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2011.07.27

記憶 page6

(つづき)

こんなふうに、

出会いというのは望む望まないに関係なく、

タイミングさえ合えば会うことになっているようにみえる。

勿論、努力でカバーできる出会いもあるが、 

努力とは無関係な次元の、

それを宿命というのか何というのか、

いずれにしても“時”が介入していて、

自分の努力ではどうしようもない作用が働いている。

 

言い換えれば、

“時”が合わなければ、誰にも会わないし、会えないのだ。

私たちは、“時”の流れに身を任せるしかない存在なのである。

 

「時から取り返したいものは何か?」という問いに対する、

私の答えは、

「未知の記憶」。

出会えれば絆が結べる人なのに、

時がズレていることによって、

このままでは会えない人がいた、

また、この先もいるだろう、と思うのである。

自分のいなかった過去の時代、

この世という現在の時代、

自分のいなくなった後の未来の時代、

同じこの世にいる人たちの時間的ズレも含めて、

散らばっているがために同じ時間を同じ場所で共有できず、

会えずじまいになることを克服したいのである。

それを叶えるには、

“時”の組み合わせを変え、

時間的宿命のズレを一致させることが不可欠だと考えるのだ。

 

人が絆を結び合うことができれば奇跡が生まれる。

出会ってよかったと思える人に、

もっと多くの人が出会えるようになれば絆が生れるだろう。

そうすれば、

みんな心が豊かになって、

心が満たされて、

人が人に完全に絶望するようなことも無くなるに違いない。

そうなれば世の中はもっと平安で平和になるだろう、と思うのだ。

 

と、ここまで書いてみて気づいたことがある。

Claudio Baglioniは、

多くの人と深い絆を結んだ人なのだろう。

なぜならば、

もしも、この先、私の人生において、

多くの人と深い絆を結ぶことができたとしたら、

そして、その時、

「時から取り戻したいものは何か?」と聞かれたら、

間違いなく私は次のように答えるだろうと気づいたから。

「記憶」、と。

 

でも、今の私の答えは、「未知の記憶」なのである。

 

つづく。

 

「ボンちゃん。ゴリラは過去、現在、未来、どれを一番多く見つめる?」

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