において、地位、名誉、名声を手にしたとしても、ちょっとしたことがきっかけで自信が崩れてしまい、一瞬にして自分を信じる力が激減してしまう。

そんな繰り返しだから、だんだんと、ぶつけようのない怒りがたまっていき、終には怒り爆発・・・となる可能性が無きにしも非ず。いや、高いといえよう。

そこで、そんな時どうしたらいいのだろうか・・・、と、私なりの案を絞り出してみた。

上手くいかないという思い、その怒りのエネルギーには想像を絶する強い力があるはずである。怒りがマイナスに働けば、心は歪んでいく。俗に言われる“キレル”或いは、絶望の一途を辿ることになるだろう。

さんざん傷ついた上、それではあまりにも寂しいではないか。

怒りから絶望へと向かいつつある、その瀬戸際にいる人に、それでも「希望を持とう!」なんて言ったら、瀬戸際から絶望へと背中を押すことになるやもしれぬ。

そこで私はとっておきの、ナイスラインくるねー、のお言葉を見つけたのでご紹介したい。

目にした時、感じるか感じないかほどの極うすい絹が、ふわりと心に舞い降りたような心地よさを覚えた言葉である。

「希望とは、もともとあるものだともいえないし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。地上には、もともと道はない。歩くひとが多くなれば、それが道になるのだ」(魯迅『両地書』)

 

この世には、希望を捨てなければ生きられない、そんな環境に身を置かざるを得ない境遇で生きている人がいる。

自分の意思など尊重されない環境で生きている動物がいる。

希望を持てる環境に居合わせているというのは、奇跡的に幸せなことなのである。

なぜならば、地上の道を歩くように、希望を叶える道を選ぶことができる環境に、幸運にも居合わせているのだから。

不条理がもたらした怒りを糧に、その力をプラスに爆発させ、価値あるものに情熱を注ぎ込む方法だってある。

もっと正確に言えば、それほどの強い力があるからこそ立てる境地がある。怒りがあるからこそ、本当の意味で自分と向き合い、しっかりと自分の心をみつめるようになる。それによって、負けるもんか!という気迫が生まれ、何かに挑もうとする勇気が出る。何事も継続することは難しいが、怒りが鍛錬を可能にする。

怒りは、望みを叶える言動力となるのではないだろうか。

そうとは思わない?

 

                   敬具

 

 

「ボンちゃん。まっすぐな道って、絵になるよね」

 

 

 

 

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2008.08.03

爺?泣いているのか?

<爺のセリフ> 俊輔坊ちゃまは、誠に立派なお方になられました…、爺ィは…、爺は、嬉しゅうございます…。

<俊輔坊ちゃまのセリフ> 爺?泣いているのか!?

その本を読んでいたら、なぜか私は俊輔坊ちゃまの爺になってしまった。
俊輔坊ちゃまのサッカーに向ける情熱に感動し、涙が頬を伝わってきた。

中村俊輔『察知力』幻冬舎2008、是非ともご一読をお薦めしたい一冊である。

爽やかな風を感じるだけでなく、将来は指導者になって日本のサッカーを強くしたいという意気込み、気迫に満ちた人生観に、こちらの心にまで活力が吹き込まれてくる。

人の成長は、細かいことを感じるか、感じないか、考えるか、考えないかで大きく違ってくると、俊輔坊ちゃまは言う。
自分の願いを叶えたいなら、空気を読む力、察知する力、考える力を磨くことが最も重要であると。 

 

考えることを放棄した瞬間から、その人の心の飛躍は止まるのかもしれない。

 

追伸、

なぜ私が突然に俊輔坊ちゃまの爺になってしまったのかは、いまだもって、謎である。 

 

「ボンちゃん。感じ、考え、挫折感をプラスにできた時、心は成長するんだね」

 

 

 

 

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2008.08.02

ザ、勘違いマン!

今日から高校野球が始まったが、福知山成美(京都)の椎葉一勲主将の選手宣誓、その後のインタビューは、感謝の言葉に溢れていた。

「百花繚乱蒔かれた種を思え」そんな言葉が思い出された。

 

物事を目的通りに成し遂げ、社会的地位や名声を得た人の中に「あらら、だいぶ勘違いしちゃってない?」と感じる発言をする人がけっこういるように思う。

多くの場合、勘違いマンは自分が勘違い発言をしていることに気づけていない、ように思う。

勘違いマンの周りにいる部下やら取り巻きは、立場上の事情があるから「ダイブ勘違い入ってますね?」などとは決して言わない。

一応はニコニコし、その場の空気を乱さずに、サヨウデゴザイマスと相槌を打つと相場は決まっている。

すると、勘違いマンは更に勘違いし、自分は普通の人間ではないのだ!偉大な人物なのだぞー!としだいにその程度がはなはだしくなっていき、「どこに目が付いているんだ、君の目は節穴かあ?」などと言い散らす。

しかし、それこそが大きな勘違いさ、ほほほ、なのだ。

あー、残念なお人柄、ちっぽけな器だな・・・。どちらの目が節穴か、いずれわかりますよ。と、内心思っていたりする。

そう、勘違いマンであることに、人は気づいているものなのだ。

 

渡邉美樹さんだったら、勘違いマンにこうご指南して下さるに違いない。

「順風にあっても驕らず、逆境にあってもいじけることなく、ただ自分を高めていこうとする努力や意思だけが尊いのです」と。(渡邉美樹『強く、生きる』サンマーク出版2008より)

 

栄枯盛衰は世の習い。おほほ。

 

勘違いマンの運命はいかに・・・。

 

 

「ボンちゃん。器の大きさは、言動から分かるものだね」

 

 

 

 

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2008.08.01

扇ちわ

コツコツ研究していた扇ちわ(センちわ)が、完成した。

小さなうちわが扇のようになっている新型ファン。

それで“扇ちわ” と命名してみた。

ものづくりとは試行錯誤の連続なのだ、と、改めて感じた次第である。私はいま、感慨無量な面持ちで、ピコピコとキーボードをたたいている。

Senchiwa20081

 

 

Senchiwa200811

 

  

 

扇ちわの作り方を記しておこう。

 

①扇子を洗って、骨だけにする。

今回使用した扇子は、両端の太い骨が2本、と、中の細い骨が33本ある。

注:扇子によって骨の数は異なると思われる。

Senchiwa20080

 

 

 

②両端の太い骨2本を小刀で削って、他の33本と同じ大きさになるように揃える。

注:写真の扇子の骨、左側が削った状態。

③33本を適当に6等分し、ボンドでしっかり止める。

④プリンターでお気に入りの写真などをプリントアウトする(両面分)

参考:私は言うまでもなくゴリラの写真16枚(片面8枚分x2=16枚)をプリンターで適当に縮小してから印刷した。

注:用紙は少しかたい方が良い。

⑤④を希望の大きさに切る。

⑥⑤を扇子に貼る。

注:印刷物がボンドやのり等で滲むことを考え、今回は両面テープで貼りつけてみたが、テープが補強となり、なかなか良かった。

⑦全体のバランスを見て、張り合わせた紙にズレがないかをチェックし、はみ出ている部分ははさみを使って切り揃える。

⑧世界にたったひとつの扇ちわの完成。

 

 

「ボンちゃん。扇ちわは、夏の蒸された熱風を、そよ風に変えてしまうね。扇ちわはスゴイッテ!」

 

 

 

 

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