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2011.05.24

人それぞれ

本屋さんで興味深い光景に遭遇した。

ある男性が店内に入って来て、

直ぐに雑誌(1000円程度)を手にしてレジに向かった。

販売員が雑誌の表紙が目立つほど破れている事に気付き、

直ぐに綺麗なものを持ってくることを告げると、

「あ、全然気にしないからそれでいいです」と言った。

販売員は少し戸惑った様子だったが、

お詫びとお礼を述べてその雑誌を販売したのである。

時と場合にもよるが、

私は物を買う際には商品に傷が無いかがとても気になる。

ものづくりをするせいなのか、なぜか“形”が気になってしまう。

一部分と言えども破れた雑誌を承知で買う人がいることに驚き、

自分には到底できないことを成し遂げる人に会ったことで、

“気にならないでいられる”という気質に、

ある種の尊敬の念を一瞬抱いた。

確かに、表紙が切れていたとしても字は読めるから、

彼にとっては何の問題も無いのだろう。

けれど私にとっては雑誌が破れているか否かは重要な問題である。

 

こんなことも私なら気になる。

CDを購入したら、銀色の盤が傷だらけだった。

交換してもらおうとしている私に友人は言った。

「聴くのに支障がないんだから、それでいいんじゃない」、と。

 

私ならこんなことは気になるどころか、酷いストレスになるだろう。

ほぼ毎週日曜日、息子夫婦と孫と外食をする知り合いの超過保護なお爺さんの話。

お爺さんは独り暮らし。息子夫婦は近くに住んでいる。

なぜそうなのか私には謎でしょうがないのだが、

息子夫婦には、予定をお爺さんに知らせる習慣がない。

また、お爺さんも予定を聞くという習慣が無い。

従って、外食に際し、お爺さんは何時に彼らが迎えに来るのか、

今日はどこに食べに行くのか、彼らに会うまで知らない。

ゴールデンウィークに一緒に旅行に行く時、

目的地も、日帰りなのか泊まりなのか、

そうした情報は、当日、彼らが迎えに来た時に知る。

従って、迎えに来た時が、情報を知る時、出かける時なのである。

或る晩のこと、お爺さんはいつもの通り外食に出るつもりでいた。

大概、夕方には迎えに来るというのに、

夜、8時になっても連絡も無かった。

お腹が空いたお爺さんが電話をすると、

「今日は“パス”」と一言言われたという。

念のために、“パス”とは行かないことを意味する。

支払いは全てお爺さんがする。

「普通だったら連絡の一本ぐらい入れても…」と、

文句の一つも言いたくなるような気がするが、

お爺さんは気にするふうでもなく、

迎えに来ない時は外食しないってことだろう、と理解したとか。

夜遅くまで迎えがない時はご飯を食べることにしたと言っていた。

その寛大さも一種の愛なのだろう…、と、驚くばかりである。

 

このように同じ人間であっても、

ある人にとっては全然気にならないことが、

ある人にとっては物凄く気になることだったりする。

こうして様々なことに対する評価は人それぞれ異なる。

ストレスと感じるか否か、

その程度も大きく異なっている。

それを大きく分けているのは、パーソナリティーなのだろう。

 

「ボンちゃん。ゴリラもパーソナリティーが全然違うよね」

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