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2011.07.26

記憶 page5

(つづき)

メガスターになれば、

会う人の数も膨大になる。

出会う人の数が増えれば、

絆を結べる確立はあがるものだろうか。

いったい、ひとりの人間が生きている間に、

絆を結ぶことができる相手は、

どれほどの数いるものなのだろうか。

その数にどれほどの個人差があるものなのだろうか。

私にとって、

絆を結ぶことは憧れである。

 

この世には人がたくさんいるが、

会うことができる人は、ほんの僅かのように思う。

そのほんの僅かの中から、

絆を結べる相手の数は、さらに極々僅かのように思う。

 

自分がまだ生まれていない時代、

自分がこの世にいる時代、

自分があの世に行った後の時代、

これらの3つの時代に人はいる。

時代に人は散らばっているのだ。

きっと、

自分がまだ生まれていない時代と、

自分があの世に行った後の時代にも、

出会うチャンスさえあれば、

絆を結ぶことができたはずの人がいるのではないかと思うのだ。

 

分かりにくかもしれないので、例をあげてみたい。

 

たとえばこんなこと。

もしも坂本龍馬と会うチャンスさえあれば、

絆を結び合うはずだった、遅居 海(おそい かい)という人物が、

2011年に生まれたとしよう。

でも坂本龍馬は1836年生まれだから、

双方とも日本に生まれ育った日本人でありながら、

坂本龍馬と遅居 海は会うことが叶わず絆が結べなかった…。

そう、遅居 海は、生れるのが遅すぎた。

或いは、坂本龍馬の生れるのが遅居 海よりも早すぎた。

遅いかい? 遅いよ!という感じ。

 

たとえばこんなこと。

Claudio Baglioniは、古代ローマの哲学者、セネカの思想を好む。

同じイタリア人としてイタリアに生まれているのに、

生まれた時代がズレていたことによって、

会うことも叶わず絆を結ぶことも実現化されず、

クラウディオがセネカが世に遺した本を見つけ出して、

おそらく…ふたりは本を通して絆を結ぶに至っている…。

 

たとえばこんなこと。

望まずとも近所に近所の人がいて、

家から一歩外に出て、

近所の人が庭掃除なんかして外にいれば、

「おはようございます、暑いですね」なんて言い合ったりする。

別に会いたいと思っていないのに、

家から出る両方のタイミングが何故か合ってしまい、

しょっちゅう会ってしまうといったケース…。

 

つづく。 

「ボンちゃん。ゴリラは、絆に憧れる?」

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