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2010年9月

2010.09.30

タンバリンがなくとも踊る

イタリア社会では心が強くなければ人に迷い人生に迷う。

そう実感する今日この頃なのだが、

今の時代、日本社会も例外ではなく、

自分を信じる強さなしには路頭に迷うにちがいない。

心の強さとは、どんな時も自分を信じ貫く信念だと思うが、

なんだか空回りしているような気がしてきたり、

この世は全てが不確実であるということに目が行ったりし出すと、

強い不安感によって心が押しつぶされそうになってきたりして、

悪くすると笑えなくなってくる。

そんなふうになってきても、

この世に自分が自分として存在する限り、

やっぱり止めてはならないのは自分を信じ貫くことである。

だから、生きることはけっこう大変で厄介で、

忍耐と根性とケセラセラ感が必要だと思う。

 

どんなに良い友がいようがいまいが関係ない。

自分を救うのは自分である。

自分よ、楽しみ待っててくれよ、今助けるかなッ!

それぐらいの覚悟が絶対に必要だと思う。

他人様だって、みんな自分のことで手いっぱいなのだ。

と、心して生きていれば、

人に迷わないだろうし、人生に迷わないだろう。

 

まあ、そうは思っていてもやっぱり人だから、

時には、疲れてくる。

生きることが悲しいような心持ちになったりもしてくる。

 

そんな時、

誰かが心にシャンシャン響く言葉を投げかけてくれたら、

心は再び頬笑み出すにちがいない。

「希望を持つ者はタンバリンがなくとも踊る」(フランスの諺)

踊り狂うことでしか、

心に潜む不安感は成敗できないものなのだろう……。

 

「ボンちゃん、ゴリラは、生き急いで心が空回りしてしまうことってある?」

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2010.09.29

sigaretta

タバコ税値上げに伴ない禁煙をしている友人が何人かいるが、

イタリア映画を見ていると喫煙シーンが異常に多い事に気付く。 

イタリア語でタバコは sigaretta シガレッタ という。

映画での喫煙シーンはどんな時かというと、

不安定な雇用体制、

不安定な人間関係、

不確実性を感じる社会、

それらが将来に対して不安感をもたらし、

なにもかもが現実性を帯びて悲観視できてしまうことに、

不安定な精神状態が生まれ、

すべてを投げ出したくなる浮浪する心、

動揺する心をニコチンの力で強引に治めようとする時である。

 

イタリア映画は社会派のストーリーが圧倒的に多い。

イタリア社会の不安定さが如実に現われている証だと思うが、

兎に角、タバコを吸うシーンが多いのである。

 

もしも日本の喫煙者の多くが、

ストレス発散の手段として喫煙しているならば、

そして価格高騰を機に禁煙を心がけるならば、

恐らく溜まりゆくであろうそのストレスを、

何かで発散する手段を見つける必要があるように思うのだ。

言いかえれば、

他のストレス発散方法を見つけること無しには、

なかなかタバコは断てないのではないだろうか。

かように思う次第である。

 

「ボンちゃん、動物園で暮らすゴリラは、どうやってストレスを発散しているの?」

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2010.09.28

pesce gatto

魚猫の天ぷら 1200円 

と、もしもメニューにあったら何の天ぷらだと想像するだろうか?

イタリア語でナマズを"pesce gatto"ペッシェ ガットというのだそうである。

pesce 魚 

gatto 猫

ふたつ連ねて 魚猫=“ナマズ” なのである。

語源はナマズのヒゲが猫のヒゲに似ているからだろう。 

と、想像するに容易い直接に要点を突いた言い方。

 

一方、日本語はどうかとみると、

「鯰」(ナマズ)という漢字の語源はさっぱり想像がつかない。

日本語辞典による諸説ある中のひとつは、

ヌルヌルした体=滑(ナマ)らかな、泥魚(ドロウヲ)から転じたという説。

念(ネン)にはヌルヌルした体の意があるという。

表現が遠まわし過ぎて妙に分かりづらい。

 

こういったところにも国民性が表れているのかもしれないのう……。

 

「ボンちゃん、pesce gorilla (ペッシェ ゴリラ)って魚があったらビックリするね!」

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2010.09.27

saboko

我が家の窓辺に佇むsaboko。

左上部と左下部にチョコンと子分らしき姿が現れてきた。

 

Saboko2

 

Oh!  きちんと重心を考えて生み分けているッ!

バランス感覚に長けているらしいッ!

saboko 賢いッ!

 

「ボンちゃん、ゴリラも次は男のコが欲しいね…とか夫婦で話すの?」

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2010.09.26

芸術の秋だニャ!

なんとか生きながらえること、

それだけを目標に過ごしていた夏の猛暑が消えたと思ったら、

今度は突然に北風吹く季節の到来。

秋と言えば、芸術の秋だニャ!

ということで手始めに猫のがま口を作ってみた。 

 

Gamaguchi2_2

涼しくて嬉しいニャィ~ン!

ニャハハハッ!

 

「ボンちゃん、ゴリラは日本の秋は好き?」

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2010.09.25

スズメとバナナ

今日も外ではカラスがカァ~~カァ~鳴いている。

そう言えば先日、

スズメはバナナ、好きかな…と思ってあげてみた。

すると、

気になって仕方がない様子なのに、

自分の頭よりも大きいサイズのバナナが怖いのか、

近づいては離れての繰り返し。

数分経ってようやく突いた。

Suzu1

これはその直後の写真。

スズメの口ばしにバナナがついているのが愛らしい。

しかし夢中で食べることなく飛び去っていった。

するとその直後にカラスが来て、

躊躇することなくバナナを持ち去ったのだった。

 

カラスは地上でのやり取りを見つめているらしい。

カァーカァ鳴きながら……。

 

 

「ボンちゃん、ゴリラはみんなバナナが好きかな?」

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2010.09.24

菜っ葉の肥やし

昨日書いた「無反応という反応」に相反する反応を考えてみた。

反応があり過ぎ…と言えば、

掛け声ばかりの反応。

そうそう、慣用句で言うならば、「菜っ葉の肥やし」に当たるだろう。

最初はそれが有言不実行な特徴だとは気付かなかったけれど、

次第に掛け声ばかりで行動が伴わない反応だと気付いた。

そんな経験はないだろうか?

 

幸か不幸か無反応な反応をしてくれる知人も、

菜っ葉の肥やしな知人も私にはいる。

だから時に悲しかったりもするけれど、

それが世の中というところだからイタシカタナイのだ。ハハッ!

 

 

「ボンちゃん、ゴリラ界にも菜っ葉の肥やしなゴリラっている?」

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2010.09.23

無反応という反応

今日は無反応について考えた。

壁に向かって一人で喋っているような気にさせられる。

それが無反応だと思う。

漢字を見れば「反応」の前に「無」がついている。

ということは反応していないということだから、

無反応というのは反応しないことだとも単純に思えるけれど、

無反応というのは反応の無い反応なのか!?

とさえ思えてくる程、

日本人は無反応な傾向があると実感する事が多い。

おそらく外国人が最も戸惑わされている日本人の民族性。

日本人の私でも、

この超特異な反応に戸惑いを覚えるのだから、

意思表示を明確に表明する文化を持つ外国人、

特に日本人に何かを教える外国人教師などは、

理解も対処法も見い出せず、

目が点になる他ないだろうことは容易に想像がつく。

 

相手が無反応だと、

嬉しいのか嫌なのか、

納得しているのか納得していないのか、

聞こえているのか聞こえていないのか、

心がそこにいるのかいないのか、

まったく分からないのだ。

それは多くの場合、

相手を深く傷つける。

 

相手が恋人でなくとも無反応という反応を受けた者は、

Marie Digbyの曲、「Feel」な気分に落ち込むにちがいない。

それが無反応という反応が相手にもたらすものであることを、

忘れないでいたい。

 

「ボンちゃん、ゴリラは無反応が大嫌いだよね」

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2010.09.22

シマウマ…ヒマワリ

Dscn9864

7月に千葉市動物公園を訪れた際に撮った、

シマウマの写真なのだが、

ここに「ヒマワリ」が写っているのだろうか…、

と、写真をじっと見つめていた。

今日のニュースで知ったことだが、

世界最高齢だったシマウマの「ヒマワリ」が今月他界していた。

1983年に米サンディエゴ動物園で生まれ、

1988年に千葉市動物公園に来たヒマワリは27歳だった。

ちなみに平均寿命は20歳だという。

 

思い起こせば…、

私はその昔サンディエゴにホームスティした際にサンディエゴ動物園を訪れ、

今年になり何度も千葉市動物公園を訪れ、

シマウマを見つめ話しかけていたのである。

そこにいるシマウマが「ヒマワリ」だとは知らずに……。

 

「ヒマワリ、これまでありがとう。これからは天国の野原を思いっきり駆け回ってね!」

 

不思議な偶然に気付いた「中秋の名月」の夜だった。

 

「ボンちゃん、ゴリラは満月の夜に血が騒いだりする?」

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2010.09.21

バランスボール

見た目がなんだか面白いモノを友人から戴いた。

ボツボツが全体についた直径45cmほどの青くて丸いボール。

010

バランスボールというらしい。

ボールでエクササイズに励めば骨盤の歪みを矯正できたり、

美しいプロポーションを手にすることができるという。

継続してエクササイズを頑張ればの話だが……。

過去を振り返ると、

我が家に来たこうしたグッズは三日坊主で終わる運命を辿っている。

しかし、このボールはエクササイズ以外にも役立ちそうなのである。

ボールの上に仰向けに横になると、

首や背中がボツボツに圧されて凝りがほぐれるような気がするのだ。

かなり優れモノかもしれない!

 

「ボンちゃん、ゴリラは体の構造上、肩は凝らなそうだね」

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2010.09.20

サボテンの花

今年、我が家のサボちゃん一家は5回、

合計100ケほど花を咲かせた。

通常は毎年夏の夜、一度きりだというのに。

5回目は雨の夜だった。

真夜中に近づくにつれて濃厚な甘い香りが強まり、

羽毛のように柔かい花びらに、

雨の雫がよく似合っていた。 

 

Sabochan3

 

Sabochan4

フラッシュを使用したため明るいが、真夜中に撮った写真。

Sabochan2

 

「ボンちゃん、ゴリラ界ではなんの花の香りが一番人気?」

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2010.09.19

人はむずかしいイキモノ

たとえば、こんなこと。

あるおじいさん、基本的には優しくていい人である。

しかし…、

ちょこちょこご近所の家を訪れては、こんなふうだったら……。

「これ食べて~」と2切れ入りの塩鮭を1パックを手にやって来ては、

焼いたのを1切れ持って帰りたいと言う。

大福を3個買ってきては、

1個は自分用に持って帰るからサランラップに包んでと言う。

といった具合に、

超身内的というか長屋のつき合い調なつき合いを好む。

が、

される方が長屋的なつき合いが嫌いな場合は悪夢だろう。

 

感覚の相違は埋めがたいものがある。

人はむずかしいイキモノだと思う今日この頃なのである。 

 

「ボンちゃん、ゴリラは人間とのどんな感覚の相違に悩まされている?」

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2010.09.18

君はわが師だ!

またひとり名役者が空の国に旅立ってしまった。

小林桂樹さんが演じた役で私がすぐに思い浮かぶのは、

第16作 男はつらいよ 葛飾立志篇である。

マドンナが大学助手の筧礼子(樫山文枝)。

礼子の恩師が田所教授(小林桂樹)。

田所教授は礼子に恋心を抱いているのだが言いだせずにいる。

そしてある時、寅さんが自らの恋愛哲学を語る。

その一言に田所教授は感動して納得して開眼する。

超インテリが寅さんに「君はわが師だ!」と言い放つシーンが印象的。

寅さんが伊達眼鏡をかけている姿も必見!

 

ご冥福を心よりお祈りいたします。

 

「ボンちゃん、ゴリラはまんまるい眼鏡を鼻眼鏡にしたら似合いそうだね?」

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2010.09.17

Rosaな諺 3

Rosa が使われている諺、その3。

 

Se son rose, fioriranno, se son spine pungeranno.  

セ ソノ ローゼ フィオリランノ セ ソノ スピーネ プンジェランノ 

薔薇ならば花が咲き、茨(いばら)ならばトゲで刺す

(結果によって正体が判明する)

 

分かるようでニュワンスがいまひとつ私には掴めない、この諺。

 

たとえば、誰かを信じる、というひとつの選択で見てみよう。

前夫の浮気が原因で離婚し、心閉ざしていた女性がいた。

そんな彼女を慰めたくて毎日のように薔薇を贈る男性がいた。

最初は自らの殻に閉じこもっていた彼女だったが、

次第に彼の誠実さに惹かれてゆき愛し合い、

ふたりは結婚した。

しかし前夫同様、再び浮気問題が発覚したのだった。

この場合、

感動や美しさを味わった、薔薇のような時期を経て、

茨(いばら)のトゲで傷つく結果となり、悪夢を味わっている。

 

結果とは、ある原因や行為から生じた、結末や状態であるから、

ある原因や行為からどんな結果が生じるかは誰にも分からない。

時には良い結果が生じることもある。

時には不幸な結果が生じることもある。

時には意外な結果が生じることもある。

 

自分が選んだ選択が薔薇なのかトゲなのか、

その正体は時には薔薇だろうし、時にはトゲだろうと思うしかない。

だから結果は考えてもショウガナイ。

良い結果も悪い結果もある。

苦楽は相伴うことをいう諺、

「人生、楽あり苦あり」のイタリアバージョンなのだろうか・・・。

 

「ボンちゃん、ゴリラの手の表皮は硬くて丈夫だから、薔薇のトゲなんかぜんぜん刺さらないの?」

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2010.09.16

Rosaな諺 2

Rosa が使われている諺、その2。

 

Non c'e` rosa senza spina.  ノン チェ ローザ センツァ スピーナ 

トゲのない薔薇はない、 人生はよいことばかりではない

完全な幸せなどないという教えだが、

トゲなし薔薇は本当に存在しないのかと思って調べてみたら、

あるのだ。

 

モッコウ薔薇…黄色の八重咲 (中国原産)。

これは、よくフェンスに咲いているのを見たことがある。

 

Rose d'Hivers ローズ ディベール(ダマスク) (フランス原産)

これは、透きとおるような淡いピンク色から、

開くと純白色に変わる海外のレア品種だという。

 

ということで、

C'e` rosa senza spina.  チェ ローザ センツァ スピーナ 

トゲのない薔薇はある、 人生はよいことばかり

 

ということにして今夜は御ひらきに。

 

「ボンちゃん、ゴリラはどのバラの香りが一番好き?」

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2010.09.15

Rosaな諺 1

「薔薇」をイタリア語では「Rosa」という。

「Rosa」が使われたイタリアの諺を辞書に探してみた。

 

Cogli la rosa e lascia la spina. コッリ ラ ローザ エ ラッシア ラ スピーナ

バラを摘んでもトゲ摘むな

(物事はまず最良のものを目標とすべきだ)

 

と記されていたのだが、

“物事はまず最良のものを目標とすべきだ!”のメタファーが、

なぜ「バラを摘んでもトゲは摘んじゃだめよー」になるのだろうか?

“物事の優先順位を考えて行動しなさい”

という意味なら分かる気もするが、

最良のものを目標…の表現では堅苦しくてよくわからない。

ので、深追いするのはやめよう。

そういえば…バラを感じさせる曲がある。

バラの花びらやトゲといった特徴が音楽で表現されているような、

美と感傷が伝わってくるその曲のタイトルは、

ヘンデル:Lascia la spina cogli la rosa  

見ての通り、単語の並ぶ順が違うだけで先に記した諺と同じ。

 

コロラトゥーラで知られるチェチーリア・バルトリによるこの曲がお勧めなのだ。

 

「ボンちゃん、ゴリラはクラッシックとイタリアンポップスだったら、どっちが好きかな?」

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2010.09.14

薔薇のシロップ

立ちのぼるその薔薇の香りに、

気分は一瞬にして中世のお姫様になってしまうから、不思議。

ここ数年、私のお気に入りとなっているのが、

薔薇のシロップを数滴ミルクティにおとした、ローズ・ミルクティー。

 

ヨ-ロッパの歴史書にも登場する菓子専門店、

イタリアのピエトロ・ロマネンゴ社のローズシロップは、

ジェノバ近郊の修道院で無農薬栽培された薔薇の花びらを、

職人が手作業で保存料・着色料を加えずに作っているらしい。

材料は、バラ、砂糖、レモン果汁のみ。

気になる価格は、内容量100mlで2,730円。  

 

バラのエキスには、美肌、ホルモンの活性化などの効用があると言われ、

1800年代よりヨーロッパでは注目されているという。

 

スパークリングミネラルウォーターにおとせば、ローズ・スパークリングミネラルウォーター。

ドレッシングにおとせば、ローズ・ドレッシング

 

現実はそうもいかなくとも、

気分だけはいつでもどこへでも飛べる。

一瞬、中世の貴公子、お姫様に飛ぶのはいかがかしら?

 

「ボンちゃん、ゴリラは薔薇の花びらは食べないの?  え?今なんて言った? バラ タベナイ キミ ニ オクル きゃはっ!ボンちゃん す・て・き!」

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2010.09.13

眼差しの奥にあるもの

『ぼく、牧水!』

歌人の伊藤一彦さんと俳優の堺雅人さんの共著が、

きょう角川書店から刊行されたという。

堺雅人さんと言えば、

繊細さと優しさと色っぽさが混ざったような、

一度見たら忘れないような眼差しを持つ人という印象がある。

初めてその眼差しに遭遇したのはドラマ『篤姫』だった。

繊細さと優しさと色っぽさが、

正常と異常の狭間で彷徨っているような眼差しだった。

 

21年前、高校で出会った教師と教え子の間柄のおふたり、

伊藤一彦さんと俳優の堺雅人さんが、

若山牧水の短歌などについて語り合っている本だという。

あの独特な眼差しの持ち主が何を語るのか、

眼差しの奥に何があるのか、

その感性が文字に現れるかと思うと読むのが楽しみである!

 

「ボンちゃん、ゴリラは人間の眼差しの奥に、心の礎を見るの?」

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2010.09.12

聞く耳を持たない人

まったく聞く耳を持たない人に悩まされている。

そんな相談を受けることがある。

 

日頃から上から目線で物事を見ていて、

傲慢なまでに高飛車な物言いをし、

「私は思ったことは絶対に言う!」という態度。

それでいて人からの言葉には聞く耳を持っていない。

そういう人の特徴は、

自分の見る目は一流であると信じて疑わず、

自分の判断は常に正しいと考えている。

あなたは特別な人と言われる、

或いは感じさせてくれる人物を好む。

なついてくる存在だけを誰よりも可愛がる。

自尊心をくすぐってくれる人が好きなのである。

そうしない人は、攻撃の対象になる。 

そう、YESマンが好きなのだ。

自分と異なる考えを投げかけられることを嫌う。

助言、指導を嫌う。

それらは自分の心を傷つける行為と判断するようだ。

だから戦闘態勢に入るのである。

おそらく子供の頃に受けた心の傷が影響しているのだろう。

心が傷つくことを異様に怖れているから、

他者には全く理解できない解釈が心で生まれてしまうのだった。

 

言いかえれば、

極端に自分の心を守る精神が厚い人なのだ。

 

自分の心を守るためにどういった行動に出るかというと、

先手を打って相手を叱責し、攻撃してくる。

自分を傷つけようとする人は遠ざけるべし!

といった感じでやっつけようとするのである。

 

こういう人への対処法は、残念ながらない。

こういう人が教師だったら生徒には最悪。

私が小学生だった頃、

ヒステリーの塊な女教師が担任だった時期があり、

まさにそういう人物だった。

涙をぬぐいながら怖れおののきつつ学校に通っていた私には、

こういう人への対処方に悩む人の気持ちが痛いほどわかる。

毎日子供の様子を見守っていて、

もしもそんな感じのする先生に思い悩む子供がいたら、

環境を変えた方がいいと私は思う。

なぜならば、

聞く耳を持たない人は、絶対に良い教師ではないからである。

そういう教師との日々は、

子供の心を複雑に深く傷つける。

多感な時期に、

強く不安を浴びせられる日々を過ごすと、

大人になっても心に後遺症のようなものが残るのだ。

それでもこういう人は、

口八丁手八丁だったりするから、

言葉鋭く、

自信に満ちた態度で自分を正当化しながら周りにそれを誇示する。

だから直接的に接していない人にしか、なかなか分からない事。

そう、手に負えないのだ。

ということで、

万が一、そういった人物に出会ってしまったら、

言い争わず、立ち去る方向性で動くことが懸命だろうと思う。

 

「ボンちゃん、ゴリラは自分の心を守る精神に厚いゴリラは攻撃性が高い?」

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2010.09.11

拗ねる

昨日の玉ログ記事の続きになるが、

イタリア語では「拗ねる」という言い方自体、

「ふくれっ面をする」という絵的な表現をする。

この「拗ねる」という態度の裏にある感情の代表的なのは、

他人へのヤキモチなのだろうと思う。

自分をかまってほしいのに他人ばかり…ナゼ?という嫉妬の現れ。

「妹ばかりかまって、ボクをもっとかまって!」

と、素直に母親に言えないふくれっ面をした少年の姿が浮かぶ。

子供なら抱きしめたくなることでも、

大人がやったら見苦しく映るのがこの「拗ねる」という態度だと思う。

もしも目の前で拗ねられた日には、

100年の恋さえも冷めるだろうと思う。

 

「ボンちゃん、ゴリラは一瞬にして100年の恋が覚めることって、ある?」

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2010.09.10

仏頂面

「ふくれっ面をする」という表現があるが、

イタリア語での表現が印象的だと思ったので記してみようと思う。

 

tenere il muso テネーレ イル ムーゾ

tenere 体の部分についての表現に使う動詞。

muso 「(動物の)鼻口部のこと」

直訳すれば、口を(動物の)鼻口部のようにする。

 

それでは「仏頂面」はどう表現するのかと思って調べてみたら、

brutto muso ブルット ムーゾ

brutto 醜い、きたない、見苦しい、不細工な、不快な、いやな。

直訳すれば、口を嫌な印象を与える(動物の)鼻口部のようにする。

なるほど「仏頂面」を絵で表現している。

 

ここまで記して、「仏頂面」という日本語表現が気になってきた。

仏の頂きの面と書いて、「仏頂面」。

仏様の御顔の頂には、brutto musoがあるのだろうか……。

謎な漢字並びである。

 

「ボンちゃん、ゴリラは仏頂面せずに、背中で拗ねを語るでしょ」

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2010.09.09

わらじはサンダル!

わらじを、

イタリア語ではどう表現するのかと思って調べてみたところ、

i sandali di paglia  サンダリ ディ パリィア

わらのサンダル! ニッヒヒ!

 

浅草寺の大わらじを、

イタリア語の東京ガイドではどういう説明かと思って調べてみたら、

i sandali di Buddha サンダリ ディ ブッダ

ブッダのサンダル と書かれてある。

 

昨日学習したことによれば、

大わらじは仁王さまのもの。

仁王さまと言えば大力をもって仏法を守護する神さま。

そう、仏敵を払う守護神である。

 

イタリア人がローマの出版社から発行している東京ガイドなのだが、

Oh, nooooooo!

ガイドが間違えてガイドしているニャィーン!

 

「ボンちゃん、ゴリラは素足だけど、刺とかぜんぜん刺さらないの?」

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2010.09.08

大わらじ

今日は大雨で革靴がびしょびしょに濡れてしまった。

そうしたらなぜか浅草寺の大わらじが思い出された。

それは宝蔵門(仁王門)をくぐって振り向いた所に掛けてある。

長さ4.5m、幅1.5m、片方だけで500kgという超巨大なわらじ。

そういえばあれは誰用のものなのだろうか…と思った。

 

気になってきて浅草寺のHPで調べてみたところ、

仁王さまの力の大きさの象徴だった。

「こんなに大きなわらじを履く者がこの寺を守っているのか」と、

仏敵である魔が驚いて去っていくとされているという。

 

従って、大わらじは仁王さま用なのだった。

 

「ボンちゃん、ゴリラは人間よりも足が大きいよね!」

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2010.09.07

乙な味?!

今日の出来事。

私が苗から育てたサラダ用のヘチマ(長さ50cm)を友人と食べたら、

好き嫌いなんか全然なくて、

グルメどころか、

インスタントコーヒーと本格派コーヒ-の味さえも区別のできないほど、

味に無頓着なその友人が、

このヘチマだけは絶対に嫌いッ!

と言って2度と口にしようとはしなかったのだ。

私はとっても美味しいと思ったと言うのに……。

ということで、

味覚や食べ物の好みは人それぞれで違うから、

これから紹介する食べ方が、

誰もが美味しいと感じるかどうかはワカラナイのだけれど、

私は意外にも美味しいと思ったので記してみようと思う。

その食べ方とは、

素麺やひやむぎを食べる時に、

濃縮されたタレを水で薄めずにペリエで希釈するのである。ハハッ!

乙な味!?

 

「ボンちゃん、ゴリラはどんな味を乙だと感じる?」

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2010.09.06

"CARPE DIEM"

CARPE DIEM カルペ・ディエム

昨夜のドラマ「外科医須磨久善」の中で出てきた言葉。

須磨医師がローマの病院に赴任中に、

街の装飾用のタイルショップで見つけた言葉である。

ショーウィンドウに飾られた1枚のタイルに、

CARPE DIEM

と、すべて大文字で記されていた。

ドラマの字幕には「今を生きる」と訳されてあった。

イタリア語ではない。

 

須磨医師は、

そのタイルを買い、

その言葉を生きる指針として生きている。

 

気になって少し調べてみた。

"CARPE DIEM" はラテン語。

古代ローマの詩人、

ホラティウスの『詩集』第1巻第11歌の中の語句である。

carpe とは、carpo=(花を)摘む、の命令形で「摘め」の意味。

diem は、「日」の意味。

従って、

直訳すれば「その日を摘め」という意味。

一日を花にみたて、その日(今日)を摘みなさい。

言いかえれば、「今を生きなさい」

CARPE DIEMに続く言葉は次のように綴られている。

carpe diem, quam minimum credula postero.

その日(今日)を摘みなさい。
明日が来るなんて、あてにはできないのだから。

 

「ボンちゃん、ゴリラは今日を摘んでいる?!」

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2010.09.05

感動…須磨医師のドラマ

水谷豊さん主演スペシャルドラマ「外科医須磨久善」は、

予想通り、期待通り、素晴らしかった!!!

勇気、ロマン、理想、誠意、逞しさ、強さ、優しさ、愛、夢、希望、強い思い、志し、ぬくもり、思いやり、不動さという強いメッセージに溢れ、

強烈に希望を感じるドラマだった。

 

大学教授であり須磨医師の恩師(宇津井健さん)が、

「どうして医師を目指すのか?」と、

大学の授業の際に医大生たちに聞くのだが、

「父が医者だから」「経済的に安定しているから」「学力的に医師を狙えるから」

と、医療に賭ける情熱が無いことを表明するような答えをする。

在席していた須磨医師(水谷豊さん)の答えは、違っていた。

「喜んでもらえることをしたいから」と。

 

重い心臓病で他界した14歳の女の子がいた。

みほちゃんの仏壇の前に座った須磨医師(水谷豊さん)は言った。

「笑顔で見送ってあげられなくて、ごめんね」

「治してあげられなくて、ごめんね」

「いつかきっとみほちゃんと同じ病気の人を救って見せるから」、と。

目を真っ赤にして遺影を見つめながら、

手をついて謝る姿がいまも頭から離れない。

 

人の心を救いたいという思いの強い人が医者になってほしい。

命を預けられる医師がいるならば、

たとえ病気に体がむしばまれ様が、

患者は必ず救われるのだから。

 

「ボンちゃん、ゴリラ界にも口先だけのタイプや、体裁ばかりを取り繕うタイプっているの?」

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2010.09.04

世の中はぐるぐる回る

あるイタリアの諺を辞書にみつけた。 

Il mondo e` rotondo e che non sa nuotare va fa fondo.

世の中はぐるぐる回り、泳げない者は沈みゆく

 

海の中で泳がずに考え込んでいたら溺れてしまうから、

必要以上に考えることを戒めているようにもとれる。

そう思うと、

生きることは、

水の中で泳ぎ続けることに似ているのかもしれない。

 

「ボンちゃん、ゴリラ界にも、考えてもしょうがないことを考えて、その蟻地獄から抜けられないタイプっている?」

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2010.09.03

生まれたからには…。

イタリア映画 邦題:「13歳の夏に僕は生まれた」を見たのだが、

イタリアにおける移民問題を提起した社会派のストーリーだった。

 

裕福な家の13歳の少年が父親とヨット旅行中に海に落ちてしまい、

運よく、通りがかりの船に救われるが、

不法移民が大勢乗ったイタリアに向かう密航船だった。

そして人間ドラマが展開してゆく。

 

この物語の特徴は、

イタリアが抱える移民問題の実情を、

13歳の少年の目を通して、まっすぐに伝えている点。

イタリア映画には、

移民問題、不法滞在を問題提起しているストーリーが少なくない。

どのストーリーも解決策はなく、

切実さを問題提起して終わるという共通があるように思う。

年々、移民の数は増え、

ますます問題が大きくなっているにもかかわらず、

対応が遅れているのが実情のようである。

 

この映画を通して知ったことなのだが、

17歳以下の少年少女は、

密航者であることが警察に判明しても、

強制的に国外退去されずにイタリアに留まることができるという。

これでは自国で食べられない少年少女は、

イタリアに夢を抱いて密航して来るに違いない。

ただ、イタリアは、それでなくとも大変な失業者問題を抱えている。

次々と密航者が留まり出すならば、

治安悪化は避けられないという構図がみえてくる。

 

最後に、この映画の原題を紹介したい。

Quando sei nato non puoi più nasconderti

「生まれたからには逃げも隠れもできない」

深い言葉だとつくづく思った次第である。

 

「ボンちゃん、シルバーバックは、辛い時、悲しい時、辛さや悲しみを背負って、背中で昇華しているようにみえるね」

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2010.09.02

イヤダイコーン!

朝から物凄く暑かった数日前のこと。

野菜庫を開けた瞬間に、

微かな声が、聞こえたような、聞こえなかったような……。

「このまましなびるのは、イヤダイコーン!」、と。

見ればそこには、数日前から場所塞ぎをしている大根がある。

大根おろしにして焼き魚に添えて食べていたのだが、

一本では量が多くて残ってしまっていた。

 

そうだ、このギラギラな太陽の恵みを活用しようと思って、

生まれて初めての試み、

大根の天日干しに挑戦することにした。

と言っても作り方は至って簡単。

大根を千切りにしてザルに入れ、

燦々と輝いている太陽の下に二日程置いて乾かすだけ。

手製切干大根は、

縮れたサキイカのような形に見事に仕上がったのだった。

 

それを利用して切干大根煮を作ってみた。

〈切干大根煮の作り方〉

①天日干した切干大根を水に10分程度浸してから水を切る。

②人参、椎茸、油揚げなどを千切りにする。

③鍋に油を少々入れ、①と②を入れて炒める。

④③にだし汁、醤油、酒、砂糖を加えて弱火で煮る。

※ 煮詰まると味が濃くなるので、薄味にしておくことを要注意。

⑤柔らかくなって味が浸みたら火をとめて出来上がり。

 

市販の切干大根(乾物)は、

少し変な臭いがするようであまり好きではなかったのだが、

自分で作ってみると癖のある臭いはない。

太陽と風の恵みをイッパイに受けた大根の千切りは、

ビタミンDを大量に含み、

野菜の甘みが出て、とても美味しかった。

ごま油・醤油・ごま・にんにく・唐辛子などで調味し、

ナムル風にしても美味しいと思う。

 

ん?!

「イイ案ダイコーン!」

大根さんの声が…聞こえたような、聞こえなかったような……。

是非、おためしあれ~♪

 

「ボンちゃん、ゴリラは、ドライベジタブルやドライフルーツは好きかな?」

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2010.09.01

愛のある言葉

1台のピアノとある人のひと言が、

映画作家、大林宣彦さんの生き方を決めたという。

「あの時のピアノは幸福になっただろうか。いや、まだまだ。もっと頑張らなくては」

今も映画を撮り終える度に、そう自問自答するのだそうである。

 

それは、ピアノが好きだった中学生時代のこと。

当時、大林さんはショパンに憧れていた。

ショパンといえば、

胸の病を患い血を吐きながらも、

ピアノを弾きつづけていたことで知られる人物である。

ある日、教頭先生から、

特別学校参観日にピアノを弾くことを命じられた大林さん。

ショパンに変装し、

胸の患いの様子までショパンを模そうとして、

水で薄めたケチャップを口に含んで演奏したのだが……。

他の地区の先生方が大勢集まっていた場内の反応はというと、

あまりに過激に見えたからだろう、

辺りはシーンと静まり返り、

まさに興ざめ状態に陥ってしまっていた。

とんでもないことをしてしまったことに気づいた時には時遅し。

鍵盤にはケチャップがしみ込んでいた。

もうどうにもならない状態に、

その場でひとり落ち込んでいた大林さんに、

教頭先生が次のように声をかけてくれたという。

「ピアノはもう使い物にならん。しかし、おまえが自分の信じる芸術に励み、立派になれば、この不幸なピアノも喜んでくれるだろう」(2010/9/1 読売新聞「私の先生」より)

 

愛のある言葉は、

心で永遠に生き続けるものなのだろう。

 

「ボンちゃん、ゴリラは、人間の言葉の中に愛を感じる時がある?」

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