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2011年1月

2011.01.31

頑張りに脱帽。

ああ、桂三枝さん。ああ、三枝さん。

朝からそう言いたい気分に私をさせているのは、

何を隠そう、

桂三枝創作落語 自撰・特撰・三四撰に映る三枝さんなのである。

 

一昨日の夜、DVDのDISC 1 “喜(き)”を見て、

昨夜はDISC 4 “傑(けつ)”の「.メルチュウ一家」と「.スキヤキ」を見たのだが、

従来からある落語のイメージ、その枠組みを完全に超えている。

試行錯誤を楽しみながら新たなる世界観の構築を挑んでいる姿に、

見ている方は思わず笑ってしまう。

その全力投球ぶり、一所懸命さに尊敬心が芽生えてくるし、

独創的な開拓精神に満ちた勇気あるその人が、

同じ日本人であることが嬉しい気持ちまでしてくるし、

そのスゴサと頑張りに脱帽しているからなのである。

 

攻めで穴だらけだから滑稽で笑える。

情熱と執念、何よりも落語に対する深い愛情に、

気づけば感動して、

清々しい気分になってくる。

カッコイイ生き様の集大成に心洗われ、

笑いと感動の涙が頬を落ちるのだった。

 

もう、三枝さんに恋せずにはいられない。

 

「ボンちゃん、やっぱりゴリラ界にも独創的なタイプとそうじゃないタイプがいるの?」

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2011.01.30

サッカーアジア杯

サッカーアジア杯には本当に感動した。

報道によれば、

GK川島選手はアジア杯の後半に本領を発揮し出したという。

優勝に導くゴールを決めた李選手は、

ベンチ入りのスタートに始まり最後に大活躍。

何人もの選手が、

長い葛藤の末に試合に出場できるチャンスを得て、活躍。

勝因は、チームが一丸となったことだと監督をはじめ選手の誰もが語っていた。

 

試合後の選手たちのコメントの中に、

ザッケローニ監督から信頼を感じる言葉をもらっていたとあった。

 

選手たちの精神状態を安定に導き、

鍛えてきた力を絶妙なタイミングで発揮できるように仕向けるのが、

監督やベンチスタッフに最も求められていることなのだろうと思うと、

そこに応援する人達の気持ちが加わり、

それが大成功した奇跡が優勝へと導いたという印象を受ける。

 

人は寂しい時、言葉を探すものだと思う。

人は信じられていると感じると愛を感じるものだと思う。

人は愛を感じると勇気が湧き出るものだと思う。

 

勇気と感動を、ありがとう! 

 

「ボンちゃん、ゴリラは寂しい時、何を探す?」

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2011.01.29

ああ、桂三枝さん

ついに、桂三枝さんの血と汗と涙の結晶を入手した。

桂三枝創作落語 自撰・特撰・三四撰 <5枚組DVD-BOX>には、

創作落語34席、約1,000分が収録されてある。

DISC 1 “喜(き)”には、ゴリラが出てくる「さよなら動物園」がある。

以前、「さよなら動物園」というタイトルに惹かれて手にした絵本があった。

それが三枝さんの創作落語だと知って感動したのを覚えているのだが、

落語で聞くのは今回が初めてだったから、あらためて深い感動を覚えた。

 

三枝さんの創作落語は、

笑いは勿論のこと、教えあり、涙あり、感動あり。

弱者の心に共感する優しさが満ちているから心が揺さぶられる。

物理的、心理的、かかわらず、

満たされた環境に浸っている者は、

なかなか、

そうでない者の心に心を配れないものだと思う。

 

鴨長明の名言が思い出される。

「 魚は水に飽かず 魚にあらざれば、その心を知らず

  鳥は林を願う 鳥にあらざれば、その心を知らず 」 鴨長明

               

 

人、動物、植物、物、その気持ちは、

当の本人でなければ絶対に分かりようがない。

けれど、

その気持ちに少しでも寄り添おうとする心を持てるのも人なのだ。

三枝さんの創作落語はそうしたことにも気づかせてくる。

「三枝さん、血と汗と涙の結晶をありがとうございます!」

桂三枝さんの信念に心から感謝したいと思う。

 

収録内容を記しておこう。

1、DISC 1 “喜(き)”[210分]
1.憧れのカントリーライフ 2.作文 3.又も華々しき華燭の典 4.シルバーウェディングベル 5.湯けむりが目にしみる 6.お祭り代官行列 7.花嫁御寮 8.さよなら動物園

2、DISC 2 “笑(しょう)”[226分]
1.ダンシングドクター 2.くもんもん式学習塾 3.青い瞳をした会長さん 4.踊る屋上ビアガーデン 5.アメリカ人が家にやってきた 6.仲良くやろう雀 7.工場の月 8.初恋

3、DISC 3 “天(てん)”[226分]
1.鯛 2.ロボ・G 3.コテコテ劇場 男の花道 4.人情ラーメン 夢屋 5.ワニ 6.夏の和尚さん 7.良心 8.効果音の効果は効果的だったかどうか

4、DISC 4 “傑(けつ)”[230分]
1.メルチュウ一家 2.スキヤキ 3.大相撲夢甚句 4.悲しみよありがとう 5.平成CHIKAMATSU心中物語 6.大阪レジスタンス

5、DISC 5 “夢(ゆめ)”新録パート[150分+特典映像21分]
1.妻の旅行 2.読書の時間 3.宿題 4.ゴルフ夜明け前

 

「ボンちゃん、動物園のゴリラは、やっぱりアフリカから離れたくない?」

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画びょう

私は幼い頃、

色々な事が重なって、酷い心配性になっていた時期があった。

例えばこんなこと。

今日、嫌な事や悲しい事があったとする。

すると、今日、着ていた服は暫く着ないようにする。

というか、正確に言えば、着るのが怖いのだ。

その心の内は、

その服を着たら再び同じようなことが起きる気がするからで、

それだけは避けたいという一心だった。

例えばこんなこと。

輪ゴムが捨てられなかった。

切れて使えなくなった輪ゴムは捨てられるのだが、

一般的には、例えば買ったお弁当に止められている輪ゴム。

今後まだ使えても食べ終えた後のゴミと一緒に捨てる人が多いが、

私は今でも容易く処分できない。

できたとしても、勇気を振り絞ってエイッ!としなければできない。

記憶には無いのだが、

たぶん、輪ゴムがらみの、良からぬことがあったのだろうと思う。

些細なことにつまづく自分と、

対決しようと心に決めて、エイッと輪ゴムを捨ててみたりもした。

けれど、捨ててしまったという思いに耐えられなくなって、

拾う自分がいた。

そういう小さなことに苛まれる人には分かると思うが、

自分が自分に辟易してきてウンザリしてきてしまう。

これがけっこう心が疲れることなのだ。

例えば、こんなこと。

画鋲を壁に留められなかった。

心に不安な思いがよぎることは誰にもあるだろう。

ちょうどその時に画びょうを止めたら、

そのイメージが壁に留められたような気がしてくるのだ。

輪ゴムと同様、エイッと画びょうを止めては、

小さな恐怖にかられて、

悪いイメージが留められない瞬間を狙って、

何度も留め直さずにはいられなくなるのだ。

できたとしても、勇気を振り絞ってエイッ!としなければできない。

そういう小さなことに苛まれる自分に辟易してくる。

そんな自分と対決しようと心に決め、

これからは何が思い浮かんでも画びょうを留めなおさない・・・、

そう心に決めたばかりなのに、

今度は壁が痛いんじゃないかと思い出して、はずしたりする。

子供の頃に、そんな経験をしたことが私にはある。

経験者には分かると思うが、けっこう精神的に消耗することである。

「ボンちゃん ゴリラは未来に不安を感じたりする?」

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2011.01.28

Ti amo.

「あなたのことを、他の誰を愛するよりも、愛している」

という言葉の意味と、

「あなたのことを、他の誰があなたを愛するよりも、愛している」

という言葉の意味は、日本では意味もニュアンスも微妙に異なっていると、

私は信じて疑わないのだけれど、

イタリア語では、

Ti amo piu`di chiunque altro.

と、微妙な言い分けが無いというのだ。

 

わたしがあなたのことを、他の誰を愛するよりも、愛していることは、

あなたのことを、他の誰があなたを愛するよりも、愛していることになるのか?

 キョロ(;・_・ )

ブツブツと呪文を唱えるが如くに自問自答してみた。

 

わたしがあなたのことを、他の誰を愛するよりも、愛していることは、

あなたのことを、他の誰があなたを愛するよりも、愛していることになるのだろうか…?

 

前者は、自分が計っているのは、あなたに贈る自分のあなたへの愛の度合いである。

後者は、自分が計っているのは、他者があなたに贈るであろう愛の度合いである。 

 

“わたしは、あなたのことを他の誰を愛するよりも、愛していること”、

= 私は、あなたを最も愛している。

“わたしは、あなたのことを、他の誰があなたを愛するよりも、愛していること”、

= 私以上にあなたを愛する人はいない。

 

(@Д@; …確かに似たような意味にとれてしまうのだ。

 

そこで、過去形にして、意訳して考えてみようと思う。

“わたしは、あなたのことを、他の誰を愛する(した)よりも、愛していた”、

=わたしの人生で、他の誰を愛するよりも、あなたを愛していた。

“わたしは、あなたのことを、他の誰があなたを愛する(した)よりも、愛していた”、

=あなたの人生で、私ほどあなたを深く愛した人はいない。

 

ウォッォォー ヽ(゚ω゚ )ノヽ( ゚ω゚)ノ ウォッォォー

同一視できない異なりがニュアンスに生まれているではないか!

 

けれどねぇ、

この“言葉の迷路”のゴールには書いてあるようにも思うのだ。

『わたしが他の誰を愛するよりもあなたを愛することは、

あなたの人生においてわたし以上にあなたを深く愛する人はいないことである』、と。

 

「ボンちゃん、ゴリラは愛する思いを常に伝えあう?」

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2011.01.27

痩せた黒猫

公園に、毛並みの悪い痩せた黒猫がいた。

毎日通っていると思われる、年配の女性から食事をもらい食べているところだった。

私は、その光景を1mほど離れた所から見つめていた。

その女性が去った後も、見つめていた。

右目は目ヤニが酷く、口元もただれているようで、

痛々しく幸薄そうに見えたから、

なんと声をかけてよいものかが分からず、ただ見つめていたのだ。

すると、食事を終えた猫が私を見上げ「ニャァ」と鳴いたのである。

かぼそい声だった。

その予期せぬできごとに、

どんな思いを込めて返事をすればよいかが分からないまま、

今思えば、同じような声のトーンだったのかもしれない、「ニャァ」と言った。

すると、猫がまた私を見上げて「ニャァ」と言うのである。

私が立つ位置は、猫にとっては逆光だったから眩しそうにしていた。

それでも、「ニャァ」、そして間があって、「ニャァ」、そのやり取りが繰り返された。

その後、

猫は私に痩せた曲線の背を向けて目を瞑った。

私は午睡の邪魔にならないように、

背中にそっと挨拶をしてそこを立ち去った。

 

痩せた黒猫と「ニャァ」を繰り返しながら思った事がある。

猫というのは、まるで背中で時をやり過ごしているように見える。

今を生きることが決して楽しそうには見えないこの猫は、

生きることが楽しいのだろうか、それとも、辛いのだろうか。

いや、やっぱり楽しさが勝っているから、

生きていたいから、食事をするのだろう。

この痩せた黒猫が、

もしかしたら自分であった可能性だってあったはず・・・と。

 

「ボンちゃん、動物園のゴリラは、背中で、時が通り過ぎる音を聴いているように見えるね」

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2011.01.26

手作り・・・梅肉ディップ

身体を温める作用が最も強いと言われている食材はショウガ。

ショウガは加熱するとその作用が強まるという。

そこで、

身体を温め、且つ疲労回復にも役立つ、

梅肉ディップの作り方を記してみたい。

野菜スティック、クラッカー、湯豆腐、酒の肴、ご飯によくあうのだよ。

 

材料

ショウガ

梅干

エクストラヴァージンオリーブオイル

 

①ショウガをみじん切りにする。

②梅干の種をとってすり潰し①とあえて電子レンジで加熱する。

③②にエクストラヴァージンオリーブオイルを加え混ぜる。

できあがり

※味は好みで調節する。

 

「ボンちゃん、ゴリラは、酸っぱいもの好き?」

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2011.01.25

どんなキスするの?

イタリアの諺に次のようなものがある。

Dimmi con chi vai, e ti diro che sei.

「君が誰と一緒に歩むのかを言ってごらん、そうすれば私は君が誰であるかを告げよう」

その人物の“今”の価値観は洞察できそうな気もするが、

実際の“君”が誰であるかはわからないような気もするけれど・・・。

諺には無いけれど、

同じような問いかけの変化形を少し考えてみた。

 

心の深層を探るきっかけになりそうな・・・これなんかはどうだろう?

Dimmi che fobia hai e ti dirò chi sei.

「君が何を恐れいているかを言ってごらん、そうすれば私は君が誰であるかを告げよう」

 

ミュージシャンのギターの腕前を探るのだったら・・・こんなのは?

Dimmi che chitarra hai e ti dirò chi sei.

「君が何のギターを持っているかを言ってごらん、そうすれば私は君が誰であるかを告げよう。」

 

食は人を作るものだから食の質からも人物像を探れそう・・・、

Dimmi cosa mangi e Ti dirò chi sei.

「君が何を食べるかを言ってごらん、そうすれば私は君が誰であるかを告げよう。」

 

最後に色っぽい問いかけを・・・、これでいったい何が探れるのか、ハテナだなー?

Dimmi come baci e ti dirò chi sei!

「君がどんなキスをするのか言ってごらん、そうすれば私は君が誰であるかを告げよう」

 

キミ !ψ(`∇´)ψ どんなキスするの?! 

 

「ボンちゃん、ゴリラは、どんなキスするの?」

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2011.01.24

好きでいられるように

好きな人ができると、

その人がどうしても気になってどんどん知りたくなるものではある。

 

昨夜、偶然に見たNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の、

信長に心酔する江姫もそうであるように思った。

しかし不思議なのが、

父親を失う原因を作った叔父上である信長さまに、

まるで恋に落ちているように見える江姫である。

信長さまが江姫の命を救ったエピソードでもあれば分かる気もするが、

なぜ江姫があそこまで、

信長さまに惹かれてゆくのかがさっぱり伝わってこない。

現代っ子を絵に描いたような江姫の印象に加え、

洋装が似合い過ぎている上、

自分の姿の美を妙に意識している印象の信長さま、

これはもしや新生代の時代劇?と思えてきた。

 

江姫は築山殿事件(信長が家康に築山殿の殺害と信康の切腹を命じたもの)の真意を聞きに信長さまのいる安土城を訪れる。

そして問うた結果「わしにも分からん」と言われ、更には、

「猿め(秀吉)に、おねを殺せと言ったら殺せないだろう、わしに泣きついて命乞いするか、或いは自らで命を絶つだろう。(家康が)築山と信康を殺したのは、家康自らが決めたことである。妻の代わりに死ぬことを選ぶであろう猿を手放す事もないし、わしの命で妻を殺した家康を裏切る事もない」

と、信長なりの真摯な回答らしきものは聞き出せたが、

その真意が理解ずに江姫は混乱する。

なんでも突きつめて知りたい性格の江姫は、

今度は茶人の千宗易に事の全てを話し信長の真意を聞くのだが、

「大切なのは好きか嫌いか、江姫様は信長様がお好きなんでしょう?それだけで良ろしいのではないでしょうか?」

と、茶人までもが“江姫信長大好き説”に話を一旦収めるのだ。

そして、人間いうもんは力を持つほど一人になって孤独になる。信長様には誰にも見えないものが見え、誰にも聞こえないものが聞こえている、と諭されてから、

「あなた様は傲慢や。何でもかんでも知りたい。また、分かる事が出来ると思っている。それ自体が我儘や。傲慢や」

と、お茶の間の誰もが思っていたであろう事を代弁してくれる。

「そうだそうだ!よくぞ言ってくれた宗易殿!」

( ^ω^)おっおっおってな感じになって、

これにて一件落着となった次第であるのだが、

なんだか俳優さんたちがいまひとつのっていないような、

かみ合っていないような、

それぞれのカットがベーゴマでカチカチ弾き飛ばしているような、

それが狙いなのかは知る由もないが、

なんとも謎な空気漂うドラマだと思った。

その不思議さに誘われて、

先頃NHKで放映されていた「セカンドヴァージン」の過激なキスやベッドシーンまで思い出されてきて、もしや、

幼き江姫と叔父である信長さまとが密やかな接吻を交わし出すかもしれない・・・あの江姫とあの信長さまならありえるかも・・・と、

結局、気が気じゃなくて最後まで見てしまったのだ。

そんなこんなで要らぬ心配をしながらアレコレと考えさせられていたら、

私なりに江姫に伝えたい思いが芽生えた。

せっかく芽生えたものだから、

最後にそれを綴って今夜は御ひらきにしようと思う。

( ̄ー ̄)ニヤリ 

「好きな人のことは、よく知らない方が、ずっと好きでいられるよ!」

 

「ボンちゃん、ゴリラは好きなゴリラや好きな人のことを、アレコレ知りたい?」

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2011.01.23

手作り・・・粒々煎餅

残ったごはんを利用して粒々煎餅を作ってみた。

 

材料

ごはん 150g

黒ゴマ 小さじ1

塩 一つまみ

青のり 小さじ1

 

作り方

1、ごはんを温める。

2、1にゴマを加え、食べやすい大きさに丸める。

  ※目安は直径2cmほど

3、まな板にサランラップを敷き、その上に2をのせ、手のひらでつぶす。

4、3を乾燥させる。(1日~2日)

5、4を170度の油で揚げる。

6、熱いうちに、好みで、塩、青のりをまぶす。

 

おやつにもお酒のおつまみにもピッタリ!

是非お試しあれ~!!━(゚∀゚)━!!

       

「ボンちゃん、ゴリラが長寿祝いの赤いちゃんちゃんこを着て、コタツに入りながらお煎餅食べてたら、絵になりそうだね」

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2011.01.22

ランプの灯りか・・・。

人間関係を維持することは、

素の自分だけではなかなか難しい。

やっぱり少し装飾しないとならない。

と、生まれてから年月が増すごとに学習するものだと思うが、

いくら自分が心して、

努力と忍耐と貢献心をもって人に接しても、

相手も同じような価値観を抱いているとは限らない。

ふだん一切音沙汰のない人が、

頼みごとや用事がある時だけ、

親友ぶって接してきたりするような驚くべき事件に遭遇し、

心が針でチクチクされている感覚を得ることだってあるだろう。

 

そんなだから、

だんだん人との交流が面倒になり、

ペットブームが到来しているのではないかと思うのだけれど、

それでも、次に記すマザーテレサの言葉を目にしたりすると、

たしかにそうだよな・・・、

などと思ったりもするものである。

 

それはやっぱり私が人だからだろうか・・・。

 

「ランプの灯りを絶やさずにいるには、

絶えず油を注ぎ続けなければならない。(マザー・テレサ)」                

       

「ボンちゃん、人は時に人に疲れるけれど、ゴリラもゴリラに疲れる?」

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2011.01.21

手作り・・・かき餅

毎年この時期はお正月のお餅を利用して、かき餅を作る。

おやつにもお酒のおつまみにも最適。

簡単に作れて、とっても美味しいので作り方を記しておこうと思う。

 

1、お餅は適当に薄切りにする。目安の厚さは、市販の小さい大きさの1枚のお餅に対し、10枚~12枚程度。

2、1を新聞紙に載せ、2日から3日程度、ヒビが入るまで陰干しする。

 

3、油を熱し、1を少量ずつ 、中火でキツネ色になるまで揚げる。

   ※目安は、お餅が開いてきたかどうか。

   ※仕上がりのサクサク感が弱い場合は、途中から少し火を強める。

 

4、揚がったお餅を新聞紙にあげ、塩おかきの場合は直ぐに塩を振る。

 ※ 黒砂糖や三温糖風味も美味しいのヨォ!

 ※ 辛党の方には、塩胡椒、醤油七味唐辛子風味が良さそうヨォ! 

 できあがり。

 

 是非、お試しあれ~♪

 

「ボンちゃん、ゴリラはお煎餅好きかな?」

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2011.01.20

THE LOVE

昼間、「同窓会~ラブ・アゲイン症候群」というドラマが再放送されている。

「相棒」を録画しておいたら抱き合わせで録画されてあって、

3話目だったかな?チョピットだけ見たのだけれど、

家族をもつもの同士が30年ぶりに同窓会で再会して“道ならぬ恋”が萌芽する。

 

光が強ければ強いほど影は濃くなるように、

“道ならぬ恋”がもたらす“強い光”が“強い影”をもたらし、

家族を思い、良心の呵責に苦しみ、それでもその恋に惹かれゆく。

 

“愛”が人との間に宿る時、

時に“愛”は無慈悲になるのか、

そのむごさに、

恋に落ちたものたちは、ただただ、うろたえるしかない・・・そんな印象を受けた。

 

数日前に記した玉ログ「寄りあえない条理」でふれた、

詩人、パーシー・ビッシュ・シェリーは、

結婚制度を否定し、自由恋愛を貫いた人物として知られている。

一般社会の規範から逸脱した彼の恋愛観は、

愛するということは、そこに一点の曇りもあってはならないようだ。

“愛”が棲む家は“純粋な思い”で築かれていなければならないようだ。

そんな理想美溢れる美感漂う詩が多い気がする。

ただ、シェリーの詩は、

唐突に「おまえのなになに・・・」といった表現が多く、

その“おまえ”が何を指しているのか、

その真意はシェリーのみぞ知るで、

読者が想像するしかないから、

読み手によって受ける印象は大きく異なるかもしれないのだけれど、

明確に伝わってくるのは、

「愛」に純粋であろうとして「愛」に身を焦がした詩人という印象。

 

若くして他界した彼が人生の後期に綴った詩、

「ランプがくだけると」は、

叶わなかった「恋愛」が心にもたらした痛ましさを感じる詩だと思う。

 

 

       『ランプがくだけると』

 

          〔一〕  
   
ランプがくだけると
ひかりは消えてしまい――
雲が吹き散ると
虹のかがやきは去り
リュートがこわれると
やさしい調べは忘れられ
口をはなれてしまうと
愛の言葉は すぐに忘れられる
   

          〔二〕
     
音楽とかがやきが
ランプやリュートのあとに残らぬように
こころがなにも言わなければ
胸のこだまは歌をうたわぬ――
廃屋を吹き抜ける風のような
死んだ水夫の弔鐘をひびかせる
なげく波のような
悲しい挽歌のほか 歌を歌わぬ

          〔三〕
     
心がひとつにむすばれると
愛はまず うまくつくられた巣をはなれ
弱いほうだけが
かつていだいた想いをしのぶ
おお 愛よ! この世のすべてのものの
うつろいやすいことを嘆くものよ
なぜおまえはこの上なくうつろいやすいものを
おまえのゆりかご 棲み家 柩とするのか

          〔四〕 
     
大空のカラスをあらしが揺り動かすように
その熱情は おまえをゆすぶる
冬空の太陽のように
あかるい理性はおまえをあざける
おまえの巣の どの垂木も朽ち果て
鷹の巣のようなおまえの高みの家は
おまえを嘲笑にさらす
木の葉がおち つめたい風が吹くときに

          (『シェリー詩集』上田和夫訳 世界の詩 より)

 

「ボンちゃん、 ゴリラは“道ならぬ恋”といわれる恋についてどう思う?」

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2011.01.19

恋の研究

昨日の続き、インテリは恋に向いていない、その話をしようと思う。

女性からみて、愛したくても、愛しようがない人として、

ピッタリくるのが、岡倉先生が思い浮かぶ。

岡倉先生とは、第10作の「 男はつらいよ」の中に生きる人物である。

 

ここからはあらすじを少し話すので、知りたくない人はご注意を。

岡倉先生(米倉斉加年)とは、御前様の甥で「とらや」2階に下宿する東大の助教授である。

ひと昔前にいたような、“インテリ”を絵に描いて写真にとったような人物。

その岡倉先生、さくらさんの幼馴染、オチヨ坊こと志村千代(八千草薫)さんに一目惚れする。

それからの岡倉先生の混乱ぶりといったらスゴイ。

クラッシックしか聴かなかった人が、「ああ今夜だけああ今夜だけ~♪ああ~どうにも止まらない~♪」などと部屋でひとりで口ずさみ出し、望んでいたアメリカの大学での仕事も、今はオチヨさんのいる日本に居たいという思いから、ふたつ返事で断り、ついに寝込んでしまった。

恋の病に伏した時の自分と重なる寅さんは、そのあまりの不甲斐無さに、見るに見かねて恋の架け橋になろうとする・・・という話。

次に記すのが、私の大好きなシーンである。

頭の中がオチヨさんのことでイッパイとなっている岡倉先生は、感冒の初期と言って寝ている。が、実際には恋の病に伏している。

そんな岡倉先生が横たわる布団の側での、寅さんとのやりとりである。

 

 ********************

 

岡倉先生「それなら、今の僕の気持ちは分かってもらえますね。僕はね今までに恋を研究したことがないもんだからよく分からないんですよ」

寅さん「どうも、インテリの言うことは大げさでいけないよ。自分でオチヨ坊のとこへ行って、すっと話をすりゃ、いいじゃねえか。それでスミだよ」

岡倉先生、矢も盾もたまらずむくっと起き、血相を変えて言う。

岡倉先生「それが可能なくらいならこんな苦しい  恋をする男の気持ちというのはですよ、寅さん、  そんなものじゃない  」

寅さん「えっ…」

岡倉先生「頭の中にはその人のことばかし、何を見てもお千代さんの顔に見えてくる。君の顔だってこうして見ているうちにだんだん角がとれてきて、瞳がつぶらになってきて…」

寅さん「ラッキョみたいになっちゃうのぉ?」

岡倉先生、きょとんとした顔をして聞く。

岡倉先生「ラッキョ?ラッキョとはなんのことです?」

寅さん「オチヨ坊だよ、そっくりだろ?ハハハッ」

岡倉先生「よくもあんな美しい人のことをラッキョだなんて!そういう君はいったいなんだ!エッ!エッ!△(三角)フラスコみたいなツラしやがって!そうでなきゃ□プラカードだァ!」

寅さん「な、なんか言ったな?さしあたりオレのツラのこと言ったな。 おう!上等だよ!エ-!
てめえ、なんだい、夏の日のドブ板じゃねえけどもな!反り返ってるじゃねえか!しゃくれてりゃいいってもんじゃないんだよ!エッー!裏ひっくりかえしたらミミズがのたくってるだろう、ざまあみろってんだ!この野郎ッ!」

岡倉先生「ナンセンス!!!!!」

寅さん「ナンデンション?!何言ってるか分かんないんだよ、オマエは!愚にもつかねえ本読みやがってよ、本読みゃーいいってもんじゃないんだよっ!ツラ見てると頭痛くなるよ、オマエは!!」

岡倉先生「封建主義者!」

寅さん「勝負するのか!オマエ、勝負を!」

岡倉先生は、わめきながら寅さんにしがみつこうとするが、

寅さんは受け止めずに、すっとかわす。

 ********************

 

すっとかわした寅さんの姿が、なんとも心に残る。

寅さんはオチヨ坊を慕っているのだけれど、誰よりも岡倉先生の気持ちが分かるのも、寅さんである。恋と人情に揺れる寅さんの情深さ、“男はつらいよ”を感じる瞬間でもある。

 

恋は、論理的にはできない。

恋に落ちたら最後、

事物の間にある法則的な連関など吹き飛ばされてゆく。

岡倉先生が口ずさんでいたあの歌、「どうにもとまらない」の歌詞は恋に身を焦がす人の心境を的確に言い表していると思う。

「ああ蝶になるああ花になる
恋した夜はあなたしだいなの
ああ今夜だけああ今夜だけ
もうどうにもとまらない♪」(「どうにもとまらない」 作詞 阿久悠)

 

ということで、

どんなにいっぱい書物を読んで勉強してインテリ化しても、

恋は研究できない代物のようである。

恋や人情をテーマに、

無学な寅さんはインテリ陣によくお説教をして深く言い聞かせる。

それに妙~に惹かれる私なのだった。

 

「ボンちゃん、 ゴリラにも、身を焦がした恋と、そうでない恋があるの?」

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2011.01.18

愛したくても…。

桂三枝創作落語に『桃太郎で眠れなかった子供のために』というのがある。

頭でっかちで論理的な話し方をする生意気な息子、

俗にいう“インテリ”の子分みたいな息子を早く寝かせようとする父親が、

昔話の「桃太郎」の話をするーこの親子の掛け合いが、面白い!

桂三枝さんの創作落語は、

今の時代をユニークに風刺していて、

聞いていると情景が目に浮かんでくる。

桂三枝大全集 創作落語125撰 第39集にあるので機会があったら是非聞いて頂きたい。

落語では笑える話も、実際にあそこまで生意気な子供がいたら、空恐ろしい。

 

たしかに、ニュースを見ていて、

コメントを求められた一般の子供たちが、

妙に冷静で論理的な話し方をするのが目につく。 

そこでふと思ったことがある。

もしかしたら…頭でっかちな子供は、恋に向いていない人間になるのではないか、と。

寅さんのあの言葉が思い浮かぶ。 

映画「男はつらいよ」の“寅さん”こと、車寅次郎が言う有名なセリフである。

「お前、さしずめインテリだな?それじゃ余計女にもてないよ。ダメだ、あきらめな」、と。

 

ちょっと予期に反するような言葉を受け、

その奥にある意味を考えた人は多いのではないだろうか…?。

不意打されたような気がして、ちょっとドッキリする言葉だと思うのだ。

 

心理学的に考えても、その可能性が高くなるのだ。

心理学では、

論理は時に感情を隠してしまう、

感情は表現することで整理されてくる、

と説明しているから、

日頃から論理的過ぎると感情を隠すようになり、

感情を込められる自己表現の習慣が身についていないと、

人や物事に対して自分がどう感じているのか、

自分がそれらに対してどう思っているのか次第に曖昧になってきて、

印象が明確でなければ、

当然、自分の気持ちや伝えたいことがよく見えないわけで、

心の中に何か強いものを抱きつつも、

何をどう伝えれば良いのか整理できなくなってきて、

その結果、

人とのコミュニケーションは大の苦手ということになってくる。

なるほど、

寅さんに出てくるインテリ陣が自分の気持ちを伝えられないのは、

まさにこのメカニズムなのかと合点がいくのだ。

 

辞書によれば、

コミュニケーションとは社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。

自分の思いを伝えることが大の苦手な人を、

愛するに至るということが、

かなり難しい現象であるという想像が付いてくる。

なぜならば、その人の思いが伝わってこないからである。

愛したくても、愛しようがないのだ。

 

だから、寅さんは言うのだろう。

「お前、さしずめインテリだな?それじゃ余計女にもてないよ。ダメだ、あきらめな」、と。

 

「ボンちゃん、 ゴリラ界にも、さしずめインテリ系なゴリラっているの?」

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2011.01.17

寄りあえない条理

19世紀初頭のロマン主義文学を代表する詩人、パーシー・ビッシュ・シェリーは、

南部イギリス生まれの、美しい、女性的な、感受性の強い少年だったという。

彼は愛に純粋であったのだろう。

それが伝わる詩をいくつも遺している。

愛に純粋である人は、

多くの場合、

誰かと自分を苦しめ傷つけて生きることになりかねないように思うが、

感受性が錆びついた人には決して放てない言葉を放つ。

愛と孤独の狭間で揺れた詩人が組み合わせた言葉からなる詩は、

時を経ても冷めることのない情熱のメロディを奏でているように感じる。

そのひとつ、『愛の条理』の一節を記してみたい。

 

   『愛の条理』

泉は川とまじり

 川は海とまじる

空ふく風はいつも

 やさしいこころとまじる。

世にひとりのものはない

 あらゆるものが聖なるおきてによって

ひとつの精神に寄りあっている。

 わたしがあなたに寄りあえないのは なぜ?

 

山は天にくちづけし

 波はたがいに抱き合う。

雄花をあなどるなら

 雌花はゆるされるはずがない。

陽光は大地をかきいだき

 月のひかりは海にくちづけする。

あなたがわたしをこばむなら

 このよろこばしい仕事に価値があろうか?

(シェリー詩集 上田和夫訳 彌生書房 より)

 

「ボンちゃん、 ゴリラも、愛する者に寄りあえない条理に苦しみ、月を見上げる夜があるでしょ?」

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2011.01.16

古代の心 、今の心

1/10の玉ログ「“運”の総量」に、

運の配分とは、

もしかしたら・・・人の命が誕生した時点で、

その命が何に縁があるのかは既に決まっているのではないか・・・、

といったある種の宿命に対する素朴な疑問の話を書いたが、

それに関する興味深い一節を見つけたのでご紹介したい。

 

それはセネカが綴った「摂理について」の中で紹介している、デメトリオスの覇気みなぎる言葉である。

「運命はわれわれを導いている。そして、各人にどれだけの時間が残っているかを、誕生の時が定め置いた。原因は原因に拠る。公私の出来事を、事象の長い系列が導き出していく。それゆえ、全てを勇敢に耐えねばならない。それは、よく思われているように、すべてが起きるからではない。すべてがやって来るからだ。何に笑い、何に泣くかは、とうに決まっている。個々の生がいかに多種多様に異なって映ろうとも、最後は同じところに至りつく。われら滅びゆく者の取り分は、滅びゆくもの。だから、どうしてわれわれは憤ることがあろう。なぜ不平をこのぼすのか。われわれはそうなるべく用意されているのだ」(『怒りについて』セネカ著/兼利琢也訳 岩波文庫 より)

デメトリオス、Demetrios(Phalereus)とは、

古代ギリシア(前4世紀中頃)の哲学者、政治家である。

 

今は2011年・・・時代は変われど、

人間の心というのは、

運命の流れに翻弄され出すと、

同じようなことに着眼し、疑問を抱き、

心を納得させて前に進もうと自分なりに考えて結論づけ、

前向きに考える者は、

運命という無情なる定めに対してもなんとか開き直り、

前向きに、

勇気を持ってそれに挑もうとするようにできているように見える。

 

セネカは次のように結んでいる。

「善き者の務めとは何か。自らを運命に差し出すことだ。宇宙とともに奪い去られるのは、大きな慰めだ。このように生き、このように死ぬよう、われわれに命じたものが何であれ、それは同じ必然性をもって神々をも拘束する。人事も神事も、不可逆の進行が等しく運んでいく。万物の構築者、指導者、あの運命を起草した者すら随従する。一度の命令のあとは絶えざる服従の下にある」と。 

 

「ボンちゃん、 ゴリラの心は今も昔と全く変化していない?」

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2011.01.15

最良のにおい

ここ数年、部屋にお香をくゆらせない日はない。

今、気に入っている香りは、

日本香堂のFREE PURE SPIRIT INCENSE、

確かに香りは心に影響すると思うのだ。

とはいうものの、どんな香りも飽きるから、

人は無臭であれたら・・・などとも思うのだ。

 

「女のかぐわしさは全く香らないことである。(プラウツス)

女の最良のにおいはまったくにおわないことであると。

同様に、彼女たちの動作の最良の香りは、

それが全く感じられないことだと言われる」

(モンテーニュ随想録Ⅰ 関根秀雄・著 より)

 

人に対するにおいへの思いは私も同じで、憧れはまったくにおわないことだが、

何かしらを食して生きているのだから、無臭というわけにはいかない。

と、知りつつも、

また自分のことはさておき理想を語れるならば、

男の最良のにおいは、まったくにおわない、そういう人に憧れる。

より理想を言うことが許されるならば、

まったくにおわない人が、心惹かれる香りを微かにつけてくれていることだろうか・・・。

 

“におい”に対してのモンテーニュの見解は次の通りである。

「医者は将来もっと香りを利用することができるであるだろうと、わたしは信じる。まったくわたしは、香りがわたしを変えること、それらがその性質に応じてわたしの心に影響することを、しばしば認めたのである」

(モンテーニュ随想録Ⅰ 関根秀雄・著 より)

 

果たして、私の理想とする最良のにおいを持つ人、

即ち、においを持たない人はこの地球に存在するのだろうか…。

 

「ボンちゃん、 ゴリラも記憶にある香りを忘れない?」

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2011.01.14

冬来たりなば…。

“冬来たりなば春遠からじ”

この言葉は日本人の言葉かと思っていたのだけれど、

19世紀初頭のロマン主義文学を代表するイギリスの詩人、

Percy Bysshe Shelley (1792―1822)の長詩の一節であることを知った。

イタリアはフィレンツエを流れるアルノ川畔に迫りくる嵐の気配に、

27歳のシェリーが書いた即興詩、

Ode to the West Wind/『西風の賦』又は『西風に寄せる歌』の最後の言葉なのだ。

 

“冬来たりなば春遠からじ”の前には、

自分の発する言葉を世界に羽ばたかせ、

世界を変えたいという熱い思いが切々と綴られている。

ひとりの詩人の情熱とロマンに、

きっと…西風も心動かされずにいられなかったに違いない。

 

荒れ狂う西風よ!迸り出る秋の息吹よ!
枯葉の群れが、今見えざるお前の傍らから吹きまくられ
妖魔から逃げ惑う亡霊のように飛び散ってゆく、

そうだ、黄色く、黒く、青白く、或るいは不気味な赤みを帯びて
あたかも瘴癘に苦しむ者の群れのような、
枯葉の群れがお前に翼をもった種子が暗い冬の寝床へと追いやられ、

そこで、凍え、地中深く眠ろうとしている、まさに
墓場の下で眠る死骸ののようにだ!だが、やがて、
紺碧の空をかけるあの春風が、お前の妹が、やってくる

夢を見ている大地に向かって嚠喨たる喇叭を吹き鳴らし
(青草を食み勇みたつ羊のように、青空を仰ぐ蕾を萌えたたせ)
野や山に生色を漲らせ、香気をあたりに撒きちらすはずだ。

西風よ、お前は天地に充満し躍動する烈しい霊だ、
破壊者であり保存者だ!-聴け、この叫びを聴け!

西風よ、揺れ動く大空を引き裂いて駆け抜ける奔流よ!
今、その流れの上を、地上の枯葉にも似たちぎれ雲の群れが
縺れた枝のように空と海が絡み合った彼方から引き千切られ

流れてゆく。この雲こそ、雨と稲妻の前触れなのだ!怒涛の
ように荒れ狂うお前の面の上に、あたかも恐るべき狂乱の
巫女の、天を衝かんばかりの爛々たる毛髪さながらに

朦朧と霞む地平線の彼方から中天にかけ、
まさに今迫ろうとする嵐の振り乱した暗雲が、
蕩々と拡がり一面に覆おうとしている。おう、西風よ!

逝かんとすると死を悼む挽歌よ、刻々に迫り来る夜こそ、
濛々と不気味に湿気のたちこめる
巨大な納骨堂の円蓋というべきか!陰々たる

その蜜雲から、まもなく暗き雨と閃光と雹が
迸りでるはずだ。聴け、この叫びを聴け!

西風よ、お前は夏の日の夢を貪っていた青き地中海の眠りを
破った、-そうだ、バイア湾に浮かぶ熔岩の小島の
ほとり澄明な潮流の渦巻きの音を子守唄と聞きながら、

海面の波を通して射してくる強い日光をうけて揺れ動き、
心に描くだけでも感覚が麻痺するような
蒼い苔に覆われた、

遠い昔の宮殿や高い塔の夢をうっとりと
夢見ていた地中海の眠りを破ったのだ!
西風よ、お前がひとたび大西洋の海原を疾駆すれば、

漫々と漲る溢れる波濤は、忽ち裂けて深い溝となり
海底では、大海原の深海独特生気なき
葉を茂らせながら揺れる玉藻や海草の群れが、

お前の怒号を聞きつけ、恐怖の余り突如として蒼白になり、
うち震え、力を失い、畏怖するのだ!おお、聴け!

私は、自分がお前に空高く舞い上げられる枯葉であり、
お前とともに天翔ける雲であり、
お前の恐るべき力を畏れて喘ぎ、お前の猛威に

呼応して荒れ狂う怒濤であれば、と願う!たとえ、
西風よ奔放なるものよ、お前の奔放さに及ばないまでも、
いや、せめて少年の頃の自分であり、あの頃のように

大空を翔けめぐるお前の仲間であればと願う。ああ、あの頃は
大空を翔けるお前の速さを凌ぐことも、夢ではなかった。
今こうやって苦境に喘ぎ、祈り、せめてお前にあやかりたいと、

願う自分のこの惨めさを、私は悲しむ。西風よ、波のように
枯葉のように、雲のように、私を軒昂たらしめてくれ!
私は今人生の茨の苦痛に悶えている!血を流しているのだ!

永年にわたるこの世重圧が、余りにお前にも似た者を、
不羈奔放で誇り高き者を、私を、呪縛してしまったのだ。

西風よ、あの森と同じく私もお前の竪琴にしてくれ!たとえ
あの枯葉のように、私から枯葉が散っていても構わぬ。
それよりも、お前の激しい響きが、森と私の叫びと交じり合い、

沈痛な、そうだ、悲しみを帯びながらもなお快い、秋の調べを
奏でることを私は望む。西風よ、烈々たる霊よ、私の霊と
一つになってくれた!奔放なる者よ、私と一つになってくれ!

西風よ、お前が枯葉を撒き散らすように、私の死んだように
見える思想を全宇宙に撒き散らし、その再生を促してくれ!
まだ消え去らぬ暖炉の灰燼と残り火と撒き散らすように、

私のこの詩の呪術の力を用いて、私の言葉を
全世界の人々に向かって撒き散らしらてくれ!
西風よ、私の唇を通して、また醒めやらぬ全世界に対する、

予言の喇叭を響かせてくれ! おお、西風よ、
冬来たりなば春遠からじ、と私は今こそ叫ぶ!

(パーシー・ビッシュ・シェリー Ode to the West Wind/『西風の賦)』又は『西風に寄せる歌』より)

 

「ボンちゃん、 ゴリラも時に、風に頼みごとしたりする?」

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2011.01.13

水仙・・・保田

水仙の道を歩きに千葉県にある保田を旅してきた。

保田を訪れる度に陥る気分“思えば遠くに来たもんだ”。

それが長閑で心地よい。

 

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JR保田駅から10分ほど歩くと、水仙ロード。

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水仙とは異なる黄色の美、菜の花。

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小高い丘の上も水仙の園。

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保田の海の向こうには富士山が。

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保田漁港の夕陽。

 

「ボンちゃん、ゴリラは特定の景色を見て、“思えば遠くに来たもんだ”という気分になる?」

 

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2011.01.12

映り行く夕映え

詩人、萩原朔太郎の発した言葉は、

その文章にある言葉が厳密に審査された後に選び抜かれたもので、

その組み合わせは超一流の指揮者がリズムを統一したようで、

その絶妙さに、ピシットとストライクが決まった小気味良さを心が覚える。

一節を紹介したい。

「生命には成長がない。人の老いて行くことを、たれが成長と考へるか。老は成長でもなく退歩でもない。ただ「変化」である。一の港から他の港へ、船が流れて行く潮の変化である。然り!生命はただ変化である。人生の様々なる季節につれて、春から夏へ、夏から秋へと、自然の空や、空気や、林やの色が変つてくるやうに、人の生命もまたいろいろに移つてくる。だれが四季の価値を論じ得るか?春と、夏と、秋と、冬の季節の優劣を評価し得る基準がどこにあるか。各の季節の自然は、各の特殊な美と必然を有している。だれが四季の変化を以て暦数の進歩と言ふか?進歩はどこにもない。実にあるものはただ変化のみ。虹の、雲の、夕映の、さまざまなる色の移り行く変化のみ。生命は!」(『萩原朔太郎詩集』より 河上徹太郎/編 新潮文庫)

彼は詩に関して次のような見解を述べている。

「詩は学問でもなく技芸でもない。詩は時々に燃焼して行く生命の記録、主観の思い逼った「訴え」に外ならない」と。(同上)

「ボンちゃん、ゴリラは詩人向きな生きものなんじゃないかと思うのだけれど、どう?」

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2011.01.11

素足

昨夜、中目黒の川沿いを歩いていたら、

その寒さに危うく氷像になりかけた。

ここ数日、東京は最北の地と化したように痺れる寒さに襲われている。

 

今日、空を見上げたら寒気の徴を示す筋上の雲が浮かんでいたから、

暫くは寒さが続くのだろう。

本格的な冬の到来となって、

誰もが厚いコートに包まれているというのに、

一際目を惹く光景が電車内に広がっていた。

 

一歳半ぐらいの男の子が、

座席に座った母親の膝につかまり立ちしていた。

それはそれは嬉しそうな笑みを浮かべて。

その光景になんとなく違和感を覚えたのは、

その子の足元付近が肌色だったからなのだろう。

肌色の正体を確かめようと目を落とせば、

この寒いのに、なんと素足なのである。

座席の上で素足なのではなく皆が立っている所で素足なのである。

 

素足に触れる床のひんやり感が気持ちよいのか、

ひとりで立てるようになった喜びが寒さを吹き飛ばすのか、

或いは・・・今が冬であることを知らないから寒さに気づかないのか、

それとも・・・自分自身を疑っていないから人生が楽しくて寒くないのか、

その笑顔は、

雨の日に長靴を履き、水溜りをピシャピシャする時に子供が浮かべる、

そんな笑顔に似ていた。

 

「ボンちゃん、ゴリラは自分自身を疑ったりする?」

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2011.01.10

“運”の総量

宝くじに大当たりする人がいる、買っても一度も当たらない人がいる。

華々しい人生を送る人がいる、目指しても華々しさとは無縁の人生を送る人がいる。

 

果たして“運”の総量は同等に分配されいるものなのだろうか?

 

地球に誕生した人の命というのは、

引力…DNA、両親の体調、精神状態などなど様々な影響を受け誕生していると思われるが、

生まれたその命には、

実は、何に縁のある命だということが決まっていたり、

その命に宿ったツキの種類や量が決まっていたりするものなのではないか・・・、

と、考えたことはないだろうか?

 

最近、巷でよく聞く言葉、

「アイツは何か持っている」という表現をみても分かるように、

運の質やツキの量が平等に配分さているのではなく、

それらは人によって異なっているものだと、

正直認めたくはないが、多くが実感していることを裏付けている言葉のように思うのだ。

 

「何をおっしゃいます…平等な分配ですよ」

「とんでもない不平等な分配に決まっていますよ」

などと言うのは容易いが、実際のところ誰にも分からない。

そんな運の総量にまつわる興味深い一節を見つけたのでご紹介したい。

それは、ツキという現象を熱心に考えた作家、阿佐田哲也氏の言葉である。

 

「人間はすくなくとも、三代か四代、そのくらいの長い時間をかけて造りあげるものだ、という気がしてならない。生まれてしまってから、矯正できるようなことは、たいしたことではない」(『ばれてもともと』所収「」血の貯金、運の貯金」より)

「貯蓄型の人生を送る人と、消費型の人生を送る人とあって、自分の努力がそのまま報いられない一生を送っても、それが運の貯蓄となるようだ。多くの人は運を貯蓄していって、どこかで消費型の男が現われて花を咲かせる」(同前)

 

やはり、魂は何度も巡っているものなのだろうか…。

 

「ボンちゃん、ゴリラは“運”の総量ついてどう思う?」

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2011.01.09

命の推理

人の人生に存在すると思われる潮のみちひきによる影響という概念。

古代中国の人々は深く考えたのだろう。

命が推理できたらどんなにいいか…、

人生の運気の流れが推理できたらどんなに役立つか…、と。

そして試行錯誤の末に生み出したものが四柱推命なのだろう。

四柱推命とは、読んで字のごとく、生年月日、時間という四つの柱から命を推理するもの。

ただ、鑑定したり研究したりしているとつくづく感じることだが、

時間が不明であっても大して支障なく割り出し推理できるから、

三柱推命といってもいい気がする。

四柱推命は古代中国で確立したものである。

古代中国の皇帝が、

国の政治の方向性を判断する際に使用していたから、

帝王学とか、帝王の運命学と呼ばれている。

これはひとつの学問である。

 

その信ぴょう性に驚き今では占いの仕事に活用している私なのだが、

心が揺らぎ易い人や、

自己実現をしたいと強く願う人、

夢は見るものではなく叶えるものだと考えるような人は特に、

自分で四柱推命を勉強して自分のものにしておくと役立つと思う。

 

なぜならば、

自分の心に忍び寄る不安感を排除することに役立っているからである。

義務教育で学んだ多くの学問は、

社会に出て直接的には役立ってはくれなかったように思うが、

この学問は机上の空論ではないし、

実践に生かせる学問だと実感しているからである。

 

「ボンちゃん、ゴリラは群れを守るために、命を推理しつつ活動している?」

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2011.01.08

運気… 潮のみちひき

人の生死は潮の干満の時刻に合わせて起こると聞いたことがある。

海の潮の満ち干きに影響を受けるのが人という生きものだと考えると、

人の人生にも運気の満ち干きといった流れがあって当然だとは思えてくる。

 

こうした運気の干満という概念を、

今から400年以上前に生きた西洋人が持っていたことが窺える興味深いものを見つけた。

1599年にシェイクスピアが書いた戯曲『ジュリアス・シーザー』の中にあるセリフより。

「おおよそ人のなすことには潮時というものがある、一度その差し潮に乗じさえすれば幸運の渚に達しようが、乗り損なったら最後、この世の船旅は災難つづき、浅瀬につきこんだまま一生みうごきがとれぬ。いわばその満潮の海に今われわれは浮かんでいる、せっかくの差し潮、それに乗じなければ、賭けた船荷を失うばかりだ」(福田恆存訳・新潮文庫より)

シェイクスピアは四柱推命の存在も知っていただろうか・・・、

などと思わず思いを馳せてしまう。

 

「ボンちゃん、ゴリラは人生の運気の干満を感じる?」

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2011.01.07

太陽の愛

今、私の頬に窓から差し込む朝陽があたっている。

冬のやわらかな光の中にもしっかりとした温もりを感じるのは、

太陽が偉大なるエネルギーを送ってくれているからなのだろう。

 

昨日ふれた、音のローマ字表記“OTO”だが、

この中に“T”をひとつ加えると、

OTTO オット。

日本では意味をなさないこの言葉が、

イタリアでは数字の8という意味で使われている。

 

人が持つ個性という可能性が、

他者に大きな力をもたらすような魅力へと発展していくというのも、

OTOがOTTOになるように、

もしかしたら、

アイデンティティーが最も求める符号のようなものを、

ピッタリと見つけた人に生じていく現象なのかもしれない。

その符号が、ある人にとっては音楽で、

日本で言えば小澤征爾さんのような人が出現して多くの人に夢や勇気を感じさせ、

その符号が、ある人にとっては野球で、

イチローさんのような人が出現して多くの人に挑戦する心や感動を感じさせている、

と、OTTOに想像を膨らませてみたのだが、

見つかるかもしれないと考えて自分の符号を探そうとする人にも、

符号など考えずに生きている人にも、

せっかく符号を見つけても大切にしない人にも、

符号を探しつつも気づけば遠回りでなかなか見つけられない人にも、

太陽に感謝する人にも別に何とも思わない人にも、

そんなみんなに太陽はエネルギーを送り続けている。

偉大だ。

こうして人間や動物や植物が生きていられることを考えると、

有難さを実感すると共に、

それはやっぱり…、

太陽が愛を保持しているということなのだろうかと考えたりもするのだ。

 

「ボンちゃん、ゴリラは日向ぼっこが大好きだよね」

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2011.01.06

OTO

“音”をローマ字で書くと“OTO”、

左から読んでも右から読んでも“おと”なのだと気づいたら、

なぜだかちょっと楽しい気分になった。

だからどうということはないのだけれど、

そういえば私はこの“音”がもたらす力を信じて、

先月からイタリア語の新たなる学習法に挑んでいる。

音を耳に入れて脳に音を浸透させようと考え、

イタリア語でのTVやラジオを毎日聴くことを実践しており、、

この際、意味が完全に理解できないことは気にしないようにしている。

なぜかというと、気にしていたらやっていられないほど、

恐ろしく早口な上、

誰もが自動巻き舌装置でも所持しているのではないかと思うほど、

Rが含まれている単語なんかは見事に舌がバク転しているよう。

そのグルグル回る響きに、

もしかしたら脳が異常事態だと思って、

正常な機能に支障をきたさないように音を自動回避するのか、

聞きながら聞き流しているといか、聞いていない現象が起きるのだ。

果たしていつの日か、

この音送り込み作戦によって劇的な効果がもたらされるのだろうか?

と、思ったりもしていたところ、

その思いを打ち消すような嬉しい話を読んだ。

 

狂言の稽古というのは三歳から行われるそうである。

狂言と言えば、

難しい言い回しがすぐに思い浮かぶが、

意味など皆目検討がつかないような言葉を、

三歳の子供がどうやって覚えていくのかというと、

言葉の意味やあらすじを教えてもらうことはなく、

師匠の口移し、“音”から身につけていくのだという。

そう、言い換えれば口真似して体得していくのである。

 

日頃聞く機会の少ない言語の言語能力は0歳と同じ.。

それをうっかり忘れて、

語学学習者は言語の上達の遅さにがっかりしがちだが、

自分に過度な期待は禁物、本来話せなくて当然なのだ。

 

思えば、「真似」という漢字は“真に似る”と書くではないか。

音を聞いて真似ていると真に似てくるということなのだろう。

 

継続は力なり、ガンバロウ Oh!

 

「ボンちゃん、そういえば、ゴリラは、誰かの行為を誰かが真似して、その行為が群れの中に伝播するよね」

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2011.01.05

手作り・・・ピーナッツバター

ピーナッツとひと言でいっても国産、中国産、バターピーナッツなど色々あるが、

やはり国産の殻つき落花生で作るピーナッツバターが一番美味しいと思う。

殻をむくのが手間だけれどそれ以外の作業は至って簡単。

甘さはお好みで、無糖で作れば、

ほうれん草のピーナッツ和え、スープ、チャーハン、お菓子のトッピング等など、

なんにでも使えるからとっても便利。

 

〈ピーナッツバターの作り方〉

〈材料〉

殻をむいたピーナッツ150g

オリーブオイル40cc程度

豆乳 大さじ5

※ピーナッツの量によって、オイルや豆乳は適当に味を見ながら作る。
※甘さはお好みで、オリゴ糖や三温糖や砂糖を入れる。

〈作り方〉

1、ピーナッツをフードプロセッサーにかける。(粒々感によってお好みで)

2、1にオリーブイル、豆乳を加えて再びまわす。

糖分を入れなければ、出来上がり。

3、なめらかになった時点で糖分を加えて再度まわして、出来上がり。

 

一度食べたら病み付きになる美味しさ。

是非お試しあれ。

「ボンちゃん、ゴリラはピーナッツ好きかな?」

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2011.01.04

映画『相棒』!!!

映画館で『相棒』を観てきた。

スリルの連続で最後の最後まで展開が読めず、

TVの宣伝通り、

見てはいけないものを見てしまったような衝撃を受け、

帰りがけに、気づけば相棒ストラップを買っていた。

そこにあった世界観は、

平家物語の冒頭だったように思う。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵におなじ」

 

無念と怒りと欲望と傲慢さの渦巻く悪と善の終わりなき戦い。

スリルと感動と友情と絆と無情と無常と勇気と愛。

そういうぜんぶが詰まっている『相棒』。

是非とも映画館に足を運び『相棒』を観て来ていただきたい!

「官房長ーーーーーーーー!」

 

「ボンちゃん、ゴリラは、どんなときに空しさを感じる?」

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2011.01.03

手作り・・・ぶり大根

寒ぶりの美味しい季節となったので、ぶり大根を作ってみた。

切り身よりもアラやカマで作る方が格別に美味しい。

圧力釜ならば煮る時間は、たったの5分。

短時間で味がしっかりとしみるから、

圧力釜をひとつ持っているととっても便利だと思う。 

 

圧力釜で作る、ぶり大根

材料 (4人分)
ぶり  500g 
大根  500g
酒   120ml
醤油  50ml
砂糖  大さじ2
水   80m
ショウガ 薄切りに、適量

作り方

1、大根は皮を厚めにむき、3cmぐらいの厚さで輪切りにする。

2、ぶりの血合いやうろこなどをきれいに取り除く。

3、ぶりにふり塩をして湯通し(ぶりの表面が白くなる適度)し冷水に取って水気を取る。この際に内臓、血合いなどが無いか再度チェックする。

4、圧力鍋に酒、醤油、砂糖を入れて煮立てる。

5、4に、ぶり、大根、ショウガを入れて鍋の蓋を閉める。

6、圧力鍋の圧力がかかった状態から弱火で5分間煮る。

7、自然に圧力が抜けるまで置いておいて完成。

8、器に盛り、お好みでねぎや柚子の千切りをそえる。

※少し味を濃く仕上げたい場合は、出来上がったぶりと大根を鍋から取り出しておき、汁だけを味を調整しながら煮詰め、ぶりと大根を戻して絡めると良い。

 

「ボンちゃん 日本に住むゴリラは、冬、何を食べるのを楽しみにしているのかな?」

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2011.01.02

ルキリウスへの手紙 第24通

未来に起こりうる可能性に対して恐怖感情が芽生える現象。

そんな現象に苦しんだ経験が私にはある。

正確に言えば、今も、時に、

起こるかもしれないけれど起こらないかもしれないという事に、

心がかじかむことがある。

自分の意思を無視して、

勝手に心が恐るべき事態を想像してしもやけになる。

これが想像以上に精神的に消耗するのだ。

子供の頃、

様々なことに対して過度な心配を抱くようになり、

心が疲弊し、

”今”に挑む活力さえ奪い去られたりもしていた。

 

それがあまりにも辛いことだったから、

想像しては海で溺れかかるような自分の心を何とかしなければと、

試行錯誤している内に、

次第に言い聞かせられるようになった。

未来のことを先どりして過度に不安がるほど愚かなことはない、と。

 

古代ローマ時代の哲人、セネカも親友であるルキリウスに手紙で綴っている。

第24通目にあるいくつかの文章を抜き出してみたい。

「いったいどんな必要があって、災悪を事前によびだしてその結果を予期したりするのだ。不安を感じるにはまだ早すぎるのではないか。きみの未来の恐怖によって現在のこの瞬間をだいなしにしているのだ。ある日不幸になるにちがいないという口実で、今この瞬間からただちに不幸になってしまうのは愚の骨頂だ」

「勇気には残酷な試練以上にエネルギーがあるのだ」

「なによりもまず、問題から混乱と混同のもとになっている余計なものを取り払い、その底にあるものをしっかりと見つけることだ。そのなかには恐れるべきことなどなにもないことを認識できるはずだ。自分の恐怖の感情以外、なにも恐れるものなどないのだ」

「『軽い苦痛は耐え続けることができる。激痛は永続しない(エピクロス)』」

「この格言は知っているだろう。この言葉を心のなかで何度も繰り返すのだ」

「いつも自分に言い聞かせよう。『おこりうることはかならず起きるのだ』、と」

(セネカ『ルキリウスへの手紙/モラル通信』 塚谷肇/訳 より)

 

「ボンちゃん。ゴリラは、未来の恐怖に“今”をだいなしにしてしまうことってある?」

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2011.01.01

今、ここを!

謹賀新年

本年もよろしくおねがいもうしあげます。

   

次に記す、ルキウス・アンナエウス・セネカ( Lucius Annaeus Seneca) イエス・キリストと同年頃にあたる、紀元前1年頃の生まれ)。弁護士、政治家、税務官、信用銀行史上初の創設者、劇作家、エッセイスト、哲学者、詩人。

セネカの言葉を胸に2011年の人生の旅に挑もうと思う。

 

「思慮深いとうぬぼれる人間は

結局、生きるための準備だけで

人生を使い果たしてしまうのです

未来に確実なものは何もないのです

今、ここを生きようとしなさい!」

(セネカ『人生の短さについて』 浦谷計子/訳 より)

 

「ボンちゃん ゴリラは未来に不安を感じたりする?」

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