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2010年11月

2010.11.30

足柄の山奥…紅葉

足利の山中にある曹洞宗 大雄山最乗寺は、

開創600年の歴史ある関東の霊場として知られている。

恐らく訪れた人の多くが感じるのではないかと思うが、

そこには何かが他とは違う清く澄んだ気配が満ち満ちている。

紅葉も知る人ぞ知る名所と聞き錦に染まる世界を訪れてきた。

Doryoson2

葉っぱはただ色付いているだけなのだろう。

けれど、

その美しさに人の心は無条件に魅了されてしまう。

Doryoson4_3

不動なる老杉の大木の元に立つと、

人間とはなんとちっぽけなチョロチョロした生きものなのだと感じる。

Doryoson3_2

ただそこにある、

ただそこにいる、

ただそれだけなのに、

ああ、ただそれだけなのに癒される不思議。

Doryoson18

ただそこにある、

ただそこにいる、

ただそれだけなのに、

ああ、ただそれだけなのに美しい。

Doryoson8_2

明日の玉ログは、

大雄山最乗寺に棲む天狗さまを…。

 

 

曹洞宗 大雄山最乗寺 (神奈川県南足柄市大雄町1157)へのアクセス

電車…小田原駅→大雄山駅(大雄山線21分) 大雄山駅→道了尊(バス10分)

車…大井松田インター→道了尊(20分) 小田原→道了尊(30分)

 

 

「ボンちゃん、ゴリラは杉には登れないかもね。足をかけられる枝が無いからさ…ニッヒヒ!」

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2010.11.29

人形町…師走の気配

Ningyocho1

師走の気配が漂う人形町では、

恒例の「現金つかみどり」が行われている。

 

期間:11月26日(金)~12月10日(金)

時間:午前11時~午後6時

福引所:大観音前

 

特等の白玉をひけば…10,000円、5,000円、1,000円のつかみどり

2等の緑玉をひけば…1,000円のつかみどり

3等の黄玉をひけば…100円、50円、10円つかみどり

4等の赤玉をひけば…つかみどりではなく、現金50円を進呈

 

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甘酒横町。

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大通りの歩道にそびたつカラクリ時計。下記三枚がズーム写真。

Ningyocho3 Ningyocho4 Ningyocho5

 

「ボンちゃん、ゴリラは師走の大空を見上げ何を思ふのかな?」

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2010.11.28

上野の不忍池…紅葉

上野の不忍池、今の様子。

Shinobazunoike1

この写真、真ん中にうっすらと写っているタワーはスカイツリー。

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不忍池中央にある桜並木の葉は、ほぼ散ってしまっている。

 

「ボンちゃん、ゴリラが不忍池の畔に佇んでいたら、これまた絵になるね!」

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2010.11.27

東京大学…銀杏

今、東大のキャンパスも銀杏で金色に染まっている。

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「ボンちゃん、ゴリラが東大の銀杏並木を歩いていたら絵になるだろうね!」

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2010.11.26

恋のかたち

砂丘は外から見ている分には美しいけれど、

その美しさを追いかけて足を踏み入れて歩き出してしまったら最後、

気付いた時には迷子になってしまっている。

 

そんなイメージに似たものを感じたTVドラマがある。

NHK『セカンドバージン』(毎週火曜日22:00)。

鈴木京香さん演じる一見淑女に見える独身キャリアウーマンが、

息子ほど離れた年齢の妻帯者に純愛のような思いを抱き、

相思相愛ふうに道ならぬ恋に溺れゆく。

目下、両者の社会的地位が徐々に揺らぎだしているところなのだが、 

現代の女性像の一片を浮き彫りにしているのだろう…と思いつつも、

ピッタリ衣服がまとわりついた淑女のヒップの悩ましいライン、

男女の濃密さを感じさせる抱き合いシーン、

いつまでも離れそうにないキスシーン、

白いシーツに包まれた2人を映すベッドシーンなどなど、

これは“新・NHK”?と思わせるようなドラマ。

一昔前だったら、

NHKのモラル規定で放映されなかったに違いない。

そう思うと時代の変化に驚きを隠せない。

 

恋のかたちは人それぞれ。

けれど平安時代と違い、

年齢差や身分の異なりなどを意識せずに、

恋ができるようになった平成の恋のかたちには、

多くの場合、

健気さという美徳は消えつつあるように思える…。

 

そこで逆に違った意味で新鮮な恋、

平安人の恋のかたちを一首ご紹介したい。

 

玉の緒よ
絶えなば絶えね
ながらへば

忍ぶることの
弱りもぞする

  式子内親王(しきしないしんのう)  百人一首より

 

《私釈》
おお、私の命よ~、絶えるものならばいっそのこと、絶えてしまってほしい。
このまま生き長らえていると、今はこうして秘めているこの恋心を…もう抑えることができなくなってしまう…そうなの、秘めておくことができなくなる日がきてしまうわ…そうなってはいけないから…。  

 

 

なんと健気な、愛する人への想いなのだろう。

式子内親王は、

数奇な人生のもとに生涯独身を通して五十歳ほどの人生を終えたという。

 

「ボンちゃん、ゴリラの恋のかたちも時代によって変化しているの?」

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2010.11.25

活字が父かな…。

アメリカの作家、ドナルド・E・ウエストレイクが、

作家気質について言及した言葉に次のようなものがある。

「家の中に読むものがなくなったらウスター・ソースの成分表示を読む」

 

知的好奇心が強いのか活字中毒なのか、

あるいはその両方なのか判断のつかないところだが、

私の母も同じようなことを言う。

「読むものがなければお菓子の成分表示でもなんでもいいから読みたい」、と。

ウスター・ソースの成分表示の話をしたところ、

その気持ちはよーく分かると、

「お醤油の成分表示でもなんでもいい」、と言ってきた。

 

私には到達できない山の頂に立った者の胸中という感じなのだが、 

何時間も小説を読んだ後にすぐ新聞を読みだす始末。

眼精疲労を活字を読むことで治せてしまうと思っているかのよう…。

身体に差し障るから少し目を休めた方がいいと言って新聞を取り上げると、

大概不機嫌になってしまう。

 

今では眼精疲労を癒そうと、

千年灸とピップエレキバンを併用しながら活字を読んでいる母だが、

母の話を聞いていたらあることに気付いた。

 

母は四歳の時に父親が病気で他界している。

唯一の記憶は、

新聞を読む父親の胡坐の中で活字を眺めていたこと。

インク香る胡坐の中は、

ぬくぬくしていて、

幼心にもそれは至福の時だったと言っている。

 

ここからは推察になるが、

もしかしたら母が活字に触れることは、

父の温もりに包まれた記憶とイコールになっているのかもしれない。

恐るべし潜在意識…、

新聞を取り上げると酷く不機嫌になることに合点がいくのう~!

 

 

「ボンちゃん、ゴリラも子ゴリラの頃の至福の時が、永遠に消えない温もりをくれていると感じる時ある?」

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2010.11.24

ソラマメチック

外苑前を散歩していた時のこと。

広場に人だかりがあったので、

歩み寄ってみると、

そこには耳がピンとした優美な大型犬(体高80cmほど)がいて、

大勢の人に撫で回されていたのだが、

鬱陶しがるふうでもなく、

喜んでいるふうでもなく、

まったく意に介する様子がないように見えた。

Cane3

飼い主さん曰く、

審査員にしょっちゅう触られているから決して動じないのだとか。

審査員って…、

Cane2

そう、世界のドッグショー。

カラダの柄の均一性、足の形、歯並び、振る舞い等を競う世界大会で、

その美しさにおいてでチャンピオンになった御犬さまだった。

Cane1

横顔のアップ。

言われてみて細部を検証してみれば、

鼻筋から口元への流線形がソラマメチックで魅力的かも…。

私には未知なる世界だが、

こういった毛色、

基本の地色に違う色の差し毛が混ざったものをプリンドルというのだそうで、

このワンちゃんは、とっても珍しい犬種だという。

 

「ボンちゃん、数年前まで、ゴリラ界には世界でたった一頭の白いゴリラがスペインの動物園にいたよね。名前はたしか…スノーフレイク(雪片)」

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2010.11.23

九段下の今

九段下の方が外苑前より色付いている。

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この風景に川のカモは何を思うのだろうか。

なんとなく物悲しい心持ちになるのは私だけだろうか…。

Kudanshita3

あ、大江千里(おおえの ちさと)さんだったら、

ものがなしさを覚えるかも…。

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千鳥ヶ淵緑道の桜並木

 

月みれば千々に物こそかなしけれ 我が身ひとつの秋にはあらねど

           大江千里 おおえの ちさと    百人一首より

 

【私解】これは秋だからか…月を見ると、様々なことが悲しく感じられるものよのう。秋は誰にでも訪れているはず…決して私だけに訪れているわけではないというのに、なぜだか自分一人ばかりが悲しい…そう思えてならないのだ。

 

「ボンちゃん、ゴリラは、どんな景色を見ると物悲しくなったりする?」

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2010.11.22

外苑前の今

外苑前のイチョウ並木がだいぶ色付いてきた。

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まだちょっと黄金通りという感じではないけれど、

色のグラデーションというかバリエーションは十分に楽しめる。

Gaienmae2

歳を重ねるほど、

色付きたいと思う。

紅葉がそうであるように…。

 

「ボンちゃん、ゴリラは紅色や黄色に変わりゆく葉っぱを見て、なにを思ふ?」

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2010.11.21

人たるもの

イタリアから来日した Sergio Scappini セルジオ・スカピーニ氏による、

Vアコーディオン(ローランド社)のコンサートにいってきた。

 

アコーディオンといえば、

蛇腹を伸縮させつつ鍵盤やボタンを押して演奏する楽器。

 

Vアコーディオンはというと、

見た目はこれまでのアコーディオンと似ているのだが、

一台のそれでオーケストラの音色を演奏できてしまうという画期的な楽器である。

 

そういうものが存在することすら知らなかった私は、

どこか他の所から音が放たれているのではないかと、

思わずキョロキョロしてしまったのだが、

ソロ演奏なのにオーケストラ演奏のように聴こえた。

 

右手で鍵盤、

左手はボタンを大忙しで押すといった具合で、

多彩な音色が放たれ、

あまり蛇腹は動かさないのが特徴だった。

 

弾きこなす人がいることにも驚きだったけれど、

音楽に無限の可能性が広がっているように、

人間にも無限の可能性は広がっている。

自分の心で可能性を制限しない限りは…。

と、改めて気付かされた夜でもあった。

 

人たるもの、 自らの可能性を信じ続けるべし!

可能性とは、

潜在的な発展性なのだから…。

 

「ボンちゃん、ゴリラは自らの可能性に制限を設ける?」

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2010.11.20

トランクのように旅する?

人生を最高に旅せよ!

          『超訳 ニーチェの言葉』より

 

イタリア語表現に次のようなものがある。

viaggiare come un buale.

ビアッジャーレ コメ ウン バウーレ

 

viaggiare  旅する

come ように

un buale 旅行カバン(トランク)

 

直訳  トランクのように旅する

意味 何も見ず何も学ばずに旅をする

 

遅かれ早かれ、

いずれ誰もが帰らぬ旅にでるのだから、

それまでの、

限られた時間にできる旅を、

最高なものにしたいものである。

そのためには、

自らの心に前向きな雨を降らせ続けることが大切なのだろうと思う。

 

「ボンちゃん、ゴリラ界にはニーチェみたいな哲学者がいっぱいいそうだね!」

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2010.11.19

Adagio ~ヴェネツィアの愛~

昨日のこと。

遅ればせながらと言って気のおけない友人が誕生日プレゼントをくれた。

開けてみると、Healing ClassicsというCDのセット。

ヒーリングとリラックスをテーマに、

癒しの名曲235曲がDisc16枚に収められたものだった。

 

聴いていたら、物凄く心揺さぶられる曲があって思わずタイトルを見たところ、

 

アレッサンドロ・マルチェロ

Oboe Concerto in  minor Il Adagio

オーボエ協奏曲二短調より Adagio ~ヴェネツィアの愛~

 

昔どこかで聴いたことのあるような、無いような…曲。

海に浮かぶヴェネツィアが心掻き立てる。

訪れた時の感動が思い起こされていくのを感じる。

ヴェネツィアが放つ哀愁と神秘を曲にするならば、

こういう感じになるだろう…というような曲なのだ。

 

Alessandro Marcello (24 August 1669 – 19 June 1747)

ヴェネツィア生まれ。

イタリア人貴族。数学者・哲学者・音楽家。 

 

「ボンちゃん、Adagioが流れる霧のサンマルコ広場にゴリラが佇んでいたら、絵になるね!」

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2010.11.18

号泣せずにいられない

観よう観ようと思いつつ観ていなかった映画、

『海の上のピアニスト』伊: La leggenda del pianista sull'oceano、英: The Legend of 1900

を観て涙が止まらなかった。

この映画の原作は、

アレッサンドロ・バリッコ(Alessandro Baricco、イタリア人作家、1959年、トリノ生まれ)の小説。

2008.10.25の玉ログ『バリッコの品格』でふれた人物なのだが、

彼が来日した際に発した言葉を胸にしまったら、

つい小説も読んで映画も観たような気になりそのままになっていた。

 

そんなこんなで今回はじめて映画を観たのだが、

観終わった時に、

アレッサンドロ・バリッコが言っていた言葉が思い出された。

…映画化されたものは監督の作品であり、私の作品ではない。

陽気な小説が映画化されたら悲しいストーリーに変わっていたりすると…。

 

従って映画化された『海の上のピアニスト』は、

監督、ジュゼッペ・トルナトーレと俳優陣、

物語を支える音楽、エンニオ・モリコーネの息吹が吹きこまれたことで、

小説よりもずっとノスタルジックな作品へと変化したものといえる。

ラストは号泣せずにはいられない感動作。

まだ観ていない方には、是非ともお勧めしたい。

 

「ボンちゃん、ゴリラはどんな時に号泣するのかな?」

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2010.11.17

トルナトーレの魂の欠片

シチリアはバゲーリア出身のイタリア屈指の名監督、

ジュゼッペ・トルナトーレ(Giuseppe Tornatore)監督が、

最新作『Baaria/邦題:シチリア!シチリア!』の日本公開に際し来日する。

 

これは監督のお父様の自伝的なストーリー。

イタリアでは様々な賞を総なめし、

異例の大ヒットのようだが、

シチリアに生まれ育った者でなければ分からない空気、匂い、感情が、

詩的に映像表現されているだろうことは分かるのだが、

残念ながらそれを掴める経験をしてきていない私には、

その時の歴史の重さを共有しあうことができずにもどかしかった。

だからもしかしたらシチリアをよく知らない人には分かり辛いかも…。

というのが、

2009年10月の東京国際映画祭で観た時の私の感想だった。

 

しかし『ニュー・シネマ・パラダイス』を思い起こすシーンが随所にあるから、

『ニュー・シネマ・パラダイス』ファンにはやっぱりたまらない。

音楽は勿論、Ennio Morricone。

映像の切り替え方といった技術的なことを含めたら、

映画通が物凄く絶賛しそうな作品という気もする。

自らの生きた証を残すかのように、

おそらく監督が最も私的に感情移入した作品に違いない。

『Baaria/邦題:シチリア!シチリア!』

12月18日(土)から、

シネスイッチ銀座、角川シネマ新宿ほかにて公開!

 

ジュゼッペ・トルナトーレ監督が全魂を込めたであろう作品から、

どれほどの魂の欠片があなたに伝わるだろうか?

 

「ボンちゃん、ゴリラは魂の欠片を決して見逃さない?」

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2010.11.16

世界の小さい国

世界の小さい国 面積

1 バチカン La Citta` del Vaticano 0.44km²

2 モナコ Principauté de Monaco 2km²

3 Nauru ナウル 21km² 

太平洋西部にある共和制の島国。

4 Tuvalu  ツバル 26km²

太平洋中部、ポリネシアにある島国。人口はバチカンの次に少ない。海抜が低いため、海面が上昇すれば国の存在が危ぶまれることになる。

5 Repubblica di San Marino サン・マリノ共和国 61km²

イタリア半島北東部にある共和国。

 

なんとなく世界の小さい国を調べたら、

偶然にも最小国と2番目に小さい国を訪れていたことに気付いた。

 

最小国バチカンの0.44km²といえば、

イタリアのローマ市内に位置する、ローマ教皇を元首とする独立国。

面積は東京ディズニーランドより少し小さい。

訪れた時の印象は、

カラフルな衣装に美男のスイス衛兵がピリピリした表情を浮かべていて、

忘れもしない美しさが、回廊に囲まれているサン・ピエトロ広場。

その回廊には284本のドーリア式という円柱があり、

140体の聖人の像が配置されてあった。

威厳ある厳粛な気配に、

思わずひそひそ話になってしまったのを覚えている。

 

モナコ公国 2km²は、

イタリアとの国境に程近い、南フランスの地中海に面した国。

大きさは日本の皇居の2倍ほどに当たる。

ゴミひとつ落ちていない綺麗な街という印象を受けたが、

カジノやF1モナコグランプリがそこで行われることが想像できない程、

街には人が少なく、

時の流れだけが静かに刻まれているような所だった。

ある時期だけが特別な顔を見せる普段は静かな国のようである。

駅でコーラを1本買ったら400円近くしてビックリしたのを覚えているが、

後から聞いた話では、

我が国は裕福な者のための国であるからして、

裕福な者以外は近寄るべからず…と公言するかの如く、

ホテルの宿泊料金などを含む観光旅行者への価格設定が高いらしい。

 

日本は狭くて窮屈な感じがするが、

総面積は約37.8万km²あるから、

イタリア30.1万k㎡よりも、

ドイツの35.7万k㎡よりも大きいのだ。

けれども人口が違うのだね…。

イタリア 5678万人(1992)

ドイツ 8057万人(1992)

日本 1億2581万5千人(2010)

これじゃ広くても狭く感じるわけだね…。トッホッホ

 

「ボンちゃん、ゴリラの祖国アフリカは、面積約3031.3万k㎡あって、地球の陸地の約22.3%あるんだって、広いね~~!」

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2010.11.15

GIANNA NANNINI

GIANNA NANNINIといえば、

イタリア人なら誰もが知る女性ロック歌手。

 

その名を見て日本人の私がまず思ったのは、

随分と“N”という字の多い姓名だなあ…ということだったが、

GIANNAの歌声は、

パンチがきいていて、

ちょっと聴く程度だと男女の区別がつかないハスキーヴォイス。

2007年に発売されたCD(輸入盤) Pia Come La Cantoは、

ダンテの“Divine Comedy”からインスパイアされて、

GIANNA が7年の構想をかけた力作。

 

気になったのはその中の一曲「Mura Mura」なのだ。

「Mura」 とはイタリア語で「壁」の意である。

Mura Mura Mura ~~~♪

Mura Mura Mura ~~~♪

訳すならば、

壁 壁 壁~~~♪ 壁 壁 壁~~~♪

Mura Mura Mura ~~~♪

と、讃美歌に似たクラシカル調なコーラスから始まるのだが、

歌声は神秘的で美しいのに、

意味は“かべ”だと考えると、

私には怖さが押し迫ってくる。

そして、

ハスキーヴォイスの静かなGiannaの声が切なさを広げてきたと思ったら、

プツっと終わるのだ。

それはまるで、

そこに居た人が突然に消えてしまう生と死の分かれ目に似ている。

恐るべしシンガーソングライター、

GIANNA NANNINI、

たしかに、ダンテの『神曲』って感じかも…。

 

「ボンちゃん、ゴリラは人間のイントネーションに好き嫌いがある?」

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2010.11.14

親と子の取り説

『イタリア的、恋愛マニュアル』の監督といえば、

ジョバンニ・ヴェロネージ(Giovanni Veronesi)だが、

同監督の新作が今年イタリアで公開された。

タイトルは、

『Genitori e figli - Agitare bene prima dell'uso』

=「親と子の取り扱い説明書」。

今どきのイタリアの家族の在り様が分かるといった内容で、

親と子のイタリア的なぎくしゃく感が漂う関係性が、

優しい視線でコメディタッチに描かれている。

 

問題は全く解決していないのだけれど、

その混乱を乱れないように整えるふうでもなく、

混乱は混乱として、

ありのままに心に修めていくというのがイタリア的なのか…と、

気付いた瞬間、

イタリア人と接する機会の多い大半の日本人が抱く、

“不思議さ”というか“謎”、

「イタリア人は物事を系統的に進める傾向が薄い」

という根源を溯って観ている気がした。

 

日本人の取り扱い説明書

イタリア人の取り扱い説明書

そんな映画があっても…オモシロイかもネ!?

 

映画の挿入曲、

GIANNA NANNINI の "maledetto ciao"も印象的。

 

「ボンちゃん、ゴリラは物事を系統立てて進める? それとも行き当たりばったり?」

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2010.11.13

夜はどの猫も黒

Di notte tutti i gatti sono neri.

夜はどの猫も黒。(適切な時を選べ)

なるほど上手いことを言うではないか…と思ったイタリアの諺。

まあ、暗闇であれば、

青虫だって、なんだって黒く見えると思うが…。

Hibiya1

写真は日比谷公園で見かけた昼も夜も黒い猫。

ランチ時は和洋折衷フリーバイキングとなるのだろうか……。

見かけた異なる色の4匹すべてが、

イタリアのマンマを彷彿させる体型だった。

Hibiya2

松本楼前、イチョウの黄葉。

Hibiya3

雲形池(鶴の池)、桜の紅葉。

「ボンちゃん、ゴリラは適切な時を選ぶのに長けている?」

 

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2010.11.12

同じ木の片か…。

「悟ってみれば、

仏も下駄も同じ木の片である」

            一休

同じ木の片でも、

仏像となれば、人は崇敬して寵愛する。

下駄となれば、人は足で踏む。

元は同じであるというのに。

 

そう考えると、

貴賎貧富だって、

所詮、

誰かが判断したひとつの基準に過ぎない。

 

場所や相手が変われば、

全ての価値観が変わるのだ。

みみっちいこだわりに心を狭くして、

自家発電的にイライラしたり心傷ついたりすることなく、

心豊かに生きたいものである。

 

一休さん、さすがだ !

 

「ボンちゃん、ゴリラも自家発電的にイライラした感情が湧くことある?」

 

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2010.11.11

山は出会わない

Hakone1

紅葉にはまだ少し早かったが、

ふらりと箱根への日帰りの旅をしてきた。

 

イタリアの諺に次のような言葉があるのを思い出した。

Le montagne non s'incontrano.

山は出会わない(人には出会いがある)。

 

考えてみれば、

山は出会いを求めても待つしかない。

けれど人間は、

自らが出会いを求めれば出会いを生むことができる存在なのだ。

 

Hakone3

この写真は、

赤いあじさい橋がかかる箱根湯本の前の川。

水は出会う、

というイタリアの諺は聞いたことはないが、

水は流れ流れて、

まるで出会いを求めているように見える。

人間の体の60%は水分だというから、

出会いを求められる存在なのかな……。

 

「ボンちゃん、ゴリラの体は何パーセントが水分なの?」

 

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2010.11.10

scia

scia シ-ア 

とはイタリア語で、

通った跡という意味。

Yuyake3

今日の空は、

心惹かれるロマンチックな跡が残されていた。

きっと…絵になる人が空を通った跡。

claudioが日本を離れたのかな……。

Yuyake1

Yuyake2

「ボンちゃん、ゴリラ界にもロマンチストがいっぱいいる?」

 

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2010.11.09

claudio baglioni 6

そういえば、

コンサートの最後にclaudioコールが起きて、

その後に、

アレーオーオーアレーオーオーアーレーオオー 

と、観客の人々が歌いだしたのだ。

サッカースタジアムでよく聞かれる、あのシュプレヒコールのような響きの。

 

オネガイ デテキテ~

という催促コールなのだろう…と思って一緒に、

アレーオーオーアレーオーオーアーレーオオー

とは言っていたのだけれど…、

その意味する本当のところは知らなかった。

 

そして、今日、それが判明してかなり、驚いた。

 

アレーオーオーは、『Alè - Oò』。 

claudio baglioniの最初のライブアルバムは「Alè - Oò」(1982)。

この曲がきっかけで、

claudioのコンサートの時にファンの間でシュプレヒコールのようなものが発生し、

それ以来、コンサートの時の定番として歌われるようになり、

今ではサッカースタジアムなどで声援として聞かれるようになって、

結果的には全世界に広まったということなのだった。

 

『Alè - Oò』が鳴り響くコンサートの模様をyou tubeで聴いたが、

情熱と熱意と熱狂が、

完全に一体化している奇跡がそこにはあって、

鳥肌が立った。

 

claudioのCDを20枚ちかくは持っているが、

はずせない重要な一枚を知らずにいたとは…、

不覚の一敗を喫した次第である。

なんて言ってないで、すぐに注文しなきゃっ!!!

「ボンちゃん、ゴリラは、シュプレヒコールな響きに鳥肌が立ったりする?」

 

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2010.11.08

claudio baglioni 5

claudio baglioniを知らない友人達から、

日本でいうなら誰みたいなアーティストかと聞かれ、

う…ん…誰みたいかなあ…、

と、考えて答えに窮してしまった。

 

そこで私の知る限りをポロポロと綴ってみようと思う。

 

今回のclaudio baglioniのツアー、

ONE WORLD 2010は、

ヨーロッパ各国、南米、北米、オーストラリア、ロシア、アフリカ、アジア、

五大陸の32箇所を駆け巡るという、

初めての超壮大なワールド・ツアー。

上海万博閉会式、北京でのコンサートを終え、

長い旅とも言えるこのツアーの途中に東京に来てくれた。

18年前が初めて来日で今回が2度目。

東京でのコンサートでご自身が言っていたことだが、

これまでに400曲を作詞作曲しているという。

 

1970年に最初のアルバムを発表後、

ずうっーと売れ続けているという、

まさしくイタリアの星。

1998年ワールドカップイタリア代表のテーマソング、

2006年トリノ冬季オリンピックのテーマソング、

2009年世界水泳ローマのテーマソングを作った。

イタリアで4人だったかな?

10万人以上の集客力を持つシンガーソングライターの内のひとり。

21世紀を迎えるに際し、

ポップス界のアーティストとして初めて、

サン・ピエトロ広場でローマ法皇の前でコンサートを開いている。

 

1951年5月16日ローマ近郊生まれ。

父は警察官。母はパートタイムのデザイナー。

内気で引っ込み思案だったclaudioは、

小さい頃からミュージシャンになることを夢見ていた。

 

ヨーロッパ社会の根底には階層意識があり、

階層による差別が存在していたから、

今の地位と名声を得るには並大抵の努力では無かったと思われる。

 

Claudioのハスキーな歌声は、

切なく、あたたかく、ノスタルジックで、爽やかで、

力強く、深く、おおらかで強いメッセージ性がある。

それでいて自分の才能を誇示せず決しして押しつけがましくない。

 

勇気に光があるならば、

聴いていると、

声、音楽そのものが勇気をもたらす光のようで、

その光に心が包まれていくような感覚に陥る。

 

栄光を味わった年月が長い程、

人は謙虚でいることが難しくなる傾向があるように思うが、 

フェラーリとかマセラッティが誰よりも似合って、

美男でセクシーなイタリア屈指の本物のスーパースターとして、

第一線を走りぬけてきている今でも、

横柄、傲慢、といった言葉とは無縁で華麗なる紳士のまま。

 

東京コンサートでは、

私たち観客からの拍手に、

はにかみの笑顔を浮かべるclaudioがいた。

それはきっと、

人には言えないような苦労も乗り越えて築かれた、

強い光と強い影を知る心の持ち主だからなのだろうと思う。

 

東京でのコンサートの夜、

観客は勿論のことだが、

claudioも心に深く感じ入っているように見えた。

日本のマスコも取り上げていなかったし、

随分と昔に日本でCDが発売された程度の日本で、

会場の半分を日本人のファンが埋めるとは、

恐らくClaudio自身、想像できていなかったに違いない。

 

Claudioの心には、

なにか特別な…、

他国では受けたことのない印象が刻まれたのではないか…、

と、なぜだかそんな気がした。

日本人の私には、感じにくいような日本固有さ、

これまで数多くのツアーを西洋社会で行ってきた、

Claudioだからこそ気付くことのできる気配の異なりとでもいうような、

心にじんわりと伝わってくるやわらかい温もりみたいな、

まるい繋がりのような感覚的なものかな…。

 

「ボンちゃん、ゴリラもきっと、クラウディオの音楽に感動すると思うよ」

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2010.11.07

claudio baglioni 4

あんなに素晴らしいコンサートを贈ってくれたclaudioに、

わたしができる感謝の気持ちを届ける方法は、

CDを買うことだ…、

そう思って翌日すぐに注文しておいたCDが今日届いた。

とは思ったものの、

結局は、

収録されているclaudio の声と音楽に、

時空を超えた旅に連れて行ってもらうのは私の方なのだが…。ニハッハ! 

そのCDとは、

Claudio Baglioni 「Q.P.G.A」(2009)

Claudio9

 

 "Q.P.G.A" 

これってなんの略かなあ・・・と、

じっと見つめていたら気づいたのだ。

"Q.P.G.A" これはきっと…"Questo piccolo grande amore"の略。

最近知ったことだが、

"Questo piccolo grande amore"は、

「今世紀の音楽(Song of the Century)」にイタリアで選ばれていた。

日本人の私としてもまさに同感。

20世紀の最も心を揺さぶるノスタルジックな曲だと思う。

 

話をCD、Claudio Baglioni 「Q.P.G.A」(2009)に戻そう。

本作は、

Ennio Morricone、 Andrea Bocelli、Pino Daniele…… などなど、

70人を越える大物ゲスト達とのコラボ形式、

Pop Operaな52トラック、2枚組。

私が最大に気になったのが、

Disco 2 

14. Questo piccolo grande amore (con Ennio Morricone pianoforte)

そうなのだ、Ennio Morricone がピアノを弾き、

claudioが歌う。

Disco 2 

24. La paura e la voglia (con Giovanni Baglioni chitarra)  

ご子息、Giovanni Baglioni がギターを弾き、

claudioが歌う。

 

楽しみを先延ばしにする感覚に似て、

まだ聴いていないのさ。ニッヒッヒ

 

「ボンちゃん、ゴリラも楽しみを先延ばしにしたりする?」

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2010.11.06

claudio baglioni 3

コンサート中は撮影が禁止だったので、

コンサートが始まる前に撮った写真を、

何枚か白黒でアップしてみた。

 

Claudio6_2

ピアノはイタリアのFazioli社からお借りしたものだという。

Claudio8

ギターはClaudioが持参したものだと言っていた。

Claudio7

シンプルで洗練された大人な気配が漂う舞台。

 

「ボンちゃん、ゴリラはどんな気配が好きかな?」

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2010.11.05

claudio baglioni 2

Claudio のコンサートが終わっても、

わたしの心の中ではコンサートは終わらずにいる。

このままずっと終わらないような気もする。

 

コンサートの最中、

これはCDではないのだよね?

目の前にいる…あの舞台にいる人は本当にClaudioなのだよね?

何度そう自分に問いかけていたことか…。

同じ場所の空間で、

同じ空気を吸って同じ時間を共有していることが信じ難かった。

なぜならば、

Claudioの存在を知って以来、

Claudioの声も音楽もCDから聴こえてくるものだったから、

私の心はClaudioはCD在住だと学習していたのだ。

初めてClaudioの曲を聞いたのはフィレンツェだった。

かれこれ14年前か15年前のことになるだろうか…。

友人が、どこかに連れていってくれる車中で。

忘れもしない、

曲は、

Questo piccolo grande amore (この小さくて大きな愛)。

聴いた瞬間に衝撃的に何かを感じて鳥肌が立った。

急に熱いものが込み上げてきて、

全身の細胞が感動で震えているような感覚に陥った。

Claudioのハスキーな低い声とノスタルジックな音楽が、

どんな作用を私の心に起こすかというと…、

青空の見える丘、

雪降る真っ白い町、

人が行き交う雨の街、

霧に包まれた海、

と、どんな所にも連れて行ってくれる。

そうかと思うと無我夢中に何かに集中させてくれたりする。

たとえどん底な気分にいても、

Claudioの声と音楽が耳に届いた瞬間に

心の景色が変わってゆく。

時空を超えて旅をさせてくれる、

不思議な存在。

そんな特別な作用を私に引き起こす声と音楽の持ち主が、

数メートル前にある舞台にいて、

ピアノとギターの弾き語りをしていることが、

現実に起こり得るとは“まさか”過ぎて、

不思議すぎて理解しがたいのだ。

従って今も心が整理できずに戸惑っている。

そうか…。

それで私の心の中では、

まだあのコンサートが続いているのだ。

 

「ボンちゃん、ゴリラも、夢に思えて現実のことではないように思えることって、ある?」

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2010.11.04

claudio baglioni 1

クラウディオ・バリョーニは本当に日本にやってきてくれた。

 

claudio baglioni

ピアノ・ヴォーカルコンサート ワン・ワールド2010

が今夜行われた。

Claudio4

 

最初から最後まで、

舞台の上にはClaudioがただひとり。

ピアノを弾きながら歌い、

ギターを弾きながら歌うという本当に本当のソロコンサートだった。

プログラムに無い曲を含めたら…、

30曲とか40曲あったように思えたほど、

その深く清々しい歌声の連続に圧巻という言葉しかなかった。

ラストソングが終わった時には2時間が超えていたが、

アンコールに答えて一曲をアカペラで披露してくれた。

最後はスタンディングオベーションとなり、

Claudioが舞台から姿を消した後も暫くのあいだ拍手が止まず、

Claudioコールが始まった。

さすがに疲れているに違いないし、

もう出てこないだろう…とパラパラと観客の一部が帰り出した時、

帰り支度と思われる着替えをした姿のクラウディオが出てきたのだ。

誰もが、

手を振って最後の最後の挨拶に出てきてくれたのかと思ったと思う。

が、

私達、観客の強い思いが伝わっているようで、

「こんなことは、未だかつてしたことがないのだけれど…」

と言いながらマイクをつけ直して、

ピアノを弾きながらもう一曲歌ってくれたのだ。

 

観客はイタリア人と日本人が半々ぐらいだったが、

日本でのコンサートを意識してか、

一曲歌い終えるごとに深々とお辞儀をしてくれていた姿が、

目に焼き付いている。

考えてみれば、

少なく見積もっても20回、いや30回かもしれない…、

丁寧に深々と私たちにお辞儀してくれていた。

こうして夢のような2時間15分ちかくの熱唱コンサートは幕を閉じた。

Claudioは想像していたとおり、

紳士で気さくで繊細で、

ロマンチックでノスタルジックで渋くてカッコよくて、

情熱があってユーモアがあって絵になる御方。

心のある物凄~い声量のある偉大なる人物だった。

 

それというのも、

クラウディオといえば8万人とか10万人とかの、

桁違いの集客力を持つ大スターである。

今日の会場の収容人数はたった380人程度である。

380人を相手に歌うのも、

8万人を相手にして歌うのも、

全く変わらない熱唱ぶり。

いや、今夜のコンサートは、

8万人を相手にした時以上の熱唱だったに違いない。

だってその姿に涙がこぼれてきたもの…。

いまだに夢を見ていたように思える。 

奇跡のソロコンサートをありがとう!

今日の感動を私は永遠に忘れない。

 

Carissimo Maestro Claudio,

Sono sinceramente commossa per la Sua bonta` e la Sua passione per la musica. Non dimentichero mai e poi mai questa sera che e` venuto a tokio per "one world 2010-tokyo". Sono commossa fino alle lacrime.

Grazie infinite!!!

Buon viaggio con il piccolo ippopotamo e ci rivediamo un giorno!!!

Bacioni!!!

 

「ボンちゃん、ゴリラも感動の思い出は生涯忘れない?」

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2010.11.03

ステンドグラスの冠 その2

バスルームの、

ステンドグラスの冠をかぶった女王さまな気配が、

私に次のように語りかけてきた。

「すぐ目の前のライトにも冠をつけてあげて欲しい」、と。

それはバスルームの前にある洗面所のライトのことである。

そうだそうだ、女王さまのおっしゃるとおりと思った私は、

昨夜、3時までかかって夢中につくった。

デザインはバスルームのライトと同じ冠。

若干、正方形の1ピースの大きさを大きくカットしてみた。

元々、

ライト自体にストライプ模様があるため、

同じ冠をつけても、

バスルームのライトとは少し表情が異なってくるところが面白い。

Bagno11

考えてみればそうである。

バスルームというのは、

一日の疲れをとる重要な場所。

身体と心を癒せる空間が広がる場所にしたいものである。

「ボンちゃん、ゴリラはどんな空間に身を置くのが好きかな?」

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2010.11.02

ステンドグラスの冠

バスルームの無表情なライトが、

ずっと気になっていた。

それで、

真っ白いそれに、

ステンドグラスで冠をつくることにした。

Bagno2

Bagno3

そうしたら、

気配が、

ステンドグラスの冠をかぶった女王さまのようになったのだ。

Bagno1

ステンドグラスの冠をかぶった女王さまは、

嬉しそうに微笑んでくれた。

「ボンちゃん、ゴリラは森の王様だから、ステンドグラスの冠が誰よりも似合うだろうね!」

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2010.11.01

永遠に愛す!

「お前を永遠に愛すると言うことは、

ろうそくがお前が生きているあいだ燃えつづけると言うに等しい」

(トルストイ『クロイツェル・ソナタ』より)

 

もしも愛する男性からそんなことを言われたら、

立ち直れないほどショックを受けるに違いないと思うが、

彼、或いは彼女を一生愛し続ける。

と誓うということは、

誓った瞬間の想いを持ち続け、

他の人に心惹かれたり、

絶対に顧みたりしない。

それが、

誰かを一生愛する、ということの意味だと思う。

しかし、

冷静に考えると、

実際には、

誓うは易し、行うは難し。

それを実践すべく殊勝な気持ちを持ち続けられるほど、

人間は一途さに長けていないように思うのだ。

従って、

トルストイの言葉通り、

誰かを一生愛することなんて不可能なのかもしれない。

 

とは言うものの、

トルストイが言ったような言葉を放ってしまったら最後、

100年の恋を抱いてくれている相手さえも離れていくに違いない。

未来など約束出来な身であっても、

それはお互い様ということなのか、

恋人たちは未来を約束し合う。

誓った時に抱えていた想いに、

嘘はないのだろう…、

それがせめてもの救いなのかな…。

 

「ボンちゃん、ゴリラは人間よりずっと一途かな?」

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