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2010年5月

2010.05.31

名は体を表す?!

名は体(たい)を表すという言葉がある。

辞書によれば、名と実は相応ずる。

日本人は名前に意味を込める傾向がある。

今の時代は特にオリジナリティーを追求した非凡な名前が多い。

 

一方、イタリア人はどうかというと、

昔も今も歴史上のカトリック聖人の名前、同じ名前が多い。

男性は、あっちにもこっちにも、フランチェスコ、ピエートロ、ジョバンニ、パオロ、ジュゼッペ、マルコ…、女性は、あっちにもこっちにも、アンジェラ、パオラ、エレナ、ルチーア、ジョバンナ…。

なぜ聖人の名をつけるのか、そこに意味を込めているのかは知らないが、いずれにしても名前にオリジナリティーを求めていない。

名前を除けば、例えば、リビング、ダイニングなど部屋は自分専用の美を求めた独自性ある装飾をするし、

聖人の名に恥じないように品行方正かといえば…、個性なしに人間じゃないとでも言わんばかりに、独自路線まっしぐらに突っ走っている人々の多いこと。

 

そこで、名は体(たい)を表すのだろうか?という疑問が起きるのだ。

名前に個性がなくても、個性的、(非凡的?)になるイタリア人。

名前に個性があっても、イタリア人と比べれば凡庸性が高い日本人。

言うまでもないが、それには理由があって、日本では和を重んじる教育がなされているから、凡庸性を身につけるための、規範意識の高い教育が、個性の発展を抑えさせているからなのだろう。

そう考えると、どんな名前をつけても事の次第は教育次第と思えてくる。

教育は体(たい)を表す。

とした方がずっと言い得ているように思えてならないのだが……。

 

「ボンちゃん。ゴリラ界では非凡性と凡庸性、どっちが魅力的?」

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2010.05.30

小説「動かないで」

先日の玉ログの記事(2010.05.21)に書いた映画「赤いアモーレ」の原作が、マルガレート・マッツァンティーニの小説、「Non ti muovere」=「動かないで」なのだが、小説と映画の描き方の違いを比べたくて小説を読んでみた。

小説では、主人公の外科医の男が、一人称形式で自らの過去を語るのだが、この外科医を喋らせているのは、この小説の女流作家、マルガレート・マッツァンティーニである。

一方、映画では、監督、主演を務めた男性、セルジオ・カステリット(マルガレート・マッツァンティーニの夫)がこの物語の総監督。

小説では、女の目線での、一人称形式の男、

映画では、男の目線での、一人称形式の男、

この違いが雰囲気から伝わってくるから興味深い。

また、映画ではどうしてもざっくりとしか描ききれない点が、

小説によって消化されるし、

映画の仕上がりが、小説のエッセンスを巧みに抽出した傑作であることにも気づく。

更に、「動かないで」という原題への深い意味も知ることができる。

是非とも、小説、映画、ともどもお勧めしたい。 

 

「ボンちゃん。ゴリラの心には、深く愛した者の居場所がずっとある?」

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2010.05.29

感動の壺

最近、感動の壺について思いを馳せている。

例えば、私が物凄く面白かった、或いは感動した映画の感想を聞くと、物凄くイマイチだったと言い、

私が物凄くイマイチだと思った映画の感想を聞くと、物凄く面白かった、或いは感動したと言う知人がいる。

それでも偶に感想が似ている時もあるが、

どう考えても明らかに感動の壺が異なっていると感じる。

同じ映画を観て共感できないということは、

物事の大事なところに対する悲しも喜びも異なり、

すべての見込みが違うというか、

感動の壺が相違しているということになる。

何気ないことのようだけれど、それは大変なことだと思うのだ。

なぜならば、良かれと思ってしたことが、

喜ばれない可能性が高いということに値するからである。

 

物事への感じ方の相違というのは、

勿論性格の違いは影響すると思うが、

目まぐるしい時代の変化にあって、彼女は私より10歳以上若いから、

世代の違いによる価値観の相違が大きいのだろう。

 

それでもこうとも思う。

祖母と私は60歳以上も年齢が離れていた。

祖母には戦争体験があるし、

生きてきた時代はまるっきり異なっていたけれど、

祖母が感動した映画は私も同じように感動していたし、

祖母から、価値観の大きな違いを指摘されたことはなかった。

やはり、コンピューターが心に与える影響は計り知れないのだろうと思う。

iPadのようなものがどんどん普及することが、

価値観の異なりを促進させていくのかもしれない。

この先、人の心はどう変化していってしまうのだろうか?

人は誰もが不老長寿を願うが、

長生きするということは価値観の異なりに遭遇することだから、

実は耐えがたいほどに過酷なことなのかもしれない。 

 

「ボンちゃん。ゴリラ界では、時代と共に感動の壺は変化している?」

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2010.05.28

星の地図

今ごろ、モジー・モジコはどこの空を飛んでいるのだろうか…、と思う。

毎年、1本の梅の木にヒヨドリのつがいが来る。

11月の初めにやって来て、4月の初めまで滞在し、

またどこかに飛び去り、また翌年の同じ頃に姿を現す。

見た目から判断して、世代交代が起きているようにも見えるし、

果たしてどうやってこの場所を次世代に教えているのか、

この広い空を迷うことなくなぜ来られるのか、

前々から不思議だったのだが、ある本に面白ことが書いてあった。

例えば、カニは、太陽、月、星の動きを眼で感じて活動し、

砂浜にいる甲殻類のハマトビムシやコモリグモは星や月を目印に活動し、

ヨーロッパコマドリは遺伝的に星の地図がインプットさてれいて、

星を見て目的地に向かうのだという。

(参考「動物たちの奇行には理由がある」ビクター・ベノ・マイヤーロホ,著,江口英輔 訳,2009)

それにしても、眼で感じた太陽、月、星の動きを、

カニはいったいどうやって統計立てているのだろうか?

謎は深まるばかりである。

モジー、モジコの向かうゴールが我が家のひょろひょろした梅の木で、

星の地図を見ながらそれを目指してやって来ているのだとしたら、

なんてロマンチックな、奇跡的な才能を持つ生きものなのだと思う。

旅路に就いたモジー・モジコの無事を祈りつつ今夜は眠ろう。

 

「ボンちゃん。ゴリラも心に星の地図を持っている?」

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2010.05.27

羊毛フェルトな動物たち

初の個展をやるから来られない?

と、アクリル画を描く友人が誘ってきた。

場所を聞けばフィレンツェの画廊で、と。

そのうちフィレンツェで二人展でもやろうよ。

と、言われて別れたが、

東京在住者の初の個展にフィレンツェを選ぶとは、

狙いを定めたら妥協しない意志の強さに感服した次第である。

 

まあ、たとえどんなことでも、地球の裏側であっても、

やる気さえあれば夢のような話ではないのだろう。

バールの片隅でさりげなく個展というのも絵になっていいなあ……。

いつかイタリアのバールの片隅に、このコ達(↓)は佇むだろう!ハハッ!

丹精を尽くした“羊毛フェルトな動物たち”

http://gondolina.com/museoditamahimeyomo.htm 

作品ができ次第、玉姫美術館に続々とアッフするので見てみて! 

 

 

「ボンちゃん。いつか一緒にイタリアにデビューしようね!」

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2010.05.26

『組み合わされしアルペジオ』

ドビュッシー、12の練習曲集に、

「組み合わされたアルペジオのために」という曲がある。

アルペジオが組み合わされる時、

奇跡が生まれることもあるのだろう。

詩をつくってみた。

 

『組み合わされしアルペジオ』

灼熱の ヴーナス

氷惑星の ネプチューン

別々の星から 地球に降り立ったふたつの命

帰るすべをたずねあぐみ 行ったり来たり

無機質な笑顔に感じる 不信感

しらごかし気配から伝わる 疎外感

イデオロギーの荒波に覚える 孤立感

現実から仮想へ逃げたくなる 喪失感

悲しい予感に 霧雨がのしかかり

鳴り響く不協和音に 魂を急き立てられ

生き急ぐ気持ちが 静謐(セイヒツ)な時の流れを恐怖に変える

眼差し遠くへ 虚空に躍らせし時

彼方の光に 柔かな予感

閉じかけた心に降り注ぐ 奇妙な夢

天空を渉る一艘の月舟に輝く より添うふたつの魂

不可能な遡行(ソコウ)は いつまでもさりげなく

限りなくあるがままに ふらふらさまよう

魂が組み合わされる不思議に 悶悶とした夜が微笑む 

 

「ボンちゃん。ゴリラは魂が組み合わされることがあると思う?」

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2010.05.25

猫のクロベー

Kurobe1

今朝撮った写真。

葉っぱの間からこちらを見ている、クロベー。

たまにどこからかふらりとやって来る。

ある時は、小道の真ん中にちょこんと座り、

我が家を見つめている。

またある時は、前足をひょいと上げてサッシに足をかけ、

我が家の居間を覗く。

何気なく外を見ると、クロベーがこちらを見ていたりする。

叶うことなら毎日クロベーに会いたい。

クロベーが大好きなのだ!

いつもそう思っている私の気持ちが分かるのか、

クロベーはふらりと私の前に現れる。

 

今日はクロベーに会えたせいか、

妙にやる気が満ちてきて驚くほど能率が上がった。

偉大なる我が親友、クロベーの紹介まで。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは猫の気持ちが分かる?」

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2010.05.24

初恋の概念

初恋の人は生涯忘れないと言われている。

先日、ドニゼッティのオペラ、「アンナ ボレーナ」を観たら、

冷酷な王エンリコ8世の策略によって、無実の妻が処刑されるという酷い話だった。その策略というのが、妻の心に初恋の人がいるに違いないという嫉妬から、それが許せずに、疑いに疑いを重ね、根も葉もないことを理由に、死罪を命じるのである。

王エンリコ8世の妻がそうであったように、

嫉妬によって鬼と化した夫に、妻はなすすべはなかった。

確かに初恋という過去の思い出は特別なのかもしれない。

けれど、初恋にこだわらなくても、

生涯忘れない人に会うことはあるし、

そういう人になることだって誰もが可能だと思う。

まあ、嫉妬というのは柔軟さを没する行為なのかもしれないが…。

 
しかし、よくよく考えてみれば、

同じ人に2度も3度も恋をしない限り、

新しい人との新しい恋というのはその人との初めての恋である。

それだって初恋の概念から外れてはいない気もする。

とは思うものの、

「彼、私の初恋の人なの」と言って誰かに紹介すれば、

人生の中で初めて恋した人だと思われるにチガイナイ。

辞書にだって、初恋とは生まれて初めての恋とある。

と、夜中の1時46分にそんなことを考えているのは、

どう考えても下手な考え休むに似たりである。

眠りましょう!

 

「ボンちゃん。ゴリラ界でも、初恋は特別な思い出?」

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2010.05.23

EU FILM DAYS 2010

「EU FILM DAYS 2010」というユニークな映画祭がはじまる。

ヨーロッパ映画の多様性を紹介する「EUフィルムデーズ」は、

東京では、5月28日(金)~6月20日(日)まで。

場所は、東京国立近代美術館フィルムセンター。

ラインアップは、話題になった近作や日本未公開作品8本。

出品国名は以下の通り。

ベルギー  ブルガリア  チェコ  デンマーク ドイツ  ギリシャ  スペイン  フランス アイルランド  イタリア  ラトビア  リトアニア ルクセンブルク  ハンガリー  オランダ  オーストリア ポーランド  ポルトガル  ルーマニア  フィンランド

http://www.eufilmdays.jp/

なかなか観る機会のない映画ばかりだから、

見比べてみたら其々の国民性が垣間見ることができたりして、

面白いかも。

 

「ボンちゃん。ゴリラはどんな風が吹く国を訪れてみたいかな?」

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2010.05.22

ああ、結婚

それほど熱い思いもなく結婚する人が世にはいるように思う。

一生を共にするであろう人を選ぶというのに、

そんな安易な思いで、果たして結婚生活は続くものだろうか?

と、そんな疑問を抱いたことがあるのだが、

週刊文春4月号、45~46ページのある行を読んでいたら、

その気持ちも少し分かるような気がしてきた。

記事には、次のようなことが記されてあった。

家庭のルールは、「おはようございます」「いただきます」「ごちそうさま」「いってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」「おやすみなさい」これだけ言えたら家庭は成立する。「おかえりなさい」と言ってくれる人がいることが、家庭というものの根拠だと思う。

なるほどね……。

人は、自分が今、存在していることを、

自分以外の誰かに強く知っていて欲しいのかもしれない。

その誰かはやっぱり自分が気に入った人であって欲しいのだが、

自分が存在している事実を自分以外の誰かと確認がしたい。

それができると自分存在が証明できて安心した心持ちになる。

深層心理にはそんな思いがあるのかもしれない。 

家庭の在り方も昔と違って多様化してきているから、

決して一概には言えないけれど、

特別な事情なしに、

例えばただの怠惰で、

夫が帰宅する時刻に早寝の妻はいつも寝ているとか、

朝、夫が出かける時刻に寝坊な妻はいつも寝ているとか、

そんなこんなで挨拶が全く交わされていない家庭というのは、

家庭のルールが守られていない結婚に当てはまっている。

そうなると夫は思うだろう。

なんのために一緒に時を刻んでいるのだろうか……。

なんのための結婚だったのだろうか……、と。

家庭のルールが守れない理由をあげたらきりがない。

けれど、これだけは忘れないでいたい。

繋がりを実感したくて、人は結婚するのかもしれないということを。

 

 

「ボンちゃん。ゴリラも親しくなると礼儀が欠けたりする?」

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2010.05.21

映画「赤いアモーレ」

この映画は孤独に熱風の嵐!

金星と海王星ほど違う、異なる世界に属するふたりの魂の結合、

そんな濃厚で激しい、大人の不器用な純愛の物語だった。

映画「赤いアモーレ」(2004 伊題 Non ti muovere)

監督:セルジオ・カステリット  
脚本:セルジオ・カステリット/マルガレート・マッツァンティーニ 
音楽:ルシオ・ゴドイ
キャスト:ペネロペ・クルス/セルジオ・カステリット他

イタリア文学界の最高峰ストレーガ賞を受賞したマルガレート・マッツァンティーニ の小説、『動かないで』を、監督、主演を夫のセルジオ・カステリットが務め、イタリアのアカデミー賞、ドナテッロ賞の主演男優賞と主演女優賞を受賞した話題作。

是非とも小説と映画の描き方の違いを比べてみたい。

 

男の身勝手極まりない衝動から始まり、

男の欲望だけが女との繋がり。

次第に男は、それが究極の愛だと気づくことになるのだが…。

 

サウンド・トラックも絶妙にマッチ。 Vasco Rossiの“Un Senso”

まさにスタンディング・オベーション! 

 

「ボンちゃん。ゴリラは生涯に何回くらい激しい恋をする?」

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2010.05.20

『サボテンが呟く』

今日も雨。

しっとりとした空を見ながら、詩をつくってみた。

 

『サボテンが呟く』

 

いつだって 風の行く先を追い

いつだって 夕空の郷愁に帰る 

旅する心は 地上から離れたまま

舟の痕跡を追うように 残り香に憧れ

いつだって ノストルジアを未来に

いつだって 情熱は無様だと

いつになく 艶っぽく

窓辺に佇む サボテンが呟く 

 

「ボンちゃん。ゴリラはサボテンの心、分かるでしょ?!」

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2010.05.19

Yesterday Yes a day

探していた曲、Yesterday…any day♪が判明した。

偶然なのか必然なのか、

5/10の玉ログ記事に書いたシュワシュワアックアボーンな曲、

「無造作紳士( L'Aquoiboniste)」と同じ

歌:Jane Birkin

作詞作曲:  Serge Gainsbourg

L'Aquoibonisteはフランス語だからか気づかなかったが、

こちらは英語の曲、「Yesterday Yes a Day」。

どうりでシュワシュワしたウィスパーヴォイスが同じはず。

 

話があっちこっちしてしまったので整理すると、

「Yesterday Yes a Day」が、

5/16の玉ログ記事に書いた金星と月の大接近、

愛する者のランデブーのような天空のロマンに、

負けじとロマンチックなものとして思い浮かんだ一曲なのだ。

 

気になって調べてみた。

ジェーン・バーキン(俳優・歌手)は、セルジュ・ゲンスブール(作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優)の3人目の妻。後に離婚したが、この曲が歌われていた頃は、二人のロマンスは絶頂期だったようである。

 

Yesterday Yes a day Like any day♪

昨日は そう ただの一日♪

 

そう囁き始めるこの曲の特異な魅力は、

今という時から、

過ぎ去った時代を懐かしむというより、

まだ来ぬ未来から、

今を、過去を、懐かしんでいるような印象を受けることなのだ。 

誰かを愛すれば、

必ず繰り返される悲しみ寂しさを受け止める覚悟で、

夢中に愛そうとする感じが伝わってきて切なく愛しい。

 

どんなに深く愛し合っていても離れ離れにならざるを得ない、

金星と月の背負う宿命と何かが似ているからだろうか……。

 

「ボンちゃん。ゴリラは、昨日があまりにも悲しい日だと、今日も明日もきっと悲しい日だと思う時がある?」

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2010.05.18

月人壮士

万葉集の七夕の歌を読んでいたら、

金星と月の大接近に負けないロマンチックな文字並びに目が止まった。

それは、“月人壮士”(つきひとをとこ)。

 

「秋風の 清き夕べに 天の川 舟漕ぎ渡る 月人壮士」

「夕星も 通ふ天道を いつまでか 仰ぎて待たむ 月人壮士」

「天の海に 月の舟浮け 桂かじ 懸けて漕ぐ見ゆ 月人壮士」

 

解説によれば“月人壮士”とは“月の男”。牽牛という説もあるという。

月が空を渡り終えると、牽牛と織女の逢瀬がはじまるのだとか。

現代人の宇宙への登竜門は、ロケットによる訪問という感が強い。

1300年前に地球に存在していた人間は、

地上から空を仰ぎ見ては、

牽牛と織女の逢瀬に思いを馳せ、歌を詠んでいた。

その歌の力は時を経た今も人の心を震わせ続けている。

夢と惑星が交錯しあった、

鏡の向こうに存在しているような幻想的な世界観が、

ほんの20文字程度によって広がってゆく不思議。

それは、金星と月の愛しみ合う姿が放つ凄い何かと同じ何かで、

人間の魅力も、金星と月の魅力に負けてないと確信できる。

果たして、現代人が善だと信じて行っている後世に残るものは、

1300年後の地球に生きる未来人が誇りに思う何かなのだろうか。

と、そこまで書いて気づいてしまった。

それ以前の問題として、

今を生きる人間の行いが影響し、

地球の存続が危ぶまれているのだった。

誇ってもらえるか否かどころではなく、

1300年後には、人そのものが、地球そのものが今のようには存在していないのかもしれないのだ。

それは大変なことなのだと、

今宵の月を仰ぎ見ながら月人壮士を探す私なのだった。

 

「ボンちゃん。ゴリラは、月人壮士と友達でしょ?!」

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2010.05.17

金星

朝刊によれば、

細い弧を描いた月の上に金星が輝いていた日曜の夜空は、

金星と月の大接近という数年ぶりに起きた天体ショーだとか。

更に金星探査機「あかつき」PLANET-Cプロジェクトの話題がニュースを賑わせていたので金星についてちょっと調べてみた。

大きさは地球よりわずかに小さく、明るさはマイナス4.7等。

硫酸の雲で覆われ、主な大気は二酸化炭素。表面温度セ氏470度。

90気圧。これは深さ900 mの海の底に値する超高気圧。

“地球の双子星”とも言われる存在。

まあ、どう頑張っても人間は住めない高温高圧の惑星のようだ。

金星探査機「あかつき」のミッションは、「金星の大気圏深部の運動等の観測」だというが、マリアナ海溝(世界最深10900m)でもエビの仲間が採取されているのだから、高温、高圧好みの金星人がいるやもしれず?!

 

「ボンちゃん。ゴリラは他の惑星が気になる?」

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2010.05.16

Yesterday…any day♪

日没後、なにげなく西の空を見上げると、

金星と月が見つめ合っていて、どう見ても恋をしていた。

それはそれは情緒的で甘美、

地上から彼らを見つめ、

憧れと羨ましさが錯綜した瞬間を味わっていたのだが、

目に映るすべてのことが許せる気にかられたから不思議だった。

あまりにも現実離れした様に陥ると、

人というのは現実の世界で縛られていた心が解き放たれるようだ。

金星と月が愛しがって見えると、

言葉なんて、結局たいして役立たないとさえ思う。

ロマンチックという言葉さえ陳腐な存在になる。

人なんかぜんぜん入り込む余地がないのだ。

放たれている凄い何かが、

たとえ音楽だって、

あのロマンチックさには追いつかないというか、

音楽が敬意を表してすべての音を消してしまいそうに思えてくる。

それでもやっぱり私は人だからか、

人の肩を持ちたくなってきて、

あの曲のロマンティック度は、金星と月のロマンチック度にかなり近いものがあるかもな…、

と、ある一曲のワンフレーズが思い浮かんだのだが、

曲のタイトルも、誰が歌っているのかも分からない。

♪ Yesterday…  any day… ♪

どこかで聴いた曲なのだけれど……、誰か知らない?

 

 

「ボンちゃん。ゴリラはとってもロマンティックな生きものに見えるけれど、実際などうなの?」

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2010.05.15

『命の景色』

なかなか思い通りに生きられず、

吐息を吐く日も、

涙する日もあるけれど、

せめて自分だけは自分を信じて、

明日を信じて生きようよ!

詩をつくってみた。

 

 

『命の景色』

気づかれない 真昼の月のように

海の碧さから 地球に舞い降りた

どこからか吹く 涼風立つ居場所

さざなみがからだを ゆさゆさとゆり動かす

懸命に生きる その景色は

大地をけるが 遠くに羽ばたけず

翻弄に負けじと 今を生きる

風任せに揺れる 無防備な青虫

大海原に浮かぶ 一艘のゴンドラ

彷徨いたじろぎ 怯える旅人

神秘よ熱かれ ひたむきたれ 

昼を寄り添うは 太陽と雲   

夜を寄り添うは 月と星 

あらゆる命の景色を 天空は知っている 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは辛い時、やっぱり青空を見上げる?」

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2010.05.14

Eros

ロレンツォ・マットッティのタイトル絵画が目を惹く。

若き仕立て屋の初恋が、エロスを美しく揺さぶる。

 

映画、『eros 愛の神、エロス』(2004)を観た。

それは、3つの愛の物語。

巨匠と呼ばれる3人の監督たちがそれぞれのエロスを紡いでいる。

エロスの純愛 「若き仕立て屋の恋」、監督ウォン・カーワァイ

エロスの悪戯 「ペンローズの悩み」、監督スティーブン・ソダーバーグ

エロスの誘惑 「危険な道筋」、監督ミケランジェロ・アントニオーニ 

 

エロチシズムというのは、文化、国民性が強く影響すると思う。

私が日本人だからか、群を抜く色っぽさを感じたのは、

エロスの純愛 「若き仕立て屋の恋」(監督ウォン・カーワァイ)だった。

 

荒々しい欲望をひた隠し、熱狂を抑制するその様は、

ひたむきで、一途で、切ない。

自己への配慮に満ちたエロスを、

相手への配慮に満ちたエロスが優先していて、

最後の最後まで人間的な優しさに満ちている。

この若き仕立て屋くんこそ、至高な純愛のエロスの姿だと叫びたい。

 

「ボンちゃん。ゴリラはどんなしぐさにエロチシズムを感じる?」

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2010.05.13

『ケロケロ喋る』

道を歩いていたら、どこからかカエルがケロッと鳴いた。

詩をつくってみた。

 

『ケロケロ喋る』

 

一番星光る 橙色の空 

どうしてあの時 ああしたのだろう

あの時 あの道 ああして行けばと

夕焼け見つけて 後悔してみる  

同情寄せない 急ぎ足な夕陽が

あっという間に 姿を隠すと

群青色に 空が染まって

あの時 こう行き こうしていても

ああなり こうなり 悔やんでいたよと

後ろでカエルが ケロケロ喋る

 

あの時 あの道 選んだ後悔

あの時 あの道 選ばぬ後悔

後ろでカエルが ケロケロ喋る

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは後悔したりする?」

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2010.05.12

せっせと毒磨きさ

久々に浅草の寄席に足を運んだ。

というのは、真打昇進襲名披露興行とあって、落語芸術協会会長と副会長、桂歌丸師匠と三遊亭小遊三師匠が揃って高座にあがると知ったからである。

さすがに満員。遅れて入ったこともあって立ち見となった。

慣れない立ち見に足腰がだるくなり、江戸な世界に引き込まれず、演芸ホールに置き去りとなっていた私はキョロキョロしては場内の雰囲気を見ていた。

そうこうしていたら、ある事に気付いた。

枯れた和芸のベテラン者を除いて、

観客が強く惹き込まれている出演者には共通点がある。

新人であっても、ふてぶてしいまでにドンとしているとか、

とことんジャイアンツ通だとか、

徹底的にゆるゆるしているとか、

非常識という枠に突入した特異な魅力、

どこか突き抜けている感のある人物に観客は惹き込まれている。

 

自分が信じた道を信じ切って歩んでいる人が放つ魅力は、

徹底性という“毒”なのだと思う。

芸人は、毒が弱ければ、そこそこしか売れない。

毒が強ければ、毒の特異性をマスコミが取り上げて売れてゆく。 

そんな構図が見えるような気がした。

 

毒を持つ人に惹かれるし、また憧れもする。

それはもしかしたら……、私が蠍座だからかもしれないが、

自分の毒を毒味して酔いしれるほどになれたらと、

毒磨きにせっせと精を出そうと思うのだった。 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラは徹底性に惹かれる?」

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2010.05.11

白けてちゃ、ダメ♪

この世に生きている間、誰もが楽と苦に遭遇する。

どっちが多い方がいいかと聞かれれば、

やっぱり楽、楽しい方が多い方がいい。

楽しい人生とは何かを考える時、

おもしろく、心が浮き立つことと関係が極めて深いように思う。

おそらく最もの大敵は、“白け”。

それでは、なにを心がけて暮らすことがその要になるかと言えば、

毎日機嫌良く過ごすことが、その役割を果たすことのように思う。

なぜなら、不機嫌に過ごせばツマラナイ一日になる。

ツマラナイ一日の数が多ければツマラナイ一年になる。

人生の大半をツマラナイ日が占めればツマラナイ人生になるからである。

ツマラナイ感情が終には煮詰まってくれば、水分が蒸発した末に、筋金入りの“苦”が出来上がってきたりする。

17世紀の哲学者スピノザは次のように言っている。

「寒いとき体が温まるとうれしいが、体が温まったから喜べるのではなく、自分が喜ぶから体が温まるのだ」 (川北 義則,「いま」を10倍愉しむ思考法則,PHP文庫より)

悲しくて泣くと、悲しみがどんどん湧いてくる経験があるが、「吾の人生辛いことしかない…」と、イラつく思考癖を持ってしまうと、次々に泣きっ面に蜂な出来事に自らを遭遇させていくことになる。

それが原理のように思うのだ。

従って、そんな時こそ何も考えずに「ニャハハ」と笑い、

些細なことにも目を止めて「ヒィァー!」と感動する必要がある。

楽しい人生を築くために不可欠な嗜みとは、

毎日機嫌良く過ごすこと。

愛すべき吾の人生のために、今日も明日も「ニャハハ」「ヒィァー!」。

白けてちゃ、ダメ♪ ウフッ♪

「ボンちゃん。ゴリラの泣きっ面にも蜂が来る?」

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2010.05.10

シュワシュワアックアボーン

口と心の間の距離の長さは、人によって違うように思う。

たとえば、よく耳にする誘い言葉、「今度、ご飯食べに行こうよ」。

そして、決して実際に行こうとはしてこない。

たとえば、よく目にする言葉、「今年こそ、会いたいです」の年賀状。

そして、決して会うことはないまま、また一年が経つ。

する気もないのに、言わなきゃいいのに…、

と、大人げなく反逆児な気分になる。

外交辞令に過ぎない言葉を投げかけられる度、

ひとり寂しく、心で吐息をはく私なのだった。

そんな時、なぜか思い出される響きがある。

シュワシュワアックアボーン。

それは吐息のような曲、

ジェーン・バーキン「無造作紳士」(JANE BIRKIN - L'Aquoiboniste)。

 

「ボンちゃん。ゴリラはどんな時に吐息をはく?」

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2010.05.09

『母の詩』

今日は母の日。

わたしには何もないから、詩を贈ろうと思う。

母に捧ぐ。

 

『母の詩』

月の光に うっすら浮かんだ

波間にたゆたう 母の精

海辺にたたずむ すくんだ心の

なげやりな命を 潮騒が洗う

帰りついた 消えないぬくもり

台所に立つ 懐かしい後ろ姿

真実の優しさ 抱き

真実の強さ 教え

真実の勇気 貫く

愛をくれた かけがえのない人 

一人ぽっちじゃない いつだって  

そう気づいたから わたしは歩ける

勇気凛凛 道かろらかに

ありがとう おかあさん 

 

 

「ボンちゃん。ゴリラもお母さんのぬくもりを生涯忘れない?」

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2010.05.08

タダ一人思ヒ出ス

慌ててDVDを一時停止させ、

そのイチシーン、居間の壁に貼られた色紙の言葉をメモした。

すると、そこには次のように書かれてあった。

 

真実 諦メ タダ一人

真実一路ノ 旅ヲ行ク

真実一路ノ 旅ナレド

真実 鈴振り 思ヒ出ス

  

「これって…、マドンナ大原麗子、第34作『男はつらいよ』のワンシーン?」

そんな言葉があなたの口を衝いて出ていたとしたら、

きっとあなたも寅さんフリーク、

いや、正しく言うならば、

山田洋次監督が映画に吹き込んだ言葉の息吹に、

心をじいんと熱くさせているひとりにちがいない。

『男はつらいよ』には多くの詩が紹介されているが、

この詩は北原白秋の『巡礼』、物語を照らし合わせてみたい。

 

タダ一人

旅ヲ行ク

旅ナレド

思ヒ出ス

 

物語では、エリート証券マンの富永健吉(米倉斉加年)が日常に疲れて家出するのだが、この詩は家出の胸中を代弁しているようにもとれる。

また、『男はつらいよ』では、家族、人情、愛情を大切にしたいのだが、旅ガラス気質を持つ寅さんは、現実と理想の狭間で揺れ動き、旅先で常に故郷を思っている…、その心を代弁しているようにもとれる。

 

心が揺さぶられなければ詩はよめないと考えると、

北原白秋にとってのこの真実一路とは、

ある愛への断ち切れない思いをよんだようにも思える。 

 

「ボンちゃん。ゴリラは生涯に何回ぐらい、特別な愛を心に抱く?」

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2010.05.07

『いつつのひらがな』

ふと立ち止まり、日常を見渡す時、

過去は忘れるためにあるもの、

と、そんな気持ちにかられることがある。

夜中にふと目がさめた時なんかに……。

 

詩をつくってみた。

 

『いつつのひらがな』

 

思惑気にして 潜むあなたと

ついに断ち切る 縁も絆も

移った情に 枕濡らす覚悟

勇気ふり絞り 涙の決断

嗚咽堪えて 明日に挑もう

 

贈る思い 最終便

思惑ばかり気にして あらかじめ考え

思惑ばかり気にして 他人の反応をよみ

思惑ばかり気にして 言葉呑み込んで

思惑ばかり気にして 思い酔いして

思惑ばかり気にして 思い狂い

思惑ばかり気にして ギリギリになってゆく

思惑ばかり気にして 何が楽しい 

思惑ばかり気にして なんになるの

いったい何が あなたの目的 

いったい何を 実現したいの

いったいどこに 向かっているの

いったいその思惑 誰が喜ぶの

心縮んだあなた しぼんだあなた

最後に贈る いつつのひらがな

ありがとう そして さようなら  

 

 

「ボンちゃん。ゴリラはどんな時に縁を断ち切ろうとする?」

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2010.05.06

2010 HOBBY SHOW

日本最大の手づくりホビーフェアを訪れてきた。

日本人のモノづくり魂、その情熱たるや凄い。

ある意味プロが作る「商品」を超えている。

妥協を許さない凝りに凝った作品が放つものは、ロマンなのだろう。

「商品」と「作品」の違いを辞書で確認してみたい。

「商品」とは、売るための品物。販売を目的とする財およびサービス。

「作品」とは、製作したもの。特に芸術活動による製作物。

ということは、

「作品」は芸術の域で、「商品」を超えたものをさすということになる。

更に、「趣味」の意味を辞書で確認してみよう。

「趣味」とは、仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしている事柄。

今、ビッグサイトは、モノヅクリマン達の熱気に満ちている。

恐るべし、趣味力!

第34回 2010 日本ホビーショー 34th 2010 JAPAN HOBBY SHOW
2010年5月6日(木)~5月8日(土) 午前10時~午後5時
会場東京国際展示場(東京ビッグサイト) 東展示棟 東1・2・3ホール
http://www.bigsight.jp

「ボンちゃん。ゴリラ界ではどんなホビーが人気?」

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2010.05.05

Golden Day 写真

 

Tsutusuji1_2

Tsutusuji2

Tsutusuji3

Shibazakura3

Shibazakura1

Nemofira1_2

Shibazakura2

Nemofira2 

Popy1

Shitugen1

Tanudon2

Shitugen4

Tanudon3

Shitugen3

Tanudon5

Tanudon8

Morinji3

Morinji1

Morinji2

Fuji1 

「ボンちゃん。ゴリラはどんな旅が好き?」

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2010.05.04

Golden Day

その旅は8:50分発、りょうもう5号から始まった。

Golden Week真っただ中の緑の日に、ずば抜けて活気に満ちたGolden Dayな旅を企て、友人2人と共に訪れた。

一度やってみたかった、この時期限定フラワー三昧な旅。

つつじ、芝桜、藤の花紀行。

ご参考までに、日帰りぶらり旅プランを経費を含めて記してみよう。

必要経費、浅草から8500円位。

 

☆浅草出発 

  東武 浅草駅8:50分発、りょうもう5号→館林 電車1940円 82分

  館林駅前→つつじが岡公園 シャトルバス 300円 20分

①つつじが岡公園 (県立公園 50種、1万株のツツジ)

  花期:4月下旬~5月上旬 場所:群馬県館林市花山町
  料金:600円

  つつじが岡公園→野鳥の森ガーデン シャトルバス 300円 30分

②野鳥の森ガーデン (芝桜)
  花期:4月上旬~5上旬 場所:群馬県館林市堀工町1050
  料金:1500円

 徒歩 野鳥の森ガーデンに隣接した茂林寺沼低地湿原を散策

③分福茶釜で知られる茂林寺にて、たぬき達とご対面

 徒歩10分 茂林寺→茂林寺駅

 電車20分 東武 茂林寺駅→足利市駅

 徒歩5分 足利市駅より渡良瀬川を渡り

④足利学校・鑁阿寺(ばんな寺)散策 

 徒歩10分 鑁阿寺→JR両毛線足利駅まで

 電車 190円 5分 JR両毛線足利駅→JR両毛線富田駅 

 徒歩 8分 JR両毛線富田駅から あしかかフラワーパークまで  

⑤あしかがフラワーパーク (世界一を誇る藤のガーデン)

 1500円(入園料は花の咲き具合により変動)

 17時半ごろからライトアップされ幻想的な世界が広がる。

 あしかがフラワーパークより足利市駅まで  シャトルバス 200円 20分 

☆東武 足利市駅20:34分発、りょうもう→浅草 電車1940円 82分

 

こうして、家を出てから14時間半の旅は幕を閉じたのだった。

今年は寒かったせいか花の開花が遅い。

あしかがフラワーパークの藤は今週末が最高に見頃かと思う。

体力に自信がある方、是非とも、このGolden Dayな旅を!

  

「ボンちゃん。ゴリラはどんな日がGolden Dayだと思う?」

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2010.05.03

アンニュイな春

寒い冬が終わり、遂には春がやってくる。

心軽やかになっても良さそうな気もするが、

なぜだか春は憂鬱や倦怠を感じ易い季節でもあるように思う。

春の兆しに、そんなアンニュイな感情を抱いている詩を見つけた。

 

 「小諸なる古城のほとり」 島崎藤村 落梅集より

小諸なる古城のほとり/雲白く遊子悲しむ/緑なすはこべは萌えず/若草も藉(し)くによしなし/しろがねの衾(ふすま)の岡辺/日に溶けて淡雪流る

 あたたかき光はあれど/野に満つる香も知らず/浅くのみ春は霞みて/麦の色はつかに青し/旅人の群れはいくつか/畠中(はたなか)の道を急ぎぬ

 暮れ行けば浅間も見えず/歌哀し佐久の草笛/千曲川いざよふ波の/岸近き宿にのぼりつ/濁り酒濁れる飲みて/草枕しばし慰む

 

この詩をよくよく見てみたい。

遊子(旅人)は悲しみ、はこべは萌えない、若草も藉(し)くによしなしだし、光はあるけれど野に満つる香も知らないし、 暮れてきて浅間山も見えないし、草枕しばし慰む

ないないないのオンパレード。

悲しみ、萌えない、よしなし、知らない、見えない、慰む。 

このように一貫して否定的、悲観的な印象。

島崎藤村が春を目前にしてこの詩をよんだということは、

昔の人も今の人も、春は物憂さを覚えるということだろう。

その事実が、アンニュイな春に嬉しさを加えてくれた。

 

「ボンちゃん。春、ゴリラはアンニュイな気分になる?」

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2010.05.02

ドン・ジョバンニな生き方

先日書いた記事『ドン・ジョバンニ』(玉ログ2010年4月23日)に対する、

ドンファンの心理を導き出す推理がひとつ浮かんだ。

友人とタクシーに同乗したのがきっかけだった。

車中移動中、彼はしきりに渋滞を気にする。この道がこの先、渋滞していそうならば遠回りしてもいいから、渋滞を避けて走って欲しいと運転手さんに頼むのである。

彼が言うには、止まっていつまでも待つのが嫌なのだとか。

それはどこかドンファンの心理に根差す感覚に似ている気がした。

 

ドン・ファンことドン・ジョバンニの生き様といえば、女性を見れば誰でも口説き落として裏切る、俗に言うプレイボーイ。

口説いた女性の数は、イタリア人640人 ドイツ人231人 フランス人100人 トルコ人91人 スペイン人1003人と、総数なんと2065人。

誠意ない恋の在り方を悔い改めるように言われても、「自分は悪いことはしていない」、と言い放ち自らの生き方を最後まで変えなかったことで知られる。

ドン・ジョバンニは女性の敵、と、嫌悪感を覚える女性は多い。

結婚する気もないのに、結婚を迫って口説き落とすという手口はいかがなものかとは思うが、それを除けば、自分に素直であり続けようと、彼なりの美意識のようなものをもって情熱的に生きた、超ロマンチストなのではないかという気もする。

恋に関して少数精鋭主義を重んじる派が一般的であるのに対し、

ドン・ジョバンニは少数精鋭主義を捨てたか放棄した派。

所詮、この世は烏合の衆、船頭多くして船山に上る。人間はひとりでこの世に生まれる。多くの出逢いはあるが、どう頑張っても、完全に理解し合ったり、完全に共感し合ったりすることはできない。寂しさ、不安、孤独を埋めるすべを持っていない生きものなのだ。胸を焦がした恋も永遠ではないし、人の心は移りゆく。

無意識か意識してかは分からないが、そう悟っていたとしたら、そして、超理想主義者、超ロマンチストだとしたら、超孤高な心となって、ドン・ファンという生き方を選択したとも思える。

その結果、彼の情熱は、生きることに独自のリズムを持つことを重んじるようになった。それは、誠意を尽くすこととは対極な生き方なのだった……、そんな想像に辿りついた。

幸せの定義というのは難しい。

誰かにとって幸せなことが、他方から見れば幸せには見えないということもあるから。

ドン・ジョバンニが人生の終盤に幸せを感じていたかどうかは分からないが、自分の生き方をしっかりと全うしたという納得と充実感はあったのではないかと思うのである。

 

優しさに内包する臆病さと折り合いが付けられず、情熱を包み隠して生きているより、カッコイイかも!

 

「ボンちゃん。ゴリラはドン・ジョバンニな生き方をどう思う?」

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2010.05.01

ボク、マルメちゃん

季節が春だからか、

なんだか気分はマルメタピオカガエルな今日この頃。

低い気持ちをなんとか引き上げようと、

毎晩『男はつらいよ』を観ている。

寅さんの力は絶大なのだが、

翌朝になると再び、気分は、ボク、マルメちゃんに戻ってしまう。

 

マルメタピオカガエル(Lepidobatrachus laevis)とは、

どら焼き型をしていて、

乾季が訪れる少し前に、地中に潜って休眠するカエルである。

後ずさりするように後ろ足で土を掘り、

前足を器用に使ってカラダに土をかけ、

徐々に世間から自分の存在を隠してゆくのだ。

 

土に潜ってゆくマルメタピオカガエルの様子
http://www.tokyo-zoo.net/movie/mov_book/1003_01/index.html

 

思えば遠くに来たもんだ、

そんな旅に、

マルメタピオカガエルと行きたい気分。

 

「ボンちゃん。ゴリラは気持ちが上がらない時、何する?」

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