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2010年6月

2010.06.30

BRAVO SAMURAI!

W杯 勇気と感動をありがとう!

昨日の試合は凄かった。

サッカーは詳しくないのだが、試合を見ていたらパラグアイチームに大いなる存在感を放っている選手がいた。

PK戦、4人目のキッカー、ネルソン・アエド・バルデス(Nelson Haedo Valdez)

ネットで調べてみたところ、パラグアイのエースFW。

現在、ドイツの名門ボルシア・ドルドムントのスター選手だが、FIFA.comによれば、パラグアイのクラブの研修生だった15歳~17歳まで、彼の寝床はサッカースタジアムの周り、一言でいうならばホームレスだったという。

彼は、パラグアイの5人目のキッカーが決勝のゴールを決めた後、駒野選手に駆け寄り何かを語りかけた。

その様子↓。

http://www.sanspo.com/worldcup2010/photos/100630/wca1006301031033-p5.htm

言葉の壁を考えると、その言葉が的確に通じていたのかどうかは分からないが、駒野選手はしきりにうなづいていたという。

心を伝えようとする強い思いと、

その心を心から掴もうとする思いが合致した時、

その時、奇跡は生まれ、心は通じ合える。

言葉に心が伴わなければ、

結局、言葉なんてなんの意味もなさない無用な長物なのだろう。

 

ありがとう!SAMURAI NIPPON!

BRAVO NIPPON!

BRAVO PARAGUAY!

 

「ボンちゃん、ゴリラ界では、誰もが心で語り、心で聞こうとする?」

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2010.06.29

太陽を呑もう!

日輪を呑みたる蟇(ひき)の動きけり

橋閒石(はしかんせき) 『虚』

 

日輪とは太陽の異称。

蟇(ひき)とはヒキガエルのこと。

太陽を呑みこんだような人になれたらと…、

梅雨の晴れ間にヒキガエルを思い出すのだった。

 

「ボンちゃん、そう考えると、ゴリラの魅力は夕陽を呑みこんだ気配があることかもね」

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2010.06.28

claudio baglioni 来日

我が愛しのクラウディオ・バリオーニが日本に来る!

2010年11月4日(木) 19:00 入場料6,000円

場所は、たぶん、イタリア文化会館…?!。

1951年ローマ生まれの国民的シンガーソングライター。

彼のコンサートはサッカー場(セリエAの試合が行われる)を満員にするほどの観客動員を誇っていた…、イタリアンポップス界の最高峰。

2006年トリノ・オリンピックの公式テーマ曲「Va'」を作詞作曲したのも、

会場で歌ったのもクラウディオである。

存在そのものが神話だと、私は思う。

そんは偉大なる人物がすぐそばにある武道館を横目にしながら、

イタリア文化会館でコンサート?!本当の話なのだろうか?

 

claudio baglioni オフィシャルサイトをチェックしたところ、

2010年のコンサート、claudio baglioni un solo mondo one world 2010

には日本でのコンサートの予定は記されていないようなのだが…。

主催者であるイタリア文化会館に詳細を電話で問い合わせたところ、

イタリア文化会館の地下2Fホールで行うと一応は明言したものの、

チケット販売方法は決まってないからまた電話してちょうだい、と。

 

行われるであろう2010年11月4日(木)の19:00になってみなければ、

彼が本当に現れるかどうか誰にもワカラナイのかもしれない。

深い謎に包まれている、まさにミステリーコンサートツアー。 

もういくつ寝ると、

2010年11月4日なのだろうか…。

 

「ボンちゃん、ゴリラはどんな音楽が好き?」

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2010.06.27

唯一ムヒ

今日、薬局でムヒを買った。

ムヒと言えば、誰もが知っている痒み止めだが、

この商品名、なぜ“ムヒ”というのだろうか?

ムヒを見ていたらそんな疑問が生じた。

なぜかというと、ムヒは商品名。

社名はムヒ薬品ではなく、池田摸範堂。

社名と関連の無いフタ文字「ム」「ヒ」を選んだのはなぜだろう?

 

そこで池田摸範堂のHPをチェックしてみた。

「唯一無比」

「天下無比」

これがムヒの語源。

“ムヒ”とは無比のこと。

比べるものがない優れた効き目という意味が込められた商品名。

これからはムヒを見る度、

その名に込められた偉大なる意味を思い出すことになるだろう。

唯一ムヒッ!

スゴイ名!

 

「ボンちゃん、ゴリラは、無比な存在感を放っているね」

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2010.06.26

蛍の求愛

どこかに幻の世界があって、

蛍は、そこの在住者だから神秘的な光を放つことができるのだ…。

そんなことを思いながら、上下にゆらゆらと揺れる光を見ていた。

今、椿山荘の庭園では源氏蛍が幻想的な光を放っている。

そこでちょっと蛍について調べてみた。

蛍は、水と土の中で約1年を過ごし、

光を放つのは僅か10日前後。

更に興味深いことに、オスとメスは光の放ち方が異なる。

オスは空を舞いながら強い光を放ち、

草木の陰に潜むメスに求愛をする。

メスが弱い光を放って答えればカップルの誕生。

ということで、

私たちが心惹かれるあの神秘的な輝きは、

蛍の求愛の光なのである。

 

人間以外の生きものは、

人間の求愛に神秘性を感じているだろうか、気になるところである。

 

 

「ボンちゃん、ゴリラは、どんな求愛が幻想的且つ神秘的だと思ふ?」

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2010.06.25

日本の星

日本がデンマークを破り、遂に決勝トーナメント進出となった。

素晴らしい!世界のメディアも昨日のサムライの強さを絶賛している!

ふと、数年前に行ったスプ-ン曲げのことを思い出した…。

スポーツ選手は皆、イメージトレーニングをしていると聞く。

イメージトレーニングによって固定観念を解き放てば、

潜在意識が持つ無限の可能性を開花させることができるのだ。

それを簡単に体験できるのが以下に記すスプーン曲げである。

 

方法は次の通り。

①左手でスプーンの三分の一位の柄のところよりサジの部分を持つ。

 注、スプーンのさじの凹んだ部分は自分の方に向けて持つこと。

②このスプーンはお豆腐のように柔らかいと心に言い聞かせる。

 ここが難しいのだが、最も重要なところである。

 金属は固いという概念を捨てなければスプーンは曲がらない。

 即ち、顕在意識を解き放つ必要があり、

 このスプーンはお豆腐と同じ柔かさである。

 そう思い込むこと。

③右手の小指をスプーンの柄にかけ、

 柄を支えている左手の親指の方に曲げると、曲がる。

 注、この時に力まずにリラックスして力を抜いて行うこと。

 

何事もできないと思ったら、できない。

できると信じ込んでいれば、できる。

勝てないと思ったら、勝てない。

勝つと信じ込んでいれば、勝つ。

W杯出場の全てのチームの全てのメンバーが、

同じぐらい必死にサッカーの練習をして参加してきているはず。

どのチームが勝利できるかは、おそらく幸運に恵まれるかどうか。

それは、スプーン曲げ同様、

顕在意識に潜在意識が勝って、勝つのは当然のことなのだ!

と、信じ込んでいるメンバーが最も多いチームが、

勝利の女神を微笑ますことができるのだ。

幸運を引き寄せ、その運を掴みとることができるかどうかは、

自分を信じきることができるかどうか。そこにかかっているのだ!

ということなので、

イメージトレーニングして潜在意識の可能性を開花させることができれば、

誰もが、世界に誇る日本の星になることができるのだ!

ガンバロウ OH! 

 

「ボンちゃん、ゴリラはみんな、自分を信じきって生きている?」

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2010.06.24

56歳イタリアv.s73歳フランス

フランスで思い出したことがある。

最近観た映画『Il Regista di Matrimoni』(伊、2006)に、

それはそれは甘く、渋い気配の俳優が出演していた。

イタリア映画だからやっぱりイタリア人?と思ったのだけれど、

すっきりとした顔立ちをしているからイタリア人らしくない。

いったい彼はどこの出身なのだ?

あの渋さ、いったい何歳なのだ?

などとあれこれ気になり早速調べてみたところ…、

名前:SAMI FREY サミー・フレー(73歳)、出身地 パリ。

73歳と言えば、あと2年で後期高齢者入りである。

映画は4年前の制作だから、サミー・フレーが69歳の時の映像。

その映画の主演は、最近心奪われたばかりのイタリア人の俳優、

Sergio Castellitto セルジオ・カステリット(56歳)だというのに、

サミー・フレーを見た瞬間から心はサミー側に移動した感がある。

56歳イタリア V.S. 73歳フランス

その軍配を上げたのが、

親よりも年上である73歳の方であることに自分でも驚いている。

「年をとると、魅力も気力も衰えてしまうような錯覚に陥りやすいけれど、自分の心持ち次第でいくつになっても輝いていられるのだよ」

と、甘やかな声でサミー・フレーが囁いた気がしてならない。

 

「ボンちゃん、ゴリラは、年齢が離れているゴリラにも恋する?」

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2010.06.23

ああ、フランス戦

ワールカップ観戦で寝不足の人も多いと思う。

話題に事欠かないフランスチームだったが、最後まで話題満載だった。

22日のフランス対南アフリカのワールドカップは、ドラマドラマの連続。

空中の競り合いの際、フランスのグルクフがジャンプし、

落ちてくる時に相手国選手に肘が当たりレッドカードで退場となった。

映像で観る限り意図的なものには見えず、

レッドカードはいかがなものかと思ったが、

勝負は時の運が大きいことを改めて知らされたような気がした。

 

それを最も感じていたであろうフランスチームの監督は、

南アフリカの監督との握手を頑なに拒否し、

それでも笑顔で話しかけ続ける南アフリカの監督の手を、

最後には振り払ってしまった…。

物凄いストレスが圧し掛かっていたところに、

フランスがグループAの最下位でW杯から敗退が決まり、

その瞬間に感情が抑えきれなくなってしまったのだろう。

気持ちは分からないでもないが、

あれは町内対抗のような小規模な試合ではないことを、

フランスを代表して参加している身分であることを、

世界中の人が彼らの一挙一動を観ていることを、

その瞬間の悪態が、華々しかった彼の人生を一変させることを、

それらのことに少しでも思いを馳せることができていたら、

23日の今日が、

悪夢のような22日の昨日よりも、

更に辛くなることはなかっただろうに…、

と、思わずにはいられないのである。

 

辛い時こそ、冷静な態度が必要であるということを、

感情のコントロールはセルフプロデュースに不可欠であるということを、

フランスの監督が人生をかけて教えてくれたように思うのである。

 

「ボンちゃん、ゴリラもストレスに押しつぶされそうになると、メチャクチャなことしちゃう?」

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2010.06.22

華麗なるサボテン

毎年、一夜だけ咲く、

我が家のサボちゃん一家。

今年は、沢山の蕾をつけてくれた。

朝、昼、夕方、夜、経過を写真に撮ってみた。

Sabo1

Sabo2

 

Sabo3

Sabo4 

「ボンちゃん、ゴリラもサボテンの咲く夜は眠らない?」

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2010.06.21

梅雨お見舞い

ここのところ蒸し暑い日が続いている。

身体が重だるく、いまひとつ気分が優れないという人も多いようだ。

写真は、友人宅の水槽に泳いでいた金魚の蘭ちゅう。

赤色でも丸っこくても涼しげに見えるから不思議だなあ。

と、思いながら見つめていたら、

蘭ちゅうがボソッと呟いた気がした。

“心頭滅却をすれば火もまた涼し”、と。

 

Kingyo1

涼をあなたに。

「ボンちゃん、ゴリラも気持ちの持ちようによって体調が変わる?」

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2010.06.20

ただ一人でいい その4

……昨日の話の続き。

では、そのチャンスを逃さないためにはどうしたらよいのだろうか?

それは、人との付き合い方を見直す必要があると私は思う。

まず、自分に問うてみよう。

誰に対しても、同じような距離感で接していないだろうか?

誰に対しても、そこそこに感じよく接していないだろうか?

誰に対しても、心と心が近づかない距離で接していないだろうか?

確かに、自分から心を開くことは、勇気がいる。

自分が心を開いても、相手も同じように接してくれるとは限らないし、

自分が、この人こそ真の友と思っていても見込み違いだったり、

或いは、その人の意とせずとも裏切られる結果にだってなる。

そういうリスクはあるけれど、

挑まなければ何も始まらないから、リスクは背負うしかない。

もしもそれがイヤなら、最大の味方づくりは諦めるほかないのだ。

それに、相手の胸に飛び込んでみなければ、

受け入れられるかも、拒まれるかも分からないのだから、

ここは頑張って挑んでみようではないか。

従って、この人は他の大勢とは違うと思ったならば、

自分のみる目を信じることに徹する必要がある。

私は何時でもあなたの味方である、という気持ちを心に満たし、

通り一遍のつき合いをやめ、誠を貫くつき合いをすること。

その繰り返しが、味方づくりの第一歩であると私は信じている。

もうひとつ、自分が情熱を注いでいる分野を持つことだろう。

おしまい。

 

「ボンちゃん、ゴリラもやっぱり味方がいると心強い?」

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2010.06.19

ただ一人でいい その3

……昨日の話の続き。

最大の味方をつくる手立てを考える前に、

まず、味方とはどういう存在かを思い起こしてみたい。

 

ひとつ、味方とは、最大のファンである。

ひとつ、味方とは、信じる者である。

ひとつ、味方とは、自分の分身である。

ひとつ、味方とは、全幅の信頼を置く者である。

ひとつ、味方とは、何があっても動じない精神を捧ぐ者である。

 

元々は赤の他人である者に対し、

これだけの感情を自分に抱いてくれる人。

それが味方なのだ。

味方を作ることがいかに容易でないことが想像がつく。

求める前に自分が誰かの味方になることが必要だということも見えてくる。

もしも自分と波長が合う人や、

似ている感覚を持っているとか、

理解しあえると思う人に会ったならば、

その時こそが味方を作るチャンス到来といえるのではないだろうか。

そんな機会はめったに訪れないと思って、

そのチャンスを逃してはいけない。

その時のつき合い方が後に味方心理を掻き立てることにつながる。

かように思うのだ…。

では、この続きは明日に…。

 

「ボンちゃん、ゴリラは、出逢った瞬間に、自分の味方になってくれるであろう人だと分かる?」

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2010.06.18

ただ一人でいい その2

……昨日の話の続き。

映画に話を戻そう。

神様から見放された気持ちになったミルコだったが、

眼差しは常に、たった今、そして明日へと向かっていたように思う。

そこがミルコの逞しさであることは言うまでもないのだが、

盲学校での環境が万全だった訳ではない。

そこで最大の味方を含む少数の味方に出逢う。

そして、次々と味方が増え、自分の進む道を見出すことになる。

ミルコの実話からも“強力な味方”の理論、

昨日紹介した本の話が立証されているのだ。

それでは、

どうしたら強力な味方をつくることができるのだろうか?

それは明日に……。

 

「ボンちゃん、ゴリラ界では、どんな存在感を放つゴリラが大多数を占めてるの?」

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2010.06.17

ただ一人でいい その1

イタリア映画界で活躍中のサウンド・デザイナー、ミルコ・メンカッチの話。

彼は少年時代に不慮の事故で視力を失うが、

自然界の音を組み合わせることに没頭して逆境を乗り越える。

その実話が映画化されたのが、

「ミルコのひかり」<伊〉ROSSO COME IL CIELO/2005年

 

逆境にあっても逞しく這い上がってこられる人と、

そうでない人がいるように思う。

その違いはどこにあるのだろうか…と、映画を見ながら思った。

それから何気なく一冊の本を読んだら、

これだ!と思った。

本には以下のようなことが記されてあった。

世の中とは、一番多いのがノンポリ、次に多いのが多くの敵、そして少数の味方がいる。 以下、本文転記。

「しかし、少なくてもいい、たとえ一人でも強力な味方を持っている人は、どんなに叩きのめされても、はい上がってくることができる。残念ながら少数の味方がいない人は、そのまま沈んでしまうことになる。つまり、死んでしまうということだ。肉体的には生きていても、社会的に葬り去られてしまうということだ、一人でも二人でもいい、いかに味方をつくっていくかなのである。味方をつくろうと思ったら、それなりのつきあいをしていかなければならない。その人のためになること、困ったことがあったら、体を張ってでもその人を助けていくということである。」(佐藤正忠「人づきあいの極意」経済界,1994より)

 

この続きは明日に……。

 

「ボンちゃん、ゴリラは少数精鋭主義かな?」

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2010.06.15

拝啓、インテリ青年

「教養が邪魔をする」という言葉の意味が新聞記事に載っていた。

この言葉には教養人を称賛する意味と、自己主張を控えるから頼みにならない、その二つの意味合いがあるという。

福田恆在氏の言明では、教養とは節度。節度とは、控える力と他者に自己の意思をおしだす力としている。

(参考:読売新聞2010/06/15)

 

そういえば寅さんはいつもインテリに恋愛指南をする。

あれは確か…23作目、マドンナが桃井かおり、インテリ青年が布施明

寅さんがインテリ青年に告げるセリフ。

「インテリか、じゃぁ女にもてないよ。あきらめな」 

 

“インテリは女にもてない”

そう寅さんが断言する理由が明確に分かった気がする。

そうか、教養が邪魔をするからなのだ。

詳しく寅さんが恋愛指南するとしたら、こんな感じになるのかな…。

おい、インテリ青年。

オマエは、自分の態度が女を不安にさせている事に気づいているか?

自己主張を控えるから頼みにならないように見える。

オマエは頼みならない人間なのか?

教養の意味を勉強しなかったのか?

心が控える力と押し出す力をもってなきゃ、

真の教養をもっているとは、言えないんじゃないのか?

おい、インテリ青年!

勉強ばかりしてないで、もっと恋をしろ!

 

「ボンちゃん、ゴリラも、好きなヴォルテージが高い相手ほど、気持ちを伝えるのが難しい?」

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2010.06.14

好きなものこそ美しい。

昨日の玉ログでもふれたが、“美しさ”について改めて考えてみた。

昨日の記事を書いた後、映画「ローマの休日」のアン王女(オードリヘップバーン)のセリフが思い出された。

映画の最後の方のシーン。アン王女が記者会見を受ける時のセリフ。

「最も印象に残った訪問地は?」と、記者から聞かれた王女は、

「いずこも忘れ難く良し悪しを決めるのは困難...」と、マニュアル通りの公平性を欠かない返事をし出すのだが、その直後に意を決したかのように言い放つ。

「いずこも忘れ難く良し悪しを決めるのは困難……ローマです。勿論ローマです。今回の訪問は永遠に忘れえぬ想い出となるでしょう」、と。

アン王女が恋に落ちたのが東京だったとしら……東京です。勿論東京です。そう答えたにチガイナイセリフである!

というわけで、東洋人であっても西洋人であっても、

深く印象に残った地というのはよき思い出が重要。

とりわけ女性にとっては、多くの場合、それは美とイコールとなり、

その地に美しき思い出があるならば美しい町となる、

と、まあ言いたいわけなのだが、 

それを正に言い換えた言葉、

私の好きなイタリアの諺を思い出したのでご紹介したい。

"Non e` bello cio che e` bello
美しいものは必ずしも美しくはなく、

ma e` bello cio che piace."
好きなものこそが美しい。

 

「ボンちゃん、シルバーバックがレッドカーペットに登場したら、どんなにゴージャスなドレスを身にまとったハリウッドセレブも、その美しさにはかなわないと思うよ」

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2010.06.13

人生最後の景色

老後、「死に場所」を選べるとしたらどこがいい?

と、聞かれたとしたら果たして何と答えるだろうか。

段取り通りに事が運ぶかどうかは別として、

その候補地として、感動するくらい美しい所を選ぶだろうか?

なぜそんなことを思ったかというと、

大前研一さんの本「やりたいことは全部やれ!(講談社、2001)を読んでいたら、「死に場所」には、感動するくらい美しい所がいいと書いてあったからなのだ。

高校の頃から「死」というものを考えながら生きているという大前さんの人生観は、いつ死んでもいいように悔いのない生活を送ること。

アウトロー的に超挑みマンな大前さんは、世界中を旅し、既に、「死に場所」の候補地をいくつか見つけてある。

第一候補地は、オーストラリアのランセリンで、パースから車で2時間ほどにある小さな町で、国内では次の4か所、徳島の鳴門の渦の見える丘の上、同じく四国の四万十川の流域、本州最南端にある開聞岳の麓(死ぬタイミングが一月の末ならば、ここに決定らしい…)、長野県の蓼科。

外にも6か所ほど候補地はあるというが、いずれも自然が超自然的にマッチしていて、ウルトラスーパー美しい所がいいようである。

男性と女性とでは、その候補地の選び方が違うのか、或いは男女関係なく個人差なのか、調査でもしない限りは分からないが、

私は、場所の美しさより、心にある、ずっと自分をこれまで温めてくれてきた思い出、それを最も強く感じる地を、最後の景色に選ぶだろうと思う。

 

「ボンちゃん、ゴリラの背中には哀愁を感じるから、そういうことを考えていそうに見えるのだけれど、人生の最後の景色は、美しさが優先?それとも思い出が優先?それとも…、案外気にしない?」

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2010.06.12

夢の実現

『ぬけぬけと自分を励ますまじめ歌』という詩の一節。

〈他人を励ますのは、気楽です/自分を励ますのが、大変なんです/私は誰か、私は何か/知ってしまったあとだもの… 。

(2010年6月12日 読売新聞より)

詩を読んでいて、ふと、次のようなことを思った。

世の中には励ましが効く人と効かない人がいる。

物事を深く考える質の人には、励ましが効き難い傾向がある。

大別すれば、

普通の励ましが効く人は、素直で、どちらかと言えば単純派。

絶妙な励まししか効かない人、或いは励ましが全く効かない人は…、日頃から何に対しても深く、必要以上に深~く考えている派。

熟慮型の人は常に内観しているから、自分は誰か、自分は何かをよく知っているような…そんな心持ちになりやすいのだろう。自分は所詮この程度…と、“見限り現象”が生じるきっかけが多いに違いない。おそらく作家には励ましが効かないタイプの人が多いのではないだろうか。

確かに物事には、引き際というのがあるように思う。

けれど、寄り道、わき道、回り道があるのが人生だと考えるならば、

自分が信じた道を歩んでいる時にだって当然、

寄り道があり、わき道があり、回り道があるはず。

その途中、時には道に迷うのは当たり前のことなのだ。

自分は所詮この程度と思い込んでしまい、

自分の器や才を下手に見極め、

悪くすると見切ってしまうことは勿体ないように思う。

なぜならば、

自分が誰かを完全に知っている人なんか存在しない。

自分が何かを完全に知っている人なんか存在しない。

と、思うからである。

物事をあまり難しく深く考えないで、

目指す道を愚直に進めば、

その道の先には、

夢の実現があるということなのかもしれない。

「ボンちゃん、哲学者みたいに見えるゴリラには、励ましは効かない?」

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2010.06.11

“チューチュー利き酒会”

その本を読んでいたらネズミとビールの面白い話が目に止まった。

伏木亨『人間は脳で食べている』ちくま新書,2005

その時、花屋さんで働く友人が前に話していたネズミとカーネーションの話を思い出した…、母の日用に大量のカーネーションを仕入れておいたら、よりによって赤いのだけを食べてあったという。

上記の本の内容、ネズミとビールの話に戻そう。 

ラットの実験によれば、ネズミは清酒やビールを完璧に飲み分け、各社のビール、例えば2種類のビール同士、2種類の清酒同士、吟醸酒同士、本醸造同士をそれぞれ並べると、好む方のどちらかだけを飲むことが明らかになった。

著者の見解は、人間のように美味しさを求めての選択ではなく、生きる上での有利な成分を選択してのことだろうと綴られてあった。

 

そしてもっと興味深いのが、

ネズミが選ぶビールの銘柄が、人間がビールを浴びるほど飲んだ時に、それでもまだ美味しく飲めるビールの銘柄とが、ほぼ完全に一致したというのである。

そこで思い出したのが、赤いカーネーションなのだ。

赤色と言えば、ポリフェノールである。

ポリフェノールが多いビールといえば、麦芽100%のビールかと思う。

となると、ネズミが好むビールは麦芽100%のビールなのかな? 

 

ビール大国ドイツでは、麦芽100%のものしかビールと認められていないと聞くし…、ネズミはかなりのビール通という裏付けがとれる。

ちなみにネズミの好む清酒は、さらりと喉の通りのいい甘口だとか。

 

ということで、夏に向けての楽しそうな企画を思いついた。

“Summer2010 チューチュー利き酒会”

ネズミとお友達とお誘い合わせの上、

ホタルの夕べならぬ“ネズミの夕べ”っていうのはどうかしら?

チュー!

 

「ボンちゃん、ゴリラはビール好き?」

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2010.06.10

注文マニュアル

外食していると耳にする言葉、「取りあえず、ビール」。

席につくなり鍋奉行のような御仁が人数分のビールを注文する。

解説するまでもないと思うが、注文する食べ物はこれからメニューをじっくり見て決めるから、先にビールだけ人数分持ってきて、の意。

偶然に隣のテーブルに居合わせた私はというと、

日本人はビールが好きなんだなぁー、と思いつつも…、中には、よく冷えた白ワインを今夜は飲みたい気分の人だっているかもしれないのに、注文をする前に個人の意向を聞くのが筋というものでしょ、イヤダなー鍋奉行は…、などとひっそり思ったりしている。

更に、心は彼方はるか遠くの国、イタリアのバール(Bar)へと飛ぶ。

バールといえば、朝早くから夜遅くまで営業している喫茶店兼バー。

朝はバールでコーヒーとパン、昼はバールで軽食、夜はバールで食前酒。

イタリア人にとっては、No bar No lifeといった感じな場所で、

誰でも行きつけのバールがある。

その注文の仕方たるやスゴイのだ!

 

チャオ!と言って入って来ると…、

「今日は、エスプレッソに温かいミルクを数滴入れて」

チャオ!と言って入って来ると…、

「今日は、冷たいミルクを少し入れてたエスプレッソ、お願い」

チャオ!と言って入って来ると…、

「泡は少なめにしたカップチーノね~♪」

次の御仁は…、

「熱々の濃いめのエスプレッソ、急いでるから早くしてね」

そのまた次の御仁は…、

「薄めのエスレッソ、ガラスのカップに入れて」

極め付けな御仁は…、

「熱々のエスプレッソに冷たいミルクをちょっと入れて、温かいミルクの泡をのせて♪」そして大きな目でウインク。

 

一杯のコーヒーの注文に対し、オソルベシ個性と主張の強さを感じる。

和を重んじる文化。個を重んじる文化。

この果てしない異なりにビックリクリクリさせられる。

まあ、欧米化が進んでいる日本だから、日本の居酒屋でも…。

「冷やした大ジョッキ、エビスで、泡は多めね」

「ワタシは冷やしたグラスに氷2個入れて、ビールは冷やしてないサッポロ」

「ボクは~、キンキンに冷やした中ジョッキに、冷やしたアサヒ、泡少なめ」

と、そんな光景が見られる日は近いだろう。ハハッ!

 

「ボンちゃん、ゴリラは多くの注文をつけるほう?」

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2010.06.09

Saizeriya

Saizeriya 前々から「サイゼリヤ」の意味が気になっていた。

サイゼリヤと言えば、

正垣泰彦さん(サイゼリヤ会長)が、「ロマンとビジョンを明確に持ち続ける」ことを経営信条に、一代で全国チェーンに急成長させ、今では国内819店舗、海外59店舗あるイタリアン&カフェレストランである。

きっとイタリア語にチガイナイのだがイタリア語辞書にはのっていないのだ。

それがついに今日判明したのである。

Saizeriyaの意味は、クチナシ(古いイタリア語)。

レストランの創業日7月7日の誕生花だという。

仕事一筋でエネルギッシュな会長さんの趣味は、サイゼリヤだというから、

まさに、ぞっこん。

ロマンティック大好き派に属する私としては、その話に心がとろけた。

会長さんが丹精込めて育てたSaizeriyaの花が、

世界中に咲き誇ることを祈りつつ筆をおきたい。

 

「ボンちゃん、シルバ-バックは、みんなロマンをもってそうに見えるけど、実際はどうなの?」

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2010.06.08

6月病打開策

街では紫陽花が咲き乱れている。

ちょうどこの季節、

人間という生きものは、少し心が憂鬱になるのだろうか。

5月病、最近では6月病とも言われる心の状態に陥る人々がいる。

現実に対して様々な焦りが生じ、

どうにかしようと思えば思うほど、

更なるストレスをよび気が滅入り無気力になるような状態。

脱出するのが困難な厄介な心の状態だと思う。

 

誰にも相談できず、きっと紫陽花に話しかけたりしている…。

同じ人として、ささやかながらでも力になれないものかと、

そう思って雨空を見つめていたら、

もしかしたら役立つかもしれない、

偉大なる言葉を思い出したのでご紹介したい。

********

「どうして、自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだからいいじゃないですか」

(アインシュタイン 150の言葉より)

「動物と仲よくしなさい。そうすれば、あなたはふたたび快活になり、何事もあなたを悩ませることはできないでしょう」

(アインシュタイン 150の言葉より)

********

元気になることを心から祈っているからね。  

 

「ボンちゃん。ゴリラは雨季に憂鬱になったりする?」

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2010.06.07

愛するとは?

ある小説のセリフが気になっている。↓

 

  ********

誰かを愛するとはどういうことだろう。

アンジェラ

君は知っているかい?

私にとって愛するということは、

イタリアの息を私の腕(カイナ)に受けとめながら、

ほかの音がすべて消えていることに気づくことだったのだ

(マルガレート・マッツァンティーニの小説、「Non ti muovere」=「動かないで」より)

 

※アンジェラとは… 一人娘の名

※イタリアとは…  アンジェラの父親の愛人の名

アンジェラはバイク事故を起こし病院で緊急手術中。生死を彷徨っている娘に、隣の部屋で待つ父親は自らの胸の内(過去)を告白しているのだが、その時のセリフ。

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なんとも詩的な表現である。

愛する者の重さを感じ、

愛する者の寝息を感じ、

その感覚と思いだけで心が満ちている、それに気づいたこと。

それが、彼にとって愛するということなのだろうか…。

実に考えさせられるセリフである。

愛するということ…、

その詩的な表現、ちょっと考えてみようと思う。

 

  

「ボンちゃん。ゴリラは、自分がどういう感覚に陥ると、それが愛するということだと気づく?」

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2010.06.06

モゾモゾの森

我が家の片隅には青虫の楽園がある。

別名、モゾモゾ(青虫)の森。

青虫たちが食糧に困ることなく柑橘三昧で育つようにと、

食べた柑橘系の果物の様々な種類の種を蒔いて作った、

大きさ、縦、横、高さ、70cm程度の青虫の楽園。

言うなれば、私は森の所有者で管理人なのである。ハハッ!

今年は気候のせいか、なかなかモゾモゾ隊員が姿を現さずに心配していたが、第一号の元気そうな、のぺっとした顔を見てほっと胸を撫で下ろした次第である。

このコが第一号。

 

Mozomozotaiin1

  

モゾモゾ隊員一号に挨拶をしていたら、

その近くに、葉っぱイッパイに背伸びしたような虫がいた。

これはどなた様?

森の管理人としては、気になるところである。

 

Mushi1

  

「ボンちゃん。ゴリラも、蝶のように空を飛んでみたい?」

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2010.06.05

明日は御座なく候

天が二物を与えたような人がいる。

思い浮かぶのは…、79代内閣総理大臣となって、後に陶芸家となり、書家としても知られる細川護熙氏。

日本橋三越で細川護熙展が開催されているが、(6月13日まで)

陶芸も書も凄いの一言に尽きる。

そして、書のある言葉が目に止まった。

「明日は御座なく候」

意味、明日は無きものと思って今日を精一杯生きる。

同じ心構えで生きていけば、

天が才を後付けして、ついでに運も贈ってくれるかも?!

 

「ボンちゃん。ゴリラ界にも天が二物を与えたようなゴリラって、いる?」

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2010.06.04

この世は冗談!

悲劇の傑作を書き続けてきたジュゼッペ・ヴェルディの話。

人生最後の作品は『ファルスタッフ』という喜劇で、

原作はシェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』。

初演はヴェルディが79歳の時だった。

『ファルスタッフ』の一番最後のセリフが印象に残ったのでご紹介したい。

『FALSTAFF』 di Giuseppe Verdi

Tutto nel mondo é burla.
L'uom é nato burlone,
La fede in cor gli ciurla,
Gli ciurla la ragione.
Tutti gabbati! Irride
L'un l'altro ogni mortal.
Ma ride ben chi ride
La risata final.
(cala la tela)
F I N E -the world of classical music-

この世の中はすべてが冗談である。(途中中略)最後に笑った者こそが本当に(よく、うまく、十分に、たっぷり、立派にとかのニュアンス)笑うのである。

 

悲劇オペラの帝王ヴェルディが人生最後の作品に喜劇オペラを選ぶとは、

老いを達観し自らの人生を省みてのことだろうか。

ヴェルディが最後にオペラを通して最も伝えたかったことは、

言葉にすれば、このセリフだったように思うのである。

この世に起きることは冗談。

そんなふうに思えば、

気負わずに生きられるような気もする。

 

「ボンちゃん。ゴリラは、この世は冗談みたいなものだと思う?」

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2010.06.03

『心に穴倉見つけた日から』

詩をつくってみた。

 

『心に穴倉見つけた日から』

 

心に穴倉みつけた日から 産毛逆立て穴覗き見て 

心に穴倉みつけた日から ひとりごとにて木霊と遊び 

心に穴倉みつけた日から 温もり欲しさに砂を掘る

心に穴倉みつけた日から 心が体の足手まとい 

心に穴倉みつけた日から 魂挑んだバンジージャンプ  

心に穴倉みつけた日から 難破し気づけば深海魚   

心に穴倉みつけた日から 穴に合うフタさがしてる    

心に穴倉みつけた日から 陽射しに手かざしのろのろしてる

心に穴倉みつけた日から 明日と今が綱引きしてる 

 

「ボンちゃん。ゴリラは明日の重みが今日にのしかかることある?」

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2010.06.02

スーザン・ボイル&エレン

スーザン・ボイルはミュージカル女優のエレン・ペイジを夢見て歌い続けてきた。

そして歌手になる夢を叶えた。

エレン・ペイジとの初共演の模様、

イギリスのTV番組の一部がYOUTUBEにあがっている。

曲は、「I know him so well」 ミュージカル「チェス」より

http://www.youtube.com/watch?v=9o8PgJPUjfo&feature=related

 

感動の涙がキーボードを濡らす…。

♪ 。o*(O´∀`O)*o。 ♪

 

「ボンちゃん。ゴリラは夢と現実の間で揺れる?」

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2010.06.01

“5g”

“5g”に眼が止まった。

コーヒーを飲んだ際に見たシュガースティックの文字のことなのだが、

日頃、何気なく見ていた文字は、どれも“3g”だった。

街角に並ぶフランチャイズ店、ざっと思い浮かぶのは、

イタリアントマト、マック、キーコーヒー、Beck's Coffee Shop、モスバーガー、ケンタッキー、ベローチエ

これら7社のシュガースティックは、包装は紙、3g入りである。

ドトールのシュガースティックは、かたいセロファン(防水加工)、5g入りなのだ。

なぜドトールはシュガースティックにお金をかけているのだろうか?

そこにはドトール独自の企業戦略があるにちがいない。

ドトールがターゲットにしている客層は甘党が多いのだろうか?

紙よりも丈夫なセロファンに包まれたシュガースティックは、切り口が分かりやすく、非常に切りやすい構造になっている。

ファーストフード店には入り辛いし、価格を抑えた喫茶店を求め、且つ甘党、そしてちょっと高級感のあるシュガースティックからさらさらと砂糖をコーヒーカップに入れながら、生花が生けてあるプチ豪華な雰囲気を楽しみたい、そんな客層といえば…、

そういえば、ドトールは喫煙コーナーが必ずある店舗が多い。

ターゲットは、喫煙者、年配層かな…。

私はコーヒーに砂糖は入れないのだけれど、

その戦略、ちょっと気になる。

 

「ボンちゃん。ゴリラ界にも、甘党や辛党、色々いるの?」

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