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2011.06.24

ざっくりイタリア史

マリオ・マルトーネ(Mario Martone)監督の長編映画(3時間半)、

『われわれは信じていた』“Noi Credevamo”(伊・仏) という映画は、

イタリアの歴史を知らないと全くついていかれない。

いや、インテリなイタリア人でも難解な物語だと言うほど。

この映画を観ていたら、

あまりにも話についていかれなかったので、

これを機に、ざっくりとだがイタリアの歴史を少し勉強してみた。

 

物語は、150年前のイタリア王国への統一にむけての活動。

この時代に生きた共和制主義者たちが主人公で、

イタリア統一に向けた歩みが描かれている。

今のイタリアは大勢の若者たちの犠牲の上にある。

そのことが4つのエピソードに分けられ、

その辛く悲しい歴史が描かれてある。

 

イタリアがイタリア王国として統一されたのは、

今から150年前の1861年である。

 

イタリア統一の三傑として知られる人物がいる。

妥協を許さない共和派の革命家、政治家

…ジュゼッペ・マッツィーニ(Giuseppe Mazzini 1805-1872)

 

革命家、軍事家。若年から蜂起と亡命を繰り返し、勝利と世界的な名声、イタリア中の賛美と人気を手に入れた人物

…ジュゼッペ・ガリバルディ(Giuseppe Garibaldi 1807-1882) 

 

徹底した現実主義者、革命は無秩序と反動を招くと主張した、政治家、後にサルデーニャ王国首相、及びイタリア王国初代首相となる

…カミッロ・ベンソ・コンテ・ディ・カヴール(Camillo Benso, Conte di Cavour、1810-1861) 

 

大まかなイタリアの情勢の流れ

1796年~1815年 フランスのナポレオンの干渉

1820年 ナポリ革命

1831年 青年イタリアの活動

「統一なくして、民族は存在しない」をスローガンに、

外国勢力からの解放とイタリア統一を目的として、

ジュゼッペ・マッツィーニが、組織「青年イタリア/Giovane Italia」を結成、

大勢の若者たちが、

熱い希望を胸に大きな犠牲を払っていくことになる。

 

1848年、サルデーニャ王国、オーストリアと戦う

サルデーニャ王国…サボイア家が支配した王国(1720年にイタリアに成立した王国)。トリノを事実上の首都として北イタリアのピエモンテ地方とサルデーニャ島を併せもっていた。

1849年、ヴットーリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II di Savoia、1820-1878)が父王の亡命と退位により、サルデーニャ王国最後の国王(在位:1849-1861)に就き、その後、

1852年、カヴールを首相に迎えイタリア統一運動(リソルジメント)推進。

1859年、イタリア統一運動:第2次、第3次イタリア独立戦争

第二次イタリア独立戦争の際、ガリバルディはサルデーニャ軍に加わり、義勇師団を組織し、オーストリア軍に勝利。その際、オーストリアはサルデーニャにロンバルディアを明け渡す。

1860年、ガルバルディと義勇兵が千人隊を組織してシチリアの反乱を援助してシチリア王国を滅ぼし、イタリア南部を征服し、サルデーニャ王国、ヴットーリオ・エマヌエーレ2世に献上

 

1861年、イタリア王国建国:首都 トリノ

※この時、ローマとベネチアは、イタリア統一には欠く。

イタリア王国初代国王(在位:1861-1878)が、ヴットーリオ・エマヌエーレ2世。

 

結果的に、

マッツィーニの目指した共和制は夢破れたかたちとなり、

カヴールの卓越した外交によって、

サヴォイア王家の君主制に落ち着いてイタリア王国は建国された。

その後、1945年、サヴォイア王朝が廃止するまでイタリア王国は続き、

1946年に共和制に移行し、イタリア共和国となり現在に至る。

 

と、私の理解が間違ってなければ、

こんな感じがざっくりとしたこの時代の流れのようである。

日本ではなぜか、

食べて、歌って、愛して、

そんなステレオタイプ化した陽気なイメージが強いイタリアだが、

血を流した辛く暗い悲惨な歴史を持つのが、

ほんの150年ほど前のイタリアなのだ。

 

「ボンちゃん、ゴリラの歴史も、戦争の巻き添えになったりしてるから、涙なしには語れないよね…」

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