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2011.06.18

映画 「Okuribito」

イタリアでは殆どの外国作品が吹き替えられていると聞く。

思えば…イタリア映画はよく観るが、

邦画のイタリア語版を観る機会はこれまでなかった。

そこで、

ストーリーから思っても、

最もイタリア語への吹き替えが難しそうに思える映画、

「おくりびと」を観てみることにした。

 

「おくりびと」と言えば、

アカデミー外国映画賞を受賞し、

イタリアでも話題になって評判も良かった作品である。

タイトルは、英語のタイトルと同じく、「departure」。

「departure」と聞いて、すぐに思い出すのは空港だろうか・・・。

「旅立ち」、「出発」といった意味に当たる。

日本のタイトルでは、

「おくりびと=おくるひと」に焦点を当てているが、

それにピッタリくる言葉が無いからなのか、

「逝く」ことに焦点を当てたタイトルに変わっているのが興味深い。

 

映画「おくりびと」は、

ご遺体を棺に納める仕事をする「納棺師」の話である。

「納棺師」と言えば、

私たちが門出の日に身なりを整えて出かけるように、

天国に旅立つ日に、

逝ってしまったが故に身なりを整えられなくなった人に代わって、

旅立ちの衣装を着せて棺に納める支度人のこと。

大まかな内容は、

妻を持つ、若いプロのチェロ奏者が夢破れて、

夢と現実との間で葛藤しつつ、死生観を見つめ、

一人前の納棺師になっていく過程が描かれている。

この映画で何よりも印象に残るのは、

やはり、遺体に敬意を払う手さばきの整いなのだろう。

 

「お葬式」という言葉を辞書でひいてみた。

「死者を葬る儀式」とある。

念のために「葬る」も辞書でひいてみた。

「墓所に納める」とある。

従って、「死者を墓所に納める儀式」が、お葬式である。

納棺師が行う納棺の儀式は、

「死者を墓所に納める儀式」の前に行われている儀式である。

「死」という重いテーマを、

お葬式を支える職業の納棺師という立場から描くことだって、

難しいように思えるのに、

所々にコメディタッチさを織り交ぜるという更なる難しさに挑み、

ここのところは賛否両論を呼ぶところかもしれないが、

あまり深く深くに下げ込まずに、

分かりやすくTV的にテンポよく話を進め、

観る者が強張らないように敷居を下げているような話運びに、

よくもここまで綺麗に一つの形にまとめられるものだ…と、

そのまとめ上げる力の凄さに心から私は感心した。

納棺の儀式は、

やはりそれはとてもとても日本固有なものに思えるわけで、

「死」という現象に対する日本固有の捉え方を、

世界に紹介する事にも貢献するであろう映画だとあらためて思った。

でも・・・やっぱりタイトルは「departure」ではないく、

ローマ字で「Okuribito」が適切であると思うのだ。

だって、「おくりびと」の話なのだもの。

「寿司」は「Sushi」だし「てんぷら」は「Tempura」、

「侍」だって「Samurai」と言うのだから、

「おくりびと」が「Okuribito」であっても良いと思うのである。

 

そうそう、イタリア語の吹き替えの話は、

さすがは吹き替え王国なイタリアだけあって見事にマッチしていた。

恐るべしイタリアの吹き替え力、声優陣。

若干の印象の変化を言うならば、

妻役の女性の印象が、

日本版より大人な女性の印象になったこと。

あと一点、

…畳の上で正座をして畳に額をつけるようにしてお礼を言う時、

吹き替えでは「ありがとうございます」が「Grazie.」になるのだが、

その言葉の響きと動作がミスマッチしているように思えてしまう…、

これは、ナゼナノダロウネ…。

 

「ボンちゃん。ゴリラは死の儀式する?」

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