« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月

2010.03.31

『都会の夜桜』

昨夜、桜色に染まった目黒川沿いを歩いた。

都会のお花見に渦巻く気配に、戸惑う今日この頃である。

 

詩をつくってみた。

 

 

『都会の夜桜』

月は月として そこにいて

桜は桜として そこに咲き

川は川として そこに流れ

猫は猫として 欄干で遊ぶ

ただそれが美しく 愛しい

 

月夜を遮る 露店の光

静寂を破る 発電機の音

大地を覆う 宴のブルーシート

花より団子な 飲食の臭い

いく重にも広がる 人の波紋

 

人は人として 人に生きれば

ただそれが美しく  愛しいのだろうか

Nakameguro2

「ボンちゃん。ゴリラはゴリラとして、ただそこにいるだけで、絵になるね」

 

|

2010.03.30

トマト塩ジャム納豆ご飯

納豆ごはんに、トマトの塩ジャムをかけると美味しいと聞いた。

トマトの塩ジャム

材料

トマト2個(300g)

リンゴ酢 大さじ1

砂糖   大さじ1

塩    少々

作り方

トマトの皮を湯むきし、適当な大きさに切り、果肉が軟らかくなるまで煮ながらピューレ状にする。出来上がったらリンゴ酢、砂糖、塩を入れて煮詰めて出来上がり。

トマト塩ジャム納豆ご飯に、フレッシュトマトをトッピングし、エクストラバージンオリーブオイルを小さじ1かけてみたら、より美味しいのではないかと思うのだが…。

今度、食べてみよう! 

 

「ボンちゃん、ゴリラは納豆好きかな?」

 

|

2010.03.29

妥協と分岐

終身雇用制が揺らいできた今の時代は特に、

個性を生かし、信念をもって仕事をしている人が、

最も揺らぎにくいだろうと思う。

ただ、生き方への納得度は高いが、生涯自転車総業。

ひたすら自分を信じて走り続けるしかない、いばらの道ともいえる。

好きな仕事を選び、自らの可能性を信じ、信念を持って張り切っていても、時には壁にぶつかる。

どういう心構えでいれば、毎日ポジティブに生きられるのだろうか?と、思いを馳せていたら、ヒントとなる言葉を本に見つけたのでご紹介したい。

 

以下、『「ホンダ流」個性を生かす仕事術』大河滋、成美文庫より

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

人生の分岐点は、 「とことんやったことがあるか」

自分で「ここまでかな」「もう限界だろう」と思うと、なかなかその先へ進むのは難しいものだ。

人生を振り返ってみて、「あのときもうちょっと頑張っておけばなあ」と反省することは多い。もっとも、それはあとで思うことで、そのときは「ここまで頑張ったし、まあいいか」と勝手に妥協するのがほとんだ。

「ぎらり」としたところを磨き抜け

自動車をつくることは 俺の夢なんだ ※本田宗一郎氏が、親友今里宏記氏に四輪車への進出について相談したところ、「四輪車は他のメーカーに任せて、二輪車に専念したほうが優良企業でいられる」といわれた。その際に口にした言葉)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

夢を追いかける心に、

妥協も分岐もないのだろう。 

 

 

「ボンちゃん、ゴリラは夢に妥協する?」

 

|

2010.03.28

猫の花見

猫がお花見をしていた。

東京フォーラムのアートショップにふらりと寄ったら、ガラス張りの壁面にお花見をしている猫たちが描かれていて、目が釘付けとなってしまった。 

店員さんに聞いたところ、絵は山内ジョージさん。

まだ未完成なので、後で描きにいらっしゃるとのことだったから、

いかなる変貌を遂げたのか、再び猫たちに会いに行こうと思う。

山内ジョージさんについてネットで調べてみたところ、

1940年生まれ。小学校5年のときに手塚治虫氏と文通を始め、中学校2年生の時に石ノ森章太郎氏と出会い、トキワ荘で漫画修業をして独立して現在に至っており、文字絵本で有名とのこと。

店内には絵本なども販売されていたが、

ネットでは様々なグッズが販売されていて中でも気になったのが、

文字盤に12支が描かれた干支腕時計である。

ゴリラの描かれた腕時計があったらいいのに…。

と、願わずにいられない。

 

「ボンちゃん、ゴリラも桜の木の下で宴会したい?」

|

2010.03.27

お花見団子

花より団子なお花見に、今日は行く先々で遭遇した。

お団子といえば、月見団子は真っ白だけれどお花見団子は三色。

桜色、白色、緑色である。

意味を調べてみると、所説は色々あるようだが、

桜色は桜で春の息吹、

白色は雪で冬の名残り、

緑色はヨモギで夏の兆し、

なんともロマンチックなお団子なのだった。

 

 

「ボンちゃん、ゴリラは花より団子派?」

|

2010.03.26

孤独の穴

数々のイタリア映画を観ている内に、ある特徴に気付いた。

イタリア映画は、孤独の穴だ。

映画が娯楽というよりも、社会学である。

また、恋愛ものを通して浮き彫りになる“孤独”。

男女のつき合いは、出逢った瞬間の儀式かのように肉体関係から始まる。それはスポーツをするかのように。

殆どの物語のテーマ、隠れテーマが“孤独”を扱っていること。

イタリア映画は、“孤独”の叫びと言っても過言ではない。

イタリアの社会構造が生む孤独さと、

精神的な孤独さを埋めようとして、肉体関係の結びつきに、その解決策を求める。その結果、更なる孤独に陥る。

そのジレンマの狭間で苦しむ人々が描かれている、かのように東洋人の私にはうつる。

鬼才と称されているミケランジェロ・アントニオーニ監督の、『太陽はひとりぼっち』には、ナルシストな人々の、ナルシストな恋愛、それらが呼ぶ虚しさと孤独さが描かれている。

イタリア映画から得た教訓がある。

心にある虚しい穴を埋めたいがため、その手段として肉体関係を結ぶことは、その虚しい穴を広げる。言い換えれば、肉体関係先行型の恋愛の行きつくところは、孤独のアリ地獄に自ら飛びこむこと。

孤独さを埋めることを誰かに求めることは、巨大な孤独を呼ぶこと。

自己満足型の恋愛なら、しない方が世のため人のため。

といったところだが、では、どうやったら心の孤独という穴は埋められるのだろうか?

おそらく…、他者を大切に思う心、思いやる心、他者の幸せを願う気持ち、それらが自分の心にもたらす、ぬくもり。

それでしか、孤独という穴は埋めることができないのだろう。

その連鎖が社会に起きていれば、何のために自分は生きているのだろうか?とか、生きる意味って何?といった疑問は抱かないし、考えださないにちがいない。

自分の心の“孤独”に勝ちたいならば、

他者の幸せを願うこと。本当の意味で深く愛するしかない。

それには相当な覚悟、美学、信念がいることは想像するに容易いが、それなしに恋愛すれば、意に反して孤独の穴は広がってしまう。

 

「求める愛は孤独の穴」 宝玉姫の言葉より

注釈 愛を求めることは、自らの心にある孤独を広げること。

この言葉が『世界の名言名文句事典」に載ることを祈りつつ、

筆をおきたい。ニッヒヒ!

 

「ボンちゃん、ゴリラは自分の孤独埋めを他者に求める?」

|

2010.03.25

華麗なる涙

「冬のソナタ」さえも見たことのなかった私が、

韓国ドラマ「華麗なる遺産」を偶然見て以来、

録画してまで見ている自分にちょっと驚いている。

日頃、ニュース以外の番組はほとんど見ないというのに。

調べてみればこの番組、2009年上半期において韓国視聴率47.1%を記録しているという。

一番の印象は、とにかくよく涙を流す人たちだということである。

抱えている事情はそれぞれ異なるが、誰もが必死に生きていることがひしひしと伝わる。壁にぶつかり涙を流し、涙を吹いてまた立ち向かう。そして、また壁にぶつかり涙を流すが、また立ち上がるのだ。

運命に翻弄されている様に、見るものはハラハラドキドキさせられ、見届けなければならない責務にかられる。あれから、ウンソンはどうしたのだろう…、と、心配してしまうのだ。といっても、まあ、見守ることしかできないのだが。

韓国ドラマの魅力は、熱烈な精神と華麗なる涙だと思う。

その情熱、熱い涙に触れることで感激性が刺激され、カタルシス効果が生じる。

人間関係が稀薄な時代といわれる日本に、

韓国ドラマブームが起きた最大の理由は、

人に迷い不安に喘ぎ、人に無関心にならざるを得ない心が、震わされ、涙を流させてくれるからなのではないだろうか。

日本人が求めていることは、

熱く生きたい、感激したい、ということなのかもしれない。

 

「ボンちゃん、ゴリラは涙によわい?」

|

2010.03.24

ぜい肉と呼ばないで

日本語には、愛称はあれど隠喩を使った呼びかけはないが、イタリア語では、愛する人への呼びかけや親しみを込めて呼ぶ際に隠喩をよく使う。

女性に対してよく耳にするのは、 Bella! ベッラ  美しい人。 

ちなみに、心だけが美しい人にも使う。

 

他にも、愛しい人への呼びかけは多く、

Piccola! ピッコラ (言葉の意味、小さい)

Tesoro! テゾーロ  (言葉の意味、宝)

Amore!  アモーレ (言葉の意味、愛)

Cucciolo! クッチョロ (言葉の意味、子犬、動物の子)

Fiorellino フィオレッリーノ (ちっちゃな花)、等など色々ある。

 

中でもインパクトのある面白い隠喩が、 Ciccia チッチャ (ぜい肉)。 

チッチャという響きはどちらかというと可愛らしく悪くはないが、

意味と日本語の音の響きを思うと、

やはり“ぜい肉”とは呼ばれたくないと思う。

 

「ボンちゃん、ゴリラは、『ぜい肉、ご飯だぞー』、って声かけれたら、どう思う?」

|

2010.03.23

ドロンジョ様

ある人を見ていたら、ふと思った。

優しくて、気が利いて、思いやりがあって、人の心をそっと見通せて、紳士な振る舞いで、品行方正で、正義の味方で、道に困った人あれば行って慰め、力になってやり、行いに誠があって、思いを言葉に代えて伝えてくれて、取り乱すことなく冷静沈着で、大人的で、混乱とは無縁の性格。

そんな広い心の男性に包まれていたら幸せを味わうだろう、

けれど、次第になぜか反抗的になってしまうような気もする。

彼の魅力を全面的に認め、その出逢いに感謝しつつも、

よくできた人加減に自分も答えなければいけない気に駆られ、

息苦しさを覚え、疲れてくるような気もする。

そして、

善や正義に抗うような感情が湧き出てきて、

彼とは反対の魅力をもってしてその魅力に応戦したくなるかも…。

上記のような理想的な魅力保持者は、誰からも好かれるだろう。

しかし、プラスとマイナスの法則で考えると、

彼が惹かれる女性はおそらく、彼とは正反対の魅力を持つ、

そう、ドロンジョ様のような人なのではないだろうか。

優しくて魅力的な男性ほど、

ドロンジョ様に釘付けになるということかも!? 

 

「ボンちゃん、ゴリラ界のシルバーバック陣には、尽くし方と天真爛漫方、どっちの方が人気がある?」

|

2010.03.22

キス

言うまでもないが東洋と西洋の挨拶の仕方は大きく異なっている。

日本人同士は間違っても両頬にキスをしたりしない。

イタリア人はというと、

友と見なした人に対し、

まず右手を握り、体を抱き合い、頬を合わせてキスをする。

会った時、別れる時、慰める時、お祝いの時…、

何どきもキスをするのだ。 

今したばかりなのに、またするの?というぐらいキスをする。

そんな挨拶を交わした後に、

時に、

私は心の中でひとり呟くことがある。

 

「抱き合うんだから、お風呂ぐらい入っておいてよ!」、と。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラはみんな、臭いに敏感?」

|

2010.03.21

巨乳のいる街

大きな乳房といえば、

イタリアには巨乳伝説の街があると聞いたことがある。

イタリア北部、ロンバルディーア地方のポー川沿岸の街、クレモナ。

クレモナ出身の女性は大きな乳房を持っているのだそうだ。

イタリアを訪れ美術館巡りに飽きたら、

クレモナに行き、

そよ風に揺れる巨乳を眺める旅をするのもいいかもね!?

真相は如何に・・・。

 

「ボンちゃん、ゴリラは巨乳のが好き?」

|

2010.03.20

肉体美に見とれて

モニカ・ベルッチ と言えば、イタリアの宝石と称されている女優。

顔の美しさに合わせ、見事な肉体美で有名なのだが、

彼女は出演した映画の多くの中で全裸を披露している。

 

映画、ナポレオンの愛人(2006年) 伊/IO E NAPOLEONE

[監督]  パオロ・ヴィルツィ
[出演] ダニエル・オートゥイユ、モニカ・ベルッチ 他 

 

この映画も又、

肉体に見とれ、物語に集中できないまま見終わってしまった。

従って、観ての感想は熱く語れない、無念である。

強いて言えば、

見事なプロポーションは健在だったということぐらいだろうか…。 

 

「ボンちゃん、ゴリラは異性のプロポーションに見とれたりしているの?」

|

2010.03.19

ネギネギネギ

桜で街が華やぐまであと少しだと思うと、心が沸き立つ。

けれど、最も花粉症が沸き立つ季節でもある。

毎日が花粉との闘いの人も多いと思う。

免疫力を高める食材と言えば、ネギ、にんにく。

体を温める食材の代表格は、ショウガ。

これらを積極的に摂取し、なんとか乗り越えようではないか!

 

特に花粉の季節、花粉症の人は1日1本ネギを食べるといいらしい。

そうは言っても、ネギを1本食べるのはツライし、ネギ料理を毎日準備するのも大変。そこで簡単な料理を調べてみた。

 

《下仁田ネギのマリネ》

材料

 下仁田ネギ 2本

 塩、胡椒 各少々

 

ガーリックオイル用

 ニンニク 1片

 オリーブオイル 100cc

 

作り方

1.みじん切りにしたニンニクとオリーブオイルを鍋に入れ、きつね色になるまで炒める。 これでガーリックオイルの出来上がり。

2.ネギをオーブンでまっ黒黒に焦げるまでよく焼き、焦げた部分を取り除いて食べやすい大きさに切る。

3.2を器に入れ、1をふりかけ、塩、胡椒で味を調える。

4.味を浸透させるために30分ほど冷蔵庫に入れる。

 

作り置きしておき毎日食べるという方法は、いかがかしら?

 

<花粉症を緩和させる食材>

ジャガイモ、ネギ、ニンニク、ニラ、ショウガ、ゴマ、ゴボウ、ミョウガ、山芋、わかめ、大根

↓ネギ料理特集。

http://www.kikkoman.co.jp/homecook/series/negi02.html

 

 

「ボンちゃん、ゴリラ、この季節、よく鼻水垂らしているけど、やっぱり花粉症かな?」

|

2010.03.18

たらしめる1cm角

レストランでミネストローネを注文するとベーコンが入っていることが多い。

ミネストローネにベーコンは合わないと私は長年思っていたのだが、イタリア人の友人にそれを話したら、自分もそう思うと言われ、なんだかちょっと嬉しかった。

ミネストローネは、さっと野菜を炒めて30分煮るだけ。料理の得手不得手に味が左右されないし、日ごろ野菜不足の人には特にお勧めの一品である。

是非とも、ベーコンの浮いていないミネストローネを作ってみて、

「お、これぞミネストローネかも!」

と、実感して頂きたく思う次第なのだ。

 

ミネストローネの作り方(4人分)

材料

完熟トマト 大きめ2個

玉ねぎ 1/2個

セロリ、人参、ナス 1/2本

ズッキーニ 1本

ピーマン(緑・赤) 各1個

生椎茸 3~4枚

カボチャ 1/8

  

ニンニク 1~2片

松の実 大さじ1

オリーブオイル 大さじ5~6

ローリエ 1枚

塩、こしょう 各適宜

水 800cc位

 

1.ニンニクは薄切り、その他の野菜は1cm角切りにする。

2.煮込み鍋にオリーブオイルとニンニクを入れキツネ色になるまで炒める。

3.2に野菜を入れ炒め、水を入れ、ローリエ、松の実を加える。

4.煮立ったら弱火にして30分煮て、塩、胡椒で味を整える。

これでできあがり。

 

野菜の種類や分量は適当でOK。

冷蔵にある色々な種類の野菜を1cm各切りにすればいいと思う。

忘れてならないのは、

ミネストローネをミネストローネたらしめるのは、

1cm各に切られた野菜だと私は思う。

ということで、

横着して適当な大きさに切ってしまうと、ミネストローネにならないのだ。 

 

 

「ボンちゃん。 ゴリラは菜食主義だからミネストローネ好きかもね」

|

2010.03.17

心の距離

“せつなさ”を映画にしたような物語だった。

『まなざしの長さをはかって』(2007年/伊/La giusta distanza  )

監督:  カルロ・マッツァクラティ

 

イタリア語のタイトルは『La giusta distanza』、直訳は『適切な距離』。

タイトル通り、距離感がテーマとなっていた。

人種問題。都会と地方の格差。

人と人との心の距離、

その適切な距離の長さがいかに計り知れないものであるか、

それがいかにせつない状況を生むかが描かれている。

 

他者は自分にとっては未知なる生きものだから、

いくら心の距離をはかったとしても、結局の所あまり役に立たない。

と、最後には知らされる。

兎に角、せつない。

 

 

「ボンちゃん。 ゴリラはゴリラ同士、心の距離のとり方で戸惑う?」

|

2010.03.16

『ミモザの森』

知人のご友人、I Wayan Sila(イ・ワヤン・シーラ)さんの個展、W.Sila展「Mimosa」を訪れてきた。バリの古典絵画でモチーフは決まってフクロウなのだという。

ミモザが満開に咲き誇ったギャラリーの中にフクロウたちはいた。

ひっそりと咲く野の花のように。 

 

詩をつくってみた。

 

『ミモザの森』

 

満月の夜 フクロウは呟く

ミモザの花は 満月の雫

 

ミモザの道を ひとり歩く

フクロウと交わした 春の約束

満月の夜に 再会しようと

ミモザが揺れる ホーホー揺れる 

 

月とミモザの とけあう森に

呼び声響く ホーホーホー 

風の誘いに からだ預ければ

森の奥から 満月の香り 

 

月明かり頼りに ふと見上げると 

ミモザの枝に 濡れたまなざし 

ひっそりといる あの日のフクロウ  

ミモザに抱かれ そっと見つめ合う

 

満月の夜 フクロウは呟く

ミモザの花は 満月の雫

 

 

「ボンちゃん。 ゴリラも森でフクロウと見つめ合ったりする?」

|

2010.03.15

おどろおどろしい館

美術館に行くと息苦しさを覚えることがある。

人は大勢いるし、カーテンは締め切っているし、薄暗い。

ただそれだけの理由ではないような気がしてきた。

イタリアの印象派、マッキアイオーリをみていたら。

 

多かれ少なかれ、絵には画家の魂が込められている。

心を魅了する絵画は、画家の魂の塊そのものなのだろうと思う。

今回、東京都庭園美術館には、

1850年~60年頃にかけてトスカーナ地方で興った、マッキアイオーリ(マッキア派の画家たち)の絵画が集結していた。

160年前に描かれた画家たちの魂が、

ローマやフェレンツィエの美術館から狭い館に閉じ込められたことになる。

名画は世界中の人の魂を震わせる。

ということは、

名画自体の魂も又、

その名画を見た者の魂にふれ、

ちょぴっとづつの魂が、その名画にも紛れ込んでいったりしているような気もしないでもない。

と、そんなふうに思えてしまうほど、

美術館はおどろおどろしい館に思えることがあるのだ。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラが美術館に入ったら何を感じるかな?」

|

2010.03.14

マレーグマの名前

上野動物園でマレーグマの赤ちゃんの名前を募集している。

去年生まれたオス。ちなみに、母の名はモモコ、父の名はアズマ。

2010/3/16(火)〜3/22(月・振休)の間、

マレーグマエリアに応募箱が設置され、

応募が最も多かった名前に決定するという。

ただし、既に動物園が名前の候補を絞っていて、

   1)トウジュウロウ
   2)ウメタ
   3)ウメキチ

上記の3つから選ぶのが条件。

3つの中では、1)トウジュウロウがいいと思うのだが、

できれば真ん中の“ウ”を取り除き、トウジュロウ。

漢字で桃寿郎(トウジュロウ)。

そして、

桃寿郎と名付けられたマレーグマは、

極親しい者だけに“桃寿”(トウジュ)と呼ぶことを許すようになるのだ。 

 

桃寿郎、いい名だ!

 

「ボンちゃん。ゴリラ界では生まれた子供に名前をつける?」

|

2010.03.13

イタリア映画際2010

2010/4/28(水)~5/4(火)、

有楽町朝日ホールにてイタリア映画際2010が開催される。

公式サイトは3月中にアップされるようであるが、

上映作品が発表されたので記しておこうと思う。

 

『ただ、ひとりの父親』 “Solo un padre” 監督 ルカ・ルチーニ

『それもこれもユタのせい』 “Tutta colpa di Giuda” 監督 ダヴィデ・フェラーリオ

『元カノ/カレ』 “Ex” 監督 ファウスト・ブリッツィ

『ジュリアは夕べには出かけない』 “Giulia non esce la sera” 監督 ジュゼッペ・ピッチョーニ

『バール・マルゲリータに集う仲間たち』 “Gli Amici del Bar Margherita” 監督 プーピ・アヴァーティ

『ハートの問題』 “Questione di cuore” 監督 フランチェスカ・アルキブージ

『勝利を』 “Vincere” 監督 マルコ・ベロッキオ

『コズモナウタ―宇宙飛行士』 “Cosmonaut” 監督 スザンナ・ニッキャレッリ

『重なりあう時』 “La Doppia Ora” 監督 ジュゼッペ・カポトンディ

『まっさらな光のもとで』 “Lo Spazio Bianco” フランチェスカ・コメンチーニ

『やがて来たる者』 “L’uomo che verra” 監督 ジョルジョ・ディリッティ

『頭を上げて』 “Alza la Testa” 監督 アレッサンドロ・アンジェリーニ

特別上映作品

『もうひとつの世界』“Fuori dal mondo” 監督 ジュゼッペ・ピッチョーニ

『母の微笑』“L'ora di religione” 監督 マルコ・ベロッキオ

後に全ての映画が日本で一般公開されるわけではない。

最新のイタリア映画を観る絶好のチャンス。

そう考えると、

いっとき働くのは止め、ぜ~んぶ観よう!

有楽町でイタリアの風に吹かれよう!

と、思わずにいられないのは私だけだろうか・・・。

 

「ボンちゃん。ゴリラが出演する映画は無かったね」

|

2010.03.12

カラスのお宅

カァーカァーカァー、カァーカァーカァー、カァーカァーカァー、

と、カラスが鳴けば、

遠方より、カァーカァーカァーカァーーカァーカァー、と返事がある。

呼びかけた方のカラスは、返事がくることを確信しているようで、

なかなか返事がこない時も鳴き続けている。

すると、しばらくして必ず返事がくる。

 

お互いを信じ合うカラスたちの姿に感動している今日この頃なのだが、

北は北海道から南は九州まで、カラスの100巣を撮り続けた一冊。『カラスのお宅拝見!』(著、宮崎学、新樹社)という本を見つけた。

 

馬が多い土地にあるカラスの巣は、馬毛製、

捨てられた布団が近くにあるカラスの巣は、布団製だったりする。

巣を見れば、日本がわかってしまうというから興味深い。

ちなみにカラスは、

見た目が強そうな人は攻撃しないらしい。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは、カラスのお宅を拝見してみたい?」

|

2010.03.11

ヘビ・カエル・ナメクジ

日本のじゃんけんと言えば、グー・チョキ・パーだが、

ヘビ、カエル、ナメクジで勝負する、

虫拳というじゃんけんを知っているだろうか?

『世界のじゃんけん大集合』こどもくらぶ (編集) という本を読んで私は今日初めて知った。

指形はというと、

カエル  握り拳から親指だけを立てる。
ヘビ  握り拳から人差し指をを立てる。
ナメクジ  握り拳から小指を立てる。

 

ここまではフムフムといった感じだが、この勝敗の行方が面白い。

 

カエルはナメクジに勝ち、ヘビはカエルに勝つ。

そして、なんとも面白いことに、ナメクジがヘビに勝つのである。

 

ナメクジがなぜヘビに勝つことと決まったのか、

その理由の説は色々あるようである。

が、 

ちっちゃなナメクジが大蛇をやっつけ、

意気揚々と引き揚げる様を想像してみると、

オモシロイ!

 

 

「ボンちゃん。ゴリラはじゃんけんして順番決めたりしないの?」

|

2010.03.10

バジロン

昨日、シンボルキャラクターの話をしたせいか、

バジロンのことが思い出された。

時はさかのぼること、2004年。

読売新聞創刊130周年を記念し、スタジオジブリの宮崎駿監督が制作し、シンボルキャラクターが誕生した。

電車の中のポスターに描かれた、そのコのイラストを見た瞬間、

「あ、バジロンだ」

と、思った。

よく見れば愛称募集とある。

早速応募しよう思っていたのに、

迂闊にも応募期間が過ぎてしまい、名前は「どれどれ」となった。

それ以来というもの、

あのコを新聞、雑誌やポスターで見かける度に思う。

「あのコはバジロンなのに」、と。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラも迂闊にも忘れてしまったことを、ずっと悔いたりしている?」

|

2010.03.09

ときも

すっかり忘れていたが、

あのコには『ときも』という名が似合うのだ!

 

何の話かというと、

数ヶ月前のこと。

川越市マスコットキャラクター愛称募集に応募しておいたのだが、

『ときも』に決まったという知らせがマルチクロックと共に届いた。

採用1点、商品券1万円だったのだが、

『ときも』を応募した人が複数なために抽選となり、

抽選にもれた私には、

副賞のマルチクロックが届いたというわけである。

あのコが正式に「ときも」と、

名づけられたことが嬉しくてたまらない。

ときも、

貴方にはその名前がよく似合う。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは名前にこだわりがある?」

|

2010.03.08

エドキアーノ

郷土愛が強いイタリア人は、

出身地を国籍であるかのような言い方をすることがよくある。

例えば、

私はシチリア人です、といった具合に。

シチリア人は、Siciliano(シチリアーノ)

ローマ人は、Romano(ロマーノ)

ミラノ人は、Milanese(ミラネーゼ)

 

日本でも白金住人をシロガネーゼと呼ぶのはこの影響かと思うが、

「東京人を何というか知っている?」

と、イタリア人の友人に聞かれて言葉に窮した。

「東京はTokioだから…、Tokiese(トキエーゼ)かな?」

と、あてずっぽで答えたところ、

Edochiano(エドキアーノ)という正式名がもどってきてビックリした。

イタリアでは、東京人=江戸人になるらしい。 

 

「ボンちゃん。ゴリラ同士も自己紹介する時は出身地を言うのかな?ワタシャ、ルワンダデス…。」

|

2010.03.07

ひとりぼっちの夜

眠れない雪の夜。

ふと、これまでに出逢った人々の顔がよぎった。

今では顔を合わすことがない人たちばかりで、

それが哀しかった。

そう言った友人の言葉が心に残った。

親友の数がメールアドレスの登録数に比例すればいいが、

生きた年数に反比例するかのように真の友は減っていく。

哀しいかな、それが現実のような気もする。

そういえば、

「上を向いて歩こう」(歌、坂本九/作詞、永六輔)は、

そんな心境を歌ったものだった。

日本は勿論のこと、

アメリカでもスキヤキソングとして大ヒットしたと聞いている。

ということは、

東洋、西洋を問わず、

誰もが孤独な思いと闘っているということなのだろう。

みんな孤独。

みんなひとりぼっちの夜。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラもひとりぼっちの夜が、哀しい?」

|

2010.03.06

忘れられない愛

生涯忘れないであろう愛。

小説家、脚本家、映画監督が愛の物語を描く時、

自らの記憶に深い愛が土台にあるように感じることが多い。

 

映画、『マレーナ』 MALENA(イタリア/アメリカ  2000年)

監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
出演:モニカ・ベルッチ/ジュゼッペ・スルファーロ
製作年: 2000年
製作国: イタリア=アメリカ

この映画の原作は小説家ルチアーノ・ヴィンセンツォーニの自伝的小説だが、ジュゼッペ・トルナトーレ監督が映画化を切望しての実現という。

 

第二次大戦下のイタリア、シチリア島。

美しさがもたらすもの。

少年の性への憧れ。

初恋の記憶。

それらが描かれていた。

 

生涯忘れられないであろう愛。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、

ニュー・シネマ・パラダイスでもその愛を描いている。

監督には愛してやまない女性が心にいるのだろう。

と、ニュー・シネマ・パラダイスを観た時に思ったことだが、

マレーナでも同様の世界観が描かれていて驚いた。

そして、気になるのはヒロインの名前なのである。

『ニュー・シネマ・パラダイス』では、Elena.

『マレーナ』では、Malena.

“E”と“Ma”が異なるだけで両方に“lena” がついているのだ。 

ある愛の記憶が、

愛の映画の息吹となっているのかもしれない。

そんな気がしてならないのだが。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは忘れらない愛の記憶と対話したりする?」

|

2010.03.05

金糸雀色

250本の桜が咲き誇るその下には、

カラシナ(芥子菜)の花の、

金糸雀色(かなりあいろ)の鮮やかな黄色い絨毯。

ユートピアのような桜の名所を見つけた。

場所は、岐阜県海津市の木曽川と長良川の背割堤。

 

桜色と金糸雀色に包まれたら、

誰かに恋せずにはいられないかも?!

 

 

「ボンちゃん、ゴリラはロマンチックな所が好き?」

|

2010.03.04

Susan Boyle: I Dreamed A Dream

それは瞬く間の出来事だった。

Susan Boyleの歌声が会場に響いた瞬間、

蔑むような目つきが、

慶讃する眼差しに変わった。

「夢やぶれて」を歌い夢を叶えた彼女の言葉は、

どんな言葉よりも、説得力がある。

どんな言葉よりも、勇気づけられる。

スーザンの言葉をご紹介したい。

「時間はかかってしまったけれど、自分には何かある、と感じていました。私の夢がかなったのだから、あなたの夢もかなうはずです。誰もが夢を見る権利を持っています。夢に終わりや締め切りはありません」(スーザン・ボイル 読売新聞記事3/3/2010より)

 

Susan Boyle: I Dreamed A Dream

http://www.youtube.com/watch?v=1t8m7CkpIK0

 

 

「ボンちゃん、ゴリラにはスーザンの魅力が最初から分かるんじゃない?」

|

2010.03.03

『笹舟くん』

Susan Boyle来日最新情報。

4月1日、日本武道館にて、読売日本交響楽団のグランドコンサートにゲスト出演するという。その日はSusan49歳の誕生日。

 

48歳の誕生日には、

49歳の誕生日を日本で迎えることになるとは、

想像もしていなかったことだろう。

人生、良くも悪くも何が起こるかは誰にもわからない。

だからちょっと怖い気もする。

けれど、

前向きにピョコぴょこ ひょこヒョコと生きていれば、

ひょんなことでひょんなことが起きたりもする。

よって、

不遇の時代にあっても

ぴょこヒョコと生きていようではないか。

 

詩をつくってみた。

 

『笹舟くん』

しなやかに

ああ スイスイと

波間に揺れる笹舟くん

消えては現る

笹舟 ぴょこヒョコ

カエルが船頭

笹舟くんは 今日もゆく

 

「ボンちゃん、ゴリラも人間も笹舟には乗れないね」

|

2010.03.02

愛の狭間

こころは貴方を愛し、からだは彼を愛した。

衝撃の愛を描いた問題作を観た。

映画 ドリーマーズ THE DREAMERS (2002/イギリス、フランス、イタリア)
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 原作・脚本:ギルバート・アデア

 

心は彼を愛し、からだはもうひとりの彼を愛する。

もしも自分が、

そんな狭間で揺れ動くことになってしまったら、

この上ない不幸にちがいない。

そのまま3人で暮らしたとしても、

その関係が長く続くはずもない。

愛の行方も想像するに容易いように思う。

からだがもうひとりの彼を愛していても、

月日は、その愛に対し空しさを運ぶだろう。

 

 

「ボンちゃん、ゴリラは、心は誰かを愛し、からだはもうひとりの誰かを愛せる?」

|

2010.03.01

かいじゅうと目が合う

いつも降りる地下鉄通路の壁に、

モーリス・センダックのかいじゅうがいる。

しょっちゅう目が合うものだから、

とうとう今日、

絵本『かいじゅうたちのいるところ 』モーリス・センダック (著), じんぐう てるお (翻訳), Maurice Sendak (原著) を読んだ。

この絵本が映画化され、目下上映中なのだが、

絵本とは内容が少し異なるらしく、

参考までに、

おすぎさんのブログを覗いてみたら評価が凄く低いのだ。

本のTVドラマ化や映画化は、

大概のケースにおいて、

本の方がずっと味わい深いように感じるから、

映画はやめておこうかとも思うのだが、

いつも降りる地下鉄通路で、

かいじゅうと目が合うのだ。

そのかいじゅうがね、

何か呟いているみたいなんだけど…。

 

 

「ボンちゃん、ゴリラは、かいじゅう好き?」

|

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »