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2011年5月

2011.05.31

“カイス君の祈り”

雨が多いせいか、

大輪が咲くはずだったアサガオの苗の一つが枯れてしまった。

なかなか思い通りにはならないのが世の常だったりする。

果たして、思いとは届くものなのだろうか?

と、思ったりすることもあるが、たぶん…届くヨ!と私は信じている。

心トキメク人に出会ったりしたら尚更、

…誰もが自分の思いが相手に届くことを願うものだろう。

そこで、思いよ届けを祈念し、

第14弾、マイオリジナルおまじないを作った。

 

題して、“カイス君の祈り”

~カイス君、思いを届けておくれよ!~

Kaisu1  

カイスという名前は、

イスカちゃんと同じくスイカからとっている。

カイス君をこの世に生み出す方法は、

スイカに彫刻することである。

お目目もお鼻もお口も❤ハート型。

Kaisu5

お目目とお鼻とお口を彫刻したら、

まずはソファーでリラックスしてもらう。

カイス君は親身になってあなたの言葉に耳を向けてくれるだろう。

もしもカイス君が、

「あなたの心がよく見えない」と言い出したら、

❤型の耳を作ること。

Kaisu6

更に、カイス君に感謝の思いを込めて❤の帽子をプレゼントする。

Kaisu4

カイス君は予期せぬプレゼントにビックリ顔!

見れば頬には感動の涙が…。

Kaisu3

再びソファーでゆっくりしてもらっていると、

カイス君のハートに火がつき出し、

義侠心にも飛び火して、

自分こそが、あなたの最大の味方だと確信する。

そこで、

思いが届きますように…と祈りを込めて、

「カイス君、思いを届けておくれよ!」

と、カイス君に向かって言うと、

その祈りの強さに応じてカイス君は言うだろう。

「君の思いがボクに届いたようにするんだね」、と。

あなたは大きく頷く。

気づけばあなたはカイス君が愛しくなってきているはず。

それこそが、思いは伝わるという証である。

だからカイス君の祈りは利くに違いないと私は思うのだ。

カイス君のアップ。

Kaisu2

「ボンちゃん。ゴリラは、思いとは届くものだと思っている?」

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2011.05.30

緑黄赤の風景

同じ場所であっても、時が変われば同じ風景はあり得ない。

日頃、何気なく見ている信号を、

写真に撮って見てみたら緑が左に位置していることに気づいた。

毎日のように、よく見ているはずの信号なのに、

案外、自分に必要な情報しかとっていないものなのかもしれない。

Semaforo2   

同じ夜の同じ場所で撮られた交差点の写真3枚を見比べてみたら、

緑信号、黄信号、赤信号、

それぞれの風景に若干違った印象を受けることにも気づいた。

車、バイク、人、ライトの数などの違いによっても印象が変わる。

Semaforo1

そういえば、小学生の頃、遅刻や早退をしたりすると、

通いなれた道が見知らぬ道に思えて不思議だった。

忘れ物をして、夜、学校に取りに行った時なんかは、

真っ暗な教室に向う心細さがそうさせるのか、

学校前の交差点の信号が、

唯一頼りにできる心強い味方に思えた。

朝渡る時は感謝などしないのに、

忘れ物をした時に渡る時だけは心底感謝していて、

同じ信号が、

やけに落ち着いていて威厳が感じられたのを覚えている。

Semaforo3

人は、

同じリズムで過ごしていると、

次第に慣れてきて色んなことが見えなくなるものなのかもしれない。

人は、

同じ風景を見ていても、

心次第で見えている景色は全く異なっているものなのかもしれない。

 

「ボンちゃん。ゴリラも心次第で世の中の在り様が変わって見える?」

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2011.05.29

にょろにょろぺろぺろ

街を歩いていたらショーウィンドウの中に、

にょろにょろした生きものがいた。

ショーウィンドウの中には石灯籠が一つ置いてあって、

3匹が絡まり合うようにしてじっとしていた。

思わず見入っていたら、

一匹が徐に私の目の前にやって来たのである。

赤黒いような舌をぺろぺろしながら。

そのぺろが早くてよくは見えなかったのだが、

舌先が二つに分かれているようで、

その先端が器用にペロリンとしなやかに動いていたように見えた。

ぺろぺろぺろぺろするにょろにょろに見つめられたことなど、

生まれて初めてのことだったから、

ガラスがあると知りながらもドキドキしてしまった。

ぺろぺろを終えたにょろにょろは、

定位置と思われる石灯籠の上に身を寄せ、

それ以降は置物のように動かなくなった。

あの時、

どう考えても私に何か語りかけているように思えたのだが、

ハリー・ポッターのようにヘビ語が理解できない私には、

想像することしかできなかった。

念のためにハリー・ポッターについて少し説明しておこう。

ハリー・ポッターはヘビ語が話せてヘビと普通に会話ができる。

そのことをハリー自身が知ったのは動物園を訪れた時だった。

ハリーがじっとヘビを見つめていたら、

ヘビは目を覚まし、

ハリーに向かってウィンクしてきたのだ。

ハリーはビックリ仰天したが、

気づけばヘビとの会話は進み、

動物園生まれであるため祖国のブラジルを知らないことや、

ガラスを叩く観客が多くてイライラする現実に辟易していることなど、

ヘビの辛い胸の内を聞き、

ハリーはヘビにひどく同情した。

と、その瞬間、

ハリーは意図せずして思いの強さでガラスを消してしまった。

ヘビはハリーに感謝して動物園から逃げ出し、

その後は大騒ぎ・・・というヘビの大事件があったのである。

 

話をぺろぺろのにょろにょろに戻そう。

そのショーウィンドウの横には、

まむし漢方薬、まむし料理という大きな看板があった。

きっと、あのにょろにょろも…。

残念ながら私には、

にょろにょろがぺろぺろで何を訴えていたのか、

明確には分からなかったが、

私に興味を抱いていたことは確かだった。

というのは、

その後、にょろにょろに気づき足を止めて見入る人々がいたが、

にょろにょろは石灯籠の上に寝そべったまま、

まるで銅像にでもなったかのように動かなかったからなのである。

たぶん、「ここは狭いし石灯籠も飽きたし、お客が来る前に、脱出したいんだけど、なんとかならないかなーぺろぺろ」

と、そんなことを訴えていたように思えた。

私がハリーと同じ力を持っていたら、

逃がしてあげられたかもしれない…。

そう思わず思ってしまったほど、

にょろにょろのぺろぺろは魅力的だったのだ。

Mamushi1

Mamushi2

Mamushi3

「ボンちゃん、ゴリラはにょろにょろと友達になれる?」

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2011.05.28

雨に濡れる紫陽花な曲

雨に濡れる紫陽花は、

女密偵の叶わぬ恋を思わせる。

ここのところ毎日、雨。

雨に濡れる道端の紫陽花を見る度に、

ふと、ある曲が思い出されるようになった。

それは鬼平犯科帳のエンディング曲。

寂しげな中に激しい情を感じる一曲。

方丈記の序文、

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」、

という言葉も思い出されるような曲なのだが、

河の水が絶えず流れているように、

世の中も流れており、

二度と今の一瞬に戻ることはない

と、そう思いながら俗事を超越し、

心の奥底で長谷川平蔵を愛する女密偵“おまさ”(演:梶芽衣子)が、

秘めたる思いをひた隠しにして、

ある種の悟りの境地に立ち、

人生を達観して事に挑みつつも、

割り切れない思いが寂しさを呼び、

雨に濡れる紫陽花に目を落としている…。

と、そんな感じの曲なのである。

曲調がフラメンコを思わせもするから、

ちょっと時代劇らしからぬ曲なのだけれど、

鬼平犯科帳のエンディングには、

これ以外に考えられないような曲なのである。

そこで、雨に濡れる紫陽花な曲名を調べてみた。

ジプシーキングス - インスピレーション Gipsy Kings - Inspiration

http://www.youtube.com/watch?v=Tm7N0-LGpEc

「ボンちゃん。ゴリラも、叶わぬ思いを胸に、雨に濡れる紫陽花を見つめたりする?」

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2011.05.27

「梅雨に踊るカバ君」

台風が日本に近づいている。

午後からは雨の予報で週末も雨。

いつになく早く東京は梅雨入りしたらしい。

上野動物園のカバのジローは、

白く厚い雲の向こうに旅立ったサツキを思い、

空を見上げているのだろうか…。

「踊るカバ君」絵文字で描いてみたのだけれど、

果たして、文字の位置がずれることなく、

様々なPCからもカバ君に見えるものだろうか?

携帯では、まず無理なのかな・・・。

今日は5月最後の金曜日。

それにしても梅雨の到来が早い。

 

題して、「梅雨に踊るカバ君」

    

 

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(                             )

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「ボンちゃん。 ゴリラもたまには踊る?」

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2011.05.26

0.5gの可能性

今年は節電に向けて緑のカーテンとなるゴーヤが人気だが、

私も数年前の夏から緑のカーテンを作るようになった。

このカーテン、想像以上に効果がある。

見た目も涼しげで実際に窓際の温度が低くなる。

今年はヘチマとゴーヤ、

大輪の朝顔の苗とヒマワリの種と一緒に植えてある。

ヒマワリには毎年お世話になっている。

不思議な花だと思う。

黄色がそうさせるのか、

太陽に似た花に見えるからなのか、

特に、気持ちがあまり晴れない時に観ていると、

情熱を捧げてくれているような気がしてきて嬉しくなってくる。

そこで、ヒマワリの花言葉を探してみた。

あこがれ、熱愛、愛慕、光輝、

そして、「あなただけ見つめる」。

たしかに、そんな印象を受けるのだ。

Girasole2

種の殻から脱皮するかのようなヒマワリ。

Girasole1

二葉の片隅に種の殻がついているヒマワリ。

イタリア語でヒマワリを girasole ジラソーレ という。

gira 回る

sole 太陽

太陽の動きにつれて花が回るという意味からなのだろうが、

太陽と交信しているかのように見えるほど、

確かにヒマワリは太陽の動く方に向いて咲く。

 

ヒマワリの種は朝顔の種と比べたら大きく見えるが、

大きいと言っても、0.5g程度の重さ。

痩せっぽちのウリ坊を思わせる、

茶色のシマ模様の種を大地に植えると、

ひょっこりと緑色の二葉が顔を出す。

ぐんぐんと成長し出し、

葉は小さな子供なら傘に出来そうなほどの大きさになり、

茎も太くなって、

大きな花を咲かせる。

花びらは真っ黄色。

有名な絵画「ひまわり」を描いた、黄色好きで知られるゴッホは、

ヒマワリに心魅せられた一人だったに違いない。

ヒマワリを言葉に喩えるなら、

「情熱」という言葉がやはり似合うように思う。

 

種から花を育てていると、花たちはいつも気づかせてくれる。

自分の可能性を信じて心と身体を充実させようとしていれば、

時期の差はあれど、

人も、きっといつかは自分らしい花を咲かせる。

あまり違いはないはず、ヒマワリも、人も、と。

 

「ボンちゃん、ゴリラはヒマワリの花を観ているとワクワクする?」

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2011.05.25

“イスカちゃんの祈り”

日本には「夏の風物詩」という素敵な言葉がある。

植物で言えば、アサガオ、 ヒマワリ、ヘチマ、 ゴーヤ、 ハーブとか、

お祭りで言えば、花火大会、 盆踊り、夜店かな、

食べ物で言えば、アイス、かき氷、素麺、 冷やし中華、スイカとか、

着る者で言えば、やっぱり浴衣だね。

 

老いも若きも関係なく楽しめるのが、風物詩。

風物詩が無ければ思い出の彩りは地味に違いない。

いくつになっても季節を感じ、心のトキメキは忘れないでいたい。

そこで、風物詩に感謝し、素敵な夏を過ごせるように祈念し、

第13弾、マイオリジナルおまじないを作った。

 

題して、“イスカちゃんの祈り”

~イスカちゃん、夏のトキメキの中でトキメク人に出会わせておくれよ!~

 

イスカという名前は、

もうお分かりかと思うがスイカからとっている。

イスカちゃんをこの世に生み出す方法は、

スイカに彫刻することである。

お目目もお鼻も星型。

Isuka1

彫刻後、まずはソファーでイスカちゃんにリラックスしてもらう。

長旅の疲れを癒してもらうのである。

イスカちゃんと世間話をして楽しい時を過ごす。

イスカちゃんがお疲れの様だったら少し休んでもらう。

その後、イスカちゃんが飛びきりいい笑顔になったら、

おまじないの話を切り出す。

風物詩に感謝し、素敵な出逢いがありますように、と祈りを込めて、

「イスカちゃん、夏、絵になるトキメク人に出会わせておくれよ!」

Isuka2

と、イスカちゃんに向かって言うと、

その祈りの強さに応じてイスカちゃんは言うだろう。

「いいよ!探してくるよ。日射病にならないように帽子を被せて」、と。

そして、あなたはイスカちゃんにピッタリの帽子を被せる。

Isuka6

すると、イスカちゃんが出かける準備が出来たように思えてくる。

Isuka3

それこそが、あなたに似合う絵になるトキメキ人を、

イスカちゃんが探しに出ようとしている証なのである。

Isuka5

だからイスカちゃんの祈りは利くに違いないと私は思うのだ。

イスカちゃんのアップ。

Isuka4

 

「ボンちゃん。ゴリラはスイカが好きかな?」

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2011.05.24

人それぞれ

本屋さんで興味深い光景に遭遇した。

ある男性が店内に入って来て、

直ぐに雑誌(1000円程度)を手にしてレジに向かった。

販売員が雑誌の表紙が目立つほど破れている事に気付き、

直ぐに綺麗なものを持ってくることを告げると、

「あ、全然気にしないからそれでいいです」と言った。

販売員は少し戸惑った様子だったが、

お詫びとお礼を述べてその雑誌を販売したのである。

時と場合にもよるが、

私は物を買う際には商品に傷が無いかがとても気になる。

ものづくりをするせいなのか、なぜか“形”が気になってしまう。

一部分と言えども破れた雑誌を承知で買う人がいることに驚き、

自分には到底できないことを成し遂げる人に会ったことで、

“気にならないでいられる”という気質に、

ある種の尊敬の念を一瞬抱いた。

確かに、表紙が切れていたとしても字は読めるから、

彼にとっては何の問題も無いのだろう。

けれど私にとっては雑誌が破れているか否かは重要な問題である。

 

こんなことも私なら気になる。

CDを購入したら、銀色の盤が傷だらけだった。

交換してもらおうとしている私に友人は言った。

「聴くのに支障がないんだから、それでいいんじゃない」、と。

 

私ならこんなことは気になるどころか、酷いストレスになるだろう。

ほぼ毎週日曜日、息子夫婦と孫と外食をする知り合いの超過保護なお爺さんの話。

お爺さんは独り暮らし。息子夫婦は近くに住んでいる。

なぜそうなのか私には謎でしょうがないのだが、

息子夫婦には、予定をお爺さんに知らせる習慣がない。

また、お爺さんも予定を聞くという習慣が無い。

従って、外食に際し、お爺さんは何時に彼らが迎えに来るのか、

今日はどこに食べに行くのか、彼らに会うまで知らない。

ゴールデンウィークに一緒に旅行に行く時、

目的地も、日帰りなのか泊まりなのか、

そうした情報は、当日、彼らが迎えに来た時に知る。

従って、迎えに来た時が、情報を知る時、出かける時なのである。

或る晩のこと、お爺さんはいつもの通り外食に出るつもりでいた。

大概、夕方には迎えに来るというのに、

夜、8時になっても連絡も無かった。

お腹が空いたお爺さんが電話をすると、

「今日は“パス”」と一言言われたという。

念のために、“パス”とは行かないことを意味する。

支払いは全てお爺さんがする。

「普通だったら連絡の一本ぐらい入れても…」と、

文句の一つも言いたくなるような気がするが、

お爺さんは気にするふうでもなく、

迎えに来ない時は外食しないってことだろう、と理解したとか。

夜遅くまで迎えがない時はご飯を食べることにしたと言っていた。

その寛大さも一種の愛なのだろう…、と、驚くばかりである。

 

このように同じ人間であっても、

ある人にとっては全然気にならないことが、

ある人にとっては物凄く気になることだったりする。

こうして様々なことに対する評価は人それぞれ異なる。

ストレスと感じるか否か、

その程度も大きく異なっている。

それを大きく分けているのは、パーソナリティーなのだろう。

 

「ボンちゃん。ゴリラもパーソナリティーが全然違うよね」

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2011.05.23

柴又にふらり 3

『男はつらいよ』にも出てくる柴又帝釈天、題経寺は、

日蓮宗寺院として、

寛永6年(1629年)に開創されたという。

Shibamata2

彫刻の素晴らしさでも有名。

Shibamata12

お猿さんの彫刻が多く目に着く。

そういえば、帝釈天の縁日は庚申の日。

庚申信仰とも関連して猿の彫刻が多いのだろうか。

Shibamata11

境内を歩いていると、

笠 智衆演じる御前様に会えるような気が今でもする。

Shibamata10

干支の彫刻もあった。

地味な雰囲気な中に、

細部に渡って精巧な装飾彫刻が施されている。

Shibamata9

源ちゃんがついていた鐘。

Shibamata131

参道の古い店に、

店番中の

寅さんを知ってそうな猫がいた。

Shibamata132

寅ねこじゃないけど、

寅さん知っているよ、って顔してない?

 

「ボンちゃん。帝釈天にゴリラの彫刻は見つからなかったよ」

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2011.05.22

柴又にふらり 2

矢切りの渡しは、都内に残る唯一の手漕ぎ渡し舟。

Shibamata4

渡しの乗り場は、

Shibamata5

周りにビルがあるようには思えないほどひなびた感じがする。

Shibamata6

映画にも、こんなふうに寅さんが乗っていたシーンがある。

Shibamata3

矢切の渡しの歴史は古く、

現在は私営となっているが、

永8年(1631年)に幕府が管理者として始めたものだという。

Shibamatakuma3 

矢切りの渡しを渡るとクマという犬に会える。

1631年からは生きていないと思うけれど、貫禄がある。

Shibamatakuma1

クマの胸にはツキノワグマのように三日月マークがあるのだよ。

つづく

「ボンちゃん。胸に三日月マークのあるゴリラっていないのかな?」

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2011.05.21

柴又にふらり 1

ふらりと柴又を訪れてきた。

京成電車の中からスカイツリーが見えた。

Skytower1

帝釈天の脇にある道を歩いていたら、

道端に寅さんの名言が記されてあったのでご紹介したい。

Shibamata72

拡大版↓

Shibamata71

「ねえ、人は、なんのために生きているのかな?」

と、なにげなくふと思って誰かに問いかけた時、

「愚問だね」と冷たく言われたら、

深い寂しさが心のどこか深くまで到達し、

この人に聞かなければよかった、

この人に会わなければよかった、

と、思うばかりか、

生まれて来なければよかったと思うかもしれない。

でも、寅さんが満男君に返したような言葉をもらったら、

生涯、心にあたたかく残り続けるように思う。

Tora2

柴又の帝釈天の参道にある高木屋本舗には、

『男はつらいよ』を感じる写真が壁に沢山飾られてある。

Tora1

「男はつらいよ」の撮影の休憩に利用していたテーブルには、

常に予約席という立て札が置かれてある。

つづく。 

 

「ボンちゃん。ゴリラも、なんのために生きているのかなあ、って考えたりする?」

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2011.05.20

無いのに、ある世界。

ニュースによれば、

被災地応援活動の一環として、

避難所での映画上映会が実施されることが決まった。

「男はつらいよ」等、

東北地方が舞台となった映画も上映する計画だという。

 

架空の世界に棲む人々、

(例えば「男はつらいよ」の寅さんなど)の凄いところは、

架空の世界にしか存在していないと明確に理解していても、

現実の世界に生きる人々の心に存在してしまうことだと思う。

それはどこか思い出に似ているような気がするが、

思い出は実際に経験したことの記憶だから、

心には存在しやすい。

現実の世界に生きる我々は、

架空の世界に棲む人たち(想像上の人物)と経験を共にしていない。

それなのに、

その世界にふれた人の心には、

その想像上の人物が永遠に居続けるようになる。

そればかりか、

時に、彼らから勇気をもらって現実を生きる力までももらえる。

これは物凄く凄いことで、かなり摩訶不思議なことだと思うのだ。

 

無いのに、ある世界として、

まるで存在しているかのように思えるのは、

やはり人間が精神的存在だからなのだろう。

こうしたことを考えると、

復興の実現には精神の復興が先決と思われる。

現実的支援に加え、

音楽の力は絶大だし、

本、ドラマ、テレビ、落語や映画といった、

架空的支援というか想像的支援は、

大きな支えとなるに違いないと思う。

 

話を寅さんに戻そう。

寅さんの話で東北地方と言えば、

「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」(第四十一作)である。

唯一、寅さんの海外ロケ、ウィーンでのすったもんだ話。

と言ってもこの話は晩年の作品なので、あまりすったもんだしない。

ウィーンの街に佇む寅さんに会えて、

寅さんが「生き甲斐」を語る貴重なシーンもある。

その寅さんらしい答えが、

妙に深い所をついているように思えて、

「やっぱり寅さんは、いいなあ」と思うことになる。

 

知り合いの20代の多くは「男はつらいよ」を知らない。

「男はつらいよ」には、

人情がいかに人生を豊かにしてくれるものかといった考えに基づく、

人生哲学が散りばめられてある。

単なるすったもんだのドタバタ劇ではないことに、

回を重ねて観ていく内に、

きっと気づくことになるだろう、と思うのだよ。

 

(o≧▽゚)oニハッ 寅さん!

 

「ボンちゃん。ゴリラもゴリラ哲学がありそうだね」

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2011.05.19

デリンパー vs. カモサップ

夏と言えば、スイカ。

Suicaと言えば、JR東日本のICカードだけれど、

それぞれの発音は異なっているから、

Suicaは、スイスイとカードで通過できるという意味だけで、

夏のスイカとは関連付けはないのだろうと私は思っていたのだけれど、

スイスイとカードで通れるという意味合いプラス、

JR東日本のイメージカラーの緑色と、

鉄道の路線網とスイカの縞模様を重ねて、

スイカを意識してのデザインであると知人から聞いた。

よくよくSuicaを見てみたらカードの右下に小さなロゴを発見。

なるほどスイカに似た絵があるのだ。 

Suicaは左側が緑色、右側がグレー、その境は斜めのデザインだから、

風を切って進んでいる山手線をデザイン化したのかと思っていた。

更に聞いてビックリしたのは名称の由来である。

Suicaは「Super Urban Intelligent Card」の頭文字からなっているという。

Suicaのイメージキャラクターがペンギンである理由には辿り着けなかったけれど、

恐らく、ペンギンがスイスイと進むからなのだろう。

なぜだかあのペンギンには名前が無いことが判明した。

 

一方、PASMOの名称の由来はというと、

Passnet More の頭文字や「○○も」の「も」から、

電車もバスも、これで乗れるよ、

そういった意味合いが込められており、

Perfect Assasinatable Special MObile cardの頭文字からPASMO/パスモ。 

PASMOのイメージキャラクターがロボットであることを私は初めて知ったのだが、

ペンギンと同じくロボットにも名前が付けられていないらしい。

 

ネーミングが無いイメージキャラクターは今時珍しいような気がする。

そこに意味はあるのだろうかと思いながらも、

両者のネーミングを考えてしまう私なのである。

Suicaのペンギンは「Super Urban Intelligent Card」の逆からとって、

Card Intelligent Urban Superデリンパー」がいいかな・・・。

PASMOのロボットは「Perfect Assasinatable Special MObile card」の逆から、 

card MObile Special Assasinatable Perfect 「カモサップ」かな・・・。 

 

「ボンちゃん。ゴリラ界もお互いに名前で呼び合っているの?」

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2011.05.18

思うように生きられず

人生初の挑戦となる、

ぬか漬け作りに挑んでいる私は、

ぬか床を混ぜ混ぜしながら、ふと、思った。

ぬか床作りというのは、

一律に誰もが、

頑張れば必ず報われる結果がもたらされるものである、と。

頑張れば頑張るほど、

言いかえれば、混ぜれば混ぜるほど、

期待通りのぬか床になって味の良いぬか漬けができる。

 

それに比べて人生というのは、

ぬか床のようには、なかなかいかないものだろう。

けれど…次のようなことも同時に思った。

 

思うように生きられず、

思わず…世の中とはなんて不公平なんだ、

なんて考えてしまうことって、

誰にでも一度くらいはあることだと思う。

 

「過去の栄光に浸る」とか「過去の栄光にすがる」、

といった表現がある。

これらは一般的に否定的な意味で使われることが多いけれど、

過去に栄光があるということは、

いつでも浸ったりすがったりできる思い出があるということだから、

辛い時に潜り込むシェルターを心に持っているようなものである。

だから、単純に考えれば、

過去によき時代がある人の方が、

より快活に“今”を過ごせるように思う。

けれど、

こうした言葉が否定的な意味で使われていることからも、

“今”が過去に比べてスイスイと事が運んでいなかったりすると、

昔は…、と、

良き思い出に心が執着しがちになるものなのかもしれない。

過去に良き時代が無い人からみれば、

なんと恵まれた人なのだろうということになるとしても…。

 

頑張っている人ほど、

報われない思いに心がやりきれなさを覚えることってある。

「こんなに頑張ってるのに、思うように生きられないし、

なかなか軌道に乗らないし、自分はなんてアンラッキーなんだ…」

と、そんな思いにかられるかもしれない。

けれど、人生を振り返り、

「これぞ過去の栄光だ!」

と言えるような思い出が無い人の方が、

俗に言う成功者(獲得した地位や名誉や財産といった気がかりなことが多くなった人々)より、

ずっと気楽に生きられるのは事実。

失うものも少なかったり無かったり、

誇りたくなる過去が無かったり、

無い無い尽くしなら、

必然的に現在か未来しか直視しようがない。

考えようによっては、

超ラッキーな人に当てはまっているように思える。

 

多くの人は、

早くに栄光を手にしたいと考える傾向があるけれど、

強い光は必然的に濃い色の影をもたらすというのが自然の摂理。

目指すものが大きい人ほど、

手にする光も、

それに比例して着いて回る影も濃くなるのだろう。

何かを目指している途中に、

なかなか思うように生きられないという思いから、

元気がなくなって、しゅんとならないで欲しいと思う。

早くに栄光を手にしない巡り合わに生きられている人の方が、

ラッキーかアンラッキーかで考えたら、

やっぱりラッキーだと私は思うの!

光は遠くで見ている方がずっと綺麗な気もするし…。

 

ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ!過去に栄光がないのって、素敵なことじゃない!

 

「ボンちゃん。ゴリラは過去の栄光に浸ったりするの?」

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2011.05.17

ゴリラな話題

日本の動物園に住むゴリラは、

オス、メスを問わず、人に恋心を抱くことが多いという。

狭い空間で密に接しているし、

ゴリラに出会う数より人間に出会う数が圧倒的に多いのだから、

自然と言えば自然なのだろう。

例えば、

メスのゴリラは、大概のケースにおいて飼育係に恋をしているという。

オスゴリラには、人間の女性が好きでスリムで美形好みもいれば、

上野の西郷さんのようにドッシリとした体型で、美形じゃないタイプの女性を好むゴリラがいたり、

時に、自分のタイプの女性が恋人と手を繋いでゴリラを見ていたりすると、

一夫多妻制の血が騒ぐのか、

オスゴリラがその男性に敵意を見せることもあるというのだ。

実際、私も経験したことがある。

ケンタ君(現在、千葉市動物公園在住のゴリラ)に直ぐ近くで会った時の事だった。

ケンタ君の前で飼育係の人と話をしていたら、

急に立ちあがり大きなジェスチャーで何か訴えだしたのである。

それはまるで熊が自分を大きく見せようと立ち上がるような姿で、

自分の方が、この男よりも、ずっと強いんだぞ!

と、力の強さを誇示しているようだった。

すると飼育係の方が私に笑って言った。

「離れろ!って私に言ってるんですよ、あなたはケンタのタイプだから」、と。

そして、飼育係の方は気を利かせてくれて、

私たち(私とケンタ君)を2人にして去ってくれたのである。

これがケンタ君と私の恋の始まりの頃の話である。

 

ゴリラと友達になって知ったことがある。

ゴリラは気配を察知する達人(達ゴリラ)。

こちらが何かを期待していると、

期待されているのが分かるらしく、

期待はずれの行動をとる傾向がある。

勿論、性格が個々に違うから個人差があるが、

ケンタ君は、それが際立って目につく。

愛情表現が苦手でもあるケンタ君は、

「ケンタ君、こっち、来て!」と頼んでも、めったに来ない。

一般的に、人間は、自分が好きな人が自分に会いに来てくれたら、

近くで会うことを望むと思うのだが、

ケンタ君は、

私から一番遠い場所に行き座って暫く私をチラチラ見ている。

ただただ、チラチラ見ているのだ。

遠くから見ているのが好きなの?

と、聞くと、「見てなんかないもーん!」と、素振りで返事をする。

いつまで待っても来てくれないから、

そろそろ退散しようかなあ・・・と思っていると、

心の動きに物凄く敏感で、「ウォーッ!」と引き留めてくる。

離れようとするのが分かるんだ、と驚く瞬間なのだが、

すると、徐に少し近づく距離に移動し、また座って、チラチラ見る。

バッグの中の携帯をチェックしたりすれば、「ウォーッ!」と、

「自分だけを見ててよぉー!」と、言ってくる。

相手の心が自分にだけ注がれることを望むようなのだ。

隣に居住するモンタ君(ケンタ君のいるスペースの隣に在住しているゴリラ)を思わずちょっと見たりすると、

怪訝そうに、「ウォーッ!」と叫び、その後は拗ねた様子をする。

私としては、

それだったらもっと近くに来て愛情表現してくれればいいのに…と、

思うわけなのである。

まあ、それができないのがケンタ君であることも分かるのだが、

自分の行動は棚に上げておいて、

束縛したい思いだけは人一倍(ゴリラ一倍)強いタイプのようなのだ。

一方、モンタ君はどんな感じかというと、

真っすぐに思いを伝えてきて、

今、その場で、セレナーデでも歌ってくれそうな気配で、

円らな瞳で私を見つめてくれている。

ここだけの話だけれど、

ちょっと心がグラつくわけなのである。

 

その後も、ケンタ君は、「もう、帰るねー」と言えば、

「ウォーッ!」と、叫び帰路につくことを阻止してくる。

そうかと思えば、

「あー眠い!」と、大あくびなのだ。

Kenta3

でも、次の瞬間、

こんなふうに情熱的に見つめてくれる。

Kenta2

写真は、眼差しに純粋さを感じる私の好きな一枚。

 

「動物園、閉まるから…帰るね」、

「ウォーッ!」、

「又来るからね、ご飯イッパイ食べて、元気でいてね」、

「ウォーッ!」、と繰り返すうちに、

Kenta1

飼育係が夕食の準備をしていると思われる部屋を覗き出す。

夕食が気になるらしい。

それが嬉しくもあり、寂しくもあり、

ちょっと複雑な思いにかられる私なのである。

恐るべし、ゴリラの観察眼、

見てないようで、全心でこちらを見ている。

「ボンちゃん。ゴリラ界には天の邪鬼が多いの?」

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2011.05.16

Carissimo Claudio Baglioni,

Carissimo Claudio Baglioni,

   
Sotto al cielo di Tokio, auguri di Buon Compleanno!!!

Nella mia memoria, si sente sempre la Sua voce e la Sua musica.

Ho scritto una poesia per Lei per il piccolo dono.

Il titolo e` " l'ippopotamo purpureo" .

 

 

"l'ippopotamo purpureo"


Sei lontano da me.

Sei troppo lontano da me.

Sebbene tu sia lontano, la tua cara immagina c'e` sempre qui.

Sto al tramonto che il cielo ad ovest e` di un color rosso acceso.

Stai salutando il sole nascente?

Si vede una lacrima sul viso?

Si sente lacrima tiepida alla parte destra del viso?

Se stavo piu` viccino a te, venivo a trovarti.

Se io fossi stata l'ippopotamo porpureo, avrei potuto stare con te.

 

      (\__/)                 
    (  @  @  )              

    (  ∩  ∩    )        
  (                    )         
(    | ̄ ̄ ̄ ̄|    ) Carissimo Claudio!   
(    |   []   [] |    )  Buon Compleanno!
  (   ̄ ̄ ̄ ̄   )  
  \             /
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t@gondolina.com

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2011.05.15

“ヌヤールの祈り”

年々、日本の夏は暑くなっているように感じるのだが、

今年の夏も猛暑なのだろうか?

入梅前から節電の夏をどう乗り越えるかが心配になっている私は、

食欲不振にならない対策に、ぬか漬けを作ることにした。

そこで、暑さに負けずにしっかりと食事が取れるよう祈念し、

第12弾、マイオリジナルおまじないを作った。

 

題して、“ヌヤールの祈り”

~ヌヤール、食欲をそそらせておくれよ!!~

Nuyar1

ヌヤールという名前は、

“ぬ”か床、

“や”さい(眉毛…セロリ、お目目…昆布と人参、お鼻…赤トウガラシ、お髭…セロリの葉) ※お口…ぬか床用の水切り、

ビ“ール”からなる。

昔、祖母からビールを入れると美味しくなると教わったので。

 

ヌヤールは愛が注がれた、

優秀な発酵微生物の棲むぬか床の上に生まなければならない。

朝に晩に混ぜて愛を伝えた、

ぬか床の上にヌヤールを誕生させること。

Nuyar2

安定した食欲が欲しいという祈りを込めて、

「ヌヤール、食欲不振にならない力を授けておくれよ!」

と、ヌヤールに向かって言うと、

その祈りの強さに応じて、

≪ヌヤールは、利かんぼうそうだなー≫と、思えてくる。

それこそが、食欲不振にならない力を伝授してくれている証なのである。

一度、ぬか床にヌヤールを生みだすと、

そのぬか床にヌヤールは棲み続けている。

ヌヤールは寂しがり屋なので、

ヌヤールのぬか漬けは最高だね!

などと褒めたり、話しかけることを忘れずに。

ヌヤールを親友として誠意を持って接していると、

ヌヤールに守られていることを次第に感じるようになる。

その後、

食欲不振に陥ることはなくなる。

 

だからヌヤールの祈りは利くに違いないと私は思うのだ。

ヌヤールのアップ。

Nuyar3

「ボンちゃん。ゴリラ界には寂しがり屋がいっぱいいるのかな?」

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2011.05.14

無口なペット

そろそろ空は梅雨の準備に入ったのだろうか、よく雨が降る。

梅雨が巡れば、また暑い日々が待っていると思うと…怖い気もする。

私は低血圧のせいかギラギラの太陽が苦手で、

去年の酷暑には体調を崩してしまった。

そこで、ペットを飼うことにした。

と言っても人生初の試みとなる、

ぬか漬け作りに挑戦することにしたのだ。

ぬか漬けは、野菜が、ぬか床に含まれる栄養素(カルシウム、乳酸菌、ナイアシン、カリウム、ビタミンA、B1、B2、E等)を吸収するため、

簡単に多くの栄養を摂取しやすいのである。

いつの時もバランスの良い食生活が基本。

計画停電も囁かれているし、

暑さ対策の節電グッズに加えて、

同時に健康維持・体力増進に努めたいと思うのである。

 

ネット注文しておいたホーローのぬか漬け容器が届いたのを機に、

早速、10日程前からぬか床作りに励んでいる。

材料は簡単。

ぬか1kg、水1000cc、塩130g、赤とうがらし1本、昆布10cm。

これらを混ぜ、暫くは捨て漬けする。

捨て漬けとは、ぬか床に野菜の水分とうまみを加えて発酵を促進させることを指し、いろんな野菜の切れ端などを漬けては、捨てる。

これを繰り返すことで良い発酵微生物が育ち美味しくなるのだ。 

ぬか床には耐塩性微生物(乳酸菌)や酵母などが住んでいるらしく、

かき混ぜて空気に触れさせないで置くと、

嫌気性細菌が増えて悪臭がし出して表面に白いカビを作ってしまう。

朝、晩、臭いが手につかないように手袋をしてかき混ぜるのだが、

慣れないせいもあってけっこう手間がかかる。

そのせいか愛着が湧いてきて、

今や世話のかかる無口なペットという感じ。

今日、キュウリを漬けて食べてみたら、

まぁまぁ味がぬか漬けらしくなっていたから、

発酵微生物に私の愛が伝わっているようである。

ぬか床と、既に友達になりつつある。

 

「ボンちゃん、ゴリラは無口に見えるけど、真相はどうなの?」

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2011.05.13

『別れの記憶』

別れの記憶、

それはふとしたことで思い出されたりするものだろう。

詩をつくってみた。

 

『別れの記憶』

 

ある時までは 愛し合っても

別れた後は 他人にもどる

話す機会も 会うこともなく

同じ空の下 生きていても

歩む道は もう交わらない

見知らぬ人に 戻りゆく日々

ふとよみがえる 別れの記憶

よみがえる過去が 永久にまつわる 

あの日 あの場所 あの瞬間

別れ際に 女は微笑み

手を振り明るく じゃぁねと言った

男も頬笑み じゃぁなと言った 

ふたりの歴史に 幕は下りて 

次に始まる 記憶の歴史

思い出される 最後の光景

2度と会わない 日々が来るとは

想像できずに 微笑んだことを

それからの日々に ふたりは知る

世にも不思議な 不条理な気分で

さまよう頃は 赤の他人 

 

「ボンちゃん、ゴリラも別れの記憶がふとよみがえることってある?」

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2011.05.12

“ニンジルンの祈り”

人を信じられないと嘆くよりも信じて傷ついたほうがいい、

と、この上ない理想的な心を歌った歌があった。

そう、あれは誰もが知る『贈る言葉』。

武田鉄也さんが作詞した素晴らしきあのフレーズは、

いずれ世界の名言名文句事典に入るだろうと私は思う。

とは言うものの、

時には情熱的に時には冷静に、

ちょうど良い加減に、

ほどよく人を信じるというのは難しいものだろうとも思う。

また、誰を信じていいものか、という問題もある。

信じない方がいいような人を心底から信じ切り、

毎回、心がズタズタになるくり返しというのも、

心には堪えるもの。

そこで、

人の信じ方を知る力が宿ることを祈念し、

第11弾、マイオリジナルおまじないを作った。

 

題して、“ニンジルンの祈り”

~ニンジルン、人に迷わない力を授けておくれよ!!~

Ninjiru1

人を信じる力を知るという意味合いから、“ニンジル”。

ニンジルンという名前は下記の文字を少しづつとっている。

顔全体・・・“ニン”ジン、だし“汁”(お好みの味で)

瞳、お口・・・さやえ“ん”どう

Ninjiru4

日頃、よく使うお鍋の上にニンジルンを生み出すことが特徴である。

 

人の信じ方を知る力を宿して欲しいという祈りを込めて、

「ニンジルン、人に迷わない力を授けておくれよ!」

と、ニンジルンに向かって言うと、

その祈りの強さに応じて、

ニンジルンは無垢な微笑みを返してくれる。

それこそが、人の信じ方を知る力を伝授してくれている証なのである。

Ninjiru3

その後、ニンジルンをポテトサラダや筍寿司など、

お好みのものと和えて料理し、

食する際にニンジルンの笑みを思い浮かべ、

ニンジルン、頼むよ。

と、心に思いながら感謝を込めていただく。

すると、

ニンジルンに守られていることを次第に感じるようになる。

その後、

人を自然体で受け入れられるようになり、

ほどよく人と接する事が可能になるのである。

 

だからニンジルンの祈りは利くに違いないと私は思うのだ。

ニンジルンのアップ。

Ninjiru2

「ボンちゃん、ゴリラはゴリラに迷うことって、あるの?」

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2011.05.11

雨の日と別れの記憶

今日は一日雨が降っていた。

雨の日と別れの記憶は、どこかが似ている気がする。

出会いと別れを繰り返すのが人生だけれど、

惹かれ合っていても、

ずっと深く繋がり合える気がお互いにしていても、

別れることもある。 

そうした別れの記憶は、

時が経てば経つほど、

思い出が鮮明に蘇ってきたりして、

楽しかったことだけが思い出されるならいいけれど、

別れた日のことが昨日のことのように思いだされたりもするものだろう。

誰の心にも、

別れの記憶とは、

蘇る記憶゙として上位に君臨するものなのだろうか。

一番強く思い出されるのは、

最後の光景かもしれない。

忘れたくないような気もするけれど、

現実の世界が味気なく見えたり、

不条理に思えてしまったりもするから、

忘れてしまいたいような気もする。

最後にもらった言葉なんかも、

気づけば心の奥にしまっているし、

たまに呼び出して対話まで始めたりしているから、

結局のところ、

生涯、その記憶が心につきまとってくることになるのだろう。

記憶も、

「名前をつけて保存」しますか?なんて聞かれて、

忘れたくない記憶だけを保存し、

忘れたい記憶は青色でスクロールして、

Deleteキーをポンと押せば削除終了。

これで永遠に思い出さなくて済むぞ。

なんて、出来ればいいのに・・・・・・。

そんなことを思うのは私だけだろうか。

 

「ボンちゃん、雨の日と別れの記憶は、どこか似ている気がしない?」

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2011.05.10

Masquerade.........♪

街で、強い個性を感じる猫に会った。

まるで仮面舞踏会のマスクを被ったような美しい猫だった。

Gattino2

映画『オペラ座の怪人』(監督:ジョエル・シューマカー)のワンシーンが思い出された。

心打たれる、あの悲しいシーンが。

情熱を思わせる赤のペルシャ衣装を身にまとったサルが、

シンバルをたたくオルゴールを見つめるオペラ座の怪人。

Gattino3

泣きながらオペラ座の怪人は歌う……『MASQUERADE』。

♪  Masquerade. Paper faces on parade.....
 Masquerade. Hide your face, so the world will never find you......
Christine I love you.....   ♪

Gattino1

あまりにも真剣に私が見つめていたからか、

猫ちゃんが寄ってきた。

オペラ座の怪人の悲しみが、伝わったのだろうか・・・・・・。

「ボンちゃん、ゴリラもオペラ座の怪人のように、愛する人から愛を感じることができたら、たとえ独りになっても、もう孤独を感じなくなる?」

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2011.05.09

再再再婚のメカニズム

そういえば、

2度目の結婚が破たんし、

莫大な額の慰謝料の支払いが話題になっていた、

ポール・マッカートニーが、また結婚するという。

これで3度目の結婚。

 

心の切り替えが早い人なのか、

短期間に、結婚、離婚を何度も繰り返すという、

私には到底できない離れ業を成し遂げる人がこうしている。

ポール・マッカートニーの離婚の理由は知らないけれど、

性格の不一致を理由に、

結婚、離婚を繰り返す人の心に思いを馳せ、

そのメカニズムに憶測をたくましくしてみたい。

よく一回目の結婚相手は生活感を感じない女性だったのに、

離婚して再婚した人は生活感を感じる女性というケースがある。

或いは、その逆のケース。

こうしたケースは、

一度目の結婚の後、

自分が求めるものを相手が持っていないことに気付き、

その経験から深く学習し、

この不一致は永遠だと悟り離婚。

再婚相手には初婚とは正反対の人を選び円満となった。

めでたしめでたし。

これが2回目の離婚が無い人のように思う。

 

しかし、中には3回、4回と、何度も結婚、離婚を繰り返す人がいる。

そうした人の心は、どういう状況に陥るのだろう?

気になるところである。

ちょっと極端な例だが、一例を挙げて考えてみたい。

例えば、ドラマ、「渡る世間は鬼ばかり」の、小島五月(演:泉ピン子)のように、勝ち気だけれど我慢強くて、しっかり者で、流行りのファッションなんかに興味も無く、店を切り盛りして家族を支える、派手か地味かといったら、地味なタイプの女性と結婚すれば円満な男性が、

なぜか、惹かれる女性は、

ベッカムの妻、ヴィクトリアのように、気が強いと言っても、貴公子ベッカムを尻に敷くとも言われる程の圧倒的な気の強さで、靴のヒールの高さに比例したようなプライドの高さを持ち、ヌードさながらなシースルーで街を歩いてしまうような、生活感とは無縁な女性だったりすると、

ここに大きな矛盾が生じている。

 

好きになって、結婚する。

上手くいかずに、離婚。

また同じようなタイプに惹かれて、結婚する。

また上手くいかずに、再び離婚。

それで3回、4回、5回…と、

結婚と離婚をくりかえすのではないか…。

こういう言い方をしては語弊があるかもしれないが、

言わば、学習しないタイプ。

惹かれるタイプが、

自分の求める生活をもたらさない人だったりすると、

何度も結婚、離婚を繰り返していくことになる…。

再再再婚のメカニズムとは、

そのあたりのことが影響しているように思うのだ。

妥協したり、

学習しないというのも、

勇気ある挑戦者だとも思う。

強い信念によるものなのかもしれないし、

ある種の美学かもしれないなあ…。

 

「ボンちゃん。ゴリラは一夫多妻制だけど、一度妻にしたゴリラと、性格の不一致で離縁することってあるの?」

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2011.05.08

ああ、結婚相手

誰かを好きになることは理屈じゃないから致しがたないけれど、

得手不得手をひっくるめて愛しているからと思って結婚しても、

自分が望む気質やセンスと、

正反対の気質やセンスを持つ人との生活というのは、

それを楽しめる人にはいいが、

様々な価値観が異なってもいるだろうから、

実際問題、かなり大変なことだと思う。

 

たとえばこんなこと。

「朝食は、焚きたてご飯、ぬか漬け、熱いお味噌汁に焼き魚、できれば出し巻き風の卵焼きなんかがあったらいいね」、

と、家庭的な料理を期待してしまう夫がいるとしよう。

でも恋に落ちて結婚した相手は、

爪はネイルアートで綺麗に飾られ、食事はコンビニのお弁当で済ますといった生活感の漂わない暮らしをする、料理が苦手な女性だった…とか。

惹かれて結婚したとしても何かと不満が募るにちがいない。

でも彼女の方からすれば、

料理は元々不得手なのである。

朝、あり合わせで気の利いたもの手早く作ってと言われることは、

息継ぎ無しで1000m泳げと言われたようなものかもしれない。

けれど、料理が好きな人なら、

笑みを浮かべて好みの卵焼きを毎朝作ってくれるだろう。

 

たとえばこんなこと。

わがままな気ままなお嬢さんタイプの女性と、

イケメンではあるのだけれど、

めんどくさがり屋のわがままな気ままな男性との結婚。

寛大で、まめ界のまめ王のような、まめな男性と結婚していれば、

彼女のわがままが心地よかったり、

まめに動くことは苦に感じるどころか喜びであるから、もめ難い。

けれど、わがまま気ままな人にとって、

自分の気の乗らない時に、

用事を言いつけられたりすることは不愉快極まりないこと。

その上、まめじゃない人にとっては、

「スーパー行って来てー」とか「手伝ってー!」と頼まれると、

(゚Д゚)ハァ? と、

大事件に匹敵するようなことなのかもしれない。

(゚Д゚)ハァ? と言われた方は、

\(*`∧´)/ ムッカー!ときたりして、

言うつもりもなかった事を言って大ケンカになったりもするだろう。

 

従って、相手の得手不得手問題やセンス、

更には感情的傾向は結婚相手を選ぶ際に重要だと思うのだ。

では、先に記したような結婚を既にしている場合、

もめないためには、いったいどうしたらよいのだろう?

 

おそらく…多くを求めず要望を押しつけないことしかない。

自分が選んだ人との結婚が叶ったことだし、

愛する人と共に人生を歩めるのだから幸せだ。

これ以上の幸せはないじゃないか…、

幸せだ…幸せなのだ…、

と、崇高な愛の頂に立つしかないように思う。

もしもそれが無理なら…やはり離婚するしかないのだろう、

と、個人的には思う。

 

「ボンちゃん。ゴリラは、愛したことを、悔いることってあるの?」

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2011.05.07

得手不得手

人にはそれぞれ得手不得手がある。

その事が好きだから、得手になるのだろうか?

その事が得手だから、好きになるのだろうか?

その事が嫌いだから、不得手になるのだろうか?

その事が不得手だから、嫌いになるのだろうか?

考え出したら、

「鶏が先か、卵が先か」に似た、

因果性のジレンマに陥りそうな気もするが、

個人的には、

生まれながらにして、それに対して得意なセンスを有していて、

そうしたセンスが何かのきっかけで開眼し、

人によってはそれが好きにもなる…、

と、そんな感じなのではないかと思う。

苦手なセンスを有していて、嫌いになるといった具合に…。

 

例えば、人前で喋るのが苦手で引っ込み思案だった人が、

そういう自分を克服したいと奮起し、

話し方教室に通ったり、

演劇部に入ったりしている内に、

人前で自分を表現することが好きになっていき、

気付けば役者になっていた、

そんな、特殊に見えるケースがあったりするけれど、

克服しようと思わない人もいることを考えると、

克服しようと考えた人は、

やはり得手なセンスを密かに有していたのであって、

何らかの事情でそのセンスが開眼していなかっただけのこと、

と、そんなふうに思うのだ。

 

そう考えると、

得手不得手問題というのは、

結婚のように、

元々は他人である人と暮らすようになる場合には、

相手の得手不得手は、

自分にとって、

それが悲劇を呼ぶか至福を呼ぶかの大問題でもあると思うのだ。

恋愛結婚だと違う次元で盛り上がってしまうから、

愛があればなんでも乗り越えられると思いがち。

相手の得手不得手問題なんて、

ちっぽけな事に思えて過小評価したり、

逆に不得手なところが愛しく見えたりして過大評価したり、

何かと見逃されがちだけれど、

円満な結婚生活を長く続けたいと願う場合、

けっこう重要なことだと私は思う。

お見合いで結婚した人は、

穏やかな結婚生活を送っていることが多いと聞くが、

それはそうしたことが冷静にチェックできているからなのかもれない。

 

そんなことはどうでもいい。

愛する人と今を過ごしたいだけ。

とか、

愛する人の全てが愛しくてたまらない。

そう思える人には、

じぇんじぇん関係ない話だけれどねー。

 

続きは後日に。

 

「ボンちゃん。ゴリラはパートナーに期待して、イライラしたりする?」

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2011.05.06

5月の風

よく晴れて心地よい風が吹く5月。

ゴールデンウィークはあるし、

毎日が心弾んでもよさそうなのに、

5月といえば、心晴れない人も多い。

 

記憶違いで無ければ、

12ヶ月の中で○月病と言われるのは、5月病だけ。

5月病と言えば、

…入社したばかりの新入社員が、

緊張感が少し解けた頃に学生時代を懐かしみ、

この先やっていけるだろうか…と憂鬱さに悩まされたり、

ゴールデンウィークの長い休み空けに現実逃避したくなったり、

年度変わりが生んだ新生活になかなか馴染めず、

メランコリックな感情が芽生え、

心の片隅にあっても考えずにいたことに着眼し出し、

何だか今までやってきたことが報われていないような気がしてきたり、

未来へ挑む自信が失せてきてしまったり…、

そうした症状に悶々とした思いを抱えるような症候群だと思う。

 

空気は清々しくお日さまは優しいというのに、

なぜ人にはこうした症候群が起きるのだろうか…?

現実を変えること以外に解決策はあるのだろうか…?

と、薫風に吹かれながら考えていたら、

意外なる結論付けに至ったのである。

それはもしかしたら、

素晴らし過ぎるほど心地よい風のせいなのかもしれない、と。

風があまりにも気持ちが良いから、

その心地よさと正反対な心地悪さに目がいってしまう。

すると、そのことが妙に虚しく、哀しく思えてくるのでないか。

ついつい薫風と自らの心の内を比較してしまう。

風が素敵であれば素敵であるほど、

心の不快感を無視できなくなってしまうのではないか、

と、そんなふうに思えてきたのだ。

従って、解決策はある。

心地よい風が吹き止めば、心も元に戻るはず。

そう、月が変わるのを待てば良いのだ。

6月、梅雨入りして余計に憂鬱になる可能性もあるけれど、

6月をなんとか乗り切ることができれば、

初夏の風に風鈴が揺れる頃には憂鬱さも消えているに違いない。

 

そんなふうに思えてきたのだけれど、ドウナンダロウ…。

それにしても…5月の風は素敵過ぎる。

愛し過ぎる。

ああ、5月の風よ。

あなたはなぜ、5月の風なの?

 

「ボンちゃん。ゴリラもやっぱり5月の風が好き?」      

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2011.05.05

ああ、5月16日!

5月は清々しい風が吹く日が多い。

そこでちょっと5月の天気の歴史を見てみようと思う。

気象庁創立以来、

130年間の天気を集計したデータというのがある。

 

例えば、130年分の5月16日の東京の天気を見てみよう。

言うまでも無いが130年の中には、晴れの日、曇りの日、雨の日…etc. いろいろあるが、このデータは、晴れの日、曇りの日、雨の日、雷が鳴った日の4つに大別し集計してある。

では、130年分の5月16日

晴れの日…51日
曇りの日…33日
雨の日…46日
雷がとどろいた日…0日

なんと130年間の5月の天気の歴史において、

唯一5月16日だけは、

東京の街に雷がとどろいていないのである。

5月16日はゼロ日なのに、

10日(10回)も雷が鳴った日があって、それは5月24日。

 

予想した通りで、5月は晴れの日が多い。

5月は31日間あるが、

その中で25日間は、

他の天気(曇り、雨、雷)の総数よりも晴れの日の総数が多い。

では残りの6日間がいつかというと、

20日・・・晴れ40日 曇り41日 雨43日 雷6日、

と、雨が晴れより多い。

22日・・・晴れ41日 曇り48日 雨37日 雷4日、

と、曇りが晴れより多い。

24日・・・晴れ36日 曇り40日 雨44日 雷10日、

と、雨が晴れより多い。

28日・・・晴れ44日 曇り43日 雨48日 雷5日、

と、雨が晴れより多い。

30日・・・晴れ44日 曇り48日 雨31日 雷7日、

と、曇りが晴れより多い。

31日・・・晴れ40日 曇り45日 雨39日 雷6日、

と、曇りが晴れより多い。

見ての通り、この6日間は20日以降に集中している。 

薫風が吹いた日の集計があれば、より興味深いと思うのだが、

なるほど、こうして梅雨に向かうのか・・・と、その流れが見える。 

 

それはそうと、なぜ一例に5月16日の天気を選んだのか?

素朴な疑問が生じる人もいるかもしれない。

確かに、5月5日の子供の日あたりを選ぶのが普通だろう。

 

( ´艸`)プププ

5月16日という日は特別なのさ。

我が愛しのクラウデォ・バリオーニがこの世に誕生した日なのだもの。

Carissimo Claudio Baglioni! 親愛なるクラウデォ・バリオーニ

Perche' sei Claudio? あなたはどうしてクラウディオなの?

ああ、5月16日!

「ボンちゃん、ゴリラは晴れの日が一番好きなのかな?」

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2011.05.04

まめ王

まめな人というのは、生まれつきの気質なのだろう、と最近つくづく思う。

近所に、物凄く、まめなおじいさんが住んでいる。

歳は確か天皇陛下と同じだと言っていたから御歳、77歳。

朝は5時に起床し、家の前をほうきで掃く。

定年してからアルバイトでスクラップの解体処理の仕事をしており、

週6日、朝8時に出勤し帰宅は6時40分。

夏は暑く、冬は寒く、かなりの重労働らしい。

唯一の休み、日曜日はゴロゴロして過ごすのかと思いきや、

朝から晩まで、一日中出たり入ったり。

「買いものあるなら行ってくるよー」と、しょっちゅう尋ねてくれる。

ホームセンター、魚屋さん、八百屋さん、スーパーへと、

どこへでもバイクでひとっ飛び。

そういえばこんなこともあった。

上野から千葉市動物公園にゴリラのケンタ君が引っ越した頃、

なかなか会いに行けないという私の話しを聞き、

ケンタ君が元気にしているかを見に行ったのである。

 

やはり長男というのは面倒見が良いものだろうか。

このおじいさんは5人兄弟の次男。

けれど、長男が早くに他界してしまったので長男的存在である。

私は、祖母も母も末っ子で私も末っ子、よって末っ子三代目のせいか、

気づけば面倒見が良い方にお世話になっていることが多いのだが、

これまでに出逢った人を振り返ってみても、

こんなふうに、まめ界のまめ王のような人物に会った事は無い。

その面倒見の良さは突出している。

植えたヒマワリが倒れそうになっていれば結わいておいてくれるし、

ゴミ出しは手伝ってくれるし、

いつも自分の事を勘定に入れずに全力投球。

労力を惜しむということを知らない。

まるでそれは、

会う事が叶わなかった亡き祖父が近くにいて、

危なっかしい生き方をしている孫の面倒を見てくれているかのよう。

そんな姿に、

お地蔵さんがモデルに思えてならない詩、

宮沢 賢治の〔雨ニモマケズ〕を思い出す。

〔雨ニモマケズ〕↓

http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card45630.html

 

誰もが、日一日ごとに若さを失っていく。

衰えていくということは、憂鬱なもの。

憂鬱になると、ふさぎ込みがちになるけれど、

チャンスを掴むコツも、

人生を楽しく過ごす秘訣も、

まめに動くことなのかもしれないね。

 

「ボンちゃん。ゴリラ界にも、まめなゴリラと、そうじゃないゴリラがいるんでしょ?」

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2011.05.03

“クニューコモの祈り”

人とのかかわりが億劫に思えるのは、

またどうせ楽しくないんだろうな…、

と、思えてきたりして、

煩わしさから逃れたい思いが心に満ちてくるからなのかもしれない。

世間を泣かずに渡るには鈍感さという才が必須と思われる。

人間界を楽しく渡り歩く達人となるには、

“運” “根(根性)” “鈍(鈍感さ)”が必要だろうとも思う。

が、敏感な人には鈍感さという才は必然的に乏しい。

鈍感さが無いから敏感な人なのだからね…、

いったいどうやって鈍という才を手にできるものなのか…。

正直言って、長年考えてきているが私にも分からない。

それでも、分からないなりにも気づいたことがひとつある。

それはおそらく、そのことを深く考えてはいけないのだろう、と。

成せばなる成さねばならぬ何事も成らぬは成さぬのことなりけり。

願えば成る願わねばならぬ何事も成らぬは願わぬのことなりけり!

鈍の才は手にすることができるのだ!

まず、そう信じることが大切である。

“鈍才”を手にし、世間を笹舟の如くにスイスイと渡ろうではないか。

努力の方法が分からない時は、

まずは、心のお守り、おまじないをしておこうヨ!

 

そこで、

第十弾、マイオリジナルおまじないを作った。

 

題して、“クニューコモの祈り”

~クニューコモ、“鈍才” を授けておくれよ!」~

Kunyukomo1_3   

クニューコモは、

“く”ろみつ。

豆“にゅ”う。

コーヒ“ー”。

お眼目、“コ”コアパウダー。

お口、シナ“モ”ンパウダーからなる。

クニューコモという名前は、その文字を少しづつとっている。

Kunyukomo5

好みのカップにコーヒーを入れる。

ミルクフローサーで冷たい豆乳と黒みつを泡立て注ぐ。

お目目の辺りにココアパウダーを少量ふりかけ、

お口のあたりにシナモンパウダー少量ふりかけ、

落ちたところを楊枝でチクチクして美しき怪しい笑顔を描く。

豆乳を温めると、

クニューコモの肌のキメが荒くなるので注意が必要。

Kunyukomo4 

祈りを込めて、

「クニューコモ、“鈍才”を授けておくれよ!!」

と、クニューコモに向かって言うと、

その祈りの強さに応じて、

クニューコモは、「任せときな!ウッシッシシ」と、怪しげに陽気に笑う。

それこそが、

クニューコモが力を伝授してくれている証である。 

この世にクニューコモを自らで生みだし、

クニューコモの怪しげな美しさを抱き飲み干せば、

あなたはもう一人じゃないことを心に感じるはず。

最強の味方が共に今日を過ごしてくれることに気づくだろう。

だからクニューコモの祈りは利くに違いないと私は思うのだ。

クニューコモのアップ。

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「ボンちゃん、ゴリラは“繊細な才”というゴリラ気質に苦しむことが多いんじゃない?」

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2011.05.02

“エジョウマの祈り”

なんだかすべてが面倒くさい。

時には、そんな気持ちに陥ることがあっても不思議ではない。

「何もかもが面倒くさく思えてしまう病」、

という病名の病があるかどうかは分からないが、

ストレス社会と言われる道の途中、

何もかもが面倒に思えてきて、

いっそのこと全てを投げ出そう、

と、ふと思ったりする瞬間が、

少なからずあるかもしれない。

 

「何もかもが面倒くさく思えてしまう病」が酷くなれば、

次第に外出するのも面倒になる。

人に会うのも面倒になる。

その内、

朝起きるのも面倒になる。

そして、

お風呂に入るのも食事をするのも面倒になるだろう。

 

そこで、

そうならないことを祈念し、

第九弾、マイオリジナルおまじないを作った。

 

題して、“エジョウマの祈り”

~エジョウマ、面倒くさい病を追い払っておくれよ!!~

Ejyoma1_2   

エジョウマは、

“まめ”に身体と心が動くように豆類からなる。

エジョウマという名前はそれらの一部分からとっている。

顔の輪郭とお目目と眉毛、さや“え”んどう。

お口、ど“じょう”いんげん。

お耳、そら“ま”め。 

大きさは、直径25cmほどである。 

 

祈りを込めて、

「エジョウマ、面倒臭い病を撃退しておくれよ!」

と、エジョウマに向かって言うと、

その祈りの強さに応じて、

エジョウマの表情がニヒルになったり耳が動いたり変化する。

それこそが、まめになるまめ力を伝授してくれている証なのである。

Ejyoma3

だからエジョウマの祈りは利くに違いないと私は思うのだ。

エジョウマのアップ。

Ejyoma0

 

「ボンちゃん、ゴリラは、何もかもが面倒臭くなることってある?」

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2011.05.01

向こうを向いた心

なんとなく、

あの不可解な情熱に満ちた家族を眺めたくて、

前に一度観たイタリア映画を観た。

結婚式に、まずこの映画を新郎新婦に見せて、

「どんなに深く愛し合って結婚して子供にも恵まれても、

この映画のように悪夢な事態に陥る可能性はある。

それでもあなたは結婚しますか?」

と、もしも神父さんが新郎新婦の誓いの言葉の前に尋ねたら、

結婚を見合わせるカップルも少なくないんじゃないか・・・、

そんなことを思わずにいられない映画である。

 

『リメンバー・ミー』(伊題:Ricordati di me)

2003年/監督:ガブリエーレ・ムッチーノ

 

太ったマンマが料理を振る舞い家族団欒、

小さいながらも楽しい我が家、

ちょうど、「小さな村の物語 イタリア(BS日テレ)」の暖かい家庭が、

日本人が持つステレオタイプ化したイタリアの家庭のイメージだと思うが、

『リメンバー・ミー』からは、

それとはかなり違うリアルなイタリアの日常が伝わってくる。

 

この映画の内容、

『リメンバー・ミー』 私を覚えていて 

というよりも、『私を気にかけて』といった意味が強いと思うが、

タイトルとしては『ああ、結婚』でもいいような気がする。

それというのは、この映画を観て真っ先に思い出された映画があった。

 

『ああ結婚』(原題: Matrimonio all'italiana)

1964年/監督:ヴィットリオ・デ・シーカ

ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニによる、

愛憎地獄に降り立った男女が再び一緒に笑顔で暮らす物語である。

 

これらの物語が、

その時代のイタリアを生きた男と女の愛憎劇の象徴と考えるならば、

1964年代のイタリアの男女のあり方と、

2003年代のイタリアの男女のあり方は、

ほとんど変わっていないように思える。

 

心がどこか浮き草気質なイタリアの夫がもたらす薄情さに、

阿修羅の如くに立ち向かい薄情を捻じ伏せて情を取り返すイタリアの妻。

 

日本の女性は持ち合わせないような独特な強さを持つイタリアの女性の姿に、

対極的なイメージの女性像が描かれた歌を思い出した。

「ジェルソミーナの歩いた道」

(歌手:テレサ・テン作詞:門谷憲二 作曲:丹羽応樹)

 

私も、この歌詞に出てくる女性と同様に、

心変わりした男を腕付くでも取り返す美学は持っていない。

愛していれば愛しているほど相手の心を尊重してしまうだろうから、

向こうを向いてしまった男をこちらに向かそうとはしないだろうなあ・・・。

 

「ボンちゃん。ゴリラは向こうに向いた心を、腕付くでも取り返そうとする?」

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