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2011.06.19

頓着すること。

昨日、映画「おくりびと」を絶賛した玉ログを書いた後、

気づけば、自分に当てはめて考えていた。

何を考えてみたかというと…、

あの世に出向く際に、

納棺の儀を施して欲しいかどうかをである。

 

映画で紹介されていた納棺の儀は以下の通りだった。

まず、基本的に納棺師は見ず知らずの人である。

女性の納棺師の方もいるとは思われるが、

映画では男性の納棺師だった。

ご遺体のすぐ横に2名の男性納棺師がいる。

家族や親しかったと思われる人たちに見つめられる中、

実際には一名の納棺師が厳かに儀を進めていく。

ご遺体は、お布団の上、浴衣がタオルケットのようにかけられてある。

納棺師は、強張る手をほぐすようにマッサージを施し、

横たわる姿勢を整えていく。

と、そこまでは特に深く気にかからずに見ていた。

が、私が横たわる人の気持ちに頓着したのは次のシーンである。

納棺師が、浴衣の下に手を入れ、

手ぬぐいでご遺体を拭き出したのである。

勿論、浴衣がタオルケットのようにかけられてあるから、

身体が誰かに目視されることはない。

けれど、

浴衣の下は全裸なのだろうか…と想像をしてみたら、

自分には施してもらいたくない光景に思えた。

映画はひとつの素晴らしい芸術として観ていて良いのだが、

自分自身に当てはめてみると思いは変わるもので、

妙に現実帯びてくる。

たとえば、

私の友人男性に物凄く横着で無頓着な人がいる。

30歳を過ぎても幼稚園児のようなところがあって、

夏、汗びっしょりになってシャワーを浴びた後、

洗濯をめったにしないから綺麗な下着が無いことが多いらしく、

洗濯機に投げ込んである洗っていない下着を引っ張り出して、

綺麗そうなものを探して再び身につけるといった無頓着さ。

シャワーから出てもろくに身体も拭かずに、

夢中にコンピューター作りに没頭したりする。

秋葉原にはまめに出向き、

部品を買ってきては思考錯誤してコンピューターを組み立る。

と、そんな具合に、興味のあることだけが頓着の対象なのである。

彼のような人であるならば、

身体を誰に拭いてもらおうが気にしないだろう。

 

でも私の場合、そうはいかない。

自分が心を許した人以外に身体を拭いてもらうことは望まないから、

あの世に旅立つ姿は、

最高に美を追い求めたものにしたい気もするが、

それを叶えるために、

知らない人に全身を拭いて貰いたいかと聞かれたら、

拭いて貰いたくはない。

だから、

生き途絶えた瞬間に、自分がそれを急に望むとは思えないのだ。

 

送り出す者の思い、送り出される者の思い、

置かれた立場、性格の違い、価値観などそれぞれ違うから、

こうしたデリケートな問題は考え方に個人差がでるところだと思う。

そんなことを考えてみたら、

老いも若きも年齢に関係なく、

リビング・ウィル(Living Will)のような、

生前の意思を明確にしておくことは大切なのだと思えてきた。

頓着することは人によって違うからね。

 

「ボンちゃん。ゴリラも、頓着するこは、それぞれに全然違う?」

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