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2010年12月

2010.12.31

おまじないになるぞ。

お正月になると、

神社仏閣で厄除けのご祈祷を受けたりする人がいる。

ご祈祷によって厄が本当に除けられるものなか、

はたまた、厄除けをしたから安心だという気の持ちようなのか、

誰にも分からないところであるが、

井伏鱒二の詩集に『厄除け詩集』という面白いタイトルの本がある。

その中に「冬」という詩があって、

「昔の人が言うことに 詩を書くと風邪をひかぬ 僕はそれを妄信したい」「おまじなひには詩を書くことだ」とある。

何事も、信ずるものは救われるということだろうか。

自分が選んだ道を妄信して、脱兎の如くに突き進むことは、

未来に漠然とした不安を抱かないためのおまじないになる。

自分で自分にかけることのできる建設的なおまじないになる。

除夜の鐘を聞きながらそんなことを思った。

 

本年はありがとうございました。

どうぞよい御年をお迎えください。

 

「ボンちゃん ゴリラは自分を妄信している?」

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2010.12.30

手作り・・・イカの塩辛

お刺身用のいかで塩辛を作ってみた。

ちょっと手間だけれど、

美味しいし、

作業は簡単なので作り方を記しておこうと思う。 

 

材料

スルメイカ 2杯(600g程度)

酒 カップ1/4

塩 小さじ1

生姜 少々

ゆず皮 少々

 

イカの塩辛の作り方

1、イカの内臓を除きスミ袋を取り除き皮を剥く。

2、イカのわたを取り除き切ってボールに出し、酒と塩を加えて混ぜる。

3、イカの身は3mm~5mm幅に切る。

4、2に3を加え、お好みで生姜やゆず皮を加える。

5、容器に移して冷蔵庫へ入れる。

できあがり。

※味は好みで塩や、めんつゆを足す。

※冷蔵庫で半日程度おくとイカに味がしみて理想と思われる。

 

添加物は含まれていなし、

一度食べたら忘れない美味しさなので、

是非お試しあれ。

 

「ボンちゃん ゴリラは感動の美味しさを忘れない?」

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2010.12.29

自分で守ろう感受性!

よくぞ言ってくれた!

と、感じさせられた詩がある。

それは茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』。

一人称形式の“わたくし”で書かれてあるというのに、

叱られ、且つ、

気合を入れられたような心持ちになったから、

詩とは不思議なものである。

 

最後の言葉は次の言葉で締めくくられてある。

「自分の感受性くらい 自分で 守れ ばかものよ」

(詩集『自分の感受性くらい』より)

おっしゃる通りだと痛感した。

たとえのっぴきならない事態に陥ったとしても、

感受性には自分でやさしく水をあげ、

しなやかさを維持させなければならない。

感受性をガサガサ、ゴワゴワ、パサパサさせてはならぬのだ。

自分の感受性を守るのは自分しかいないのだから。

自分しかいないのだからね。 

 

「ボンちゃん ゴリラ界には、自分の感受性を守れないゴリラっている?」

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2010.12.28

ippopotamo

「背中の大きな河馬が

泥のなかで腹ばいに休んでいる。

ぼくらには、あれほど頑丈に見えるが、

彼はまったく血と肉だけのものだ」 (『エリオット詩集』より)

と、エリオット(Thomas Stearns Eliot)の詩「河馬」は始まる。

かばは本能を持つ存在の象徴として描かれており、

それらこそ現実的な弱さから逃れられない者であるという訴え的な詩。

 

一方、私は動物園にいるカバ君について思いを馳せた。

カバ君が、直線上に並んでいる目・鼻・耳を水の中から出して、

周囲の様子を窺っている様子を見ていると思うことがある。

 

「こんにちわ、カバ君。こっち来てぇよー!」

と、日本の動物園で声をかけられていた、

日本生まれ日本育ちのカバ君が、

もしもある日、突然、イタリアに引っ越すことになったら・・・、

人間の飼育下に置かれているから明日にでも有り得ることだし、

そうしたら急に、

「Ciao l'ippopotamo! Vieni qua!」 チャオ! リッポポータモ ヴィエニ クア!

と、声をかけられることになるのだ。

 

目と鼻と耳を水面に出していたカバ君は一瞬耳を疑い、

驚きを隠せずに水、水、水と安全地帯である水中に身を潜め、

思うだろうか・・・。

「今、なんていった?」、と。

それとも超超能力を保持していたりして、

言語による理解とは異なる理解方法で理解ができるものだろうか?

などと、師走のこの忙しい朝に、

ふと考えたりしている私。

 

日本語では河馬(かば)と呼ばれるカバ君だが、

イタリアに行けば、 ippopotamo イッポポータモ

ちなみにラテン語は、 hippopotamus ヒッポポタモス

英語圏では、 hippopotamus ヒポポタマス

フランス語圏では、 hippopotame イポポターム

ドイツ語圏では、 Nilpferd ニールプフェーアト

スペイン語圏では、 hipopótamo イポポータモ

オランダ語圏では、nijlpaard ナイルパールドゥ

ポルトガル語圏では、 hipopótamo イポポータモ

ロシアでは、ビギモート

アラビア語圏では、ビルニーク

韓国では、 하마 ハマ

中国では、ホマ

と、呼ばれ方が大きく変化してしまうのだ。

 

カバとイッポポータモでは、かなり響きが違うし、

イタリアに行ったら新たなる呼びやすい名前がつけられるだろうし、

カバ君は混乱しかねない。

かなりのストレスを感じるにチガイナイ。

偉大なるエリオットの言うとおりで、

やはり本能を持つものは現実的な弱さから逃れられない存在である。

と、そんな心配をしている私なのだった。ニッハッハ!

 

「ボンちゃん ゴリラは、言語が変わると理解できない?」

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2010.12.27

Radio・・・Claudio Baglioni3

世界の音楽情報雑誌『Latina』1月号(2010年12月20日発売)に、

Claudio Baglioni が来日した際に行われた、

インタービュー記事が掲載されている。

 

下記添付のURLは、

Claudio Baglioni が12/13~12/31まで、

連続して19日間行っているラジオの収録。

クリスマスの日である12/25の語りの第一声は、

「Buon Natale!」(イタリア語:メリークリスマス)から始まっている。 

Oh! この感動!

これを事件と言わずして、なんというのだろう!

 

Claudio Baglioni - Chi c'è in ascolto - RADIO - 23-12-2010
http://www.youtube.com/watch?v=vaseSB1tqHM

Claudio Baglioni - Chi c'è in ascolto - RADIO - 24-12-2010
http://www.youtube.com/watch?v=N6wfx_kN3gk

Claudio Baglioni - Chi c'è in ascolto - RADIO - 25-12-2010
http://www.youtube.com/watch?v=uwWUhhCnmW4

Claudio Baglioni - Chi c'è in ascolto - RADIO - 26-12-2010
http://www.youtube.com/watch?v=UsuJZJdwfkE

 

「ボンちゃん ゴリラ界ではどんな時に、みんなで集まってお祝いするのかな?」

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2010.12.26

かけがえのない存在

言葉というのも不思議なもので、

調子いい人が体裁を整える目的で言った言葉や、

よじれた思いがのっているような言葉は、

愛の不在を感じるからなのか、不快さを覚える。

それがいっけんして綺麗な言葉だったとしても、

遅かれ早かれ化けの皮が剥がれたりするものだと思う。

 

人というのは親しくなればなるほど、

自分の愛する人を自分好みに染めようとしたりする。

恋のはじまりはその人に惹かれたはずなのに・・・。

 

女性の精神の自由をうたっていると思われる、

ジャック・プレヴェールの詩、「私は私 このまんまなの」は、

見た目の美を重んじる世間の風潮の中で、

心が翻弄されないように、

自分を見失わないようにと、

そんな愛を感じる詩であると思うのだ。

その内容は・・・、 

目にはしっかり隈ができてる。

それが、あなたになんだっていうの?

といった言葉で、強烈で小気味良いのだ。

 

 

「ボンちゃん ゴリラはどんな時に愛を感じる?」

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2010.12.25

Buon Natale!

Buon Natale!

この世で最も不思議で神秘的で謎に包まれているものは、

“縁”であるように思う。

縁といえば、

因縁、巡り合わせ、回り合わせ、きっかけ、えにし、ゆかり、つながり、かかりあい、かかわり、関係、よしみ、縁故などなど。

愛するものたちの甘い語らいを生むのも、縁。

愛するものたちの切ない別れを生むのも、縁あってのこと。

 

作家、山本一力さんは、

遠い昔先輩から戒められた言葉、

「出会いは偶然だが、別れは意志だ。せっかく偶然で得られた縁を、浅はかな意志で壊すな」

を、人生という道の自分の杖にして歩いてきたという。

 

言われてみれば、

多くの別れは意志によるものなのだろう。

 

2010年のクリスマスの日に、

偶然のように、それぞれの人にもたらされた縁が、

人生という道に、魔法のような煌きを放ちますように!

 

「ボンちゃん ゴリラが思う、最も謎に包まれているものって、何?」

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2010.12.24

あなたに贈りたい詩

Christmas Eve!

予定のある人、

予定がないという予定のある人、

いずれかに属するあなたにこの詩を贈りたい。

ジャック・プレヴェールの詩、

「La chanson des escargots qui vont à l’enterrement 」

=「お葬式に出かけたかたつむりたちの唄」

要訳すると、

枯葉のお葬式に二匹のかたつむりが出かけたところ、

到着した時には春になっていて、

ビールごちそうになったりして出逢ったみんなと楽しく過ごした後に、

千鳥足で家路をたどることになって、

その姿をお月さまが見守っている、

といったようなハートフルな詩。

何人もの翻訳者によって訳されているが、

それぞれ微妙に印象が違う。

詩や小説は翻訳無しには世界中に広がることができない。

けれど歌は翻訳の要らない芸術。

物書きにとっては、

それが一番羨ましい点にちがいない。

「ボンちゃん ゴリラも枯葉のお葬式に参列する?」

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2010.12.23

Radio・・・Claudio Baglioni2

これは事件だ。

12月13日から毎日、31日まで、

Claudioの話声と歌がラジオから流れる。

ローマで収録しているのだろうか・・・、

私は東京に居るというのに聞くことができる。

この感動、私にとっては事件だ!

見上げる雲は違っていても、

見上げる月は同じ。

温もりをくれる太陽も同じ。

これも事件だ!

 

Claudio Baglioni - Chi c'è in ascolto - RADIO - 22-12-2010
http://www.youtube.com/watch?v=GXaIYni9k-8&feature=player_embedded

Claudio Baglioni - Chi c'è in ascolto - RADIO - 21-12-2010
http://www.youtube.com/watch?v=-goKdFSTw2s

Claudio Baglioni - Chi c'è in ascolto - RADIO - 20-12-2010
http://www.youtube.com/watch?v=HPE3Did7unY&feature=player_embedded

Claudio Baglioni - Chi c'è in ascolto - RADIO - 19-12-2010
http://www.youtube.com/watch?v=JNr0UVvQcW8&feature=player_embedded

Claudio Baglioni - Chi c'è in ascolto - RADIO - 18-12-2010
http://www.youtube.com/watch?v=TYSO55DkVHQ

「ボンちゃん、ゴリラにとって、どんな事が事件に思える?」

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2010.12.22

クリスマスツリーの栽培か・・・。

惹かれるタイトルの詩をみつけた。

「The Cultivation of Christmas Trees」

=「クリスマスツリーの栽培」

T.S.エリオット(英: Thomas Stearns Eliot、1888-1965)

1948年にノーベル文学賞を受賞した詩人、劇作家、文芸批評家。

 

「いくつかの祝い方がクリスマスに対してもある」から始まるこの詩は、

次のように締めくくられてある。

「年ごとの感動の思い出の積み重ねが集まって一つの大きな喜びに、 それはまた同時に大きな恐れになるようにありたい。 あの恐れが悉くの人の心に訪れたおりのように。始まりは終わりを思わせ、初めての到来は再びの到来を思わせるはずなのだから」

 

思えば、

思い出によって、

心は人生を栽培しているようなものなのかもしれないなあ。

 

「ボンちゃん、ゴリラにとって、思い出って、何?」

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2010.12.21

こだわり

何かに凝っていると、

「もうその辺で終わりにしたら?」

などと心配して言ってくれる人がいる。

たしかにそういうアドバイスは正しい。

凝り性な人は休憩も取らずに一心不乱にやっているから、

集中が切れた時に、

自らの身体がカチコチだと悲鳴を上げ出したりするからである。

わたしの身体もそんな風によく悲鳴をあげる。

 

凝り性というのは厄介な性格で、

適度に執着心を捨てることができず、

時に心に身体がついていけないもどかしさを覚えつつも、

それでも疲れ果てた身体に容赦なくムチを打ち、

自らが追い求めるイメージに向かって一直線に走り続ける。

 

思えば、

凝るということは、 

ひとつのことにこだわることであり、

ひとつのことにこだわることは、

ひとつのことを諦めずに行っていることである。

しかし、それと同時にたくさんのことを犠牲にしていることであり、

言いかえれば多くのことを諦めていることでもある。

 

ひとつのことにこだわらないことは、

ひとつのことを適当なところで諦めていることであるかもしれない。

しかし、それと同時に多くのことを犠牲にせず、

言いかえれば多くのことを諦めないでいることでもある。

 

ウーン・・・、

だんだんどっちが凝り性なのかワカラナクなってきたゾ!

何はともあれ、

人生の時間は限られているから、

これからは、

本当にこだわりたいものにだけ、こだわろうと思うのだった。

 

「ボンちゃん、ゴリラは“ほんとうにこだわりたいもの”が明確?」

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2010.12.20

オススメ・・・超軽量スピーカー

ノートパソコンは持ち運びに便利だけれど、

音声出力の小さいものが多い。

私の使用しているものも、

イヤホンで聴くと大きいのに普通に出力すると音が極小さい。

そのうちスピーカーを買おうと思いつつも、

高価なものでないと良い音は出ないんだろうなあ・・・などと思っていて、

まあ、結局は忘れていたのだけれど、

今日、友人が手乗りサイズの超軽量スピーカーをくれて、

その音の良さにビックリした。

メーカー audio-technica

質量 左スピーカー約80g 右スピーカー110g

外形寸法 H80xW50xD70mm

 

プラスティックで色が白だったことと、

あまりの軽さが影響してか、

あれれ・・・卵が2個重なって四角くなっちゃったという感じがしたから、

期待せずに音を流してみたところ、

驚くことに結構いい音なのである。

それで思わず価格を聞いたら、本当にビックリ!

店によって異なるけれど、2000円~3000円程度だという。

 

デジタルオーディオプレーヤー(ヘッドホン端子へ)にも使えるし、

持ち運びに便利で場所も取らないし、

オススメダヨォ~!

 

「ボンちゃん、ゴリラは音にもの凄く敏感なんだよね」

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2010.12.19

羊毛フェルト・・・猫がま口

我が家に棲む、私が生み出した猫たちの団欒する様子・・・、

会話と写真をアップ!

Gamaguchineko1

左猫1:もうすぐクリスマスだニャァ~♪

左猫2:え?キミ、キリスト教?

左猫3:日本じゃ、宗教問わずお祭り感覚ニャ。

左猫4:そうニャそうニャ、プレゼントを欲しいと誰もが思うものニャァ♪

左猫5:ニャッハッハ、きっと誰かがクリスマスプレゼントをくれるんニャ~♪

 

「ボンちゃん、ゴリラもクリスマスプレゼント貰ったら嬉しい?」

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2010.12.18

指輪と薔薇の謎

昨夜、TVで映画『オペラ座の怪人』(監督ジョエル・シュマッカー)がやっていた。

あの映画が大好きなのだけれど、

観るとオペラ座の怪人に感情移入して気分が落ちるから、

悲しくなるし・・・観るのどうしよう・・・と思いつつ、

TVのリモコンを番組に合せてしまったら、

最初のシーン、ゆらゆらと儚く消えそうで消えないロウソクの光に、

惹き込まれてやっぱり観てしまった。

想像していた通り、もの凄く切なくなってしまったのだけれど、

前から抱えていた謎、

“いったい誰がクリスティーヌの墓石に指輪をはめた薔薇を置いたのか?”

に、改めて思いを馳せてみた。

 

その謎とは、最後のシーンにある。

ざっくりと説明すると、 

妻、クリスティーヌのお墓に、夫、ラウルがやって来る。

手には今、オークションで競り落としてきた、サルがシンバルを持ったオルゴール。

そのオルゴールは、

虐げられた日々を送っていた少年、

後のオペラ座の怪人が唯一の友としていたもので、

クリスティーヌがよくラウルに話していたものだった。

オペラ座の怪人が引き起こしたオペラ座の悲劇から数十年の時が経って、

それ以来閉鎖されたままのオペラ座でオークションが行われることとなった。

今は亡き愛する妻のために、

ラウルはオークションに出向きオルゴールを競り落とし、

その足でクリスティーヌのお墓に向かった。

オルゴールを墓前に手向けて離れようとした瞬間、

目に飛び込んできたのが、

クリスティーヌの墓石の横に置かれた指輪をはめた深紅の薔薇だった。

薔薇と言えばオペラ座の怪人のシンボル。

クリスティーヌに愛を伝えるために贈り続けていたものである。

その指輪は、

オペラ座の怪人がクリスティーヌに贈ったもの。

クリスティーヌは一度その指輪をはめて彼に深い口づけをしている。

その後に怪人の手に返したものなのである。

経緯の全てを知るラウルは、

その指輪と薔薇を見て驚きを隠せない様子。

そこで映画は終わる。

 

そこで生まれた謎がこれ、

“いったい誰がクリスティーヌの墓石に指輪をはめた薔薇を置いたのか?”

警察に追われることとなったオペラ座の怪人は、

オペラ座の地下には住めなくなってしまった。

クリスティーヌをラウルに渡し絶望の淵にいる彼が、

いったいどうやって生き延びたのか、

それも着の身着のまま逃げ出して。

彼ならば、捕まるくらいならば自ら命を絶つことを選ぶように思える。

オークションであの指輪の競りが行われたシーンはなかったけれど、

あったと仮定して、

怪人を哀れんだ誰かが競り落として怪人の思いを遂げてあげた・・・、

そう考えるのが妥当だろう・・・と、浅はかにも思っていた。

 

しかし、それは違うであろうことに昨晩気づいたのだ。

忘れてならないのは彼は凡人ではなく天才で狂人。

こだわりたいものには徹底的にこだわる、

情熱と美学と執着心を持つ人物。

クリスティーヌを愛するが故に自ら身を引く決断をしたのだが、

クリスティーヌへの愛は終わらない主旨のことを述べていた。

愛するクリスティーヌに贈った指輪は、

クリスティーヌの愛を感じる唯一のものである。

なぜならば、

クリスティーヌは彼から贈られたその指輪をはめて、

彼に深い口づけをした。

誰からも触れられたことのなかった彼は、

その口づけにクリスティーヌの深い愛を感じて涙している。

そんな指輪を絶対に手放すはずはない。

手放す時は、クリスティーヌに贈る時、

恐らく彼の命の火が消えようとしている時だけだろう、と。

 

「ボンちゃん、ゴリラも、愛するものへの愛は消えない?」

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2010.12.17

Radio…Claudio Baglioni1

ROMA (ITALPRESS)によれば、

Claudio Baglioniが、

12/13 ~12/31 までの19日間にラジオ番組で、

今も世界を駆け巡って行っている最中の、

壮大なツアー“ワンワールド”について印象や感想を語るという。

話の途中や最後に彼が選曲した曲が流れる形態のようである。

言語の壁を越えて、

イタリア語の風に吹かれる感じに、

きっと楽しめる。

きっと感動が伝わる。

なぜならば音楽は、

万人に通じる奇跡の言語みたいなもの。

そして、

イタリア語は最も音楽に近い言語と言われているものだから…。

 

5→4→3→2→1 の順で聴くと順番通り。

2→1 では東京でのコンサートについて触れ、

観客席に日本人が沢山いたことに驚き、

お辞儀を含め、その雰囲気の日本固有さに特別な印象を抱いたと語っている。

 

1.Chi c’è in ascolto – 17/12/2010

http://www.youtube.com/watch?v=zivc6tGobh4&feature=player_embedded

 

2.Chi c’è in ascolto – 16/12/2010

http://www.youtube.com/watch?v=uBDFAhwzicY&feature=player_embedded

 

3.Chi c’è in ascolto – 15/12/2010

http://www.youtube.com/watch?v=XQnR9trXFWM&feature=player_embedded

 

4.Chi c’è in ascolto – 14/12/2010

http://www.youtube.com/watch?v=FnYr3UThONY&feature=player_embedde

 

5.Chi c’è in ascolto – 13/12/2010

http://www.youtube.com/watch?v=FnYr3UThONY&feature=player_embedded

 

「ボンちゃん、ゴリラもクラウディオのコンサートに参加できるようになるといいね」

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2010.12.16

苔が好む石?

Pietra mossa non fa muschio. ピエトラ モッサ ノン ファ ムスキオ

「転がる石に苔は生えない」というイタリアの諺がある。

A.改革精神を持ち七転び八起して挑むのじゃー!

という解釈もできるし、

B.石の上にも三年、現状に忍耐で克服じゃー!

という解釈もできる。

正反対の意味合いを持つ諺だなあ、などと思ったのだが、

言葉というのは便利と不便が同居した不思議なもので、

言葉に込めた思いが、

その言葉を受け取った者に100%伝わっているかどうか、

誰にも分からない。

残念ながら絶対に計ることができないもの。

その点が音楽と最も違う点だと思う。

 

従って諺というのも案外、

人それぞれに、

様々の解釈がなされて人生の指針にしているものなのかもしれない。

 

イタリア語の文の構造から勝手な想像的解釈をすると、

Pietra mossa non fa muschio.

の直訳は、「転がる石は苔を生えさせない」となる。

 

もしも、B.石の上にも三年、現状に忍耐で克服じゃー!という意味なら、

「苔は転がらぬ石を好んで生える」という言い回しになる気がする。

だからイタリアの諺の意味合いは、

A.改革精神を持ち七転び八起して挑むのじゃー!という教訓かな・・・。

 

「ボンちゃん、ゴリラはどんな時も挑む?」

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2010.12.15

手作り・・・リンゴシロップ煮

紅茶とミルク(又は豆乳)、

紅茶とリンゴ

これらは相性がいいと思うのだけれど、

アップルティは香料が強過ぎてどうも苦手だった。

そこで豆乳ティにリンゴのシロップ煮を入れて飲んでみたところ、

これが心惹かれる風味なのである。

 

リンゴのシロップ煮

〈材料〉

りんご…1個
<A>
砂糖…大さじ5 (或いはオリゴ糖)
はちみつ…大さじ1(無くても可)
塩…適量

 

〈作り方〉

①りんごは皮を剥き1.5cm角に切る。

②鍋に①とAと水を半カップ入れ火にかけ、やわらかくなるまで煮る。

※水は入れなくてもリンゴから水分が出のでお好みで。

出来上がり。

 

そのままデザートとして食べるも良しサラダにトッピングするも良し。

リンゴのシロップ煮にココアやシナモンをかけ、トーストにのせても美味しい。

これまた添加物の心配は無いし、

贅沢な一品!

 

「ボンちゃん、ゴリラはフルーツが大好きなんだよね」

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2010.12.14

手作り・・・煎餅

新米が出てくると、どうしても古米が残ってしまいがち。

そこで古米で醤油せんべいを作ってみた。

 

材料

ご飯 茶碗1杯

片栗粉 大さじ2

〈タレ〉

醤油ダレ: 醤油、みりん、各適量、塩 小さじ1

 

作り方

①炊いたご飯をよくつぶす。

②生地を好みの厚さにのして成形する。

③②を天日干しする。

 又は、クッキングシートに生地をのせて電子レンジに入れる。

 ※目安は十分に乾くまで。

 ※生地が膨らんでしまったら竹串で空気を抜く。 

④③をアルミホイルにのせてオーブントースターに入れる。

⑤何度かひっくり返しながら両面がこんがりするまで焼く。

⑥⑤に醤油ダレを塗る。

 ※タレはお好みで作る。

 ※例えば、ニンニク醤油、ニンニクネギ味噌など色々に。

⑦再び生地をオーブントースターに入れてキツネ色になるまで焼く。

出来上がり

 

添加物の心配も無いし、

オリジナル風味のお煎餅は贅沢この上なし!

 

「ボンちゃん、ゴリラはお煎餅好きかな?」

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2010.12.13

アレルギーレシピ・・・アイス 

冷たい雨が降る一日だった。

街角ではクリスマスツリーが銀色の煌きを放っていた。

そう言えばこれに似た情景を思い浮かべる歌があったような・・・、

そうそう、雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう・・・ってフレーズ、

山下達郎さんのクリスマスイブだ。

クリスマスの時期になると必ずどこかで耳にするこの曲、

気になって発売年を調べてみたら、なんと1983年。

27年前の歌なのである。

切ない思いに共感し涙が頬を伝う。

今はもう会うこともない昔愛した人を思い出して・・・、

という人も多いかもしれない。

 

恋人のいる人にとっては特に、

一大イベントとなっているクリスマスイブだが、

愛する人と過ごすクリスマスイブの夜は、

お気に入りの音楽の流れる温かい部屋で、

ロウソクに照らされたテーブルをはさみ、

その時だけは羊かんとか豆大福とかではなくて、

ケーキやアイスクリームを食べる方が、

ロマンチックで絵になるように思えるのはなぜだろうか・・・。

みんなが美味しそうにクリスマスケーキやアイスを食べている時、

食物アレルギーのため一緒に食べられない子供たちは、

大人には想像ができないほど悲しさを抱えるものだと私は思うのだ。

 

そこで日頃アレルギーでアイスが食べられない人に朗報を。

卵・牛乳アレルギー対応、

チョコバナナアイスクリームのレシピを見つけたのでご紹介したい。

嬉しいことに作り方は至って簡単、混ぜて凍らすだけ。

 

チョコバナナアイスの作り方 (3人分)

材料

バナナ 一本半

長芋 150g

①はちみつ 大さじ2と1/2

①豆乳 大さじ1と1/2

①ココアパウダー 小さじ1と1/2

 

長芋をすりおろす。

ミキサーに長芋とバナナと①を入れかくはんする。

バッドに移し冷凍庫に入れて固める。

1時間経過後、空気を入れるようにスプーンでかき混ぜる。

再び冷凍庫へ入れる。

これで出来上がり。

 

 

「ボンちゃん、ゴリラはロマンチックな夜が好き?」

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2010.12.12

この道を歩く

最近よく聴く曲、

マルチェロ オーボエ協奏曲二短調より Adagio を聴きながら思ったことを綴ってみたい。

音楽家にとって音楽は、

自らの心身への栄養のようなものであり、

生活の糧であり、

それ無しには生きられないようなものなのだろう思う。

 

世の中には、

誰かが生み出した音楽を聴くだけで満たされ癒される私のような者と、

自らで作曲したり奏でなければ満たされ癒されない者がいる。

この違いは何だろう?

と、考えてみた。

 

そしてある言葉を見つけてこれだと思った。

 

「この道より我を生かす道なし この道を歩く」

                 武者小路実篤

 

音楽と生きる道以上に自分を生かす道はない。

だから、その道を歩く。

それが音楽家なのだろうと思った。

 

「その道より我を生かす道はない。だからこの道を歩く」

それを容易に見つけられる人と、

なかなか見つけられない人がいると思う。

それでもその道を見つけられるのは自分しかいないのだから、

遠回りしても、見つけられる日まで諦めてはいけないのだと思う。

そして、見つけた日から、

一歩一歩自分のペースで歩み出せばよいのだと思う。

 

「ボンちゃん、ゴリラもやっぱり、道が多いと選択に迷う?」

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2010.12.11

ビジレイクマンの悲劇

あなたに出逢えて本当に良かった、

自分には友達が少ないから、

出逢えた縁に感謝している。

と、機会があるごとに告げてくれていた友人がいたとする。

 

もしも、

その人と一緒の用事があって、

その人の休みの日にあわせて、

その人の都合の良い時間に合わせて待ち合わせをして、

会った瞬間すぐに、

用事が終わったら別の待ち合わせがあるから、

お茶する時間は無いと言われたとしたら、

おそらくたいていの人は、

作り笑顔を浮かべて、

作り文句を口にしつつも、

心は硬直していることだろうと思う。

 

その時に生じる感情は、

誰かに握手を求めて手を差し出したのに、

無視されたり拒否されたりした時に感じるものに似た空しさで、

深く傷つき、

心にぽっかり空いた穴に学ぶ。

これからはいち知り合いとしての位置づけにしよう、

自分の心を守るために。

一線を置いて近づかないようにしよう、と。

 

そんなふうに、

人は、

絆を結べるかどうかをどこかで常に審査しているように思う。

 

だからもし、

本当に大事にしていきたいと思う人に出逢えたならば、

そして、

その人と強く切れない絆を育んでいきたいと願うならば、

細心の心配りを持ってして、

誠意ある情を寄せることが大切なのだろうと思う。

 

美辞麗句を並べては、

自分の言葉選びに酔いしれて悦に入っていただけだったのか・・・、

と感じてしまった時、

よほど鈍い心の持ち主で無い限り、

おそらく誰もが傷く。

ばからしく思えてきて、

そして、その人から去る。

去った真の理由は告げることなく…。

 

これぞ、ビジレイクマンの悲劇! 

 

「ボンちゃん、ゴリラ界に、ビジレイクマン、いる?」

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2010.12.10

崇高な愛?

イタリア映画、『魂の双子』、

(伊題:L'anima gemella  ラニマ・ ジェメッラ)2002、監督、Sergio Rubini)

を観て思った。 

相思相愛とは、

合わせ貝が、

離れ離れになっていた片割れを見つけたようなものなのだろう、と。

 

映画の大まかなあらすじを書いてみようと思う。

ちょっと長くコチャコチャ書くので、ついて来てネ!

 

Teresa・・・傲慢、身勝手、勝気でエクセントリックな女性(経済的には裕福)

Maddalena・・・純真で優しく一際美しい女性(経済的には裕福ではない)

Tonino・・・二人の狭間で揺れるイケメン青年。勇ましさはないが実直で優しい。Teresaの父親が経営する工場を優秀に切り盛りできるタイプ。

 

物語は、TeresaとToninoの結婚式から始まる。

神父さんがお決まり文句の、「汝Toninoは、この女を妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」と尋ねた時に、「いいえ、僕は別の人を愛しています」と言って走り出し、式に招待されていたMaddalenaの手をつかみ教会から逃走する。

明確には告げていないが、MaddalenaはToninoの元彼女のよう。それを知っているTeresaは、親戚関係にあるMaddalenaを故意に結婚式に招待していた。「これでToninoは私の夫になったのよ!」と見せつけようとして。Toninoを思って、式当日の朝、自殺を図ろうしたMaddalenaだったが、なんとか思い留まって式に参加していた。

二人の逃走後は当然大騒ぎ。新郎に逃げられてプライドがズタズタになったTeresaは常軌を逸した行動に出るのだが、話があまりにも長くなるので細部の説明をはしょることにするが、オカルト風の魔術を操れる人に大金を支払い、Maddalenaそっくりの容姿に変えてもらう。

Teresaの言い分は次の通り。

彼はMaddalenaの容姿の美しさに心奪われているだけで、もしも自分にMaddalenaと同じ美しさがあれば彼は自分の元から去ることはなかった、と。

愛の逃避行中にMaddalenaとはぐれてしまったToninoだが、再会した時のMaddalenaが、容姿はMaddalenaだけれど魂はTeresaになってしまったことなど知る由もなく、再会を喜び、愛し合い、愛の逃避行を続けるのだが、次第に彼女の言動の変化に違和感を覚えはじめる。

一方、本物のMaddalenaはというと、妹、Teresaの復讐に燃え殺気立ってToninoを探している兄弟たちをなんとか止めなければ、と、Teresaの容姿に成り代わる事を決意して魔術を受ける。「たとえ見た目が変わったとしても、きっと彼は自分に気付くに違いない」と信じて。

終に、全員が顔を合わす場面。兄達がToninoを危めようとしていたところにTeresa(容姿はTeresaだが魂はMaddalena)が駆けつけた。Toninoを愛するが故に自ら身を引く覚悟のTeresa(容姿はTeresaだが魂はMaddalena)は「私はもう大丈夫だから、二人を許してあげて欲しい」と兄たちに懇願する。

Maddalena(容姿はMaddalenaだが魂はTeresa)は、勝ち誇ったようにToninoにしがみ付く。けれど、Teresaの言動の変貌ぶりにToninoは既に、何かを感じ、心がTeresa(容姿はTeresaだが魂はMaddalena)へ惹かれ出す。

とりあえず、復讐劇はそこで丸く治まる。

その後、次第に、それまでのTeresaに抱かなかった親しみを覚えてゆくTonino。

そうこうしている内にToninoとMaddalena(容姿はMaddalenaだが魂はTeresa)の結婚式の朝となる。

横柄で自分勝手な昔のTeresaみたいな女性に変貌した彼女に対し、魅力を感じなくなったToninoは、意を決してTeresa(容姿はTeresaだが魂はMaddalena)を探しに行ってしまう。

そして、Teresa(容姿はTeresaだが魂はMaddalena)を探し当てた場所は、二人の思い出の海にかかった橋の上だった。

 

チャンチャン。

 

と、ざっとこんな感じのストーリーで、

肉体よりも魂に惹かれる男、魂を見分けられる男の話なのである。

離れ離れになっていた片割れを見つけたような愛に出逢える人、

出逢えない人、

その違いは何によって生じるのだろう。

それを人は運命と呼ぶのだろうか・・・。

 

これこそ崇高な愛?

 

「ボンちゃん、ゴリラは、魂が入れ替わったら分かる?」

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2010.12.09

“なんかごめんね”

人間は言葉を話す生きものだが、

人間界で言葉に愚鈍でないことは、

行き難さを呼ぶものなのかもしれない。

 

軽い謝罪や軽いお詫びとして利用されている言葉に、

「なんかごめんね」 

「なんかすいません」

「なんか申し訳なくて」といった言葉がある。

 

円滑な人間関係を営む上で役立つ時もあるとは思うが、

タイミングや使用頻度が多いと、

言われた方は、

言われない方がずっと円滑なのに・・・と思うことがあるのだ。

 

人によっては、

その言葉に深い意味はないのかもしれない。

会話の途中に生まれる間が何らかの理由で怖いとか、

避けたいとかで、

その間に音を埋めるかのように言葉を当てはめていたら、

口癖になってしまった・・・そんな感じが伝わってくることもある。

 

そうなってくると、

そういった、心不在の言葉を受け取った側は、

逆に心が強張ってきて、

なんだかチョッピリ角張ってきたもして、

ひとり枕を濡らす夜もあったりして・・・。

というのはちょっと大げさだけれど、 

「なんかごめんね」

って、

なんか悲しいから言わないで欲しい言葉なんだケロッー!。

 

「ボンちゃん、ゴリラは、何気ないひと言が耳障りなことってある?」

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2010.12.08

ああ、無情だ!

男女は恋愛関係が解消すると友情関係は成立しないのだろうか?

私はきっと成立するはず…と信じて疑わない派なのだが、

男女問わず、私の友人達の多くは無理だと言う。

 

その理由は、

男女間には多かれ少なかれ恋愛感情が存在しているから、

基本的には恋愛感情抜きでは友情関係だって成立しないだろうし、

恋愛関係が解消された後に友情関係が成立しているように見えるケースは、

そのどちらかがまだ好意を持っているはずである、と。

深く愛していればいるほど、友情の成立は逆に難しいのではないか、と。

 

言われてみれば、

恋人でなくなった時点で、

今度は親友としていい関係が築けたらいいね。

などと私に言ってくれた人は…いなかったように記憶している。

でもそういうのって、“つれない”というか“了見が寂しい”ように思えて、

友情の成立は難しいという派に属する友人達に私見を述べてみた。

 

「誰かを好きになれば、

恋人になることや結婚を目指したい気持ちは分かる。

けれど、

憎しみあって別れたなら話は別だけれど、

そうじゃなくて恋人関係や結婚が解消となった場合、

たとえ自分がふられようが、相手にふられようが、

せっかく友人以上になる縁があったのに、

目指すつき合い方である“恋人関係”や“結婚”が終わったからって、

二度と会わないという形でその縁を断つ結末は、

悲劇に思えてしまうのだけれど。

本当に深く、その人を思うならば、

どんな形のつき合い方であろうが、

その人がどう生きていくのか、

どんなふうに時を刻んでいくのか見ていたいと思うだろうし、

時には会って悩みを聞いたり話したりしたいと思うものではないか。

それを望まないというのは、

結局は、

いつまでも繋がっていたいという強い思いがない程度の関係に思えるし、

だから縁が切れるのかな…」、と。

 

それに対して彼らは次のように言った。

「そういう感覚って、誰もがなかなか理解し難いと思うよ。

言っていることは分かるけど、感情的に無理というか…、

愛する人が、昔、愛していた人に連絡を取っていたら嫌だと思わない?

それに今の恋人/妻/夫に、悪いという思いだってあるだろうし…。

そういう感覚を持っている人も、理解できる人も、物凄い少数だと思うよ」、と。

 

こうして自分が少数派に属しているということを明確に知らされたというわけなのだが、

大多数派に属する私の友人達が言うように、

やっぱり男女間には恋愛感情が多かれ少なかれ存在していて、

愛する人の特別な存在になることを目指し、

愛する人にとっての恋人とかパートナーという特別な地位を得るゴールを目指して、

突っ走っているようなもので、

ストーカーという特別なケースは論外として、

一般的にはそれが叶わないと分かった時点で、

基本的には縁は途絶えていくものなのだろうか?

 

それでも私は思うのだ。

一度は友人以上の関係を築けて、

人によっては家族同然な存在、或いはそれ以上になったりすることだってあるだろう。

そうであっても、

二度と顔を見たくないというように別れたわけでもないのに、

似たような空の下で生きていながら、

もう二度と会おうとしないというのは、

これこそが、

「ああ、無情だ!」、と。

 

「ボンちゃん、ゴリラは愛する思いが強いほど、一度別れたら二度と会えないもの?」

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2010.12.07

便利な世界

数日前に見た報道によれば、

最近は高齢者がゲームセンターを社交場として利用しているという。

家にいてもやることもなく退屈だし、

ゲームをすることで指や頭を使うからボケの防止にもなるし、

一日に3000円前後を費やして十分に楽しめるからパチンコに行くより経済的だし、

行けば誰かしら話相手がいるから憩いの場に良いというのが利用の理由。

 

そこでふと思ったことがある。

私たちの暮らしには、

日進月歩の文明が生みだした自動化した商品が見渡す限りにある。

企業が、

血眼になって如何に労働力を減らすかを追求した商品開発をしてくれているから、

乾燥機付き洗濯機、自動食器洗い機、自動掃除機、電気ポット、

自動販売機、自動改札、自動ドア、お風呂が沸きましたと音声で教える給湯器、

電子レンジでチンするだけのレトルト食品などなどイッパイあって、

忙しい社会の時代のニーズに適していて忙しい人には有難いのだけれど、

一方、こうとも思うのだ。

コスト削減の波に工場はオートメーション化され、

多くの労働が自動化機械に奪われて人の働く場は減るばかり。

働く場が無ければ生きがいも経済的ゆとりも持てなくなる。

更に、 

世の中の誰もがそんなに忙しいわけでもないと思うと、

忙しければ考える暇もなかったのに、

全てがボタンひとつで終わったら退屈になり、

暇すぎるとついつい考え過ぎてマイナス思考になって、

先行きへの漠然とした不安感に苛まれ鬱にだってなりかねない。

推測の域だが、

鬱人口が年々増加するのも、

なんでもかんでも自動化が少なからず影響しているのではないかと思えなくもない。

なぜならば、

労働を奪われることは生きがいが奪われることに繋がるからである。

 

自動化の弊害は他にもある。

労働する際に求められる創意工夫の場が奪われるし、

自らが汗水流して仕上げた喜びや達成感が味わえない。

例えば洗濯ひとつとっても、

洗濯物を干す時には朝の清々しい空気を吸いながら空を見ることができるし、

綺麗に干せれば嬉しかったりもする。

洗濯ものをとり込む時には御日様の匂いに包まれ、

「太陽って偉大だなー」と、太陽の恩恵なしには人間は生きられないと気付く。

そうすると、感謝が生まれて自然を大切にしよう、共存共存!という心持ちになる。

けれど、

ボタンひとつで全てが終わっていると、

便利ではあるが情緒はゼロなのだ。

 

便利な世界もいいけれど、

なんでもかんでも自動化していると、

人間界には、

働く場が無くなる。

どんどんどんどん情緒の無い人間が溢れだし、

どんどんどんどんボケちゃって、

どんどんどんどん自然破壊をし出すかもしれないのだよねー。

そして行きつくところは、

人間がいると不便だということになって、

忠実に動くロボットを大量生産して、

人間は何かと面倒を起こすからいっそのこと排除!

なんてことにもなりかねない?

 

「ボンちゃん、ゴリラは、自動化されゆく人間界を見てどう思う?」

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2010.12.06

それでおしまい?

これは金子みすずさんの詩、『あさがお』である。

 

『あさがお』

青いあさがおあっち向いてさいた、
白いあさがおこっち向いてさいた。

  ひとつの蜂(はち)が、
  ふたつの花に。

  ひとつのお日が、
  ふたつの花に。

青いあさがおあっち向いてしぼむ、
白いあさがおこっち向いてしぼむ。

  それでおしまい、
  はい、さようなら。

 

 

この詩を読んだ時から、

  それでおしまい、
  はい、さようなら。

という締めくくりから伝わる、どこかつっぱなした感が気になっていた。

人生を達観したような眼差しを通して朝顔の生涯を見ているようにも思えるが、

生あるものの宿命である無常さ、

そのはかなさを直視した上で、

それを受け入れて挑もうという意思の強さと、

受け入れたくないという、なげやり的な反発に似た感情のようなものを感じる。

そして今日、

結局は、これなのかな…という言葉に辿りついた気がする。

 

貴(き)となく、

賤(せん)となく、

老(ろう)となく、

少(しょう)となく、

悟りても死、

迷うても死

 山本常朝『葉隠』より

 

《意味》

身分が高い人であろうと、

身分が低い人であろうと、

老いた人であろうと、

若い人であろうと、

悟りを開いていても死を迎える、

迷っていても死を迎える

 

それはそうと、

果たして目の前に存在していた生あるものが他界したら、

ほんとうに全てがおしまいなのだろうか?

私は私を愛してくれた今は亡き祖母の愛に今でも包まれているのを感じる。

私が生まれるずっと以前に他界した祖父の温もりを心に感じる。

そう考えると、

他界しても、

それでおしまい、はい、さようなら。

と、そんなふうでもない気がするのだな~これが。

 

「ボンちゃん、ゴリラは死という現象をどうとらえている?」

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2010.12.05

からくれない

いったいどこ?

と、思われるであろう、からくれないな世界を彷徨ってきた。

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もみじが一面に敷き詰められた大地。

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あっちもこっちも、もみじのじゅうたん。

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からくれないに染まった青空。

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赤、からくれない、橙、黄、緑、色を奏でるもみじのコンサートのよう。

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夏みかんが枝をたわわに。

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北風に枯れ葉舞う夕暮れ

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枯れ葉のじゅうたん。

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“愛するものたちの神話” そんなタイトルが似あいそうな風景…。

Yahashira13  

枯れ葉のじゅうたんに夕陽が錦を織りなす

Yahashira12

天からの使者が通る道に見えるのは、

ここが東京都立八柱霊園だからだろうか…、

それにしても、絵になる場所である。

八柱霊園は面積が105ヘクタールある広大な公園墓地。

この広さは、なんと東京ドーム約20個分の面積に当たるのだ。

フランス風の幾何学模様の庭園があったり、

松、けやき、ねこやなぎ、紅葉、すすき等など数多くの樹木が植わっている。

著名人の墓地もある。

雲が空を彷徨うように、

広々とした空間で、

からくれない色に染まりながら、

のどかに彷徨える場所だと私は思うだけれど…、

霊園は苦手?

 

「ボンちゃん、ゴリラは、からくれない色に惹かれる?」

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2010.12.04

“自分は自分なんだニャァー”

めったに訪れない街の道端で一匹の猫に会った。

尻尾の先端がチョピット黒くて、

耳が少し前にたれた、

耳のサイズ自体も一般的な耳のサイズよりは一回り小さい猫で、

食い縛った顔の金太郎さんみたいな雰囲気だった。

Gatto2

ニャァーと挨拶をしたら、

Gatto3

ニャァーと挨拶を返してくれたから、

これはこれはご丁寧にお返事をいただきまして、という意味を込めてニャァーと言うと、

Gatto3

またもやニャァーと挨拶を返してくれたから、

今日は風が強いですね、という意味を込めてニャァーと言うと、

Gatto3

またもやニャァーと挨拶を返してくれたから、

昼間はポカポカでしたが日が暮れたら冷えますね、という意味を込めてニャァーと言うと、

Gatto3

これまた、ニャァーと挨拶を返してくれたから、

おやおや、すぐ後ろが濡れていますが冷えませんか?という意味を込めてニャァーと言うと、

(※ 猫ちゃんが座っているすぐ後ろに、じわじわと水が流れてきていたところだった)

Gatto3

これがまたまた、ニャァーと挨拶を返してくれた。

そうしたら徐に立ちあがってスタスタとアイスクリームケースの後ろに潜んだ。

やっぱりお尻がヒンヤリしてたのね…。

Gatto1

Ice Creamを冷やす機械の温もりで暖をとるとは、

さすがは猫さま、アッパレ。

お尻ヒンヤリと言えば、師走。

師走と言えば、

猫の手も借りたいほど忙しい、

などと人間は言ったりする。

 

猫はそんな言葉を意に介するようすもない。

耳の形が他の一般的な猫と違っていても、

尻尾の先端の毛の色が全体の毛の色とまったく違って黒くても、

そんなことに疑問も劣等感も抱かず、

“自分は自分”という思考回路しか持たないように見える。

 

そんなふうに、

不動なる心をもつ猫のように生きられたら、

「ご臨終です」

と、言われるちょっと間際に、

「ああ、いろいろあったけれど…なんだかんだ言っても、いい人生だったなあ…」

と、思えるのではないかと、

師走の夕暮れにそんなことを思ったのだった。

 

「ボンちゃん、ゴリラは他のゴリラと自分を比較して、劣等感に苛まれたりする?」 

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2010.12.03

Amazon it.

日本中のイタリア音楽ファンに朗報!

ついにアマゾンのイタリア・サイトがオープン! 

 

とりわけイタリアン・ポップスのCDは、

日本国内の音楽ショップではなかなか手に入らないのが現状。

日本、アメリカ、イギリスなどのアマゾンで購入することは可能であるが、

イタリアのサイトがあれば在庫の豊富さや価格も含めて色々と違うはず。

たとえばこれまでは、

イタリアのDVDを注文する際には常にリージョンコードが問題になっていた。

日本とヨーロッパのリージョンコードは同じく、2。

ヨーロッパ版が日本に輸入されれば問題ないのだが、

私の知る限りでは、

アメリカのアマゾンは勿論のこと、

なぜだか日本のアマゾンでも、

イタリアの音楽のDVDを注文するとアメリカ版(リージョンコード1)が送られてくることが殆ど。

そうすると、

リージョンフリーのDVDプレーヤーを購入しなけば再生できないという現象が起きてしまうのだ。

参考までにリージョンコードと主な地域を記しておこう。

リージョンコード1 … アメリカ合衆国、カナダなど
リージョンコード2 … 西ヨーロッパ、中央ヨーロッパ、エジプト、日本、南アフリカ 中東諸国など
リージョンコード3 … 東南アジア、香港、マカオ、韓国、台湾など
リージョンコード4 … オセアニア、中央アメリカ、メキシコ、南アメリカ、カリブ海諸国など
リージョンコード5 … アフリカ、インド、アフガニスタン、モンゴル、北朝鮮など
リージョンコード6 … 中国本土

アマゾン・イタリアがオープンしたことで、この問題も大きく解消されるはず。 

サイト情報によれば、

日本への送料は、最低価格14ユーロ (重さにより変動)。

通常、到着まで10日~15日。

http://www.amazon.it/

利用方法は日本やアメリカのアマゾンと同じようなので、

イタリア語が分からなくても購入には差し支えがないと思われる。 

 

日本ではまだまだ馴染みの薄いイタリアン・ポップスだが、

イタリアン・ポップスと一言で言っても幅広く、

シンガーソングライターの出身地、

例えば、北イタリア、ローマ周辺、南イタリアとでは曲の雰囲気はかなり異なっている。

カンツォーネカンツォーネしていない曲もイッパイある。

そこで自分の好みを見つけたい人は、

シンガーソングライターの出身地を調べて聞き比べてみるのも面白いと思う。

一番ロマンチックな感じがするのは…ローマ出身のシンガーソングライターかな…。

 

「ボンちゃん、ゴリラはイタリアン・ポップスの音色に何を感じるかな?」 

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2010.12.02

足柄の山奥…老杉

昨日の、私が書いた天狗様の話は、

いったいどこに消えてしまったのだろう…。

などと考えてもしょうがいない事を考えてしまうのは、

あの老杉の林が、

あまりにも印象的だったからだろうか…。

ということで、

すべからく樹齢500年以上の老杉の威厳をお伝えするべし、

と、写真をアップしてみよう!

 

Doryoson6

老杉の林の所々に錦織りなす紅葉

Doryoson9 Doryoson19 

Doryoson21 Doryoson20

Doryoson23_2 Doryoson14

 

そういえば、

老杉ならぬ老松に、

老いの孤独を詠んだ一首がある。

 

誰(たれ)をかも 知る人にせむ 高砂の

    松も昔の 友ならなくに

          藤原興風(ふじわらの おきかぜ) 百人一首より 

 

《現代訳》

年老いた私は、いったい誰を知人としようか。

(長老で有名な)高砂の老松も、人間ではないから、

昔からの友人というわけではないのだから。

 

 

94歳で他界した祖母も晩年にその寂寥感を口にしていた。

年老いるにつれて長年の友人が一人づついなくなっていくのが、

悲しく、寂しく、辛い、と。

人間は長寿を目指すが、

年老いてくると気の置けない友との死別を多く経験する。

人もまた時代につれて変遷するし、

長生きするって、そんなに素晴らしいことだろうか…、

と、ふとそんなことを思ってしまうのは、

散り落ちた木の葉があまりにも美しく絵になっていたからだろうか…。 

 

「ボンちゃん、ゴリラ界では歳を重ねたゴリラは、“あのオヤジ”とか“あのババァ”とか言われず、経験豊かなゴリラとして誰からも敬われる?」

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2010.12.01

足柄の山奥…天狗様

さっきアップしたばかりだった『足柄の山奥…天狗様』の記事が、

ちょっとした操作ミスで全て消えてしまった…、トッホッホ。

山奥に棲む天狗様を愛と情熱を込めてご紹介したはずだったのに…。

かなりショックなのだ。

今すぐにもう一度は書けない。

 

でもこうとも思ったのだ。

山奥にひっそりと暮らしているのだから…世間にはさらされたくない。

天狗様はインターネットのような媒体で安易に紹介されたくないのかもしれない。

だから記事と写真と共に姿を消してしまったのではないか…、と。

なんといっても羽と神通力があるから…。

 

ということで、天狗様のお考えを尊重し、

「お猿のかごや」の歌と共に本日はおひらきにしたい。

エッサ エッサ エッサホイ サッサ
お猿のかごやだ ホイサッサ
日暮(ひぐれ)れの山道 細い道
小田原提灯(おだわらぢょうちん)ぶらさげて ソレ
ヤットコ ドッコイ ホイサッサ
ホーイ ホイホイ ホイサッサ

(作詞 山上武夫より)

Odawara1

 

「ボンちゃん、ゴリラは天狗様と話せる力を持っていそうだね?!」

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