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2011.09.14

Non ti Muovere

昨日の話の続き。

マルガレート・マッツァンティーニの小説「 Non ti Muovere (動かないで)」は、

ヨーロッパでベストセラーになり、

2002年にイタリア文学界最高の賞、ストレーガ賞を受賞している。

ただのエゴイスティックな男の物語にも見えるが、

なんだかそれだけではないような気がしていたので改めて考えてみた。

同じくイタリア人の夫、セルジオ・カステリットにより映画化が実現。

原題:<NON TI MUOVERE>(動かないで) 
邦題 : 赤いアモーレ  
監督 : セルジオ・カステリット
出演 : セルジオ・カステリット, ペネロペ・クルス

ペネロペ・クルスが出ていることもあってか日本語版も出ている。

作家が何をテーマに掲げてこの小説を書いたのか、

なぜイタリアで文学界最高の賞を受賞したのか、

なぜこの小説がヨーロッパでベストセラーになったのか、

推察の域ではあるが探ってみたいので、

あれこれ考えたことを私見を交えて記してみようと思う。

 

〈あらすじ〉

外科医ティモーテオ( セルジオ・カステリット)には、

ジャーナリストとして活躍する独立心旺盛の美しい妻がいる。

静々とした深い絆を感じる夫婦ではないが、

それなりに仕事も私生活も順調で傍から見れば満ち足りた生活。

だが、何か満たされない思いをティモーテオは抱えて孤独だった。

ある夏の暑い日、

どう見ても幸の薄そうなイタリア(ペネロペ・クルス)を発作的にレイプしてしまう。

イタリアは娼婦ではないのだが、

ティモーテオは彼女の自宅を訪れ続け、帰りがけに現金を置いて帰る。

イタリアはなぜかティモーテオを全面的に受け入れ次第に愛するようになる。

ティモーテオもまた、

イタリアに対して他の誰にも感じたことの無い愛を感じ出す。

イタリアが妊娠したのを機に離婚を決意するティモーテオだったが、

時、同じくして妻が妊娠したことを知り、イタリアとの連絡を暫く絶つ。

イタリアは、失意の念に駆られ、自宅にて自ら堕胎を決行する。

娘の誕生後も、ティモーテオはイタリアが忘れられず、再会し、その事実を知る。

程無くして、無暗な堕胎が原因でイタリアは他界する。

といった感じなのだが、

イタリアにとっての唯一の救いは、

ティモーテオの愛を感じながら彼に最後を看取られたことだろうか…。

 

ティモーテオがなぜこの過去を思い出したかと言うと、

一人娘が交通事故にあって瀕死の状態に陥ったからなのである。

懺悔の文化がそうさせるのか、

このウルトラスーパーエゴイスティックなティモーテオという男は、

妻や娘の気持ちなど全く憂慮する様子もないままに、

イタリアとの彼曰く真実の愛を思い起こす。

そして、

イタリアへの愛こそが愛というものだと気づいた…、

といった主旨のことを意識不明の娘に語る。

更に、イタリアの幻影に向かって一人娘を守ってくれるように懇願するに至る。

実際、それは聞き遂げられ、

一人娘は一命を取り留め、イタリアの幻影が消えて物語は終わる。

 

ここまでくると、

絵に描かれて額縁に入れられたエゴイスティックな男を観賞している気にもなる。

もしも自分がティモーテオの一人娘であったら…、

もしも自分がティモーテオの妻であったら…、

何を思い何を感じるだろうかと考えてみた。

自分が死の淵でさ迷っている時に、

夫或いは父親が亡き愛人を思い出している事実に茫然とするだろう。

「亡き愛人への愛こそが愛というものだ…」と、ベッドの上で聞かされた瞬間、驚愕する。

更に、無償の愛を自分に捧げてくれたイタリアなら思いを叶えてくれると信じて疑わず、

家族の命を救って欲しいと亡き愛人に頼むという有り様に…、

そんな男を夫として選んでしまっていたなんて…、

そんな男が父親だなんて…、

と、自分が嘆かわしく思えてきて寂しさ死にするような気がする。

というのが、私の最の感想なのだが、

この物語を書いた作家が男性ではなく女性であることを思うと、

エゴイスティックな男の理想の女性像を描いたものではないような気がする。

愛とは何かが分からずに生きていたティモーテオが、

道徳的な善悪の区別を厳格につけずに、

エゴイスティックな最低、最悪のエゴの牙を向けたイタリアから、

母性愛のような献身愛のような無償の愛を受け、

ティモーテオは愛とは何かを知って、

イタリアの亡き後もその愛は存在し奇跡を生じさせるに至る…。

なるほど、やはり、メッセージ性は、

エゴイズムに警笛を鳴らしているのだろうか。

地位、財力、名誉、美貌なんてものはお飾りに過ぎず、

誰よりも深く愛され、記憶に生き続ける人は無償の愛を抱いた人である。

無償の愛に勝るものは何も無い。

無償の愛こそ、最も、美しく、尊い究極の愛である。

それがこの小説のテーマなのかな…という思いに至った次第なのだよ!

 

「ボンちゃん、ゴリラ界にはエゴイスティックなゴリラがイッパイいる?」

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