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2008年11月

2008.11.30

陶芸…ゴリラの香炉

ボンちゃん、陶芸釜より無事帰還。

Bonchan2

 

 

左から、ボンちゃん1号、3号、2号。 

 

Bonchan3

 

 

 

 

ボンちゃん1号。哀愁漂う後ろ姿。

Bonchan4

 

 

 

 

ボンちゃん3号。

Bonchan5

 

 

今回の香炉は、中をくり貫き、下半身にお香を立てるようにしてみた。

 

「ボンちゃん。ゴリラはどんな香りが好き?」

 

 

 

 

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2008.11.29

陶芸…オカリナ

釜場で修行をしたことのある友人がオカリナを成形し、

私が素焼きし釉薬をかけ本焼きする、という連係作業が無事に終わった。

友人にとっても私にとっても、楽器作りは初めてのことだった。

コンガリと焼き上がったオカリナを見つめ、

ホーという響きに耳を澄ませ、

悦びも一入だった。

Ocarina1

 

 

 

求める音色が出るまで、

オカリナ作りの旅は続くのだろう。

「成せばなる 成さねばならぬ 何ごとも 成らぬは人の成さぬなりけり」

上杉鷹山の言葉が木霊するのだった。

 

「ボンちゃん。オカリナの音色って、差し出がましさを感じないから、ゴリラは好きなんじゃないかな?」

 

 

 

 

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2008.11.28

世間という場所で。

水鳥のゆくもかへるも跡たえて

されども道はわすれざりけり

(境野勝悟『道元 禅の言葉』三笠書房2008より)

「成り行き任せ」に生きることの大切さを教える、

道元の言葉である。

俗世間に生きる我々は、

物事を自分の思う通りに運びたいという願望が強い。

そして、

それが思い通りにならないことに悩み、

世間体まで気にして苦しむ。

 

時には水鳥のように、

無為自然に、

成り行き任せに身を任せ、

思い通りにいかない現状に、

ただ居る。

答えや、解決策が見つからないまま、

成り行きを見守る。

そんな時があってもいいように思う。

 

道元も言っていた。

世間という場所は、

どこを探しても見つからない、と。

 

水鳥は、

信号も、踏み切りも、ガードレールも無い場所で、

スイスイと進み、

ぶつかり合うことがない。

 

人間にだって、

打開するのが困難だと思える事態においても、

打破する策を見出す力が宿っているはず。

そう信じよう。

 

「ボンちゃん。ゴリラも、世間体を気にする?」

 

 

 

 

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2008.11.27

群を抜く情熱

圧倒的だった。

群を抜く情熱に、

浅草の寄席が、笑いの渦に巻き込まれた。

 

林家しゅう平さんは、落語家になる前は宝塚に入りたかったのだという。

演目は「ミュージカル落語 ベルサイユのばら」だった。

歌って、歌って、踊る。

顔から吹き出る汗を拭く時でさえも、

「ハンカチ王子」

「はにかみ王子」

と、一瞬の間さえもお客さんの気を逸らさせない。

最後は、

バレリーナウォーキングでステージから姿を消したのだった。

 

「プロフェッショナル仕事の流儀」に紹介された、農家、木村秋則さんの言葉が思い浮かんだ。

「どうせ死ぬなら一度くらいバカになればいい」

「ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡りあう」

(著 石川拓治 監修 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班『奇跡のリンゴ』幻冬舎2008より)

 

「ボンちゃん。批評するは易し、創造するは難し、だよね」

 

 

 

 

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2008.11.26

後悔先に立たず

その時の私は想像もせずにいた。

会ったその日が、

その人に会える最後の日になるかもしれないということを。

会わずにいたのは、

自分が決断したことだったから、

後悔はしたくない。

が、

18年経った今も、

その出来事と対話し続けている自分がいる。

 

下記に転記した『最後だとわかっていたなら』の一節は、

私の経験から得た教訓そのものなのだった。

 

<わたしたちは忘れないようにしたい
若い人にも
年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを〉

(ノーマ コーネット マレック・作 / 佐川睦・訳『最後だとわかっていたなら』サンクチュアリ出版2007より)

 

大切な人を亡くし、

初めて、

本当の意味で気付くことがある。

それは、

もう2度と会えないのだということ。

 

「ボンちゃん。後悔先に立たずって、本当だね」

 

 

 

 

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2008.11.25

ステンドグラスな世界

ステンドグラスは、自然光で見るのが一番いい。

天気や時間帯で色が変化してくる。

最も奇麗に見えるのは、北側の窓と言われている。

 

私はステンドグラス作家でもあり、

最新の受注作が完成し、

納品が終わった。

Staind2

 

 

 

 

K邸 玄関の天窓(1300mmX400mm)

ステンドグラスパネルの作り方とは。

①デザイン画を描く。

②デザインに邪魔にならないように、鉛桟の位置を決める。

③型紙を作る。

④③を利用し、ステンドグラスをカットをする。

⑤ステンドグラスに絵付けをし、釜で焼く。(必要に応じ)

⑥⑤が終了したら、パズルを合わせるように鉛桟で組む。

⑦⑥のパネルがズレないように、ハンダ付けする。

⑧鉛桟とグラスピースの隙間に、パテ(粘土質のもの)を詰める。

⑨パテ掃除し、ステンドグラスを磨く。

⑩完成。

①~⑩が大きな流れである。

 

 

北風や 光と影に 癒されて

 

「ボンちゃん。 奇麗なものにはトゲがあるっていうけど、ステンドグラス制作は、手が切り傷だらけになっちゃうのだよ」

 

 

 

 

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2008.11.24

陶芸

長い間サイドボードの上に鎮座し、

石と化していた我愛しのゴリラ、ボンちゃんの香炉。

終に、釉薬をかけ、釜で焼く運びとなった。

私にとって、色付けは初めての経験。

緊張し、ドキドキした。

Dscn8158

 

  

釉薬に入るボンちゃんの姿。

Dscn8161

 

 

友人が作ってくれたオカリナにも釉薬をかけた。

共に釜にいる。

無事に戻ってくるのだよぉー!

「ボンちゃん。粘土の塊りが陶器になるのだから、スゴイことだね」

 

 

 

 

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2008.11.23

つき合い断り申す

深く付き合う人。

浅く付き合う人。

その区別が明確であれば、

人間関係の悩みが、だいぶ軽減するのではないだろうか。

 

幸福感を削ぐ人には、

勇気を持って、

「ソナタとのつき合いは、断り申すぅぅっ」

と意思表示するのが理想的だと思う。

 

が、

利害関係があり、

関係が断てないのが現実だったりする。

 

そこで重要となるのが、

誰と深く付き合うかである。

 

浅く付き合うべき人と、

深く付き合おうとしてしまうと、

幸せ感は削がれるばかり。

 

以下の人々が、注意を要する人々と思われる。

・不平を言う人
・希望を削ぐ人
・相手をへこませる人
・自分の考えに夢中な人
・臆病な人
・批判的な人
・策略家

(著 マーシー・シャイモフ/訳 茂木健一郎『脳にいいことだけをやりなさい!』三笠書房2008より)

 

私が見つけた良い方法をご紹介しよう。

時に、

声高らかに、

「ソナタとのつき合いは、断り申すぅぅっ」

と、

お公家さん風に言ってみる。

すると、

驚くことに、

笑えるのだ。

現実は変わらずとも、

チョピットだけ、

心が軽くなる。

 

「ボンちゃん。ゴリラは、深く付き合える存在としか、付き合わない生きものじゃない?」

 

 

 

 

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2008.11.22

ワッハッハ

ワッハッハと言えば、笑い。

その起源は、動物が有毒物を口にし、カーッと吐き出したことに始まるのだという。オランダの動物学者ファン・フーフ説。

(中島英雄『脳を活性化する笑いの力』小学館2008より)

著者、中島英雄氏は、中央群馬脳神経外科病院理事長であり、

落語家としてもご活躍で、定期的に病院寄席を開催し、

笑いを代替(だいたい)医療として広めておられる。

代替医療の代表と言えば東洋医学だが、鍼灸、指圧、ヨガ、気功、湯治、香道、アロマテラピー等に、笑いも仲間入りを果たしたという。

 

有害物を体内から吐き出す行為の進化が、笑い。

ストレスを溜める、という表現があるが、

体内に溜めてしまったストレスという有害物質は、

笑えば吐き出せるということが、科学的にも証明されているようである。

 

「ボンちゃん。ゴリラも嬉しいと、口元が緩むよね?」

 

 

 

 

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2008.11.21

硬いカエル

虫好きで知られる、

養老孟司氏と石川英輔氏が、

対談で、

虫の激減に警笛を鳴らしている。

虫が住めない場所に、

人間が住めるはずはない、と。

(石川英輔『江戸時代はエコ時代』講談社文庫2008)

虫が減る理由には、

温暖化による生態系の変化や、

車社会が引き起こす虫の交通事故がある。

車一台が廃車に至る間に犠牲にする虫の数は、

1000万匹なのだそうだ。

 

小さな虫が減り、

カエルが食を見つけられずに姿を消していっている。

最近、街で会うのは、石像や陶器製の硬いカエルばかり。

このままいけば、カエルが恐竜のように、過去に存在した生きものとなってしまうのだろう。

Kaeru1

 

 

「ボンちゃん。海辺で合ったカエル、元気かな?」

 

 

 

 

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2008.11.20

協は叶う!

いつだったか、イタリア語のレッスン受講時に、こんなことがあった。

ある音楽を聞き、曲から伝わるイメージをイタリア語で述べよ、という問題が出された。

私も含め大多数のイメージは、青空、そよ風、温かい、明るい、黄色、緑、木々、小鳥の鳴き声、春、だった。

その中で、ひとり大きく異なったイメージを述べた人がいた。

雨がザーザー降っている、寒い、寂しげ、悲しい、黒っぽい、冬、暗い。

それは、軽やかな印象を受ける曲とは、かけ離れたイメージなのだった。

このように、同じものを聞いたり見たりしても、得る印象や解釈は人によって異なる。

男女が理解し合うことは不可能だと河合隼雄氏も述べておられるが、男女の感じ方、解釈、考え方の違いには、先に記した例ほどの感覚の異なりがあるのではないだろうか。

「今まで仲良くやってきた夫婦が中年になって、急にギクシャクしだしたり、離婚などということまで出てきそうになるのは、多くの場合、協力から理解へと至る谷間にさしかかっているときである。(河合隼雄『「こころの処方箋』新潮社1992より)

 

確かに、理解していなくても、目標に向かって協力はできる。

目標を達成し、

はじめて向き合い出し、

長い間一緒に過ごしてきたというのに、

お互いに全く理解し合えていない…。

と、気づきショックを受ける。

そして、熟年離婚になったりする。

淋しい気もするが、協力関係の成立=理解 ではない。

まずは、このことを理解する必要があるようだ。

 

理解し合えずとも協力し続けていれば、

“理解し合いたい”という願いが、

叶うかもしれない。

 

なぜならば、

「協」という字には、

「かなう」という意味があるのだ。

 

「ボンちゃん。協は叶う!きっと、今日は叶う!」

 

 

 

 

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2008.11.19

“普通”の相違

小さな“普通”が案外、重要だったりする。

とあるイタリアンレストランで、2組のカップル、一致組みと不一致組みの狭間で、トボトボと考えた。

左側、一致組みより 

「おいしいね!」と女性が言うと、

空かさず男性が言った。「スゲー旨いな!」

「鯛のカルパッチョ、味ついてる?」と男性が聞くと、

空かさず女性が、「ついてないみたいだけど、ソース来るのかなぁ…」

 

右側、不一致組みより

「おいしいですね!」

間を空けて男性が言った。「普通かな」 

「鯛のカルパッチョ、味ついてますか?」

「外食で味ついてないものなんか、ないでしょ。鯛おろす時にだって、塩ふるんだから」

 

生まれも育ちも異なる人たちが、

偶然にも、

似たような感覚を持ち合わせ、

共鳴できるということは、

実は奇跡的な事であり、

感動的なことなのだ。

共感し合える悦び以上に、

相手を思い遣り、

労わり、

その出会いに感謝すべきなのだろう。

それでなければ、

一緒に時を過ごす意味なんて、

ない。

 

「ボンちゃん。“普通”の相違は、想像以上に疲れるものだよね」

 

 

 

 

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2008.11.18

屋根の上の黒兵衛

Norakuro5

 

 

 

  

生きられる 猫のように 徳積めば 

持ち歩け 屋根より高い プライドを

秋の日に ノラクロ黒兵衛 今日もゆく

 ノラクロ・黒兵衛 練習句より

 

「ボンちゃん。黒兵衛、気持ち良さそうにお昼寝してたね」 

 

 

 

 

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2008.11.17

アホー

隣のご夫婦が、庭で柿狩りをしていた時のこと。

次々と消えゆく柿の数を数えているのか、電線から一羽のカラスが無言で見下ろしていた。

次の瞬間、おじ様がハシゴから転がり落ちてしまった。最後の一段を踏み外してしまったのである。

幸い怪我もせず、紫陽花の木が折れた程度で済んだが、

その時、カラスが、「アホー」と鳴いたのである。

まさに侮蔑したような声だった。

おじ様は目の前で大の字で倒れていたが、私たちは笑い転げてしまった。

おじ様には悪かったが、落語家顔負けの、見事な“間”だったのである。

その後のおば様も、カラスに負けず劣らずに面白かった。

おじ様を気遣うより、ずっと心配そうに紫陽花を見つめている。

「アラアラ、可愛そうに。全くショウガナイわねえ。植え替えるからね…」と、優しく紫陽花に話しかけているのだった。

 

「ボンちゃん。毎年、鳥の分の柿は、木に残してあるのだよ」

 

 

 

 

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2008.11.16

魔法の箸

ここのところ、My箸に悩まされていた。

温暖化防止対策に、個人レベルでも何かをと思ってMy箸を持ち歩くようにしたのだが、実際行ってみると色々あるものだと実感した。

階段を上る時、昨日までしなかった音が、カシャッカシャッと聞こえる。降りる時も、カシャッカシャッ。走れば、カシャカシャカシャ。

気になり出したが最後、その音を探している自分がいて、我慢ならなくなって箸箱にティッシュを詰め込んだ。

思えば、鈴の音、強風に揺れる風鈴、歩く度にキュッキュッキュッ鳴る幼児用サンダルなど、主張の強い音を苦手としている。

My箸を持ち歩くのも大変だね。と友人に話したら、籐製の箸と筒状の入れ物を買ってきてくれた。

心優しい友人に感謝を込めてお礼を申しあげながら、心の片隅で、その箸の問題点に懸念を抱いていたのである。

音は減るが、フタが無いから、お箸が容易に落ちるぞ。

箸袋を作ろうと思いつつ、翌日、箸をむき出しの状態で、バッグにしまい外出した。

そして、電車の中で事件は起きたのだった。

ふた無しの 箸箱からは 箸落ちる (5・7・5調)

なんのひねりも無い一句だが、それさえも思い浮かべる間もなく、稀有していたことが、華華しく現実のものとなった。

My箸を、2つのバッグの内の一方に移し変えようとした瞬間、床に滑り落ち、コロコロと転がり始めたのである。

My箸は、見事なまでに、よく転がった。

転がる先々で笑いが起きたから、誰もが、生まれて初めて見た光景だったのだろう。

車両内には和やかなムードが広がり出し、「まず、よく転がる箸だねえ」と見知らぬおじさまが言った。

クスクスと声を抑えて笑う人々。

慌てて、もう片方の箸の行方を捜す私に、「一本しか落ちなかったよ」と助言して下さるサラリーマン風男性。

見ず知らずの人達が箸の行方を案じてくれた。

車内に箸が転がっただけで、居合わせた烏合の衆が一瞬にして打ち解けてしまったことの方が、実はずっと驚くべきことだった。

“笑い”は、心の鎧を簡単に脱がせてしまうのだよ。

と、My箸は教えてくれたのかもしれない。

お!魔法の箸だ。

もう片方の箸はというと、本の間に挟まっていた。

 

「ボンちゃん。笑いは人を癒すってことだね」

 

 

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2008.11.15

現代竜宮城

現代竜宮城に迷い込んだようだった。

足利フラワーパークといえば、世界一を誇る藤で知られている場所だが、いま100万球のイルミネーションで彩られている。

大藤を模したイルミネーショントンネルには、発光ダイオード(LED)13万個が使われているという。

赤紫色の花の園に建つ大きなツリー、幾つもの異なる色のピラミッドなどなど、イルミネーション部門においても世界一を狙っていることを窺がわせる凄さがある。

Ashikaga1

 

 

 

 

クリスマスイブの日は大渋滞になるとタクシーの運転手さんが言っていたが、それもそのはず、異次元に迷い込んだような感覚に陥ることができる。

浅草から電車で行かれる現代竜宮城、一見の価値あり!

 ※来年の1月11日まで開催

「ボンちゃん。世界一を目指す情熱って、カッコイイね」

 

 

 

 

 

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2008.11.14

石焼いも~♪

石焼いも鍋が大活躍の季節となった。

今、噂の蜜芋を蒸かしている。

数日前のこと。

「ちょっと、ちょっと、お姉さん、このお芋美味しいから一度食べてみてよ」

振り向けば、おじさんはニコニコしていて、蒸かしたてのお芋が並び、安納芋と書いてある。

「雨だしさ、これ、130円でいいからさ」と言うと、卵程の大きさのお芋を手にのせて見せてきた。

「これって、蜜芋と言われているお芋ですか?」

私の問いに、おじさんは満面の笑みを見せ、説明してくれた。

「そうだよ。種子島に古くから伝わるサツマイモで、糖度が15度以上ある甘い芋で、ビタミンC・E、カリウム、食物繊維、ヤラピンが豊富だよ」

我が家には、いま2kgの安納芋がある。

兎に角、甘くて、味が濃くて美味しい。

この冬、ご賞味戴きたい一品である。

石焼いも鍋で蒸かしてね。

Imo1

 

 

 

「ボンちゃん。季節のものが一番美味しいね」

 

 

 

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2008.11.13

愛の力だ!

恋人たちが白い息を吐きながら話している姿は、どこかロマンチックな感じがする。

冬らしい光景のひとつで、絵になる。

と思っていたのだが、見城徹『クイズ雑学王』幻冬舎2008 によれば、息が白く見えるのは、水蒸気が塵や埃とくっついて水滴になるからで、空気の奇麗な南極では、吐く息は白く見えないのだという。

となると、空気の汚れている所ほどロマンチック度が高いということになる。

あらら、と思った後に、あることを思い出し嬉しくなった。

映画「オペラ座の怪人」(監督 ジョエル・シュマッカー 出演 エミー・ロッサム、ジェラルド・バトラー、パトリック・ウィルソン他)のあるシーンのことである。

この映画は、どのシーンも絵になっていて、その完璧なまでの美しさに魅せられ、4回も映画館で見てしまったのだが、唯一あるシーンだけ絵になっていないように思った場面がある。

クリスティーヌが雪の墓地へと出向くシーンで、音楽の天使への思慕にかられていた彼女が、早朝、馬車に乗り、愛する亡き父の墓地へと向かう場面。

なぜか、クリスティーヌの吐く息が白くなかった。

クリスティーヌを追ってラウルが墓地に来る。

墓地に隠れていたファントムと決闘になるのだが、その二人の息も白くなかったのである。

なぜ、白い息がシューシューと出ないのだ?オカシイゾ。

と、素人な私は思ってしまった。

美にこだわることで知られるジョエル・シュマッカー監督が、細部にまで拘った作品である。

なにか理由があるはずだ。

まさか、

「エミー・ロッサムには胸元のあいたドレスを着させていたから、寒空の下でのロケさせて、風邪ひいて声が出なくなると困ると思ったからね。雪のセットだからさー。息までは白く出来ないよ」

などと言うはずが無い。

信じて疑わないものの、極寒の地で、なぜ吐く息が白くないのか。

その謎が解けないことは、私の中で切実な問題だった。

それが、ハッハッハ、ようやく謎が解けたゾ゙。

おそるべし、ジョエル・シュマッカー監督。

あの地は、とっても空気が澄みきった所なのだ。

僅かに残った塵や埃は、クリスティーヌとラウルとファントムの愛の力によって消し去られてしまったのだろう。

愛の力だ!

 

「ボンちゃん。愛の力は奇跡を引き起こすよね」

 

 

 

 

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2008.11.12

カミカミ

最近の子供の顔の特徴といえば、細面にちょこんと顎がついていることである。

食の内容や、かむ回数で、顔の形は変化しているようだが、一回の食事における、かむ回数の変化が本に載っていた。

現代人620回、戦前の人1420回、弥生時代の人3990回

和食は1019回かみ、食事時間13分29秒

ファーストフードは562回かみ、食事時間8分27秒

(金丸弘美『フードクライシス』ディスカヴァー・トゥエンティワン,2006より)

弥生時代は、噛み砕くのが一苦労な物を食していたからだとは思うが、現代人はかむ回数が少なすぎるように思う。

そろそろファーストフードからスローフードに変えないと、噛み砕くための顎が退化し、歯も顎もない人間が誕生してくるのかもしれない。

 

「ボンちゃん。ゴリラが枯れ枝をかじるのは、歯を鍛えるためかな?」

 

 

 

 

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2008.11.11

一流のパン粉

近年、卵・乳製品類を一切摂らない食事をしていることもあって、食事は手料理が主なのだが、フライものがちょっと手間だった。

パン粉作りは、フランスパンを凍らせ、大根おろし器でギコギコおろして作っていた。時間がかかる上、パンが途中で折れたりして怪我をするのである。

昨日、ある一流の料理人はフランスパンを凍らせてパン粉を作る、という話を友人から聞き、おろし器で?と聞いてみた。

すると、凍らせたフランスパンをミキサーにかけるのだと言う。

さっそく実践してみると、一瞬でパン粉ができてしまった。

フランスパンは小さく切ってから凍らせ、ミキサーにかけた方が良いと思う。

これで血を見ずにしてパン粉が作れる。

今夜は、牡蠣フライにしよう。

 

「ボンちゃん。ゴリラはみんな食通なんじゃない?」 

 

 

 

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2008.11.10

キウイの木の下で。

生まれて初めてキウイ狩りをしたのは、ちょうど今の季節だったことを、ふと思い出した。

縦幅10cm、横幅8cmほどのコロッとした巨大なキウイで、感動的な味だった。

6年前の記憶を辿り、ふらりと訪れて来た。

Kyui1

 

 

 

農園者曰く、キウイは獲っても直ぐに食べられないから、キウイ狩りに来る人は少ないという。

実際、獲ったばかりのキュウイは石のように硬く、自然放置だと、クリスマス頃に熟れる。

早く食べたい場合は、キウイをリンゴと一緒にビニール袋に入れて封をしておくと、1・2週間で食べられるようになる。

キウイ狩りをしていたら、囲いネットの向こうから「ニャァーーーー」と叫び声がした。

あまりにも親しげに、夢中になって鳴くものだから、後方に知り合いでも居るのかと思って、後ろを振り返って見たが誰もいない。

もしかして、私に声かけてる?

と、聞いてみた。

すると、「待っててニャァーーー、今そっち行くからニャァーーー」と返事。

ネットを潜り貫けて一目散に猫はやって来た。

兎にも角にもジッとしていない猫で、物怖じしないし、人懐っこくて、ちょっと屈んだだけでピョイと前あしをのせてくる。

なんとか写真を撮ろうとデジカメを操作していたら、「アソベッ!」と、あま噛みされ、ビックリした。

Kyui2

 

 

 

 

唯一撮れた写真。キウイを見つめる猫。

「ボンちゃん。猫って、気ままで、勝手で、不思議な可愛いさがあるね」

 

 

 

 

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2008.11.09

ご先祖さま

思えば、誰もが歴史上の人物なのだ。

自分の両親+両親の両親+そのまた両親…、と数えていくと、20代さかのぼるだけで、104万8576人ものご先祖さまがいる計算になるのだという。(西田文郎『10人の法則』現代書林2008より)

家に帰って家系図を見てみた。

そこには我が家の500年の歴史が記されていた。

ご先祖さまの中の誰かひとりでも、生きるのが嫌になって、生きることを放棄していたら、私は誕生していなかったのだと思った。

ご先祖さまは、きっと守護霊となって見守ってくれているはず。

ご先祖さまに思いを馳せたら、心があたたかくなり、生きる勇気が湧いた。

これがハリーポッターでいう守護霊なのかもしれない。

吸魂鬼に向かって守護霊の呪文を唱えるシーンがある。

その呪文を唱える時は、愛する者、自分を愛してくれた者のことを思い、自分の心を愛で満たす。すると、守護霊の動物が出てきて吸魂鬼を追い払うことが出来るのである。

頑張って艱難辛苦を乗り越えてきたご先祖さまがいたお陰で、我々は、こうして生きられている。

そのことを忘れてはいけない。

しっかり生きることが、ご先祖さまへの恩返しなのだ。

 

「ボンちゃん。ご先祖さまは偉大だね」

 

 

 

 

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2008.11.08

チクチクマンよ。

「できない理由を考える前に、できる方法を考えてくれ」

と、言ったのはリコー三愛グループ創始者、市村清氏だという。

時に、目を向けても致し方ないことに目を向け、そこにあるマイナス面のマイナス度を計るかのごとく、重箱の隅をつつくように、チクチクチクチクと言っても仕方がないことをつつく人がいる。

 

言っても仕方がない事をいくら言っても、拉致はあかないのである。

というよりも、鬱憤晴らしの場になっている。

ああ、御免被りたい。

 

「チクチクマンよ、黙っててくれ」

 

深まり行く秋の夕べに、ふと思ったことである。オホホッ

 

「ボンちゃん。ゴリラ界にも、チクチクマン、居る?」

 

 

 

 

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2008.11.07

慈悲

怒り、悲しみ、無念さを抱えている人が目の前にいるとする。

周りの者は、どうあればいいのだろうか。

過日、肉親を亡くしたばかりの知人に会い、かける言葉の無さに無力さを感じた。

どんな言葉を以ってしても、悲しみが癒えることはないと思うと、黙って一緒に居ることしかできなかった。

そんな自分が情けなく思えた。

その後も、何か言葉をかけるべきだったのではないかと思い続けていたのだが、「慈悲」の意味を理解したら、それで良かった。それしかないのだと思えてきた。

五木寛之氏は、「慈悲」には二つの意味があるという。

「慈」は頑張れ、という励まし。

「悲」は何も言わない無言の行為。悲しんでいる人の手を握り、その人の怒りや苦しみが自分のほうに伝わってくるのを、一所懸命受け止めようとするなぐさめ。(五木寛之『天命』幻冬舎文庫2008より)

自分の力では、どうすることもできない状況で、苦しみ、途方に暮れている人に向かって、「頑張れ」というほど酷いことはない。

そんな時、「慈」は役に立たない。用いたら逆に傷つけることになってしまう。

我々は、他者の苦しみや悲しみを全く同じように感じることはできない存在である。

従って、黙って側に居ることが役に立つようならば、そっと居る。

独りにして欲しいと言われれば、そっと帰る。

他者の悲しみに対してできることは、それしかないのだ。

無念ではあるが。

 

「ボンちゃん。思いを声にしない方がいい時って、あるよね?」

 

 

 

 

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2008.11.06

天命

人間の限界寿命(動物ごとに許されている最高寿命)は120歳で、平均寿命を120歳にすることが、医学の使命なのだという。(竹内均『頭にやさしい雑学読本』三笠書房より)

我々の生活は、生病老死の克服を目指す医学に救われている。

あり難いと感謝しつつも、スパゲッティー症候群と言われるような延命治療は嫌だな…、と思ったりする。

平均寿命を120歳にすることが医学の使命と聞き、寿命という天命は変えられるものなのだろうか?と、素朴な疑問が生じた。

 

どんなに医学が進歩しても、天命には逆らえない、だろう。

その人物の持つ寿命以上は生きられない、だろう。

世の中とは元々不公平にできているもの、だろう。

感情的には認めたくないが、そう考えるのが妥当で、人には努力の及ばない領域があり、寿命という天命があるように思う。

個々に異なる寿命という天命を背負っているというのに、なぜ平均寿命の値を割り出すのだろうか。

おそらく、医学の使命(平均寿命を限界寿命である120歳にすること)を果たす上での目安とする参考数値として、平均寿命の値を出しているのではないだろうか。

それとも、平均寿命値を聞くと、生きる希望や勇気が湧く人もいるのだろうか。

或いは、人間は、全体における自分の位置づけ、という目安を知りたい欲求を持つ生きもので、それを満たすための情報提供なのだろうか。

いずれしても、天が人間に与えた使命が存在するのだから、天命を心配して不安がっても致し方ないわけなのだ。

人間は、「人事を尽くして天命を待つ」存在なのだ。ハハハッ。

と、バカボンのパパも青空の梅干を見上げながら、呟くような気がする。

 

「ボンちゃん。ゴリラも目安をつけながら生活しているの?」

 

 

 

 

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2008.11.05

目先の不幸

目先の幸福が幸福とは限らない。
目先の不幸が不幸とは限らない。

四柱推命のようなものを知ると、つくづくそう思うことがある。

小室哲哉さんが、逮捕された瞬間に、うっすらと涙を浮かべたというニュースを読み、思わず感極まる思いが伝わり、私もうっすらと涙を浮かべた。

幸福の絶頂に身を置くということは、悪くすると、目先の幸福が幸福とは限らないことに成りかねない。

人は、なぜか、逆境の時にしか根を張ることができないように思う。

才能豊かな小室哲哉さんだからこそ、今回の経験の後には、今までにないテイストが加わった音楽を創造できるに違いない。

そう信じたい。

目先の不幸が不幸とは限らない、そう私は思うのである。

 

「ボンちゃん。なんて不幸なんだと思いがちな時が、実は幸せで、なんて幸福なんだと思いがちな時が、実は不幸だったりするのかもね」

 

 

 

 

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2008.11.04

ゴッド・ハンド

ゴッド・ハンドを持つと言われるドクターがTVで紹介される度に、感動する。
過酷な手術に立ち向かうということは、自らの命を削っていることだと思う。

執刀医の判断、決断、行いの全てがひとりの命の生死を分ける、という重責。

一筋の光を求める家族の思い、というプレッシャー。

これらに押しつぶされずに手術を成功させているのだから、まさに神業だと思いつつ、なぜ極度の緊張感に苛まれず、ベストを尽くせるのだろう?と常々思っていた。

その理由が分かった気がする。

「日本人は、勝つという目的ではなく、その通過点にある目標、勝ち方、あるいは勝つために求められる技や作戦という目的に向かって全力を尽くすことが勝利への最短条件である」(林成之『勝負脳の鍛え方』講談社2006)

脳外科の第一人者、林成之氏曰く、「緊張するというのは、集中出来ていない証」なのだという。

 

一瞬、一瞬に集中し、今できることを考え、実行する。

その繰り返しが奇跡をも呼び、不可能と思われることを可能にする。

それが、ゴッド・ハンドを持つドクターの、医療への姿勢なのだろう。

目の前のことに集中できれば、プレッシャーには負けないということなのだ。

 

「ボンちゃん。キーは集中力だ」

 

 

 

 

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2008.11.03

するどい表現だと思った。

「人間の満足度=達成度÷欲望 と、割り切れるものでしょうか。

満足度は客観視的な基準ではなく相対的な基準で計られるのです」

(坂東眞理子「女性の品格』PHP研究所2007より)

どれほど多くを手に入れようと、人間は満足することはない、という意味の教えが紹介されていた。

「雪山黄金となるもその渇きを癒すに足らず」

=雪山(ヒマラヤの山々)の雪がみな黄金に変わったとしても、もっと欲しいという欲望は満たされることがない。

 

「欲」を類語辞典で調べてみた。

欲望・欲求・欲情・欲念・欲心・欲気・利欲・私欲・我欲・色気・執着・煩悩・意欲・野心・野望・向上心…。独占欲・名誉欲・所有欲・権力欲などの欲望。

ヨクヨク「欲」を考えると、欲にも色々あるもので、意欲のような欲(=進んで何かをしようと思うこと)は大切な欲である。

幸せ感と欲の釣り合いを考えるならば、

満たされない思いを不幸だと決めれば不幸。

満たされなさを、創意工夫しながら楽しめれば満足を得て、幸せを感じる。

欲を制する者は、人生を制す。

ということなのだろうか。

 

「ボンちゃん。誰もが、解釈次第で、瞬時に幸せになれるということだね」

 

 

 

 

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2008.11.02

ズッケリーナ

あなたを愛する資格は私にはない。

今朝、一番に呟いた言葉だった。

というのは、昨日の夕方から、陶芸を熟知した友人の指導のもとで初めてのオカリナ作りに挑戦していた。

家に持ち帰り、なんとか音調を整えるまで終わらせるつもりでいたのだが、難所の歌口を終わらせた時点で1時になってしまった。

翌日の仕事のことを考え、後ろ髪をひかれる思いでオカリナを濡れタオルにくるみ、ビニール袋に保管し、目覚ましを6時にセットして眠ったのだが、朝、見たら崩壊していたのである。

防波堤で聞いた汽笛のような音色「ホー」が思い出された。

教訓その1、手ぬぐいで包むべし。

教訓その2、仕上げまで一日で行うべし。

我愛しのオカリナにズッケリーナと名づけていた。

ズッケリーナとは、イタリア語でズッケロ。砂糖の意の変化形で、ちっちゃな、可愛いお砂糖の意である。

 

もろく、甘い音色を目指し、ズッケリーナ作りの旅は続く。

次のズッケリーナは、きっと愛しぬいてみせる。

 

「ボンちゃん。職人さんは、声無き声を聞き、ものと対話しながら作っているのだよね」

 

 

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2008.11.01

ぺルケ?

Perche? (ぺルケ)とはイタリア語で、「なぜ?」と「なぜならば」の両方の意がある。

英語で言ったら、Why? Because.の両方がぺルケにあたる。

昨夜、ぺルケな思いにかられた。

イタリア語学習テキストである洋書、「Qui Italia」を買いに丸善本店に行った。

「Qui Italia」の、文法本5,565円、練習問題集3,465円、解答本1,575円、CD2,310円を購入した。

これらは、文法本と練習問題集が関連しているため、結局は全てを買う必要があり、計13,000円程度を支払った。

円高と騒がれる今日。

ユーロ価格で考えると、合計、53,7ユーロ。1Euro125円で計算すれば6,712円にあたる。

円高還元は無いものなのか?と素朴な疑問にかられたが、そう単純にはいかないものだろう、と思ったものの、家に戻ってAmazon.jpで、同、文法本の価格を見ると、6,345円と丸善より高い。

アメリカのAmazonではどうかと見れば、18.45ドルと極端に安い。

ぺルケ?同じ本の価格がこれ程違うのだろう?

さらにもうひとつ気になったことがある。

ぺルケ?解答本が別売りされているのだろう?

練習問題集には解答がつきものだと信じていたいのは、私が日本人だからだろうか。

練習問題集の解答本は手に入れたが、文法本内にある練習問題の解答は付随されていない上、売られている様子もない。

ぺルケ?

購入した本のタイトルは「Qui Italia」。

「Qui Italia」とは、日本語で「ここはイタリア」の意。

ぺルケ(なぜならば)、ここはイタリアさ。

それが回答なのだろうか。

ひとり自問自答し終えた時、金曜日の夜は暮れていた。

 

「ボンちゃん。世の中は、ぺルケで溢れているね」

 

 

 

 

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